第22話 孤独な少女
一人ぼっちで部屋の隅に座りこんでいた子供に声をかけた恩は、振り返った子供の顔を見てシェーシア人だと悟った。
縦長で宝石のような煌めきを放つ虹彩と、それに似た色の瞳孔。リーフェ人とは明らかに違う形の眼は、シェーシア人特有のものだ。
しかしこの子の不思議なところは、右眼が灰色、左眼が若草色のオッドアイであること。アザレアのような赤紫色の髪も目を惹く。
目線を合わせるために屈んだ恩の顔を、子供が無感動な目で見つめる。
恩は一瞬、言葉に詰まったがなんとか声を出した。
「……あのさ、みんなと一緒に遊ぼうよ。一人でいてもつまらないでしょ」
子供はわずかな間、恩と目を合わせたが、ふいっと顔を逸らすと手元にあった本を取り、無言で立ち上がった。
「あ、君……」
「……あたしに、構わないで」
囁くような声でそれだけ言うと、子供はふらりと部屋を出ていってしまった。静まり返る部屋の中で、恩は硬直していた。
なんだかとてもいたたまれない気分だ。こんな気分になったのは数年振りである。
あの子は「あたし」と言っていたからたぶん女の子だろう。シェーシア人の顔は見慣れないので、性別や年齢が判別しにくい。
声をかけたのは余計なお世話だったのだろうか。気を悪くさせてしまったのかも。
呆然としていると幸緒が近づいてきて、ぽん、と肩に手を置いた。
「大丈夫? 恩。ちょっと話があるんだけど、いい?」
気遣わしげな顔の幸緒を見上げ、恩はこくんと頷いた。幸緒は亜橲にも顔を向ける。
「畔上も。ちょっとだけつきあって」
三人は別室に場所を移した。職員用の休憩室のようだ。
幸緒が適当にお茶を酌み、食卓に座った二人に差し出した。
「さっきの子はね、桜場暁緋ちゃんって言って、二週間くらい前にここに入ってきたらしいの。詳しいことは聞いてないけど、見ての通りシェーシア人よ」
「あの子、純血のシェーシア人じゃないな。リーフェ人とのハーフだろ」
「え、そうなのか?」
亜橲が言うと、恩は目を丸くした。純血か混血かなんて見た目で判別できるものなのか。それとも亜橲がシェーシア人だから判別できたのか。
「父親が藍泉人らしいわよ。シングルファザーで、暁緋ちゃんを養っていくのが難しくなってここに入れたみたいなの。よく混血って分かったわね」
「眼の色が左右で違っただろ? シェーシア人は他種族とのハーフの場合、両親の眼の色が片方ずつ出るんだ」
「へぇ~、そうなんだ」
シェーシアでは純血と混血がそんなにはっきり判るなんて。
リーフェでは基本的に人間がオッドアイになることはない。遺伝子の問題でそうなる場合はあるが、大概は人外に多く見られる。
「あ。あの子の眼……黄緑色の方だけど、虹彩の色がちょっと変わってたな。黄緑なんだけど、半分だけ青が混ざってたんだ」
「やっぱりな。あの髪にその眼の色ってことは母親はホンヅゥ族か」
「ホンヅゥ族?」
シェーシアの一族名だろう。初めて聞く名前だ。亜橲はお茶を一飲みしてから答えた。
「ホンヅゥ族ってのは一族名なんだけど、ホンヅゥの人間は体の成長が他の一族よりゆっくりなんだ。仙族を基準にすると、だいたい二分の一くらいの遅さで、あの子も実際の見た目より長生きだと思うよ」
「え。そうなの? じゃあもしかして年上!? あ、仙族っていうのは?」
「シェーシアではさ、特別な能力とか独特な特徴を持たない種族は仙って呼ぶんだ。リーフェでの常人って奴かなー。僕も仙だよ」
「と言うことは、シェーシアにも異能一族みたいなのがいるのか?」
