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Fate Spinner  作者: 甲斐日向
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第17話 生み出された魂と創り出された魂

 時空廻廊に入った恩は歩きながら此武に尋ねた。

「なあ此武。今回の相手の人魔ってさ、どんな奴?」

「話によれば、ここ数日の人間どもの失踪事件に何らかの関わりがあるらしい」

「えっ、最近よく騒がれてる神隠し事件!?」

 占いの館に行く時にもニュースで流れていた。あの事件の関係者ということは。

「えーと……でもさ、事件に関わってるのがその人魔ってことは、人外の事件だよな? それって警吏隊の特殊課の仕事なんじゃないの?」

 警吏隊は社会の安全を守り、事件や犯罪の防止、捜査や解決などを目的とした組織で、その中にある部署の一つ、特殊課は異能者や人外が関わる事件を専門とする部署だ。

 ピキ、と此武の額に青筋が浮かぶ。恩は、地雷踏んだ!? と頬を引きつらせた。此武は低い声で恨めしげに呟く。

「あの糞狐め、自分のところの仕事のくせに『なんだか面倒なことになりそうだから』とか抜かしおって、オレ様のところに押し付けたのだ。己の部下でも下僕でもこき使ってどうにかすればよいものを。子守りの時といいふざけおって……っ!」

 此武からダークなオーラが出まくっている。狐、子守りということは、もしかして今回の依頼主というのは、あの『ヒムカ』さんだろうか。

稜雲(いずも)会長の父親だっけ? 結局、あの時は会えなかったんだよな) 

 此武も結構自分勝手というかやりたい放題だが、ヒムカさんとやらも自由奔放なヒトのようだ。この此武を相手にすごい。

(ヒムカさんってどんなヒトなんだろ。一度会ってみた)

「恩。奴に会いたいなどと死んでも思うなよ。もし遭遇したら渾身の力で殴れ。蹴り飛ばせ。むしろ原形を留めん程に潰せ。」

「怖ろしいこと言うなよっ。なんでそんなに毛嫌いしてんの!?」

 というか、なぜ考えてることがバレた?

「愚問だな。奴の存在そのものが鬱陶しいからだ、脳みそ筒抜け馬鹿め」

「脳みそ筒抜けって怖いわ!!」

 くすくすと千咲が笑う。滅多に話さないので存在を忘れがちだが、このヒトは此武の傍若無人振りにまったく動じない。

 此武が創ったゴーレムだから、主に反抗しないということなのだろうが、そも感情があまりないように思える。

 いつも微笑んでいるが、まるでマネキンのようにそれ以外に表情が変わらない。

 主に忠実に動く人形。体だって核がなければただの土塊だ。千咲に“自己”はないのだろうか?

 名前だって元は『チサキ』で、漢字は恩が当てた。此武が『血裂』でいいなどと言うから。

「もう、笑いごとじゃないよ、千咲さん……」

「お二人は仲がよろしいですね」

「「は?」」

 思わぬ千咲の発言に二人の声がハモる。千咲は仮面のように張り付けられた笑顔のまま、平坦な声で告げた。

「マスターが誰かに忠告をすることなど初めてです。そしてマスターに心を開かせた方も初めてです」

 目を丸くした二人は顔を見合わせる。だがすぐにはっとして顔を逸らす。そんな風に見えたなんて正直考えたこともなかった。

 此武は忠告したつもりもないし、恩は此武が自分に心を開いたなんて思っていない。

 なぜ千咲がそんな風に思ったのか二人は理解できなかった。

 それ以上千咲は何も言わず、無言で機械的に歩みを進める。なんだか妙にモヤモヤするが、二人は追及しなかった。

(千咲さんって、何考えてるかよく分からないなー。というか、俺と此武のやり取りをどう見ればそんなふうに思えるんだろ)

