第21話 世界と藍泉の創造神話
恩が『太陽の家』に着いた頃には、全員が揃っていた。『太陽の家』は施設長の他に、職員は幸緒の母親を含め三人。施設に入っている子供は全部で十一人だ。
庭で楽しそうに遊ぶ様子からは、複雑な家庭の事情があるようには思えない。
「で、改めて劇の内容を確認するけど、今回やる創造神話は天地創造と藍泉建国のものにしましょ」
練習用に借りた多目的ホールに集まり、幸緒が中心となって話し合う。
世界創造神話は大まかな部分は万国共通だが、国によって多少異なる部分がある。
【混沌の闇より生まれし創造神セイルシアとライフィエは、神の住む天界、悪魔の住む魔界、人間の住む人間界と呼ばれる二つの惑星を創り、一つをシェーシア、一つをリーフェと名付けた。
あらゆるものに宿る神々、海、大地、植物、動物、様々な人外の種族、人類を創った後、創造神たちは人間に「子を産み、集落を作り、国を作れ」と命じ、いずこかへと消えた。
人間たちは創造神に命じられるままに子孫を増やし、様々な土地へと散らばり、それぞれの国を作った】
というのがリーフェに伝わる世界創造である。
「リーフェではこう伝わってるけど、シェーシアではどうなの?」
幸緒がシェーシア出身の亜橲に尋ねる。
「同じようなものだよ。創造神様が混沌から生まれて、多くの世界を創造し、リーフェとシェーシアを創造し、それぞれの世界に生命の種を落としたんだ」
「じゃあ、その辺りはこれといって問題ないわね」
頷いて、紙に劇の大まかな流れを書き込んでいく幸緒。
「えーっと、次は藍泉神話ね。藍泉神話は……どこまでやる?」
「玄美都姫救出まででいいんじゃないかな?」
「うんうん、ちょうど一区切りつくとこだもんね~」
要とまひろが手を取り合って提案する。話を聞いていて、恩は内心焦っていた。実は、恩は藍泉神話を詳しく知らない。
父が藍泉人ではあるが、ずっと暁篠にいたし、暁篠神話は聞かされても藍泉神話はあまり聞かされなかったのだ。
「そうね、じゃあ姫救出までってことで。それで配役だけど……」
「あ、あのさぁ……」
今さら訊くのもどうかとは思ったが、聞かずに恥をかくより、聞いて恥をかいた方がましだろう。
確か藍泉のことわざで、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というものがあった気がする。
「ん? 何?」
「俺さ、藍泉神話をよく知らない……んだよね。親があまり話してくれなかったからさ」
正直に白状すると、幸緒は「なーんだ」と言う顔でペンを床に置いた。
「正直な話、あたしもあやふやなのよねー。出だしとか全然覚えてないんだけど」
「え」
「オイラも人間に伝わってる神話は知らないんだな。オイラたち恠妖は神話とかおとぎ話ってほとんど無縁だから」
「ええ?」
「僕だって藍泉の神話は知らないな。と言うか、リーフェの神話は本でも読まない限り聞いたことないし」
「えええー!?」
ここにいる大半が神話の内容をしっかり把握していなかったとは。恥を忍んで聞いてよかった。
「要たちは知ってるわよね? だから詳しい内容は二人に訊こうかと思ってたのよ」
確かに天才双子姉弟と言われた二人なら神話も熟知しているかもしれないが、そんな行き当たりばったりでいいのだろうか。
「藍泉神話は……まだ開拓されていない土地に高天廼圀から降りてきた神が、その土地の守護神になったことが始まりだね。
その神の名前は高天霧尋神って言って、土地と同化してこの国そのものになったんだって」
「へっ? 最初ってそんなだったっけ?」
「あまり有名じゃないからね~。絵本とかでも省略されてる部分だから、知らないのも無理ないよ!」
要の説明に首を捻った幸緒に、まひろが笑顔で付け足す。そんな少数派だけが知っているような内容を、要たちはよく知っているなぁ、と感心する恩だった。
それになんだか神様の名前とか言いにくい。すでにどういう名前だったか覚えていない。
ただ『高天』と言うのがついていたのがちょっと気になった。と、その時、まひろがこちらに顔を向けた。
「あのね、一説ではこの高天霧尋神の末裔が高天家の人だって言われてるんだよん」
「えっ!? 高天って……そういう意味?」
