第23話 恩と暁緋
――不思議な人だと思った。
友達らしき人たちと、来週のお楽しみ会のために訪れたと小耳に挟んだ。
初めて見かけた時、印象に残ったのは赤い髪の後ろ姿。
赤い髪なんて、藍泉では珍しい。自分の髪の色に比べれば、なんてこともないけれど。
次に見たのはそれから少し経った頃。
子供たちと遊ぶためにメインルームにやってきた。
でも、彼は金髪の女の子と紫髪の男の子と一緒に、離れたところに座っていた。
どうしてかは知らない。興味がなかったし、自分には関係ないと思っていた。
なのに、彼はあたしに近づいてきた。
『ねえ、君。みんなと一緒に遊ばないの? 具合でも悪いのかな?』
後ろから声をかけられて、振り返ってみれば鮮やかな赤い髪と眼が見えた。
驚いた表情だったのは、あたしの容姿のせいだろう。もう慣れた。
リーフェとシェーシアのハーフ。シェーシア人はただでさえ注目され、差別される。
母さんがそうだった。あたしと同じ髪と眼の色。眼はあたしと違って両方とも若草色だったけど。
リーフェでは人外じゃない限り見かけない色。リーフェ人とは違う眼の形。
出掛けるたびに陰口を叩かれ、時にはあからさまに接触を拒まれた。
そんな生活に父さんも母さんも疲れて、母さんはいなくなり、父さんはあたしをここに置いていった。
どこに行ったって、あたしは腫れ物扱い。あたしを好きになってくれる人なんていない。
だからあの人にも、関わりたくなかった。
どうせ憐れみで声をかけただけだろうから、どうせ拒まれるなら自分から拒んだ方がいいと思った。
『……あたしに、構わないで』
そうすればもう話すことも、近づくこともないだろうと思って。
それなのに、あの人は。
『あ、暁緋ちゃん!』
どこで名前を知ったのか、あたしの名前を呼んだのよ。
期待はしたくなかったから、無視しようとしたのに気にせず、笑顔で話しかけてきたのよ。自分もハーフだって。
同じだからなんだって言うの。混血でも、あの人はリーフェ人の顔だった。
あたしと全く同じじゃない。同情ならいらない。
されたってうれしくない。あたしの気持ちなんて分からない!
『でも、独りはさみしいでしょ?』
……信じられなかった。分かってくれる人がいるなんて、思ってなかったのよ。
ううん、もしかしたら分かってくれてる人はいたかもしれない。
でも、歩み寄ってくれた人はいなかったから。
『……どうせ少しの間しかいないんだから、仲良くなったって意味ないじゃない。それに、世の中は甘くないもの。こんな簡単に……他人の輪に入れるわけないわ』
きっとすぐに施設を追い出される。だったら、他の子と仲良くなったって意味がない。仲良くしてくれる人なんていない。
本の中の鬼の子のように、誰かに恋をすることだってない。
現実は本の中みたいに甘くないもの。そんなあたしに、あの人は。
『俺は暁緋ちゃんと仲良くなりたい。会えるのは少しの間だけでも、一度友達になったならずっと友達だから』
そう言ってくれた。ただの慰めかもしれない。綺麗事じゃないかって思った。
でも、あの人の目はまっすぐで、心からの言葉なんだって思えたの。
『よかったら、俺と友達になって下さい』
――不思議な人。この人の笑顔は、安心できる。あたたかい気持ちになれるの。
* * *
「おーい、あーきひ~!」
「!」
ブランコに腰掛け、ぼんやりと恩との出会いを思い返していた暁緋は、本人の声にどきっとして振り返った。
正門に手をかけてぶんぶんと手を振る恩に、暁緋の顔がみるみる赤くなる。
恩は門を開けて駆け寄ってきた。
「こんにちは。ブランコで遊んでたの?」
恩が近づくと暁緋はぷいっとそっぽを向いた。
「別に、遊んでたわけじゃないわ。……日向ぼっこよ」
「今日、天気いいもんね。でももう冬だし、外だと寒くない?」
「平気よ。ズボンだし、コート着てるもの」
恩のことを考えていたら寒さなんて気にならなかった。なんて言えるはずもないけれど。
ひゅうっと風が吹いて恩が小さくくしゃみをする。
「う~、やっぱり寒いよ。それにさ、ほら、暁緋の手」
「え?」
手袋を外し、恩が暁緋の手を握る。
「こんなに冷えてる」
伝わってくるぬくもりと笑顔に、暁緋は思わず恩を両手で突き飛ばした。
「ぉわーっ!?」
「ごっ、ごめん!」
拍子に飛んで行った手袋を拾いに行き、恩に手渡す。
