32、誰かと勘違いしている
アンデル侯爵家で起こったことは瞬く間に広がり、社交界に衝撃が走った。
一部の貴族が王太子妃候補になりそうな令嬢を排除するためにやったと、公に発表されている。
しかし、フェデルはどうやら少し見解が違うようだ。
フェデルは俺をわざわざエルカノの森へ呼びだし、そんなことを言った。
「この件に関して裏で動いていたのは、ジッケル伯爵だけではないと僕は思っている」
「というと?」
「憶測だからはっきり言えないけどね。ジッケル伯爵はそれほど大きな力を持っていない。ベルミスを手に入れるルートも取引相手の謎の死で絶たれてしまった」
「つまり、どういうことだ?」
はっきり言わないフェデルに眉をひそめる。
すると、フェデルは肩をすくめて言った。
「黒幕は他にいる。今回の件があきらかになったから、しばらく身をひそめるだろうけどね」
「誰だよ?」
「それは言えないよ」
「なんだよ」
イラついて声が荒々しくなった。
中途半端に話すなら最初から言わなければいいものを。
「わざわざこんなところに呼びだして話があると言うから、何だと思ったら。話は終わりか? 俺は帰る」
「待って待って。話はこれからだから」
「前振りが長い!」
俺が睨みつけるとフェデルはこほんと咳払いして、話題を変えた。
「この事件そのものは王宮の調査隊に任せればいいが、問題はミレアのことだ。彼女はどうやら強大な魔法を使ったようだよ。そのことが魔塔に知られてしまった」
「ああ、そうだな。そのことなら俺も魔塔で耳にした」
「魔塔が彼女を迎えたいと学校に申しでたそうだ。もちろん、僕のところにもその話は伝わってきた」
「つまり、監視したいと」
「言い方だよ、ノエイン」
「そういうことだろ」
魔塔では彼女の話題で持ちきりになっている。
強大な魔力を持つ者を野放しにしておくわけにはいかない。魔塔の監視下にあれば、何か起こってもすぐに対処できる。
8歳のときの俺と状況がよく似ている。もっとも、俺の場合は子供だったから自分の意思でどうにかできるわけもなく、無理やり魔塔に入れられたが。
「今回の事件の犯人が取り調べ中に何度も暴れているそうだよ。彼は一部の記憶を失っていて、肝心なことが思いだせないようだ。ただ、彼は時折叫び声を上げてこう言っている。化け物じみた魔力を持つ娘だとね」
フェデルはなぜか笑みを浮かべて話を続ける。
「実際にミレアの魔法を目にしたのは犯人だけだ。リベラは意識が混濁していてはっきりした記憶がない。ただ、学校でのミレアの評判や君が特別指導をした経緯があるからね。魔塔もこれ以上放置しておけないのだろうね」
「まあ、あそこにいれば徹底的に魔力管理もしてもらえるだろう」
「え? 本気で言ってる? 魔塔に管理されたらミレアは青春を謳歌できなくなるんだよ。可哀想だろう」
「別に、俺みたいに学校に通わせてもらえばいいだろ」
「君とミレアではあまりに違うよ。ミレアは危険視されているんだよ」
たしかにフェデルの言う通り、魔塔は彼女をあわよくば監禁したい勢いだった。
退学させて正式に魔塔に所属させて、厳重な監視の下で寮生活を強いて、彼女を一歩も外へ出さない。
それほど、彼女の現状は魔塔にとって危険なものになっている。
「だから僕は思いついたんだ。代わりに君が彼女を監視すればいいって」
「なんで俺が?」
「君は魔塔の魔法師だ。学校でミレアのそばにいられるし、彼女も君なら安心していられるだろう」
魔道具の件で今でも監視しているつもりだが、それはフェデルには言わないでおく。
俺が黙っていると、フェデルが続けた。
「何より君にしか頼めないよ。僕の友人であり、一番信頼できる君にしか」
「……友だちじゃないんだろ」
「根に持つなあ」
どうして彼女のことに関してフェデルがこれほど深入りするのか、よくわからない。
好いているわけでもなさそうだし、他に理由でもあるのか。
それとも単に興味があるだけなのか。
「まあ、いいよ。たしかに、退学は可哀想だ。あの歳で魔塔所属ってのも息苦しいだろ」
「ノエインは今いくつだっけ?」
「あんたのひとつ下だ」
「16かあ。ノエインは8歳から魔塔にいるもんね。気持ちわかるんだね」
「子供の行くところじゃない」
魔塔はこの国で有数の魔力が強い者の集まりだ。
そのほとんどは、旧帝国にルーツのある者ばかりで、学校で習って身につけた程度の魔法師ではない。
生まれたときからこの道に進むことが決まっているような、特別な者たちばかりが揃っている。
対する彼女は魔力が不安定であり、通常では魔力値2桁程度。あの中に入ったら潰される可能性がある。それでも魔塔は彼女を手に入れておきたいようだが。
「そうだ。頼んでいた魔道具はできた?」
「ああ。これな」
俺の差しだした紫水晶の石を、フェデルが受けとってまじまじと見つめる。
「へえ。ネックレスにしたんだ。ノエインは意外と可愛い趣味してるんだね」
「それなら身につけやすいだろ」
フェデルに頼まれて作った魔力の暴走を抑える魔道具だ。とはいえ、気休め程度にしかならないが、多少抑制することはできる。
「ノエインの耳飾りと似ているね」
「同じものを使ったからな」
俺の師匠が作った紫水晶の魔道具だ。それを参考にして作ったが、そこまで強力なものではない。
フェデルは妙ににやにやして魔道具の石を確認したあと、俺に返して言った。
「じゃあ、ミレアの家に届けてあげて」
「なんで俺が? あんたが行けよ」
「王太子が訪問したらエヴァン家が混乱するだろう?」
「じゃあ学校に来るまで待てば?」
「それまでにミレアの魔力がまた暴走したら大変だろう?」
「あー、わかったよ!」
半ば投げやりに了承したら、フェデルは不気味なほどの笑顔を向けた。
「ああ、そうだ。女の子のお見舞いには、花束を持って行くんだよ!」
「……は?」
放課後、俺はエヴァン家を訪れた。
エヴァン伯爵夫人が出迎えてくれたが、かなり驚いていた。
フェデルの言った通り、花屋で適当に花を束ねてもらって持って行き、それを差しだしたら夫人は驚いて声を上げた。
「まあっ、なんて素敵。よかったら、直接ミレアに渡してあげてくれないかしら?」
「……はぁ」
意味がわからない。
使用人に渡して花瓶に入れてから部屋に置いておけばいいんじゃないか?