「うーん、少し違うけど似たようなのはいるよ。生まれつき空を飛べるのとか、無性別とかさ」
「無性別!? って男でも女でもないってことだよな? はぁ……シェーシアっていろんなのいるんだなぁ」
リーフェとシェーシアは思っていた以上に違う部分があるようだ。まるでおとぎ話のような世界だ。一度行ってみたいものだが、手続きが非常に面倒だと聞いている。
「話、戻してもいい?」
「あ、ごめん」
「暁緋ちゃんは見た目がシェーシア人寄りでしょ? だから周りの子とうまく馴染めてないのよ」
「そうみたいだな。リーフェ人から見てシェーシア人は、外見こそ似てるけど異星人だもんなー。子供ならなおさら怖いんだろ」
からからと笑う亜橲。彼自身、リーフェに移住したばかりの頃は近所の人から奇異の目で見られた。異能一族とも人外とも違う、未知の生物として。
シェーシア人のことも含めて、リーフェの人間は差別するものが多いなと常々思う。
「なんとかしてあげられないかな……あのままじゃ、暁緋ちゃんがかわいそうだよ」
沈んだ表情の恩に、二人が微苦笑する。恩のことだからそう言うと思っていた。
「そうよね。それで畔上に来てもらったのよ」
「あー、ナルホド。同じシェーシア人の僕ならカウンセリングになると。ごめん無理」
「いきなり挫折してんじゃないわよ。まだ何もしてないでしょ」
「僕、そういうの苦手なんだよねー。相手を気遣うとかさ」
「まあ期待はしてなかったけど」
「あれ? どっち?」
満面の笑みの応酬に、漫才みたいだなーと恩はぼんやりと思った。
「高天の方が適役じゃん? 医者目指してるんだし」
「は!? なんでそうなるんだよ!?」
突然向けられた矛先に、恩は思わず立ち上がった。亜橲がにんまりと笑う。
「患者の気持ちを考えて行動するのは医者の務めだろ? 将来、医者になったらいろんな患者と接すことになる。
中には精神的に弱ってる人もいるだろうし、シェーシア人だっている。医者は患者に信用されなきゃやっていけないんだし、将来のためにも心のケアをやってみたら?」
至極まっとうな意見を言われた気がする。が、亜橲に言われると何か裏がありそうな気がしてならない。
「……やけに分かってるような言い方だなー」
「知り合いの受け売り!」
「だと思ったよ。でも、まあ……亜橲の言うことももっともだよな。勉強にはなるかもしれない」
将来のことを考えれば、こういった経験はしておくに限る。
「ほら、高天も乗り気だし、後は高天大先生に任せれば大丈夫!」
「大先生ってあんたね……押し付けただけでしょうが。ま、あたしはどっちでもいいんだけど。恩、暁緋ちゃんのこと頼んでもいい?」
「うん、やってみる」
「それはそれとして、劇の方もよろしく。本題はそっちだから」
そういえばそうだった。そのことをすっかり忘れていた恩であった。
翌日から配役を決め、本格的に劇の練習が始まった。
劇は一般的に知られている藍泉神話の出だしからやることになり、人数が少ないこともあって水神と炎神は声のみの演出にすることにした。
主役の夏津呂青年と玄美都姫は要とまひろ、姫の親は幸緒、魔物は玲汰、亜橲と恩とカーレンはその他脇役と裏方をやることになった。
恩はカーレンの姫姿を見てみたかったが、それだとどうしても夏津呂と触れることが多くなってしまう。
そうなると翼が出てしまうから面倒なことになる。かといって自分が主役をやるのは嫌なので、適役だとは思う。
「サヲギラ様とオミリア様の声はあとで誰かのを録音するとして、まずは夏津呂の住んでる国に魔物が現れるとこからね」
