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34、前世の真実(ノエイン)

 雷鳴の轟き、雨が地面を叩きつける中、俺はどうにかして屋敷の前まで辿りついた。

 20年以上一度も手入れをせず、苔と蔦に覆われた建物だ。

 錆びた扉を開けると、湿った空気と木の腐臭が鼻を刺す。


 俺はとんでもなく愚かなことをしようとしている。

 だが、それでもいい。

 これが俺の選んだ道だ。


 足を引きずりながら軋む廊下をどうにか歩く。ようやく立っている状態だった。

 いつ倒れてもおかしくないだろう。

 しかし、この日のために準備を進めてきた。すべて完了している。

 最後に魔力をすべてそこに注ぐだけだ。


 何もない広い部屋にあるのは、床に描かれた魔法陣だけ。

 古い魔法書に一部しか記述の残されていない禁忌の魔法。

 それが<時間逆行魔法>だ。

 始祖エリオット・ヴァレスの遺産である。


 長年研究がされてきて、いまだに謎が解明されていない。

 それを俺は独自に改造し、20年かけて完成させた。


 すべては復讐のために。



 始まりは宮廷魔法師として王宮に配属されたときだ。

 当時19歳で、王太子フェデルの相談役兼魔法師として抜擢された。

 しかし、その頃すでにあの場は腐りきっていた。

 フェデルの父である国王はベルミス中毒に陥っており、冷静な判断ができない状態で、実質宰相が王権を握っているようなものだった。

 フェデルは早々に王位に就きたがっていたが、一部の貴族派勢力が彼の王位継承を妨害した。


 俺が26歳のときに国王が崩御し、フェデルが王位に就いた。

 王宮内はフェデル派と妃のリリアンの一族であるデミア派に分裂し、不穏な空気だった。

 俺はフェデルの配下だったため、王宮内で起こる不穏な事象を次々と排除していった。

 デミア派は邪魔者を排除するために、あらぬ罪を俺に着せた。


 魔塔の管理者だった俺の師匠が不穏な死を遂げたあと、俺に殺害容疑がかけられた。

 理由は師匠との仲違いだ。もちろんそんなことは身に覚えがない。

 しかし、魔塔の魔法師たちはデミア侯爵の手中にあり、口裏を合わせることなど容易かった。


 俺は身に覚えのない罪を次々と積みあげられた。

 禁忌魔法を研究しているとか、毒薬の開発をおこなっているとか。


 そして、司法も腐敗しきっていた。

 裁判にかけられた俺は不穏分子として死罪を言い渡された。

 いっそ目の前の敵を一掃してやろうかと思ったが、相手は魔塔の上級魔法師を全員集めて俺専用の無効化魔法を発動させた。

 どうやらわざわざ数年かけて準備していたらしい。徹底している。

 王宮にほとんど味方のいないフェデルが、唯一権力を行使できたのは、俺の死刑をどうにか追放処分に変えることだけだった。

 グランヴェール家とフェデルのために、俺はその処分に従った。


 追放されたあと、王宮の情報が外に出ることは一切なかった。表向きは平穏な統治が続いているように見えたが、俺にはわかっていた。

 王の名を冠しながら、フェデルは孤独に抗い続けていたのだろう。


 そんなフェデルは43歳で死去した。

 彼には跡継ぎがおらず、リリアンが玉座に就き、デミア侯爵の傀儡としてこの国を統治しようとしていた。

 これにより、デミア一族の策略は完遂される。


 俺は追放されてからこれまで、禁忌魔法を研究してきた。

 罪状の一つが禁忌魔法の研究なら、いっそ本当に極めてやろうと思ったのだ。

 完成したら俺自身が逆行し、デミア侯爵の罪を暴いてやる。

 そんな正義感の皮を被った復讐のために、およそ20年孤独の中で生きてきた。


 ところがその後、俺の一族であるグランヴェール公爵家が王権を握ることになった。フェデルが養子として迎えていたグランヴェール家の子が即位し、王宮内の反乱分子を一掃したのだ。

