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悪役令嬢は復讐の果てに、愛を知る

作者: 結城斎太郎

「エリシア・グランチェスター! この場をもって、我は貴様との婚約を破棄する!」


公爵令嬢にして、王太子アルベルトの婚約者——エリシアは、舞踏会の中央でその言葉を浴びせられた。


ざわめく貴族たち。侮蔑の視線。すべては計画通り。


「まあ、王太子殿下。私が悪役令嬢であってくださらなければ、あなたの浮気相手を正当化できませんものね」


エリシアは静かに微笑んだ。隣に立つのは侯爵令嬢ミレイナ。彼女はアルベルトと通じ、エリシアを悪女に仕立て上げた張本人。


「我々は真実の愛を見つけたのだ! もう君は必要ない!」


「ええ、もう充分ですもの。……必要のない私を、どうぞご自由に切り捨ててください」


冷たい笑みを残して、彼女はその場を去った。


婚約破棄——それは彼女の計画の第一段階にすぎない。



ーーー



グランチェスター公爵家。彼女の両親はすでに王太子側についていた。


「娘よ、お前の婚約破棄は当然の報いだ。これでグランチェスター家も王室との繋がりを強められる」


「ええ、父様。お望み通りにいたします」


そう言って、彼女は微笑んだ。だが、その瞳は氷のように冷たかった。


数日後、公爵家は収賄と横領の罪で告発された。証拠は完璧。公的文書、偽装契約書、関係者の証言……すべて、エリシアが用意した。


「まさか……っ! エリシア、お前が……!?」


「ええ、父様。娘を捨てた代償は、少々高くつきましたわね」


王太子の側近たちも次々と失脚。ミレイナも社交界から追放された。


「なぜ……ここまで……?」


「あのとき、私を悪役に仕立てておいて、報いがないと思っていましたか?」


復讐は終わった。あとは、灰の中から立ち上がるだけ。



ーーー



その時、エリシアのもとに一人の青年が現れた。


「……久しいな、エリシア嬢」


「その声……カイ・リュゼル王子?」


隣国エルフレッドの第二王子、カイ・リュゼル。幼き日の短い交流を最後に、もう会うことはないと思っていた。


「君が舞踏会で侮辱されるのを、遠くから見ていた。手を差し伸べるのが遅れたことを、許してほしい」


「……気にすることはありません。私はすでに、すべてを終えました」


「だが、それでは君は独りだ」


エリシアはその言葉に戸惑った。復讐に燃えていた日々、誰かに傍にいてほしいなど、一度も思わなかった。だがカイは続けた。


「君は誇り高く、気高く、美しい。だからこそ、誰かがその心を包んでやらねばならない。……それが、私であっても構わないか?」




ーーー




エリシアは、エルフレッドへと旅立った。復讐の炎はすでに静まり、新しい地で、新しい自分を生きるために。


カイは彼女に宮殿の一角を与え、彼女の意志を尊重した。


「誰かに依存せず、誰かの操り人形でもなく、君は君のままでいい。……それが、私の願いだ」


「私を、ただの“エリシア”として見てくれるのですね」


「最初から、そう見ていた」


やがて季節が巡る頃、エリシアは彼の傍にいることが自然になっていた。


ときには花畑を散歩し、ときには書斎で論戦を交わし、ときには夜の星空を見上げながら、手を重ねた。


「エリシア、私は君を愛している。復讐に焦がれたその心ごと、全部抱きしめたい」


「……もう、怖くないのですね」


「何が?」


「愛されることが」


涙がこぼれた。けれど、それは哀しみの涙ではなかった。



ーーー




やがて、エリシアは国王から正式に“王子の伴侶”として迎え入れられた。


結婚ではない。あくまで“対等の伴侶”。


白いドレスに身を包んだ彼女を、カイは心からの敬意と愛情を込めて迎える。


「これは“所有”ではなく、“共に歩む契約”だ。君が望む限り、私はそばにいよう」


「……ありがとう。私も、あなたの隣で生きたい」


王妃でもない、貴族令嬢でもない、誰かの仮面をかぶった悪役でもない。


エリシア・グランチェスターとして。


復讐に生きた令嬢は、ついに本当の愛を知った。



ーーー



「まさか、あの悪名高かった公爵令嬢が、隣国の王子の伴侶になるなんて……」


「それも、正式な王妃ではないというのが不思議だわ。あくまで“契約関係”? 恋愛ではないのかしら」


王宮の廊下には、そんな噂がまだ渦巻いていた。


だが、エリシア・グランチェスター本人は、全く意に介していなかった。


「愛があるかどうかなんて、私たちが知っていればそれで十分でしょう?」


そう言って、エリシアは微笑んだ。


傍らに立つカイ王子は、そんな彼女の手を静かに取り、誇らしげに言う。