「前にも言ったけど、『高天』は古ーい国姓なの。今じゃ高天姓を持つ人が少なくなっちゃったから国姓ってことは忘れ去られてるけど、『高天』が国姓なのは高天霧尋神の末裔だからなんじゃないかーって。あくまでも一部の学者さんたちの意見なんだけどね」
「マジか! すごいじゃん、高天。かわいー上に神様の子孫か!」
肩に腕を回してぐりぐりと頭を撫でてくる亜橲。恥ずかしくて、恩は亜橲の手をぺしんと叩いた。
「やめろよもう~っ。それに事実かどうか分からないだろ!」
「じゃあカーレンさんに聞いてみればいいじゃん。カーレンさん、高天のなんとかって神様はホントにいたんですか?」
亜橲が問うと、カーレンは困ったように微笑んだ。
「どうでしょう? わたしは生まれて数百年しか経っていないので、昔の方々は知らないんです。すみません」
「へっ。あ、そうなんですか」
「亜橲のバカ! カーレンを困らせるなよ!」
ぎろりと目を三角にして睨みつける恩に、亜橲は珍しくたじろいで「ごめんごめん」と笑顔を浮かべる。恩はよほどカーレンが大切らしい。
「それでねぇ、高天霧尋神が同化した土地を霧尋大地って言ったの。
霧尋大地は小さな集落が点在しているだけの土地だったけど、そこに天上から水神サヲギラ様と炎神オミリア様が降臨したってわけ~」
「あ、その辺りからなら分かるわ。その二柱が別々の集落で暮らしてた人間たちを集めて、国を作りなさいって言ったのよね?
で、それぞれの神が守護する二つの国が出来上がった。サヲギラ様が守護する東の国は沙生ノ国、オミリア様が守護する西の国は麻績ノ国よね?」
一般的に知られている藍泉神話の出だしがいつもここからなのだ。この沙生と麻績と言う名は、現在にも地名として残っている。
「うん。それで沙生ノ国に住む夏津呂っていう青年が最初の章の主人公だね。
夏津呂は武器職人の息子で毎日武器を作って暮らしていたんだけど、ある日、魔物が現れて国中を荒らし始めた」
「困った領主は国中にお触れを出して退治してくれる人を募ったんだけど~、ことごとく返り討ちにされちゃったんだよねぇ」
幸緒がメモ帳に二人の話を書きとめていく。ここからシナリオを作っていくのだろう。
「ああ、それで仕方がなく、生け贄を差し出して魔物を鎮めようとしたんだったっけ? その最初の生け贄に選ばれたのが、領主の娘の……なんとか姫?」
「玄美都姫ね。で、その姫が生け贄として魔物のところに連れて行かれるところに夏津呂が遭遇して、自分が作った武器を使って魔物を退治したっていうのが藍泉神話第一章だよ」
おとぎ話などではよくある話だ。そういうのはたいてい、助けた男と助けられた女が恋に落ちて幸せに暮らすというのがお決まりのパターンだ。
幸緒と要とまひろの話を聞きながら、暁篠神話にも似たような話があるなぁ、と恩が暁篠神話を思い浮かべていると、ホールの入り口の辺りからひそひそと人の話し声が聞こえた。
血筋柄、人などの気配には敏感な方だし耳もいいので、それが複数の子供だということが分かった。
恩が入り口に顔を向けると、ドアの隙間からこちらを覗いて内緒話をしていた子供たちが、しまった、という顔をした。
「恩さん、どうかしましたか?」
「あー、子供たちがさ」
カーレンの問いに目で入り口を指すと、幸緒が気づいて立ち上がった。
「みんな! そんなところで何してるの?」
「あ、ばれた! お前たちが騒ぐからっ」
「だ、だって~」
「大事なお話してたのにごめんね、ゆきお姉ちゃん」
子供たちの代表的な二人の子供が前に出てきた。九歳くらいの男の子と十一歳くらいの女の子だ。
「ゆき姉ちゃんたち、来週のお楽しみ会のことで来たんだろ? だからさ、邪魔しちゃダメだって思ったんだけど、ちびたちが姉ちゃんたちと遊びたいって……」
「ゆきお姉ちゃんが来るの久し振りだから、みんなはしゃいでるのよ。でもお姉ちゃんたちは忙しいみたいだし、あっちに戻るね。みんな戻ろう」
女の子が小さい子たちを促すが、子供たちは不満げに駄々をこね始めた。
「えーっ、やだぁっ」
「ぼくたちだって姉ちゃんとおはなししたいもん!」
「ずるいずるい~っ!」
「だからダメだって言ってるだろ、ゆき姉ちゃんたちはお楽しみ会をやるために来てるんだ。邪魔して何もできなくなったらそっちの方がやだろ?」