「魔物ってどんなのがいいんだな?」
「本に描かれてる魔物ってみんなバラバラだからな~。適当でいいんじゃない?」
「子供がいるし、あんまり怖くないのがいいと思う!」
「でも、迫力ないとつまらないよね」
意見を出し合い、羽の生えた毛むくじゃらで三つ目の牛という結論に達した。ためしに玲汰が変化してみせる。
「こんなのでどうなんだな?」
「おおーっ、すごい! さっすが!」
「そんなに大きくないのに迫力あるねぇ~」
「声も変えた方が迫力増すんじゃない?」
「じゃ、練習開始!」
要たちが練習をしている間、恩とカーレンと亜橲は小道具の準備をしていた。ダンボールなどで家や木を作ったりと、なかなか骨の折れる作業である。
「恩さん、こちらはどうしましょうか?」
「あ、こことここをボンドでくっつけて。その後、この辺りにそっちの紙を貼って……」
「高天ー、ちょっとこれ持っててくれ」
「了解ー。ボンドが手にくっつかないように気をつけてね」
「わかりました!」
工作をするのは初めてということで、カーレンは楽しそうだった。子供のように一所懸命なカーレンを見ていると頬が緩む。
亜橲の方を手伝い終わり、カーレンに見とれながら歩いていたせいか、足元にあったペンに気づいていなかった。うっかりペンを踏み、恩はすっ転んだ。
「わっ。だぁぁぁぁぁっ!」
「うわ、高天!?」
「恩さんっ」
「どうしたの!?」
「大丈夫ー?」
幸緒たちも練習を中断して恩たちを見る。恩は先程作った、まだ絵の具が乾ききっていない絵に手をついてしまい、手が絵の具だらけになってしまった。
「あいてて……あーっ! やっちゃったぁ!」
「おお、見事に高天の手形が」
「恩さん、お怪我はっ?」
「大丈夫、ケガはしてないけど、せっかく作った絵がぐしゃぐしゃになっちゃった。頑張ったのになぁ、これ」
手形がつき、崩れた絵を見て恩は嘆息する。
「絵の具は落ちにくいから早く洗ってきた方がいーよ、恩ちゃん」
「うん。ちょっと行ってくる。あ、その絵はあとで俺が作り直すから、みんなは自分の作業続けてて!」
恩は部屋を飛び出し、手を洗える場所を探す。昨日も来たとはいえ、施設内はまだ把握していない。
「えーと、どこで洗おう。トイレでいいかな? トイレ……ってどこだろ」
きょろきょろしながら歩いていると、前方から暁緋が歩いてきた。本を両手で抱え込み、俯きながら歩いてくる。
「あ、暁緋ちゃん!」
びくっと身を震わせて暁緋は立ち止まる。恩には今、気づいたようだ。
本を抱えた手にぎゅうっと力を込め、さけるように通り過ぎようとする。
「昨日振りだね~。また本読んでたの?」
「……」
「本、好きなのかな? それって絵本だよね?」
「……うるさい。あたしに構わないでって言ったでしょ」
暁緋は振り向いて呟くように言う。声が小さくても恩にはなんら問題はない。
恩はにこーっと笑って暁緋に近づいていく。暁緋は警戒こそすれ、逃げはしなかった。
「ごめんね。でもさ、俺、暁緋ちゃんと仲良くなりたいんだよ」
「あたしは別になりたくない。あたしのことはほっといて」
きびすを返そうとする暁緋に、恩は優しく話しかけた。
「暁緋ちゃん、ハーフなんだってね。俺もなんだ」
「……っ」
「残念ながらシェーシアの血は入ってないけど」
小さく肩を震わせて、暁緋はキッと恩を睨みつけた。
「……それが何? ハーフだから、なんだって言うの? 同じ混血なら仲良くなれるとでも思ってるの?