「あー、そういえばさ、今って例の人魔のとこに向かってるんだよな? 結構歩いてるけど、そいつのいるとこって遠いのか? それともあちこち移動してるとか?」

「奴はある場所を拠点にしているらしい。どこぞの占いの店と糞狐はほざいていたな」

「占いの店……?」

 占いと聞いてドキッとする。また思い出してしまった。前世のこと。

 暗い顔で歩みが遅くなった恩に千咲が立ち止まる。此武も怪訝な顔で振り返った。

「どうしたウスノロ。とっとと来い」

「あ……ごめん」

「なんだ、占いの館とやらに心当たりでもあるのか」

「……それもある、けど……」

「けど、なんだ。はっきりしろ」

 前世が見えないと言われたことを気にしてるなんて、此武に言ったら笑われるかもしれない。

 だが、言わなければ痛い目を見せられそうだ。恩は渋々、前世占いのことを話した。

「前世が見えなかっただと? はっ」

 予想通り、話を聞いた此武は笑った。いや嗤った。腕組みをし、蔑むような目で恩を見る。

「それは当然だろう。貴様に前世など無いのだから」

「……え?」

「無いものが見えるわけあるか。下らん。行くぞ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 前世が無い? それってどういうことだ。引き止めると、此武は大儀そうにため息をつき恩に向き直る。

「いいか、六界全ての生きとし生けるものは皆、肉体が死ねば魂は冥界へと送られる。

 そこで前世の記憶は浄化され、新たな肉体に宿る。それが転生だ」

 魂そのものが消滅しない限り永遠に続く。輪のように廻り続ける――輪廻。

「知ってるよ、本で読んだ。だからさ、此武の言う通りなら、俺だって前の人生があるはずだろ?」

 前世の記憶は引き継がれない。稀に引き継ぐ場合もあるが、自分は前世を覚えていないだけ……ではないのか?

