27、新しい能力の開花
何をやっているんだろう。
早く校舎に戻って、先生のところへ行って頭を下げて、遅刻を詫びて、もう一度試験を受けさせてもらえるようお願いしないと。
理由を話せばいい。ラナたちに閉じ込められたことも言えばいい。
たとえ信じてもらえなくても、私は試験を受ける気持ちがあったことをちゃんと伝えなきゃ――。
足が動かない。
まるで心がぽっきり折れてしまったみたいに脱力している。
ずっと張りつめていた緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。
やっぱり人生って、そんなにうまくいかないんだなあ。
今世もつまずいてばかりだよ。
視線を斜めに落とすと、花壇の花がしおれているのが目に入った。色褪せた花びらはくたびれたように垂れ下がり、茎も力なく折れ曲がっている。
まるで、今の自分の心を映しているみたいで切なくなった。
「元気出して」
それは自分に向けた言葉だった。
早く立って。時間はもう戻らない。前に進むしかない。
私は指先で水の雫を作り、枯れかけた花に振りかけた。
すると、しおれた茎がわずかに震え、ゆっくりと背筋を伸ばしていった。
色あせていた花びらに、ピンクやオレンジや黄色の艶やかな色が戻ってくる。
風もないのに花が揺れる。
私は思いきり両手を広げた。
水の雫が次々と生まれていく。しゃぼん玉より小さな粒が私のまわりにたくさんできて、夕暮れの光にきらめいた。
不思議と少しばかり気持ちが高まって、私は花壇に向かって声を上げた。
「咲いて!」
水の雫は花壇全体に星屑のように散らばった。
その瞬間、すべての花が次々と背を伸ばし、花びらがどんどん開いていく。
やがて満開になると、花びらの雫が夕暮れの光に照らされて、あたり一面が黄金色に輝いた。
この瞬間が、今まで魔法を使ってきた中で一番わくわくして楽しいと感じられた。
「これが試験でできたらよかったのになあ」
肩を落としてぽつりと呟くと、私の背後から声がした。
「うわ、すごいものを見たな」
驚いて振り返ると、そこにはフェデルが立っていた。
「フェデル殿下、どうしてここに?」
「君の試験を見学しようと思ってこっそり来てみたんだけど、試験は終わったの?」
「えっと……」
まさかフェデルに告げ口するわけにはいかない。貴族同士のいざこざを王太子が知っていろいろ問題になるといけないもの。
「遅刻しちゃって受けられなかったんです。ほんと私ってうっかりしすぎですね」
そう言って誤魔化そうと無理やり笑ってみせた。
フェデルは眉をひそめて怪訝な表情をする。
「おかしいな。さっきリベラが君は時間通りに試験場へ行ったと言っていたよ。途中で何かあったの?」
ど、どう言えばいいだろう?
そうだ。話題を変えちゃおう。
「殿下はどうして私の試験を見にこようと思ったんですか?」
「君の魔力値がどれくらいなのか、実際に見てみたかったからさ」
「そうですか。見られなくて残念でしたね」
「でも、それ以上にもっとすごいものを見たからいいよ」
「すごいもの?」
枯れた花を咲かせただけなんだけど。
私が首を傾げると、フェデルはふっと笑った。
「自覚なしか。じゃあ僕が教えてあげる。君は逆行魔法を使ったんだよ。魔塔の上級魔法師でもほとんど使えないめずらしい魔法だ」
フェデルは膝を折って花壇の花にそっと触れると、その感触を確かめるようにじっと見つめた。
「完璧だな。どうやってこれを習得したの?」
「え? いや、誰かに習ったわけではなく、ただ枯れてて可哀想だなって思って」
フェデルは顔を上げると目を丸くして私を見た。それから急に吹きだして、笑いながら立ちあがった。
「あはは、なるほど。君は感情で魔法が使えるタイプか。そうか、だから普段は使えないのか」
「それ、ノエインも同じことを言っていました」
いまだよくわからない私はただ黙ってフェデルを見つめた。
すると、彼はまっすぐ私に顔を向けて説明してくれた。
「古いものを新しく、年老いた者を若く、それが逆行魔法だよ。近年は若返りの手段として研究がなされている」
それを聞いて、ふと思った。
私が時間を逆行して生まれ変わったことと何か関係しているのだろうか。
「それって、時間を戻すこともできますか?」
「さすがにそれはできないな。あと、死んだ人間を元に戻すこともできない」
どうやらこの逆行魔法は私とは無関係のようだ。
そして私は枯れた花を咲かせたのではなく、花を若返らせたということ。
「それにしても、これだけの魔法が使えるなら君は飛び級でもいいくらいだ。他の成績も申し分ないんだろう?」
「はい。でも、肝心な実技試験が受けられないんじゃ意味ないですね」
「そうだなあ。とりあえず一度見てもらおうか」
「えっ?」
フェデルはその後、先生たちをこの場に呼び戻して、花壇に咲いた花を見せた。
先生たちは目を見張ったものの、どこか信じがたいという様子だった。
すると、フェデルが切りだした。