「ミレア、学校のお友だちがお見舞いに来てくれたわよ」
夫人が部屋の扉をノックしたが、返事はなかった。
夫人は扉を開けて部屋へ入り、ベッドに横たわる娘に声をかけた。
「ミレア、寝ているの?」
返事がないようなので、俺は声のトーンを落として夫人に言った。
「これを渡してくれるだけでいいんで。王太子に頼まれて作った魔道具です」
「まあ、王太子殿下から?」
「彼女、魔力が不安定なんで、これで少し制御できるかと」
夫人は魔道具を見てなぜか嬉しそうに笑った。
「よかったら、少しそばにいてあげてくれないかしら? すぐにお茶を淹れてもらうから」
「いや、別に、それを渡してくれれば……」
言いかけたが、すでに使用人が椅子を用意して、座れとばかりに促した。
少しくらいなら、と思ってそこへ腰を下ろす。
「それじゃ、美味しいお菓子を持ってくるわね」
そう言って、夫人は使用人と一緒に部屋を出ていった。
そうして俺はそこに取り残された。
手に花束を持って。
「……何やってんだ? 俺」
この状況にいまいち頭がついていかない。
帰って昼寝がしたい。
ぼうっと天井へ目をやってそんなことを考えていたら、目を覚ました彼女に声をかけられた。
「……ノエイン?」
ふと視線を下ろすと、彼女はうっすら目を開けてこちらを見ていた。
とりあえず、返事をする。
「フェデルに頼まれたものを渡しに来ただけだ。まだ具合が悪いならここへ置いていくから」
「ううん……大丈夫だから、行かないで」
なんか、いつもと違う人に見えるが、気のせいだろうか。
怪訝に思って黙っていると、彼女はかすれた声で続けた。
「よかった。生きていたのね」
言葉の意味がわからず、とりあえず寝ぼけているのだろうと思って、深く考えずに「ああ」と返事をした。
「……私ね、とても怖い夢を見たの。だけど、今あなたの顔を見たら安心しちゃった」
どう返したらいいかわからず、黙って彼女を見つめる。
すると彼女は俺の手もとに視線を落として、笑みを浮かべた。
「綺麗な花。そういえば、覚えてる? あなた、以前に野花を摘んで持ってきたの。あれがトキオリ草だって知らなくて……私ったら失礼なことをしたわ」
やばい。俺の脳内が混乱しすぎて思考が停止しそうになっている。
何を話しているんだ?
彼女は誰の話をしている?
「夜に咲く蒼き花、月光に輝く命の祈り」
彼女が呟くその言葉は、トキオリ草の花言葉だ。
意味は<あなたが元気になりますように>だったか。
昔の人は、病に伏せっている者を見舞うとき、それを持って訪れたらしい。
俺は手もとにある花束に目を落とす。
店員に適当に見繕ってもらったものだ。
性別と年齢を伝えたらピンクとオレンジと黄色の花で作ってくれた。
そうか。トキオリ草がよかったのか。
しかしあれは雑草だしな。店には置いてないから山に摘みに行くしかないんだが。
いや、なんで俺がそこまでする必要がある?
しばらくすると彼女はふたたび眠ってしまった。
俺は静かに立ちあがり、花束と魔道具をサイドテーブルに置いた。
するとタイミングよく夫人が戻ってきたので、会釈をして帰ることにした。
「まあ、お帰りになるのね」
「よく寝ているようなんで、起こすと悪いし」
「じゃあ、お菓子だけでも持って帰って」
「ありがとうございます」
俺は魔道具の説明をして、菓子の袋を受けとると、静かに部屋を出た。
部屋の前で足を止めて、ふと思う。
彼女は俺を誰かと勘違いしているように見えた。
しかし、彼女はたしかに俺の名前を呼んだ。
俺が生きていたとか、トキオリ草を持ってきたとか、意味のわからないことばかり言っていたが。
考えてみても覚えがない。
俺は彼女の前で死ぬようなことをしたか……したな。ものすごい泣いていたが。しかし、あれとさっきの言葉に関連性はないような気がする。
それに、俺はトキオリ草を摘むためにわざわざ山へ行ったことはない。生えているのを遠目で見たことはあるが。
「……わかんねぇな」
彼女に関しては意味不明なことばかりだ。
考えるのも面倒なので、さっさとエヴァン家をあとにした。




