15、魔力値9から1000の道へ
ずらりと並んだ先生たちの前で、エメリア先生が口を開いた。
彼女は院長先生に向かって報告を始める。
「このたびの試験でミレア・エヴァンは魔力値997を記録しました。しかしながら彼女の魔力制御は不安定であり、このままでは非常に危険です。早急に対処が必要かと存じます」
エメリア先生の口調は厳しいものだったけれど、感情的ではなくとても冷静だった。
他の先生たちは顔を見合わせながら眉をひそめ、首を傾げている。
「冗談だろう」
「この生徒は最初のテストで魔力値一桁だったぞ」
「魔力値1000ほどの能力など、この学院にひとりしか」
ざわつく先生たちの視線がノエインへ向けられる。けれど彼は表情を変えず、ただ静かに院長先生を見据えている。
エメリア先生はわずかに声を強めた。
「私はこの目で見たのです。他の生徒たちも見ています。私が虚偽の報告をしているとでも?」
エメリア先生がじろりと睨むと、他の先生たちは目を伏せて黙った。
ふたたびエメリア先生は背筋を伸ばし、院長先生に顔を向ける。
「みなさんのおっしゃる通り、魔力値1000の生徒に適切な指導ができる者はこの学院におりません。魔塔の上級魔法師か、あるいはここにいるノエイン・グランヴェールだけです」
その名が告げられた瞬間、私はどきりとした。
ノエインはここの生徒なのに、私の指導役――⁉
「たしかに、あなたの言う通りです。ただし彼に指導をお願いするなら、魔塔を通して正式に依頼をしなければなりませんよ」
院長先生はそう言って、今度はノエインへと目を向けた。
「どうでしょう? 依頼を受けてもらえますか?」
するとノエインは真顔で淡々と答えた。
「仕事としてならやります。報酬次第ですが」
院長先生は小さくうなずいて、今度は私に目を向けた。
「ミレア・エヴァン。私は初めて君を見たときから、何か秘めた力を持っているのではないかと感じていましたよ」
「え? そうなんですか」
「しっかり学びなさい。君の力には無限の可能性がある」
「はい、頑張ります!」
落ちこぼれだと思ってずっと自分に自信がなかったのに、そんなふうに言ってもらえて胸が高鳴った。
喜びの気持ちもつかの間、視界の隅にノエインの姿を捉えてそちらへ目線を向けると、彼は睨むようにこっちを見ていた。
こ、こわい!
私はふいっと顔を背けた。
そんなわけで私は放課後にノエインの指導を受けることになった。
その噂が広まるのに時間はかからなかった。案の定、クラスの女子たちが不満をぶちまけてきた。
「どうしてあなただけ特別なのよ」
「ノエイン様のご指導ですって? 意味がわからないわ」
「彼の指導を受けたい女子は山ほどいるのよ!」
そんなことを言われても、私にどうしろと?
怒気をはらんだ視線に囲まれて、私はすっかり返事に詰まってしまった。
何を言っても無駄だと直感でわかる。この人たちはノエインのファンらしいから、理屈なんて通じないだろう。
「あなたみたいな魔力の弱い人間が特別指導だなんて、いったいどんな卑怯な手を使ったの?」
さすがに胸が痛んだ。そこまで言わなくても、と思う。
どうにかこの場を収めなくちゃと焦っていたそのとき、リベラがすっと私と彼女たちのあいだに割って入った。
「あなたたちも見たでしょ。ミレアの魔力は弱くないわ。魔法に触れる機会がなかっただけなのよ。ノエイン様の指導を受ければ確実に実力が上がると思うわ」
リベラの毅然とした言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
誰にも信じてもらえなくても、あなたがそう言ってくれるならそれだけでいい。
たったひとりでも私のことを信じてくれる人がいるのなら。
そんな中、背後からラナの冷たい声が教室に響いた。
「正直に言いなさいよ、リベラ。あなたもこの子に嫉妬してるでしょ?」
「そんなことないわ」
「強がらなくていいのよ。クラスのトップで優秀なあなたが落ちこぼれの友だちに簡単に抜かれてしまったんだもの。腸が煮えくりかえるほど悔しいはずよ」
「あなたたちと一緒にしないで。私はミレアの力を最初から信じていたわ」
「悔し紛れの言い訳ね。どうせそのうち、その子が憎くてたまらなくなるわよ」
ラナはクスクス笑いながら取り巻きたちと一緒に教室を出ていった。
他の子たちも一斉に私から目をそらし、次々と背を向けていく。
私が不安げにリベラを見つめると、彼女はやわらかく微笑んだ。
「私たちもランチに行きましょ」
「うん」
並んで教室を出て食堂へ続く廊下を歩きながら、リベラはぽつりと本音をもらした。
「本当は少しうらやましい気持ちはあるのよ。だけど、それであなたを嫌ったりしないわ」
「リベラ……」
