24、王太子の思い
カイラはその日、リベラと一緒に登校した。
その姿を見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
魔法科の制服に身を包んだカイラは、痩せてはいるものの、肌つやはよくなっていた。
何より驚いたのは、彼女の髪が肩のあたりまでばっさりと切りそろえられていることだった。
貴族令嬢にとって長い髪は美の象徴であり、家の財力や格式の表れでもある。
あの両親がそんな大胆な髪型を許すはずがない。
カイラが書類手続きのために事務課へ行ったあと、私はリベラと少し話した。
「お姉様は黙って切ってしまったの。お父様もお母様もすごく怒っていたけど、お姉様はあまり気にしていなかったわ」
「ええっ……」
信じられない。
私がカイラだったときはあの両親に逆らうなんて絶対にできなかったのに。
今のカイラは本当に変わろうとしているんだ。
「カイラはしっかり自分の道を歩いているのね」
「本当にね。彼女は明るくなったと思うよ」
その聞き慣れた声にとっさに振り向くと、そこには見覚えのない人物が立っていた。目深に帽子をかぶり、眼鏡をかけている。髪は長く、肩で緩くまとめられている。
私もリベラも首を傾げていると、その人物は眼鏡を少しずらしてにっこり笑った。
「君たちにもわからないなら、他の人たちにはバレないな。変装成功」
「フェデル殿下⁉」
私とリベラは同時に声を上げた。
フェデルは人差し指を口もとに当てて「しぃー」と小声で言った。
「これなら堂々と話せるだろう?」
まさか、私たちと会話するために変装したの?
そこまでする?
私が呆れ顔で見ているとなりで、リベラは歓喜の声を上げた。
「すごいです。完璧な変装だと思います。これならお姉様とも堂々と会えますね」
「あはは。バレちゃってる? さすが妹さん」
リベラの発言とフェデルの反応に、私は絶句した。
今のやりとりだと、フェデルはカイラと学校で接触するためにわざわざ変装したということになる。
フェデルとカイラはいつの間にそんなに親しくなっていたの?
「お姉様も殿下にお会いするのを楽しみにしていますよ」
「そうか。嬉しいな」
ふたりのやりとりを耳にしながら、私は胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。焦りと不安が押し寄せる。
落ちつかなければと思い、気づかれないように呼吸を整える。
そして、意を決してフェデルに声をかけた。
「フェデル殿下、少しお話があるんですけど、お時間いいですか?」
「奇遇だね。僕も君とふたりきりで話したいことがあるんだ」
フェデルは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
リベラには先に教室に行ってもらって、私はフェデルと訓練棟のある裏の森へ移動した。あの場所なら今は誰もいないだろうから。
朝の静寂な空気が漂う中、小鳥のさえずりと私たちの歩く葉擦れの音だけが響く。
私がどう切りだそうか迷っていると、フェデルが立ち止まって先に口を開いた。
「前から薄々気づいていたけど、君は僕のことが嫌いなのかな?」
大嫌いです、とは言えないから適当に誤魔化しておく。
「特に何とも思っていません。興味がないだけです」
「興味のない人間に対する態度ではないよね。むしろ、すごく意識しているように感じるけどね」
「本題に入りませんか? 授業が始まってしまうので」
私がそっけなく返したら、フェデルは苦笑しながら肩をすくめた。
「君の話を聞こう。何が知りたい?」
「殿下はカイラのことをどう思っているんですか?」
不躾な質問だけど、まわりくどいことはしたくないから、はっきり訊いた。
フェデルは驚いたように目を見開き、それからわずかに笑みを浮かべて答えた。
「友人だと思っているよ」
「……本当ですか?」
「本音で言えば好意を持っている」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひやりとした。
やっぱり、フェデルはカイラを狙っていたんだ。
だから、手紙を出したり転籍の推薦をしたのね。
このままだとカイラが破滅の未来へ進んでしまう。せっかく自分の足で歩きだしたばかりなのに、邪魔なんてさせたくない。
「私はカイラに幸せになってほしいと思っています。だから、生半可な気持ちで近づかないでほしいです」
私がまっすぐ目を見て告げると、彼はほんの少し表情を歪めた。けれど、すぐに反論するでもなく、あくまで冷静さを保って話す。
「そうか。君には僕の態度がそう見えているのか。まあ、それも仕方ないかな。自業自得ってことだね」
「殿下は、わかっているんですか。ご自分が何をしているのか」
「さすがに、僕もそこまでバカじゃないよ。女の子と話すのは好きだけど、心を開くことはあまりないな。だから、君が心配するような男女関係にはなっていないよ。誰ともね」
意外……遊び人だと思っていたのに、違ったの?