だったら大間違いよ。混血だろうと純血だろうと、あたしは仲良くなりたいなんて思ってないんだから!」
「でも、独りはさみしいでしょ? だからその本を読んでるんだよね?」
暁緋の目が見開かれる。暁緋が抱えている絵本、それは一人ぼっちの鬼の子が旅をして、その中で人間の子供に恋をし、少しずつ人の輪に溶け込んでいくお話。
ちらっと表紙が見えただけだが、見覚えがあったので恩にはすぐ分かった。暁緋があれを読んでいたのは、いつかこうなりたいという思いからではないか。
暁緋は一転して泣きそうな顔になり、俯いた。
「……どうせ少しの間しかいないんだから、仲良くなったって意味ないじゃない。それに、世の中は甘くないもの。この本みたいに簡単に……他人の輪に入れるわけないわ」
「そんなことないよ。時間なんて関係ない。仲良くなりたいなら踏み出せばいい。やる前からあきらめてちゃダメだよ。
俺は暁緋ちゃんと仲良くなりたい。会えるのは少しの間だけでも、一度友達になったならずっと友達だから」
暁緋が顔を上げ、微笑む恩の顔を正面から受け止めた。恩はにっこり笑って手を差し出した。
「よかったら、俺と友達になって下さい」
ふわりと、暁緋の心に風が吹いた。じわりと視界がゆがみそうになったので、慌てて顔を逸らす。
「そんな絵の具だらけの手なんて、握れるわけないでしょ」
「えっ、あ! そうだった! ごめん! あと、ごめんついでに手を洗える場所教えてくれる!?」
慌てふためく恩がおかしくて、暁緋はこっそりと笑みを浮かべた。
トイレで絵の具を洗い流して出てくると、暁緋が待っててくれていた。壁にもたれて立っていた暁緋は恩を一瞥すると、ぷいっとそっぽを向いた。
「絵の具落ちた?」
「ほとんどはね。まだうっすら残ってるけど」
「そう。まあよかったじゃない。それじゃ」
「うん、ありがとね、暁緋ちゃん」
立ち去ろうとする暁緋に礼を言うと、暁緋は足を止めて顔をしかめた。
「……その、暁緋ちゃんってやめてくれる?」
「あ、年上だから? ごめん」
「知ってたの?」
「いや、友達がシェーシア出身でさ、ホンヅゥ族じゃないかって言ってて。ホンヅゥ族って他の人より成長が遅いんでしょ?」
言われてみれば、彼の側にシェーシア人がいたような。
自分以外のシェーシア人なんて、家族以外では初めて見た。
「まあ、そうだけど。でも、精神年齢が実年齢と比例してるわけじゃないのよ。あたしからすればあんたの方が年上よ。ただ、あたしがちゃん付けで呼ばれるのが嫌なだけ」
「そっか。じゃあ、暁緋でいいかな?」
笑顔で言うと、暁緋はわずかに頬を染めて恩に背を向けた。
「……いいけど」
「あ、俺の名前言ってなかったよね。高天 恩って言うんだ。俺のことも呼び捨てでいいよ」
「……じゃあね」
今度こそ立ち去る暁緋を見送り、恩はホールに戻っていった。
暁緋と仲良くなれてよかった。シェーシア人というのも興味があるし、何より放っておけなかった。まるで織を見ているようで。
彼女のことが気になっていたのは、織のことがあったからだろう。
年が近そうだったから織が重なって見えたのだ。今頃、織はどうしているだろうか。
独り立ちした天狗族とは、よほどの理由がない限り会ってはいけない掟だ。
恩は天狗族ではないから掟は関係ないのだが、織の方が会ってはくれないだろう。
またいつかどこかで会えるだろうか。そんなことを思いながら、暁緋のことも考えてみた。
ハーフで周りの人間とは異なる外見。受け入れてもらえない悲しみ。暁緋の気持ちを考えたら、何もせずにはいられなかった。
意気込み過ぎて触れてはいけないところに触れてしまった気もしたが、結果的に心を開いてくれたみたいなのでよしとしよう。
ホールに戻った恩はダメにしてしまった絵を描き直し、ときどき演技の練習もして、なんとか小さいものは出来上がった。
「今日はここまでにしましょうか。続きは明日ね」
「あー、疲れたぁ~」
「ずっと変化してると疲れるんだな……」
「皆さん、お疲れ様です」
「ごめん……俺、セリフ忘れてばっかりで」
「何回もやってれば慣れるよ~」
「恩用にカンペ作る?」
あと一週間以内に完璧にできるだろうか。舞台のセットも作らないといけないし、自信がない。そこへカーレンがやってきて、にっこり笑った。
「お疲れ様でした、恩さん」
「あ、うん」
すぐ近くでカーレンの笑顔を見て恩はぽっと顔を赤くした。
「本番、頑張りましょうね!」
「! うん!!」
両手でガッツポーズをするカーレンがかわいくて、さっきまでの疲れと自信のなさが吹き飛ぶ恩であった。