 俺の無実が証明され、王都への帰還を促す知らせが届いた。


 48歳のときだった。


 今さら帰れと言われても、すんなり受け入れられるはずがなかった。あの場所はもう、捨てたも同然だ。

 そして同時に、猛烈な虚無感が襲ったのだ。


 過去に戻って復讐するために長年研究してきた魔法は、もう必要がなくなった。

 グランヴェール家が統治して安寧を取り戻せたのなら、それですべて解決だ。

 俺が逆行することで未来が変わる可能性がある。

 今さら汚名返上する気にもなれない。


 この20年はいったい、何だったのか。


 復讐に燃えていた頃の気持ちが薄れ、次第に生きることを放棄し、食事もとらなくなった。

 魔道具を外せばいつでも死ねる。

 俺にとって死は楽なものだった。


 そんなときに出会ったのが、彼女だった。


「あら、魔法師さん。今日も来てくれたの?」


 会いに行くたびに、彼女はそう言って迎えてくれた。


 彼女はクロイス辺境伯の義母で、名をカイラと言った。

 たしかフェデルと婚約破棄になり、クロイス家に嫁いだという話だけは知っていたが、本人と顔を合わせるのはこれが初めてだった。

 出会った場所はソラスの丘の崖の近く。彼女はどうやら道に迷ったらしく、崖から転落しそうだったところを通りかかった俺が手を引いて助けた。

 彼女はほとんど目が見えておらず、帰り道もわからない様子だった。


 彼女が話した通りに道を辿り、どうにか家まで送った。

 貴族とは思えないほど悲惨な暮らしをしているようだった。

 先ほどの場所も使用人に連れて来られたが、ほとんど放置されていたらしい。

 話を聞いて、彼女がどれほど冷遇されているかよくわかった。


 さらに彼女は病に蝕まれていた。症状から察するに末期のようで、もって半年ほどだろうと判断した。

 その病はひどい苦痛を伴うので、症状を緩和する薬を作って頻繁に彼女のもとを訪れた。

 どうせ他にやることもないので、適当な暇つぶしになった。


 彼女は頬がこけており、首も腕も皮から骨が浮きでるほど痩せていた。笑顔もほとんどない。

 折れそうな腕でスプーンを持つ手も震えている。

 身なりは貧相でとても貴族の夫人とは思えない。しかし、彼女の目は綺麗だった。

 どんなにみすぼらしい姿であっても、彼女の魂は清らかで美しかった。


 俺の予想をはるかに超えて、彼女は半年から1年と寿命を延ばしていった。

 それでも、症状の悪化は避けられず、彼女はついに俺の顔が見えなくなった。

 ただ、それでも俺の姿はかろうじて認識しているようだった。


「私の人生って何だったのかしら」


 ある日、薬を持って会いに行くと、彼女がそんなことを呟いた。

 出会ってからこれまで、俺の話はほとんどしていないが、彼女は俺によく自分のことを話した。

 彼女は自分の人生に深い後悔を抱いているようだった。

 

 このときに決意した。いや、もうずいぶん前から決めていて、その機会をうかがっていたと言っても過言ではない。


 彼女に、俺の命である魔道具を与えた。


「君は、来世があるなら……どうしたい?」

「一生懸命頑張って、幸せを掴みたいわ」


 それは、あまりにもまっすぐで無垢な返答だった。

 打算も飾りもない。まるで純粋な子供がただ望むままに夢を語るように。

 心の底からそう願っているのだと伝わってきた。


 禁忌の魔法は一度きり。

 後戻りはできない。


 魔道具を外した俺は、雨の中を何度も倒れそうになりながら、どうにか自分の屋敷まで帰りついた。

 心臓をわし掴みにされたような痛みが胸を突きあげ、体中の血管が浮きあがって脈打つ。


 魔道具を外せば楽に死ねると思ったが、そうではなかった 想像していたような静かな終わりではなく、容赦ない激痛に苦しめられた。

 しかし、それでもまだ立っていられるだけいい。

 即死にならなかったのは賭けだった。


 何もない部屋の中央にある床に刻まれた魔法陣へ、俺は残るすべての魔力を注ぎ込んだ。

 魔法陣は黄金の光を淡く放ち、静かに発動のときを待ち構えることになった。


<時間逆行魔法>の代償は俺の命だ。

 それが彼女の手にある限り、彼女の死とともにこの魔法は完成する。


 腹の奥から込みあげるものがあり、とっさに手で口を塞いだ。

 どろりとした血が手のひらを赤く染める。

 この神聖な空間を穢すわけにはいかず、俺はゆっくりと部屋を出て、静かに扉を施錠した。


 どうせ死ぬなら、彼女と出会った場所で。

 

 ソラスの丘の崖下には鬱蒼とした森が広がっており、誰にも邪魔されずに静かに死ねる。

 本当はもう少し、人が足を踏み入れない場所がよかったのだろうが、もう歩く体力が残っていなかった。

 俺はそこに崩れ落ちるように腰を下ろし、岩肌に背を預けた。

 雨は小降りになっている。

 雷鳴は遠ざかり、弔いの静寂が訪れようとしていた。


 愚かなことをしている自覚はある。

 しかし、後悔はない。

 彼女と出会ったおかげで、己の人生をそれほど悲観することもなくなった。


 不思議なものだ。

 長い付き合いでもないのに、命を懸けてもいいと思えるようになるとは、以前の俺では考えられない。

 人生とは、わからないものだとつくづく思う。


 雨が止んだ。

 神はあまり信じていないが、今はなぜかその気配を感じる。

 これが俺への葬送なら、謹んで受け入れよう。


 雲の隙間から月が現れ、わずかに地面を光が照らす。

 とたんに俺のまわりは淡い蒼に染まった。

 トキオリ草が次々と開花していく光景だ。


「夜に咲く、蒼き花……月光に輝く、命の祈り……か」


 ほとんど出ない声で、ぼそりとその言葉を呟いた。


 雨あがりのせいか、トキオリ草に残る雫が月光を反射し、やけに明るく見える。

 死を迎える者の前で、命の花が咲いていくなど皮肉なものだ。


 体に力が入らず、呼吸をするのもままならない。

 それなのに、余計なことばかり考えてしまう。


 逆行した君は二度目の人生をどのように送るのだろうか。

 そこに、俺はいるのだろうか。

 俺は、君と出会えるだろうか。


 馬鹿げたことだ。

 たとえ出会ったとしても、君は俺のことを嫌うだろう。

 なぜなら、昔の俺は他人に興味がなく、傲慢で周囲を無意識に見下していたからだ。

 

 強大な力を持つと勘違いしてしまう。

 それが、俺の最大の過ちと言えるだろう。

 しかし、それらがすべて君のためだったのなら、それもまた本望だ。


 さて、そろそろ痛みも感じなくなってきた。

 終わりのときだ。

 せめて、最期に君のために祈ろう。



 どうか、君の二度目の人生が、幸福であるように――




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