5、魔法を使ってみた結果
思い描いたのは優しくふわっと持ちあげてくれる風。羽のように柔らかく、そっと包みこむような風だ。それでカイラの体を浮かせて川から引き離すつもりだった。
それなのに、私の手から放たれたのはまるで嵐のような突風だった。
あまりの勢いに自分の体さえ支えられず、私はその場に尻餅をついた。
空気が唸りを上げて、砂埃とともに木の葉や新聞や植木鉢までも軽々と宙を舞いあがる。
どうしよう。こんなはずじゃなかったのに。
ていうか、魔法を止めるのってどうすればいいの?
「きゃああっ」
カイラが川のほうへ飛んでいき、そのまま落下するところだった。
私は血の気が引いて、泣きそうになりながら、届くはずもない手を伸ばした。
「カイラ!」
すると、私が起こした突風の渦は別の方向から吹きこんできた風にかき消された。
カイラの体がふわっと浮きあがり、川に落ちる寸前で宙に留まる。
そのまま風に抱かれるようにして、そっと地面へと降ろされた。
よくわからないけれど助かった。
私が安堵のため息をもらした瞬間、背後から鋭い怒声が飛んできた。
「魔力制御もできないくせに、魔法を使うな!」
びくっと肩が震えて、恐る恐る振り返ると、そこには黒ずくめの少年が立っていた。黒髪で碧の瞳を持つ整った顔立ちだが、その表情にははっきりと怒りが浮かんでいる。
「え、ええっと……」
「お前は自分のせいで人を危険にさらしたことを自覚するべきだ」
胸の奥がずきりと痛んだ。
彼の言うことはもっともだ。私はカイラを助けようとして、逆に彼女を危険にさらしてしまったのだから。
少年は私の横を通り過ぎると、地面に倒れてうめいている男の前で立ち止まった。そして静かに指をひと振りする。すると、近くの店の箱に無造作に置かれていた縄が勝手に動きだし、男の手足にするすると絡みついた。
男は抵抗する暇もなく、あっという間に縛りあげられてしまった。
少年は男から小さな革の財布を取りあげ、そのまま迷いなくカイラのもとへ歩み寄る。
「これはあんたのだろ? 気をつけなよ」
「あ、ありがとうございます」
カイラが財布を受けとると、少年はそれ以上何も言わず、人々のざわめきの中にまぎれて姿を消した。
しばらくして、通報を受けたのか制服姿の治安隊が数人ほど足早に駆けつけてきた。彼らは縛られた男を確認すると、無言のままその身柄を引きとり素早くその場をあとにする。
喧騒はやがて元に戻り、それぞれがまた笑い声と音楽の中に散っていった。
まるで何事もなかったかのように。
そうして私とカイラだけが、その場にぽつんと取り残された。
ゆるやかに風が吹いて、遠くで軽快な音楽が響く。
私はカイラに駆け寄ると、頭を下げて謝罪した。
「ごめんなさい。私のせいで危険な目に遭わせてしまって」
「いいえ。だってあなたは私を助けてくれようとしたのでしょう? ありがとう」
カイラの顔を間近で見て、胸がぎゅっと押し潰されるように切なくなった。
彼女の足を見ると怪我をしていない。体中のどこにも傷は見当たらない。
それを確認すると安堵のため息がこぼれ、肩の力が抜けた。
「あなたのお名前は?」
「カ……えっと、ミレア」
訊かれて、私は思わず口にしかけた名前をすぐに訂正した。
カイラはそれを見て、少し笑みを浮かべながら自分の名前を口にする。
「私はカイラよ」
どくんっと胸が高鳴った。
やっぱり目の前にいるのは正真正銘のカイラなんだ。
前世の私の姿。だけど、きっと中身は別人なんだわ。
だって、私は今ミレアとして生きているんだもの。
こんなことが起こるなんて――
なぜか涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
カイラは驚いた顔で慌てだす。
「どうしたの? どこか痛いの?」
私は泣きながら、ただ首を横に振った。
カイラが無事だったこと。もう少しで傷つけてしまうところだったこと。
そして、懐かしさと切なさがない交ぜになって、胸の奥で抑えきれなくなった感情が一気にあふれだしたみたいだった。
「ミレアー!」
両親の声がして、私はハッとした。
そうだ。黙って離れてしまったことを今さら思いだす。
父と母は青い顔をして駆けつけて、母がしゃがみこんで私を抱きしめた。
「ああ、ミレア。探したのよ」
母の背後で父も不安げな顔をしている。
私はひとりで行動できると思って勝手に動いてしまったけれど、両親からすれば完全に迷子だよね。しかも体が弱くてあまりひとりで外出したことのない娘なのだから、相当不安にさせてしまっただろう。
「心配したのよ。あなたにもしものことがあったら、どうすればいいの?」
「ごめんなさい」
母の胸に額を当てると鼓動の音が伝わってきた。
申し訳ない気持ちと安堵した気持ちが一気に押し寄せて胸がぎゅっと苦しくなった。
「よかったわね。じゃあ、私はこれで」
そう言って立ち去ろうとするカイラに、私は慌てて声をかけようとした。
だけど、彼女はすでに背を向けて歩きだしている。
その背中は寂しげで、儚げだった。
何も知らない私ならきっと、思いきり声を出して礼を言い、手を振ってさよならをしただろう。
だけど、今の私はカイラにこれ以上声をかけることはできなかった。