「高天、大丈夫?」
「ちょっとお尻打った……暁緋、力強いなぁ」
「そんなに強く突き飛ばしたつもりないけど。それはともかく、今日は来るの遅かったわね。来ないのかと思ったわ」
立ち上がって手袋を受け取り、恩は歩き出す。暁緋も横に並んだ。
「ちょっと寄り道してたら、思いのほか時間食っちゃって。それでさ、暁緋に……」
建物内に入ると、恩を見かけた子供たちが駆け寄ってくる。
最初は暁緋の存在に少々戸惑いつつあったが、恩が間に入ったせいか最近は暁緋も子供たちの輪に入れるようになっていた。
「恩にいちゃーん!」
「おーそーいーっ」
集まってきた子供たちに、恩はポケットから取り出そうとしたものを引っ込める。
「ごめんごめん、みんなはもうホールの方だよね」
「うんっ、さっきまで遊んでくれてたけど」
まとわりついてくる子供たちの頭を撫でながら、恩はホールへと廊下を歩いていく。
「ねー、おにいちゃんはなんの役やるのぉ?」
「だからそれは当日までの秘密で……」
「あんたたち、高天が困ってんでしょ。ほら、散るーっ」
暁緋がしっしっと子供たちを追い払う仕草をすると、子供たちはぷーっとむくれた。
「暁緋ちゃんだってお兄ちゃんとずっと一緒にいるじゃーん」
「ずるい~っ」
「ひとりじめしたいんだよ、きっと。ぼく、さっきみてたもん。あきひねえちゃん、めぐむにいちゃんとてつないでたよ!」
「はあ!? 手なんて繋いでないわよ!」
「私も見たよ~! ブランコのとこで。ね!」
「ねー。ぎゅってしてた~」
子供たちがはやし立てると、暁緋は顔を真っ赤にした。
恩はきょとんとして、ややあってから思い当たったようにぽん、と手を打った。
「ああ、さっきの。手繋いだように見えたのか~」
「あれは! ていうか何見てんのよ、あんたたちは~っ!」
「ラブラブって言うんだよね!」
「うん、ラブラブ~」
子供たちの言葉にうろたえる暁緋。冷静な恩にイラッとし、八つ当たりする。
「そっ、そんなんじゃないわよ! もう、高天! あんたが妙なことするから、子供たちが変な言葉覚えちゃったじゃない!!」
「ええっ、それって俺のせい!? 妙なことって、手触っただけでしょっ?」
「~っもういいから早く行きなさいよ、バカっ」
「いてててっ、??」
ばしばしと背中を叩かれ、恩はわけも分からずホールへと小走りで向かった。
ホールでは劇の終盤を練習していた。カーレンがまひろの着る姫の衣装を広げていて、衣装を着ているように見えた恩はどきっとした。
「あら、恩さん」
「あっ、い、衣装出来たんだ」
「はい。どうでしょうか」
「う、うんっ、よく似合ってるよ!」
見当違いな答えを返す恩に、カーレンはくすくすと笑った。まひろがにんまりと笑って恩を下から見上げる。
「まあ、恩さんったら」
「恩ちゃーん? この衣装着るのはまひろだよぉ?」
「ぅえ! あっ、そうだった!」
立ち上がったまひろは狼狽する恩の胸をツン、と指でつつき、後ろで手を組んでくるっと体を反転させた。
「恩ちゃんってば、お姫様姿のカーレンさんを妄想してたんでしょ~」
「妄想だなんて! ただちょっと似合いそうだなって」
「んふふ、そうだね~。でもお姫様は譲らないよ~? お姫様はまひろで、まひろを助けてくれる王子様は要ちゃんだもん」
「あはは、分かってるよ」
苦笑する恩。要とまひろの熱々ぶりは明らかだ。依存しているとも言える。
驚異的な記憶力と理解力で、読み書きができるようになった頃には、中学の問題を簡単にこなしていた。
一般知識だけではなく、様々な専門知識を小学生の間に身に付けた。
それゆえに、周囲の人々は二人に畏怖の念を抱くようになった。両親でさえも。
二人も自分たちは有能で、周りの人間はみんな無能だと思っていた。
同じ思いを共有できる半身だけを信じ、愛するようになり、心を閉じた。
恩が初めて二人を見た時も、どこか遠くを見ていて、周囲に無関心だった。
けれど、二人の中に隠された哀しみに気づき、声をかけた。
恩の言葉を聞き、二人は初めて涙を流した。
二人は言った。初めて笑顔を見せてくれた時に。
『ぼくたちのことをそんなふうに思ってくれたのは、君が初めてだよ。君だったら、信じてもいい』
『他人を受け入れるのはまだ怖いけど、君になら、わたしたちの世界の扉を開けてあげる』