驚いてリベラの顔を見つめると、彼女は照れくさそうに笑った。
「実はね、入学当初はラナがクラスのトップだったの。それが2回目の試験で私が追い抜いてしまって、ラナはそれ以来ずっと私のことを目の敵にしているのよ」
「そうだったんだ」
「だけど、私はトップになりたかったわけじゃない。自分の道をちゃんと見据えて、自分にできることを精いっぱいやっているだけ。誰と競争しているわけでもないの。自分と闘っているだけなの。だから、ミレアが私よりずっと優秀であっても、それはミレアの道であって私の道じゃないから関係ないわ」
リベラはそう言ってさらりと笑った。
その笑顔が私にはまぶしく見えた。
リベラはちゃんと自分を信じている。誰かと比べることなく、自分だけの目標に向かって歩いている。
その強さが静かに輝いているから、きっと彼女は自信を持って頑張れるんだ。
私も、そうなりたい。
「それにね、ノエイン様とお近づきになれば、ミレアはうちに遊びにこれるかもしれないわ」
リベラがひそひそと耳打ちする。
「うちの両親は公爵家と繋がりを持ちたがっているもの」
「なるほど」
そうか、たしかに。あの人たちなら公爵令息と関わりのある私を歓迎するだろう。
「そうすれば、お姉様にも会えるわよ」
「そうね」
まさか、こんな形でその機会が訪れるとは。
まだ、たしかなことは何もない。けれど、少なくとも私の未来は少しずつ前へ進み始めている。
「ねえ、今日のメインはビーフシチューですって」
「わあ、大好物!」
「私もよ」
ふたりでランチの話をしながら食堂へ向かう。
わずかに背筋がちりっと痛みを感じたけれど、気のせいかなと思った。
*
「なるほど、あの子か。君に匹敵するほどの魔力を持つ子は。僕にはそうは見えないんだけどなあ」
1階の廊下を歩くミレアとその友人の姿を見てそう言ったのは、王太子フェデル。
ちなみにここは向かいの校舎の2階だ。
「あの子、可愛いよね」
口もとを緩ませるフェデルにとりあえず軽蔑の目を向ける。
「エヴァン伯爵家の令嬢、ミレア。普通科に在籍していたのになぜか魔法科に転籍。病弱で寝たきりだったのに急に回復して外出できるように。不思議な子だね」
「調べたのか?」
「そりゃ、興味あるからね」
「子供だぞ」
「あと2年もすれば彼女は社交界デビューするよ」
満面の笑みを浮かべるフェデラをさらに睨みつける。
女を見ればすぐに追いかける彼の思考が理解できないが、今回の相手はまだ子供。
こんな王太子で大丈夫か、と余計な心配をしてしまう。
「それで、ノエインはあの子の指導を引き受けるんだ?」
「魔塔の仕事ならやる。報酬もあるし」
「へえ、いいね。可愛い子とふたりきりで嬉しいだろ」
「あんたと一緒にするな」
冷たくそう返したら、フェデルは何がおかしいのか、ヘラヘラ笑った。
本当にこいつが王位継承者でこの国は大丈夫かよ。
「あーあ、僕も可愛い子とふたりで勉強したいなあ」
「邪心がもれすぎだぞ。黙ってろよ」
「言わせてよ。実際にはそんなことできるわけないんだから」
そう言ってため息をつくフェデルに、少し真面目に言い過ぎたかと訝しむ。
フェデルはたしかに女好きだが、これまで彼が特定の相手と付き合ったことはない。
縁談話が山ほどあるだろうから、相手に困ることはないだろう。
まあ、どうでもいいが――。
そんなことよりも、あのミレアという娘の身につけている魔道具が気になって仕方ない。
あれは似たような代物ではない。見た目も、刻んだ紋様も、製作時についた細かい傷も、こめた魔力の波長すらも間違いなく、俺が作ったものだ。
しかし、それはありえない。
一つしか存在しないはずの魔道具が二つあるとは意味がわからない。
この魔道具は13歳の頃に魔塔の禁書庫で見つけた古い魔術書を見て作ったもの。
魔道具にしては異質な妙な構造だったが、どうしても作ってみたかった。
ただ、それが禁忌だと知ったのは完成してからだった。
作成直後に意識を失い、数日眠り続けた。
魔塔の責任者でもある俺の師匠が助けてくれた。
そのときに彼が言った。
――その魔道具には、魂を縛る呪いがある。
――お前の命は、すでにそこにある。
――外せば死ぬ。
それ以来、俺はこの魔道具をスカーフで隠し、誰の目にも触れさせていない。
なぜ彼女が同じものを持っている?
説明のつかないことが多すぎる。
彼女の魔道具に触れた瞬間、知らない記憶が頭に飛びこんできた。
古い屋敷の中の、湿った部屋。ぼろ布のような服を着た、黒髪で色白の痩せこけた女だ。
年齢は50代ほど。死相を帯びたその目はたしかに俺を見ていた。
だが、知らない。俺はあの場所に行ったこともないし、あの女を見たこともない。
あれは、誰だ――?