「何度も言わせるな。貴様には前世など、前の生など無いのだ」

「言ってる意味が分からない! 魂が何度も廻るなら、俺が『高天 恩』として生まれる前に別の誰かとして生きてたんだろ!? 此武だって!!」

「そうかもしれんな。オレ様は原初から生きているわけではない。当然、オレ様ではない生を生きていたこともあっただろう」

「だったら!」

「オレ様と貴様は違う」

「……そ、そりゃ、此武は神族で俺は人間だから違うのは分かってるけど」 

 きっぱりと断言されて怯んだ恩だが、此武は嘆息した。

「解っていない。オレ様と貴様が“違う”のは種族のことではない」

「?」

「輪廻にある魂は、元はいくつかの魂だ。それらが分裂し、転生を繰り返して現在の様々な魂がある。オレ様を含む六界全ての魂は、ある方々から生み出された」

 突然、恩の心臓が跳ね上がった。

「その方々は我々の魂だけでなく、大地、海、草木、光、闇……世界そのものを創った」

 恩は俯いた。心臓が早鐘を打っている。全ての命、世界を創ることのできる存在。

 此武が――戦闘神クロムが“あの方々”と畏敬を込めて呼ぶ存在。それは――

「あらゆる魂の根源。魂の還る場所。我らが大いなる母。創造神セイルシアとライフィエだ」

「!!!」

 全身から汗が噴き出る。創造神セイルシア、ライフィエと言えば、世界創造神話で必ず出てくる万国共通の神の名。

 此武の言う“あの方々”とは創造神のことだったのだ。プロットを創ったのも創造神。ならば、クロムが逆らえるはずもない。

「生ある者はすべて創造神から生み出された。元を辿れば、オレ様も魔族も下等な人間どもも同類ということだ。だがな、貴様だけは当てはまらない」

 此武の冷淡な声に顔を上げた恩は、びくりと身をすくませた。

 自分を見つめる此武の眼はひどく冷え切っていた。嘲りも蔑みもない、無感情な眼。

「貴様の魂はプロットのためだけに、創造神が新たに創った。プロットの中でのみ生き、死ぬ。

 “終焉(しゅうえん)(とき)”を迎えれば貴様の魂は消滅する。前世も無ければ、死して転生することもない故に来世もない。輪廻から外れた異端児なのだ、貴様は」

 足の力がなくなり、恩はがくん、とくずおれた。自分が他の人間とは違うという事実。

 異能者として常人と異なるのとは違う。存在そのものがあらゆる生き物と異なるのだ。人間であって人間でない。

 此武は恩がうなだれる理由が分からず、眉間にしわを寄せた。

「おい、何をしてる。とっとと面倒事を片づけるぞ」

 いつもなら反応する恩だが微動だにしない。此武は苛立たしげに舌打ちした。

「千咲、そのガラクタを引き摺ってこい」

「はい、マスター」

 命令通り、千咲は恩の後ろ襟をつかんでズルズルと引きずり始める。それでも恩は一言も発することなくされるがままだった。



 人魔が潜伏している占いの店に着くと、すでに閉店時間で誰もいなかった。真っ暗な店内には静寂が広がり、重い気が漂っている。

 昼間は普通の占い師を装い、夜は結界を張って潜んでいたのか。

 ホール内を見回し、此武はにぃ、と口の端を上げた。

「なんとも妖しい場所だな。出てこい! いるのは分かっているぞ!!」

 まるで犯人を追いつめた警吏隊士のような言い方だが、ホールの奥からぼんやりと人影が浮かび上がった。

「はいはい~。すみませんがお客さん、もう閉店時間なんですけど」