「うー、それもやだ、けどぉ」
「お姉ちゃんと遊べないのもつまんない!」
子供たちをなだめようとする男の子と女の子。反発する子供たち。堂々巡りになっている様子を見て、恩たちは苦笑した。
「藤浪、人気者だなー」
「なんか妙に懐かれちゃってるのよねー、あたし」
「幸緒ちゃんはみんなの『お姉さん』なんだな」
「……なぁ幸緒、せっかくだから子供たちと遊んであげようよ」
「えぇ?」
恩は言い合っている子供たちをぐるりと見回して、どこか懐かしそうに目を細めて微笑んだ。
「劇の練習はまた今度でいいよ。それより、子供たちと交流しておいた方がいいんじゃない? じゃないと子供たちも満足しないだろうし」
「うう、それはそうかもだけど……わざわざ集まってもらったのにみんなに悪い気が」
少しでも早くシナリオを作って劇の練習もしたい。衣装やら部隊なども準備しないといけないので、時間が惜しいのだが。
「このまま話が進まないよりはいーよ。余計なことに時間割くのは不本意だけど、放置しておく方が無駄な時間取られそうだから。ね、要ちゃん」
「そうだね。ああやって外で騒がれるよりは少しでも相手をしておとなしくさせた方が、双方にとって有意義なんじゃないかな」
まひろと要は遠まわしに「うるさくて邪魔だからさっさと片付けよう」と言ってにっこり笑う。
双子の意見に全面的に同意するわけではないが、亜橲と玲汰も頷いた。
「……分かった。カーレン様もそれでいいですか?」
「はい。わたしは皆さんにお任せします」
幸緒が子供たちの集団に駆け寄っていく。二、三言話すと、子供たちの表情が明るくなった。幸緒が振り返って手招く。
恩たちは子供たちと連れ立ってメインルームへ向かった。
幸緒は当然のごとく子供たちに囲まれ、玲汰や要、まひろもそれぞれ子供たちの相手を始めた。
恩と亜橲、カーレンは適当なところに座り、子供たちを見守ることにした。
カーレンは子供とはいえ異性と触れれば翼が出てしまうから恩のそばにいるだけだ。
「言い出しっぺの癖に傍観か? 遠慮しないで高天も行ってくればいいのに」
「んー、そうなんだけどさ。……子供たち、俺たちのこと怖がってるみたいだし」
苦笑する亜橲に恩は困ったように笑みを返した。
恩と亜橲が子供たちと関わらないのは、子供の相手をするのが嫌だからではない。子供たちの方が彼らに近寄ろうとしないのだ。
恩は絳髪緋眼で、異能一族である白凰。
亜橲に至っては希少なシェーシア人。どちらも子供からすれば近寄りがたい存在なのだ。
それを亜橲もよく分かっているので、それ以上は何も言わなかった。
だが、人間たちの事情をよく知らないカーレンは、不思議そうに二人を見て首を傾げる。
「なぜ、お二人は怖がられているんですか?」
カーレンらしい素朴な疑問に恩は苦笑する。亜橲もすぐに理解して少しさみしげに笑った。
「僕らは他の人間たちと少し違う外見をしてるだろ? それが小さい子供からすれば、奇妙なものに見えるんだよ」
「そうなのですか? でも、恩さんも亜橲さんもここの皆さんと同じ『人間』でしょう?」
二人は軽く目を瞠ったあと、無言で微笑むだけだった。
そう、同じ人間だ。けれど、受け入れるかどうかは人それぞれで、自分にはどうしようもないことなのだ。
恩は子供たちへと顔を戻し、ふと、一人で部屋の隅に座っている子供に目を向けた。
(あの子……さっきからずっと一人でいるなぁ)
メインルームに入ってきた時にも気づいた。他の子供たちは誰もその子に近づいていかなくて、背中を丸め、何かから隠れるように、その子はピクリとも動かなかった。
わずかに見える赤紫の髪に惹かれ、恩はふらりと立ち上がり、その子供に歩み寄っていく。
亜橲が恩の歩いていく先を見て口を開きかけるが、思いとどまった。
子供たちも気づいて遊ぶのをやめ、騒がしかったメインルームが静かになった。
「ねえ、君。みんなと一緒に遊ばないの? 具合でも悪いのかな?」
覗き込むようにして話しかけると、子供がぴくりと肩を揺らして緩慢に振り向く。
「!!」
子供の顔を見て恩は息を呑んだ。アザレアのような赤紫色の肩にかかる髪、右眼は藍泉人特有の灰色、左眼は若草のような色。
その縦長で宝石のような光彩を放つ眼は、リーフェのものとは異なるシェーシアのものだった。