私が返事をする前に、フェデラが問いかけてきた。
「君はどうしてそこまでカイラのことを心配するの?」
「大切な友だちだからです」
「そっか。僕にもそんなふうに心配してくれる友だちがいればいいのにな」
わずかばかり表情を曇らせるフェデルを見て、私は不思議に思って訊いた。
「ノエインは友だちじゃないんですか?」
「彼はちょっと違うかな。幼少の頃から一緒にいるけど、友だちと呼べるかはわからない。身分関係なく話してくれていいと言っているけど、それでも彼は一定の壁を作ってる。性格的に他人にあまり深い入りしない子だからね」
「そうですか」
フェデルとノエインの関係も気になるところだけど、今はカイラのことを確認しておきたい。
私は少し気になっていることを質問してみることにした。
「殿下はデミア侯爵家のリリアン様とはどういう関係なんですか?」
フェデルは目を丸くして固まって、それからふっと笑みをもらした。
「なぜここでデミア令嬢が出てくるんだい?」
私がじっと見つめていると、彼は肩をすくめて答えた。
「デミア侯爵とは何度か話したことはあるけど、令嬢とは会ったことないよ」
「えっ?」
そんなはずはない。
だってフェデルは昔からリリアンと恋仲で、カイラと婚約破棄してまで一緒になったのに。
「君はもしかして、僕がデミア令嬢と深い仲になってカイラから乗り換えると思っているの?」
どきりとして言葉に詰まる。
もしかしてどころか実際にあなたはそうするんだよ、なんて言えない。
返す言葉に悩んでいると、フェデルは落ちついた表情で言った。
「僕はデミア令嬢とどうにかなることはないよ。ついでに言えば、カイラへの想いが成就することもない」
意外な言葉を聞いて私は絶句してしまった。
これは演技だろうか。私の前でいい人を演じたいだけではないだろうか。そんな思いにかられていると、フェデルは声を出して笑った。
「あはは。その反応はもしかして、君の想定外の答えだったかな?」
見透かされてる気分になってムッとする。
私はあくまで冷静に訊ねた。
「今のはどういう意味ですか? リリアン様ともカイラともどうにもならないって。じゃあ、他に……」
「いないよ。僕は誰とも恋仲にはならない」
「えっ……」
「僕は王位継承者だ。結婚相手は父である王が決める。その決定に背くことはできない。つまり、僕は誰かを好いても、その者と添い遂げることはできないんだよ」
フェデルに笑みが消え、やけに真剣な表情で話す。
だけど、彼の言葉を素直に受け入れられる器が、私にはまだない。
私が疑惑の目で見ているせいか、彼は肩をすくめてため息まじりに言った。
「君も令嬢ならわかるだろう? 結婚は家同士のつながりだ。当人同士の思いなど尊重されない。それでも近年は恋愛結婚が流行っているようだけどね。僕は王太子だから例外だよ。この国を、民を率いて、未来を背負う人間だからね」
言葉の最後はやけに凛とした強い口調だった。
わずかに胸が苦しくなる。
彼の王太子としての立場を理解していないわけではない。だけど、前世での彼を知っているから複雑な気持ちになる。
「君の心配することは起こらないよ。僕はカイラに好意を持っているが、彼女の未来を邪魔するつもりはない。でも、彼女に能力があるなら助けになってあげたいとは思っているよ」
フェデルの表情は、いつもみたいに冗談を口にしているときと違って真剣だった。
彼が嘘を言っているとは思えない。
それに、リリアンと会ったことがないなんて、やっぱり今世は前世と少し違っているのだろう。
私が関わっていないことまで変化している。さすがに、そこに介入することなどできないから、私が知っている未来が必ず訪れるとは限らないのかもしれない。
私はひと呼吸置いて、フェデルと目を合わせて向かい合った。
「殿下の気持ちはわかりました。不躾な質問ばかりをお詫びいたします。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
私が深く頭を下げると、フェデルはいつもみたいに明るく笑った。
「いいよいいよ。そんなかしこまらなくても。これですっきりした?」
「……はい」
「そう、よかった。それにしても、君はずいぶんと大人びているんだな。デビュタントも迎えていないのに」
「そうでしょうか」
わずかに良心がちくちくする。
フェデルは勘がいいと思う。だって私は前世を合わせたらもうすぐ70歳だもの。
絶対言えないけどね。
「もうすぐ1限目だね。先に戻っていいよ。僕は少しここに残って時間差で行くから」
「お気遣いありがとうございます」
「うん。じゃあ、またね」
フェデルは笑顔で手を振って私を見送ってくれた。
歩いている途中で鐘が鳴り響き、私は少し急いで教室へ向かった。