「無駄な演技はやめろ、カス。最近、人間どもを攫っているのは貴様だろう、人魔」

「はて、なんのことやら。俺は普通の人間の占い師ですよ」

「白を切るな。こんな邪気の中で平気でいられる人間などいるか」

 店内を色濃く染める邪気。戦闘神である此武や、ゴーレムである千咲、祓魔師の家系で邪気に耐性のある恩は問題ないが、普通の人間ならこの邪気には耐えられないはずだ。

 占い師はげらげらと笑いだした。

「バレバレかよ。まあいいがな。んで? 俺を捕まえんの? 殺すの? あんたが何者か知らないけどな、そうすんなり終わらせられると思うなよ!?」

 占い師が両手を広げ、パチンと指を鳴らすと、闇の中から失踪した人々が出てきた。操られているのか目は焦点が合っていない。

「行け! 傀儡(くぐつ)ども!」

 号令とともに、占い師の操り人形と化した人々が、一斉に三人に襲いかかる。

 千咲が此武の前に立ち、自身の腕を土の剣と化して傀儡たちを殴るように弾き飛ばす。

 恩にも傀儡たちが襲いかかるが、ショックから立ち直れていない恩は俯いて棒立ちだった。

「動け、恩!!」

 名を呼ばれて恩が我に返ると、本来の姿に戻ったクロムが、恩に襲いかかってきた傀儡たちを氷漬けにしたところだった。

「いつまで腑抜けてる。下僕のくせに主を働かせるとは、余程その腐った頭をかち割られたいのだな」

 ものすごい力で頭を鷲掴みされて持ち上げられる。

 クロムは二メートル以上背があるので、百六十センチ足らずの恩は持ち上げられると、床からだいぶ足が離れる。

「ぎゃーっ痛い痛い!! すみません働かせていただきますぅ!!」

 恩が悲鳴を上げると、クロムは愉悦の表情で恩の頭を放す。

「ふん。貴様はオレ様の玩具だ。せいぜい無様に踊り狂ってオレ様を愉しませろ」

「あいたーっ」

 床に強かに尻を打ちつけ、恩は涙目で尻をさする。頭も痛い。しかし我慢して長棍を召喚して構えた。

 操られた人々が周りを取り囲むその向こうで、占い師が恩を見ておかしそうに笑った。

「あんれぇ? そこの赤い髪の子はさっきの子じゃないか。前世の見えない摩訶不思議な少年」

「! あんた、前世占いの……っ」

 ぼうっとしていたので相手が誰か気づいていなかった。前世が見えない、という言葉にずきっと胸が痛む。

「なんだよ、祓魔師か? さっき店に来たのは下見に……」

「黙れ、魔道に堕ちた下種め。下らん御託を並べていないで、とっとと消えろ!!」

 跳躍したクロムが、人魔目掛けて複数の氷のつぶてを放つ。

 人魔はローブをマントのように翻してつぶてを弾き返した。それと同時に傀儡たちが千咲と恩に襲いかかってくる。

 彼らは操られているだけのただの人間だ。傷つけることは、ましてや殺すことはできない。

「千咲さんっ、この人たちは気絶させるだけにして下さいね!?」

「マスターのご命令があれば善処します」

「クロムーっ!! 頼む!!」

 長棍で腹や背中を叩くなどして気絶させながら恩が叫ぶ。人魔と交戦していたクロムは舌打ちをし、「恩に従え、千咲」と命令を下す。

「了解しました、マスター。それでは恩様、先程のご命令を遂行します」

 仮面のような笑顔のまま、千咲は大きな土壁を作り、複数の傀儡を左右から挟撃する。

 挟まれた傀儡たちは皆、気絶して倒れるが、下手をすれば圧死するのではないだろうか。

