2、気づいたら13歳だった
ああ、なんてふかふかのベッド。
それに、かすかに甘い香りが漂っている。これは香水かしらね。
体が軽くなったみたいで気分がいい。
これが天国というなら、なんて素敵な場所なのかしら。
「……ミレア、ミレア」
誰かが声をかけてくる。
でも、私の名前はカイラよ。
死んでも一応、名前だけは憶えているのよね。
「ミレア、しっかり」
「死ぬんじゃない!」
今度は切羽詰まったような男女の声が重なる。
死ぬなと言われても、もう死んでしまったのに、いったいどういうことかしら?
そろりと目を開けると、まぶしい視界が揺れた。
そこにぼんやりと男女の顔が映る。
だんだんとはっきり見えてきて、美しい金髪の女性と茶髪の男性がこちらを覗き込んでいるのだとわかった。
人にこうやって話しかけてもらえるなんてひさしぶりだわ。
いいえ、人の顔を見ること自体ひさしぶりなのよ。
――ん? 私、目が見えている?
「ああ、気がついた。よかった、ミレア」
「心配したのよ、ミレア」
涙を浮かべた男女が、私を覗き込むように見下ろしている。
まるで、何かを失いかけたあとのような表情だ。
私は頭の中が混乱していて何が起こっているのかわからない。
「えっと、どなたですか?」
私が訊ねると、ふたりはこの世の終わりかというほど表情を歪ませて、男性のほうは頭を抱え、女性のほうはさらに泣きだしてしまった。
「ああ、ミレアが私たちのことを忘れてしまったわ」
「なんてことだ。これが病の後遺症なのか」
病……たしかに私は病気で死んだわ。
「ふむ。高熱が続いていたので少々記憶が飛んでしまっているようですな。どれ」
老齢の医師と思われる人物が私に近づいて、しわの刻まれた手をそっと私の額に当てた。ふわりとしたぬくもりが頭の中に満たされて、少しずつ記憶がよみがえってくる。
ミレアとして貴族学院に入学したこと。だけど、病気のせいで一度も通えなかったこと。リボンのついた可愛いドレスが好きで、苺のケーキが大好物なこと。
毎年、夏には両親と一緒に湖の見える別荘で乗馬をして過ごす。
そんな幸せな思い出。
そして、ひと月前。
私は13歳の誕生日を迎え、大きな苺のバースデーケーキで祝ってもらった。
その甘い香りも、笑い声も、ちゃんと覚えている。
たしかに私はミレアとして生まれ、ミレアとして生きてきた。
どうやら私はカイラだった人生を忘れて、このミレアの人生を<最初>として歩んでいたようだ。
つまりこれは、私の二度目の人生。
お、思いださなくてもよかったのに。
あんなつらい前世の記憶なんてなくていいのに。
どうして思いだしてしまったのだろう。しかも、わりと鮮明に記憶に刻まれている。
私は慌てふためく両親を見て、ゆっくりと口を開いた。
「……お父様、お母様」
その言葉を聞いた瞬間、ふたりの顔がぱあっと明るくなった。
母は涙ぐみながら私をそっと抱きしめ、父も安堵の表情を浮かべる。
傍らで見守っていた老齢の医師が、ふうっと息を吐いて言った。
「高熱で記憶が曖昧になってしまうことがあるんですよ。特に魔力を持っている子はその傾向が強いようです。大丈夫。徐々に記憶も安定して元に戻るでしょう」
「ああ、よかったわ」
母は嬉しそうに私の頭を撫でた。
温かい手。そうだ。私はこれまで母のこの手に何度も抱きしめられて、ぬくもりを与えられてきたんだ。
そう思った瞬間、こみあげるものがあった。
前世では一度も感じたことのない、たしかな愛情。
気づくと涙があふれていた。
「まあ、どこか痛いの?」
「大丈夫です。お母様」
母は私の言葉に安堵したように微笑み、その背後で父も穏やかに笑っていた。
いろいろと混乱しているけれど、今の私にはカイラとしての記憶のほうが圧倒的に鮮明だ。だけど、ミレアとして過ごした日々もちゃんと覚えている。
そして、一つ気になることがあった。
医師の話だとミレアの私は魔力を持っているということだ。
たしかに私は優しい両親に育てられ、美味しい料理を食べて、友だちに囲まれて、楽しく過ごしたいと願ったけれど、魔力がほしいとは思わなかったわ。
でも、今はうまく思考がまわらない。
というより、眠い。
「お父様、お母様、少し眠ってもいい?」
すると両親は笑顔でうなずいた。
「ああ、ゆっくり休むといい」
「目が覚めたら食事を用意しておくわね」
嬉しい。
本当に両親が優しい。
それに、次に起きたら食べる物があるなんて幸せ。
ああ、どうかこれが現実でありますように。