17、ブレスレットの真実
遠くで鐘の音が聞こえる。学校の近くの大聖堂が夕方の鐘を鳴らしているのだろう。見あげるとガラス越しに空が、黄金色から深い青へと変わっていくところだった。
ノエインは私から離れて、床に落ちている布切れを拾った。それは彼が左腕に巻いているスカーフだった。私の魔法の勢いで破れてしまったようだ。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ、別に。俺のせいだし」
彼は破れたスカーフをズボンのポケットに突っこんだ。
左腕には私と同じ金のブレスレットが見えている。
前からずっと、そのことが気になっていた。
あのとき彼は私のブレスレットを寄こせと言っていたけれど、今は特に何も言ってこない。
「あの、訊いてもいいかな?」
ノエインは黙ったまま、顔だけ私に向ける。
薄暗くなった室内に、魔法科の紋章がじわりと銀色の光を帯びて、彼の表情を白く照らした。
「このブレスレットが世界に一つしかないって本当?」
ノエインはわずかに呼吸を置いて、静かに答える。
「ああ。これは俺の命そのものだから」
「ええっ⁉」
「外すと死ぬ」
「そ、そんなっ……」
あまりに予想外なことで頭が真っ白になった。
彼は淡々と続ける。
「この魔道具を作ったときに魂を持っていかれた。そのことを知らなかったんだ。俺も子供だったから」
頭の中ではさまざまな疑問が交差している。
命そのもの、外すと死ぬ。ということは、前世のノエインは私にそれをくれたとき、死ぬことがわかっていたということだ。
ああ、でも、これではっきりした。
なぜ、健康体のあなたが、余命わずかの私より先に死んでしまったのか。
そのことをずっと疑問に思っていた。
だとしたら、なぜ彼は、私に命そのものを与えたのだろう。
だって、私もその半月後に死んでしまったのだから。
いったい何の意味があったのだろう。
「どうして、その魔道具を作ろうと思ったの?」
こんな質問をして何になるんだろうと自分でも思う。けれど、訊きたくてたまらなかった。
ノエインは特に嫌な顔もせず、淡々と答えてくれた。
「兄が戦場で死んだから」
「えっ……?」
「有能な魔法師だった。それでも戦場に出れば死ぬのかと思ったら、どうにかしたかった。で、古い魔術書に記述されていたこの魔道具を作ってみたくなった。これさえあれば何かあっても命は助かると思ったんだ」
ノエインは自分の左腕に視線を落とし、ブレスレットにそっと触れる。
「ところが俺の想像と少し違った。たしかにこれをつけていれば瀕死の状態になっても一時的に生きのびられる。だが、これを外すとたとえ無傷でも死ぬ。師匠に怒られたよ。愚かなことをしたと」
その話を聞きながら、私は自分の左腕にあるブレスレットに視線を落とした。
「そっか。だったら同じものを私が持っているなんておかしいよね」
「ああ、理解できない。どういう現象なんだ?」
「それは……」
私だってわからない。
どうして死ぬときに身につけていたこのブレスレットが、生まれ変わった体にもあったのか。
「可能性は一つある」
「え?」
「俺の遠い子孫か親戚が時間逆行してこの時代に持ってきたのかもしれない。それを君の両親が手に入れたと」
どきりとして目を見開くと、彼は冗談みたいに苦笑した。
「時間逆行なんて確立していない空想論だけどな。でもまあ、100年くらい経ったら誰か完成させるんじゃないか? で、100年後の俺の子孫か親戚がこの魔道具を持って逆行したとか。ただの想像だよ」
そう言って呆れたような顔で笑うノエインを見て、私は胸が苦しくなった。
彼が真実を知るにはあまりに残酷すぎると思って、私は返す言葉が見つからなかった。
「私、あなたにこれを返したほうがいいかな?」
「別に、もういいよ。特に日常生活で困っていることもないし」
ノエインはさらりとそう言った。
以前はあんなに無理やり奪おうとしたのに、今の彼はすっかりあきらめてしまったみたいだ。
どちらにしろ、これは私では外せないからどうにもできないのだけれど。
このブレスレットは両親が何度も外そうとしたのに、私の腕にぴったりくっついて何をどうしても外れなかったらしい。
生まれたときからあった。成長に合わせて自然とサイズも変わって、今も私の腕にぴたりと馴染んでいる。
まるで、体の一部みたいに。
「じゃあ、俺は帰るから。君も迎えが来てるだろ」
慌てて姿勢を正し、深く礼をする。
「ご指導いただき、ありがとうございました」
私がぺこりと頭を下げると彼はなぜか吹きだした。
「堅苦しいの嫌いなんで。普通でいいよ」
「うん。ありがとう」
私が笑顔で礼を言うと、ノエインは穏やかに笑った。
こんな表情、昔は見られなかったから嬉しくてたまらない。
彼は私に背中を向けて扉の前まで歩いていき、ふいに振り返った。
「ああ、そうだ。次は魔力値50を出せよ」
「ええっ⁉ そんなの無理だよ」
「無理じゃない。やれよ。俺の前で弱音を吐くな。以上」
そう言うとさっさとノエインは出ていってしまった。
「い、いじわる……!」
私は誰もいない室内で、ひとり呟いた。
でもね、本当はあなたが優しいことを、私は誰よりも知っているの。
だから、私はあなたが追放される未来も変えたい。
*
翌日の昼休み、リベラと一緒にいつもの食堂でランチをとった。
彼女はハンバーグにスパゲッティ、オムレツにシチューという豪快な組み合わせで、私はスパゲッティとサラダだけ。
いつもながら彼女の食欲には驚かされる。けれど、彼女の家での食事が質素なことを知っているので少し切ない。思いきり学校で食べてほしいと思う。
そんなリベラから朗報があった。
「両親がミレアをうちに招待してもいいって言ったの」
「本当?」
「ええ。知り合いの令嬢を3人くらい呼んでみんなでお茶会をしましょう」
「わあ、素敵。でも私、仲良くできるかな」
「みんな優しくていい子たちなの。ミレアのことも気に入ってくれるわ」
「よかった。ありがとう」
お茶会なんて、ミレアとして生まれてからは一度もない。
カイラだったときは形式的なものしか参加しなくて、どれも堅苦しくて息が詰まりそうなものだった。
「お姉様にも会えるか訊いてみるわ」
「カイラに?」
カイラに会える。
やっと、今世の私に再会できるんだ。
どんなふうに話を切りだして、どうすれば彼女の未来を守ることができるのか。
今は何も案が浮かばないけれど、まずは会えることからだよね。