「千咲さーんっ!! 他にやりようあるでしょぉぉぉぉっ!?」

 クロムといい千咲といい、加減というものを知らないのか。

「へーえ。あの少年、なかなかやるねえ。あの人がご執心になるわけだ」

「あの人だと?」

 人魔の呟きに眉をひそめたクロムは、突如結界に生じた空間のひずみに、弾かれたように振り返った。

 恩の背後に空間移動の穴が開く。そこから偃月刀の刃が伸び――

 どすっ。

 体を貫く鈍い音。一瞬、何が起きたのか分からず、恩は肩越しに振り向いたまま硬直する。

 深紅の眼に映るのは偃月刀と、その刃に腹を貫かれたクロムの背中。恩は息を呑み、大きく目を見開いた。

「クロム!!!」

「……かはっ」

 クロムの口から血が飛ぶ。刃が抜かれ、クロムは仰向けに倒れる。

 恩が抱き止めようとしたが、クロムの巨躯を支えられるはずもなく、恩はクロムの下敷きになった。

「ぐえぁーっ!」

「マスター!」

 千咲が駆け寄り、軽々とクロムを抱き起こす。痙攣していた恩だが、すぐさま跳び起きる。

「クロム! クロム!!」

 顔を覗き込むと、みしっ、と顔面を鷲掴みされた。

「喧しい……耳元で喚くな」

「……んで、あんなこと……」

 鷲掴みされたが、今までほど力が入っていない。問い掛けてクロムの手を両手で包み込むように触れると、クロムの手が離れた。

「クロムっ」

「ふん、狙ったのはこいつじゃねぇんだがな」

 闇の中から聞こえた声に、恩は条件反射で身をすくませた。恐る恐る振り返れば、空間移動の穴から出てきたのは、絳髪緋眼(こうはつひがん)の男。

「!? 靁雯(レイウェン)!? どうしてお前が……っ」

「驚いたな。まさかお前が、身を呈して他者を庇うとは」

 さらに靁雯の後ろから現れた異様な風体の男に、恩は驚愕する。

 黄灰色の肌。両頬には十字型の痣。尖った耳と褐色(かちいろ)のざんばらな髪。

 白目と黒目の部分が反転した両眼。そして漂う魔力。どう見ても人間とは違う生き物。

「……悪魔!?」

 魔族の中でも邪心が強く禍々しい、魔族の代表格だ。一般人が魔族と聞いて最初に思い浮かべるのは悪魔だろう。

 その悪魔がなぜ靁雯と一緒に? しかも、かなり上位の魔族だ。

「……ふっ。貴様か、鎌月(れんげつ)のゾルディシュ……」

 身を起こし、腹を押さえながらクロムは立ち上がる。不敵な笑みを浮かべて悪魔と対峙する。さりげなく恩を背にかばうように。

「戦神。一体どういう風の吹き回しだ? それは人間だろう。

 下等生物を庇って傷を負うとは、最凶の戦神ともあろう者が無様だな」

 悪魔と同じ疑問を抱えていた恩はクロムの背中を見る。

 口を開けば、玩具だ下僕だ屑だと罵ったり、殴る蹴るなど当たり前の散々な仕打ちをするくせに。

「黙れ。貴様に関係ない。貴様こそ、部下兼下僕以外の者を引きつれているとは珍しいではないか」

 目に見えない火花が散る。どちらも相手を見下した笑みを浮かべているので、どっちが悪役なのか分からない。

「ふん。こいつは道具に過ぎないさ。しかし面白いものを見せてもらったが、邪魔だなお前らは。ここで始末しておくか」

 ゾルディシュが空間から黒い錐を数本出現させ、クロムに向かって放つ。

 同時に靁雯が恩に肉薄し、偃月刀を突きつける。恩は条件反射で、その刃を長棍で受け止めた。

「こんなところで貴様の顔を見るとは思っていなかったぜ、綺星(チィシン)