「私たちは、誰よりも自由で、誰よりも本物の関係を築いている。――だから噂は、もう風に任せよう」



ーーー




結婚から半年。エルフレッド王国の宮廷の片隅に設けられた離宮で、二人は穏やかな日々を過ごしていた。


エリシアは書を読み、カイは政務をこなし、夜には小さなサロンで紅茶を淹れる。


「ねえ、カイ。あなたは本当に、私を選んでよかったと思っているの?」


「またそれか」


「気になるの。私は“王妃”ではなく、“伴侶”としてしかここにいない。あなたの両親も、貴族たちも、私の過去を快くは思っていないはず」


カイはエリシアの頬に手を当て、そっと言った。


「私は君の復讐の冷たさも知っている。けれど、それ以上に君の誇りと、優しさと、揺れる心を知っている」


「……」


「私は君のすべてを受け入れてここにいる。迷いがあるなら、それも私に預ければいい」


エリシアは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


彼はいつだって、こうだ。慰めではなく、受け入れる強さで包んでくれる。



ーーー



ある日、王妃――つまりカイの母であるエルミナ王妃から、招待状が届いた。


内容は簡潔。


> “一度、お話がしたい”




「……やっと来たわね」


「無理しなくていい、断っても構わない」


「いいえ。逃げる理由は、もうないもの」


エリシアは真珠の耳飾りを揺らしながら、王妃の私室を訪ねた。


王妃エルミナは冷たい瞳で彼女を見た。


「あなたのことは、正直言って信用していません」


「ええ、わかっています」


「王妃ではなく“伴侶”という曖昧な立場で、王族に近づくなど――」


「……だからこそ、王子と私は“契約”を結んだのです」


エリシアは静かに切り返す。


「私はカイ王子の名誉を利用するつもりも、王位を狙うつもりもありません。私が求めているのは、“私として生きること”。それだけです」


エルミナの視線がわずかに揺れた。


「……王子がそこまで言うほどの女性なのか。私は、まだ見極めきれていません」


「それなら、見極めていただいて構いません。私は逃げも隠れもしませんから」


その日以降、王妃はエリシアを「敵」としてではなく、「未知の存在」として見るようになった。



ーーー



夏の終わり、突然の襲撃事件が起こった。


離宮に向かう街道で、暴徒化した反政府派による襲撃。エリシアの馬車も巻き込まれた。


「エリシア様、伏せてください!」


護衛の叫び声、火矢の音、馬の悲鳴。混沌の中、エリシアは必死で身を守った。


だが――そのとき、真っ先に駆けつけたのは、カイだった。


「エリシア!!」


馬上から飛び降り、彼女を抱きしめる。


「よかった……間に合った……!」


「カイ……なぜ……あなたは……政務が……」


「君が危ないと聞いて、止まれるわけがないだろう!」


傷だらけになった彼の腕を、エリシアは震える手で掴む。


「愚か者……! あなたが倒れたら……私は……!」


涙が頬を伝う。恐怖でも、痛みでもない。ただ、彼を失いたくないという恐れ。


「もう、どこへも行かないで……お願い」


「約束しよう。君の手を、二度と離さないと」


その夜、二人は互いの想いをようやく、完全に確かめ合った。



ーーー




「エリシア・グランチェスター。今度は“伴侶”ではなく、“妻”として、私の隣に立ってくれ」


王宮の庭園、満開の白薔薇の下。カイは跪き、小箱を差し出した。


中には、銀の指輪。エリシアの瞳のように、赤い宝石がはめ込まれている。


「この契約は、政略でも逃避でもない。これは“恋”という名の契約だ」


エリシアはそっと笑った。あの日、復讐に燃えていた自分では、信じられなかっただろう。


けれど今なら、心から言える。


「はい、喜んで受け取ります。あなたの“妻”として、生きていくわ」


指輪を受け取ったその瞬間、かつての悪役令嬢は、愛されることを知った女性となった。





――数年後。


二人はエルフレッドの王宮で穏やかに暮らしている。エリシアは王妃としての地位も得たが、民の前でも威張らず、書斎で地道に慈善活動に勤しんでいた。


「あなたはもう、“悪役”ではないのですね」と言われたとき、エリシアは少しだけ笑ってこう言った。


「いいえ、私は一度たりとも“善人”だった覚えはないの。……けれど今は、“愛されている女性”だと思うわ」


誰にも認められなかった過去も、復讐に生きた日々も、すべてが今の彼女を作った。


そしてそのすべてを、彼――カイ・リュゼル王子が抱きしめてくれている。


ふたりの物語は、これからも続いていく。



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