「彼女に再試験を受けさせてみるのはどうだろうか?」
「しかし、ルールを守らなかったのですから……」
「遅刻した原因があるんだ。彼女の授業態度や他の成績を考慮したらわかるだろう」
「正直、エヴァン令嬢だけ例外を認めていて他の生徒たちから疑問の声が上がっています」
渋い表情で視線を交わす先生たちに、フェデルが肩をすくめて言った。
「わかった。遅刻の理由がはっきりすればいいんだね。ミレア、理由を話してくれるよね?」
私は観念してラナたちにされたことを話した。
先生たちは顔をしかめて信じられないという様子だった。ラナは優秀だし侯爵令嬢で私の家よりも格上の貴族。先生たちはこのことを知っても彼女を罰することはできないだろう。
そのことをフェデルもわかっていて、先生たちに静かに言った。
「ミレア・エヴァンに再試験の機会を与えてくれるね?」
「……致し方ありません」
先生たちは渋々了承してくれた。
私を見てにっこり笑うフェデルに、複雑な気持ちでお礼を言った。
「ありがとうございます、フェデル様」
「名前で呼んでくれたね。少し僕への好感度が上がったかな?」
「少し」
今世のフェデルに、私は何度助けてもらっただろう。
もっと早く彼のこんな一面を知れていればよかったのにと思う。
けれど、前世は前世だ。今を生きる私には関係ないし、今のフェデルも以前の彼とは関係ない。
だから私は、頑なに彼を拒むことはやめようと思った。
それが、フェデルを名前で呼ぶことにした理由だ。
こうして、私は無事に再試験をおこなうことができた。
結果はまずまずといったところで、魔力値は目標だった二桁はクリアできた。ノエインの言っていた魔力値100には到底及ばなかったけれど、それでも無事に試験を合格できたことで私は安堵した。
それから、私の試験を妨害したラナたちの処遇について。
ラナの取り巻きたちは5日間の謹慎処分と反省文の提出を命じられた。そのことに、リベラは納得できないと憤慨した。
「どうしてそんなに軽い処罰なの? ミレアは人生がかかっていた試験を邪魔されたのよ。許せないわ」
授業のあとで食堂へ向かいながら、となりを歩くリベラは怒りの表情でそう言った。
たしかに軽いとは思うけど、正直先生たちは知らないふりをすると思っていたから意外だった。フェデルの手前、処罰なしというのはできなかったのだろう。
けれど、首謀者であるラナにはまったくお咎めがなかった。これは予想通り。
私たちの前からラナが歩いてきた。
私は彼女の顔を見たくないので、視線をそらした。
するとラナは私たちと通り過ぎるときに、ぼそりと言った。
「うまくやったのね」
その言葉に、私が反応する前にリベラがきっぱりと言い返した。
「ラナ、試験を妨害するなんてフェアじゃないわ。実力で勝負すべきよ」
するとラナも立ち止まり、こちらを振り返って鋭い視線を向けた。
「再試験が受けられたんでしょ。よかったじゃない」
「そういうことじゃないわ。もうミレアに意地悪をするのはやめて!」
「ふんっ、どちらにしろ、もうできないわよ。まさか王太子殿下と本当に深い仲だったなんてね」
ラナのその言葉に、私だけでなくリベラも「えっ⁉」と固まった。
「殿下がわざわざうちへいらして警告していったのよ。ミレア・エヴァンとは特別な関係だから、彼女に手出ししたら許さないとね。お父様にこっぴどく叱られてしまったわ」
そう言ってラナはあまり私を見ないようにして立ち去った。
私たちは無言でラナの背中を見送り、その後リベラが私に問いつめてきた。
「ミレア、本当にフェデル殿下と?」
「違う違う! それはたぶん、彼がかばってくれただけだよ」
「そうなの?」
「だって、殿下と特別な関係にあるのはカイラでしょ? 手紙のやりとりをしているくらいだし」
「そうなのかな。でも、そうだといいな」
リベラは表情を緩めて口もとに笑みを浮かべた。
フェデルが本当にカイラに好意を抱いていることは言わない。けれど、ふたりが手紙のやりとりをしているのはリベラも知っているから、あくまで事実のみを言ってそれ以上深く触れなかった。
「ところでミレア。試験が終わったことだし、うちでお泊まり会しない?」
「え? いいの?」
「ええ。両親が許してくれたわ。一度やってみたかったの。友だちと夜中までお茶を飲みながらおしゃべりして過ごすの」
「楽しそう!」
「じゃあ決まりね」
「うん」
私とリベラは手をつないで、急ぎ足で食堂へ向かった。
あれから、私が偶然にも逆行魔法を使えたことを院長先生も知ることになった。希望すれば魔塔の上級魔法師と面談もできるし、飛び級制度も使えると言われた。
だけど私は断った。何よりリベラと一緒に過ごしたいというのもあるけれど、やっぱり基礎がしっかりできていないのも気になる。
地道に頑張りたいと思う。
今は試験から解放された時間を楽しみたいから、あまりいろいろ考えないようにした。
私は特別な存在になりたいわけじゃない。
ただ、幸せになりたいだけだから。
 