「綺星って呼ぶな! 俺だって微塵にも思ってなかったさ。しかも悪魔と一緒だなんて……どういうことだ!?」

 至近距離で睨み合う二人。クロムの方は、千咲がゾルディシュの放った黒錐をすべて叩き落としていた。

「教えてやる義理はないな。ともかく、あの人魔を排除されるわけにはいかねぇんだ。あれは大事な駒だからな!」

「駒だって!? 何を企んでるんだ、靁雯!!」

 靁雯の刃を跳ね上げ、素早く間合いを取る。靁雯はにぃ、と嗤った。

 クロムは腹に当てていた手に視線を落とす。赫く血で染まった手。誰かのものではない。己の血――

 じわじわと体の奥底から熱情が込み上げてくる。他者の血は飽きるほどに見てきた。だが、己の血を見るのは幾年振りか……

 ドクンッ。

 クロムの中で、鼓動がひときわ大きくなった。

 靁雯がくいっと手で合図を送る。恩は気づいて背後に意識を向けた。

 ナイフのようなものを持って飛んでくる人魔を恩が迎え撃とうと体を反転した時、クロムの凄まじい神気が爆発し、目の前で人魔の体が氷漬けになった。

 その狂気に染まった神気に、さしもの靁雯も愕然とした。これほどまでに激しい狂気を神族から感じるとは。 

 恩は戦神の強すぎる神気に戦慄し、蒼白な顔をしていた。

 ゆらりと立ち上がり、本気になった時にだけ変わる紅い目で一同を見回すクロムに、ゾルディシュは自嘲気味に笑った。

「自分の血を見て理性を失ったか。相手をしたいところだが……靁雯! ここはいったん退くぞ」

「なんだと? オレはまだ遊び足りねぇぜ」

「ここで騒ぎを起こせば面倒な虫どもが集まってくるだろう。駒も封じられた以上、人間どもを操ることも難しい」

 空間にゆがみの穴を作り、靁雯を促すゾルディシュ。靁雯は舌打ちをし、偃月刀を収めて身を翻した。 

「貴様をなぶるのはお預けだ」

「待てよ、靁雯!!」

「綺星、いや、(フォン) 天雨(テェンユー)。序章とはいえ、計画の邪魔をしてくれた礼はするぜ。たっぷり時間をかけて、な」

「靁雯!!!」

 捕まえようと手を伸ばしたが惜しくも届かず、靁雯はゾルディシュとともに空間のゆがみの中に消えていった。

 靁雯が悪魔と繋がっていたとは。しかもその悪魔、ゾルディシュはクロムと何かしら因縁があるようだし……

「! そうだ、クロム!」

 クロムに目をやると、クロムはあらぬ方向を見ていた。

 今の彼は正気を失っている。何をしでかすか分からない。それに腹の傷の治療もしなければ。

「千咲さん! クロムを止めるにはどうすればいいんですか!?」

「申し訳ございません、恩様。ああなってしまってはどうすることもできません。マスターの破壊衝動が治まるまで待つしかありません」

「ええっ、そんな!?」

 それではここにいる人たちもただでは済まない。それどころかこの一帯にある人家も危険だ。

(なんとかして止めないと。でも、本気の戦神を止めるなんて……)

 できるのか。それに、怖い。激しい神気、闘気、狂気。これらを抑え込むなんて。

(俺なんかに、できるの? こんなに弱い俺に……)

 今も体が震えている。怖くて怖くて、それでもなんとか気力で立っている。気を抜けばこの神気に呑まれて倒れてしまいそうだ。

 クロムが見境なく、氷のつぶてを放った。壁や天井、床が破壊される。幸い、人間たちには当たらなかったがこのままでは危ない。

(どうすればいい? 早く、早くしないと)

 クロムが破壊衝動のままに力をふるい、この一帯を破壊してしまう。

 傷だって治さないと死んでしまうかもしれない。神とて大量に血を失えば死に至る。そんなのは、嫌だ。

 恩はありったけの気力と勇気を奮い起こし、長棍を手放してクロムへと駆け寄った。

 千咲の制止の声にも耳を貸さず、まっしぐらにクロムへと向かい、腕にすがりついた。

「クロム……っ、落ち着けよ! ここにはたくさんの人たちがいるんだ。ここで暴れたら死人が出る。正気に戻れよ!」

 叫ぶ恩を見下ろすクロム。身長が二メートル以上あるクロムからすれば、恩は胸の下くらいまでしか背がない。

「クロムだって怪我してるんだ、これ以上動いたらダメだよ。このまま放っておいたら、クロムも死んじゃう。そんなの、嫌だよ……」

 クロムの眼が軽く見開かれる。恩が顔を上げた。恩の眼から涙が零れ落ちる。

「俺はもう、目の前で誰かが死ぬのは見たくないんだ!!」

 切なる叫びに、クロムの眼が光を取り戻し始める。神気の奔流も治まっていく。千咲が珍しく唖然としていた。

「……くな」

「え?」

「気易くオレ様にくっつくな、玩具の癖に」

 ばちーんっ。

「ぶふーっ」

 しがみついていない方の手で平手打ちにされた。恩は違った意味で涙目になりながら抗議の声を上げる。

「何するんだよ、バカクロム!」

「主に向かって馬鹿だと? どの口がそれを言う。これか? この口か、糞玩具」

「ひふぁいひふぁいっ!」 

 みよーん、と両頬を引っ張られる。正気に戻ってくれたのはうれしいが、こんな仕打ちを受けるのも嫌だ。

 しかも本来の姿に戻っているため力が倍増している。

「貴様は躾ける必要がありそうだな。いや、調教の方がいいか?」

 頬を放し、にんまりと愉しそうに笑うクロム。ああ、本当にいつものこいつだ。頬をさすりながら恩はクロムの顔を見つめる。

(すっかり元通りだな。憎たらしいほどに。でも)

「……良かった……もとに戻って、くれ……て…………」

 気が緩み、恩はふうっと意識を手放した。倒れ込む恩をクロムが抱き止める。

 戦神の荒ぶる神気を受け続けたのだ。生身の人間には相当きつかっただろう。

「この程度で気絶とは情けない。そんな体たらくでは奴らには勝てんぞ」

 ぼそりと恩の耳元で呟いて担ぎ上げる。想像以上に軽い。

 クロムは時空廻廊への扉を開き、中に入った。



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