そうして今に至るのだ。いまだに互いに依存し続ける二人だが、明るくなったのはよいことだと思う。
公衆の面前でもお構いなく、二人の世界に突入するのは少し勘弁してもらいたのが本音だが。
まひろは床に置いてある紙でできた花を拾い上げると「でもね」と呟いた。
「恩ちゃんになら、まひろの心をあげてもいいんだよ」
「へ?」
まひろは肩越しに振り返り、大人びた笑みを浮かべた。
「要もね、同じ気持ち。わたしと要は繋がってるから」
「まひろ……」
「まひろー、出番よー!」
幸緒に呼ばれると、まひろはぱっといつもの無邪気な顔になり、「はーい!」と元気よく舞台へ走っていった。
要の隣に立つと、きゅっと手を繋ぐ。その手を握り返し、要はそっとささやく。
「ぼくの心まで代弁しないでもらいたいな」
「だって、言わないと要ちゃん、自分では伝えないでしょ」
微笑むまひろに、要も微笑みを返した。
恩はと言えば、まひろの言うことは時々難しいなぁ、とぽかんとしていた。
そしてお楽しみ会当日。多目的ホールには職員と子供たちが集まり、盛況だった。
カーレンのナレーションから始まり、舞台は順調に進んだ。
照明などの裏方作業に右往左往をしながら、恩は自分の出番もなんとかクリアした。途中、何度か緊張で噛んだりはしたが。
劇は大成功に終わり、子供たちにも楽しんでもらえたようだ。後片付けは子供たちが手伝ってくれた。
衣装をたたんでいると、暁緋が近づいてきた。恩の後ろに立ち、ためらいがちに声をかける。
「お疲れ様。なかなかおもしろかったわよ」
「見てくれてたんだ。ありがとう。ちょっと噛んじゃったけどねー。でも楽しかったよ」
「そう。よかったじゃない。……」
恩が太陽の家に来るのは今日が最後。会えるのはこれが最後なのだ。
そう思うとなかなか話しかけられなかった。何を言えばいいのか分からなかった。
勇気を出して話しかけてみたが、他に何を言えばいいのだろう。
「よしっ、これで終わりだな。あ、そうだ、暁緋」
「な、何?」
ごそごそとズボンのポケットを探りながら恩が立ち上がる。暁緋と向かい合うと、恩はにこっと笑う。
「君に渡す物があったんだ。ほんとはこの前渡そうと思ってたんだけど、ずっとタイミング逃しててさ……手出して」
どきどきしながら、暁緋は言われたとおりに手を出す。その手に乗せられたのは白地に水色チェック柄のシュシュだった。
「それ、暁緋に似合いそうだな~と思って買ったんだ」
暁緋は手のひらのシュシュを見つめる。うれしくて、涙が出そうだった。
プレゼントなんて、何年振りだろう。誕生日でさえ父親は仕事で構ってくれなかった。
おもむろに髪を手櫛でポニーテールにし、シュシュで留める。恩を窺うと、恩は満足そうに笑った。
「やっぱり似合う! 俺の勘は外れてなかったんだな。うん、かわいい」
恩の笑顔が眩しい。暁緋は自分の中に芽生えた感情を自覚した。このうれしさとあたたかさは、きっと彼だから。
(そっか。あたし、高天のことが好きなんだ)
こんなにも胸がどきどきするのは、恋をしているから。彼のことが頭から離れないのも。
彼と毎日会えるのは今日で最後。でも、このまま終わりになんてしない。
グッと恩を見上げると、暁緋はぽすっと拳を恩の胸にぶつけた。
「わっ、暁緋?」
会えなくなるなんて嫌だから、このままお別れなんてしてやらない。暁緋はにっ、と笑った。
「高天。あんたはあたしから大事なもの盗ってったのよ! 責任取りなさい!」
「えええ!? 何それ!? 大事なものって……」
「このままサヨナラなんて許さないわよ? だから、これからも会いに来なさい! もちろん、あたしも会いに行くわ。友達、なんでしょ?」
得意げに見上げてくる暁緋。恩は軽く目を瞠り、ややあって笑った。
「うん。また会いに来るよ。友達だもんね」
それでいいわ。今は“友達”のままで。でもね、あたしの心盗んでいったんだもの。盗り逃げなんてさせないんだから。
暁緋は晴れ晴れとした気持ちで踵を返した。
あたしはもう、恋に恋なんてしない。だって、君に恋をしたんだもの。
少し離れたところで立ち止まると、手で銃の形を作り、恩に向けて撃つ真似をする。
「高天! 覚悟しなさいよね!」
――絶対に、捕まえてみせるから。
颯爽と去っていく暁緋。恩は、なんの覚悟? と首を傾げた。