Sayaka 距離感にとまどう
『 』内は、英語で
「 」内は、日本語です
土曜に翔とドライブに行って、昨日はバレエのレッスンや買い物や家事をして、充実の週末だった。
まさか、翔が会いに来るとは思わなかったけれど、あんな出会いというか、始まりがワンナイトだったせいか、会ったばかりなのに、距離感が近くても違和感がなくて不思議な感じだ。
もちろん、彼自身との相性が良いこともあるのだろうけど。
蓮のことをあまり思い出さなかった。
食事中もドライブも、気心知れた友人と過ごす時間のようで、本当に楽しかったのだ。
嫌ではない。むしろ好きだと思う。
でも、警戒なく踏み込み、恋愛関係を築けるほど、今は彼を知らない。
だからゆっくり知っていけば良いのだと思う。ゆっくりと蓮の事を思い出にしながら、翔と向き合っていけばいいし、あまり構えず自分のペースでいけばいいと思う。
もし、合わなかったり、いろいろなタイミングが悪かったとしても、それは縁がなかったと諦めればいいことだ。
未だ翔にはそこまでの執着は持てないし、自身を丸ごと預けられほどの信頼はなかった。
まあ、なるようにしか、ならないわよね。
人の縁なんて、そんなものだ。
週明けの月曜は、落ち着いた始まりだった。
金曜に残業して用意した仕様書を、2部ほどプリントアウトすると、今は席を外しているGMのデスクへと向かう。用事があるのは秘書のアビーだ。
『おはよう、アビー』
『おはよう、サヤカ。仕様書は無事出来た?』
『ええ、これから営業部に行ってくるわ。そんなにかからないとは思うけど、担当に資料を届けがてら、ちょっと説明してくる。GMが戻ったら伝えておいてくれる?』
『OK、行ってらっしゃい』
営業部のフロアは、2階下にある。
ラフなうちとはガラッと雰囲気が変わって、スーツ姿の営業マンが多い。
私は、営業のGMのデスクに向かうと、声を掛けた。
『おはようございます。テオ、週末に頼まれていた仕様書を持ってきたわ』
『サヤカ、おはよう。タイチから聞いてる。金曜にK社に行くメンバーは、君の他にあと3名だ。今奥のコーナーに……』
テオが、瀬川さん達とのミーティングをする場所を教えてくれようとした時、私の社内緊急用携帯が鳴った。
ウィルからで、サイバー攻撃時の緊急連絡だ。
『サヤカ、急いでこっち来れるか?』
『ウィル、わかったわ、すぐ行く。
テオ、悪いけど予定変更。これ紙媒体で出してきてよかったわ。仕様書をタイチに渡して、目を通して質問事項をまとめておいて。わからければ当日技術的な事は、こっちが全面的に対応するって伝えて。
緊急事態だから、しばらく手が離せないと思う』
『わかった。健闘を祈る』
私は仕様書をテオに預けると、セキュリティ管理室へと走った。
「あ……メッセージ、着てたんだ」
月曜はあの後、主に攻撃対応と、分析と復旧で、私を含めてチームの半数が徹夜作業になった。おそらく某国のハッカー集団からの攻撃だろうとの分析結果だった。被害が殆どなくてよかった。
そのまま突入した翌日火曜も、通常業務の他に警察の対応にも追われて残業し、クタクタになって帰宅したから、シャワーだけ浴びてベッドにダイブだったのよね。
今日水曜は休みを貰ったから、目覚ましをかけずに爆睡。
で、起きたところで、やっと翔からのメッセージを確認したところ。
最後にメッセージを交換したのは、日曜の羽田のフライト前。
その後月曜は到着報告と軽い挨拶、火曜になると安否確認のメッセージが何通か送られてきていた。
ずっと既読すらつかず、心配かけたみたいで申し訳ない。
時計を見ると、昼前だ。
トラブル対応をしている間に、翔の商談は終わり、今日には帰国すると言う。
「何があった? 心配だから、帰国後マンションに様子を見に行く」とあったけど、夜も遅い到着だ。
彼も私も翌日木曜は仕事なのだから、無理はしない方がいい。
「心配かけて、ごめんなさい。社内の急なトラブル対応でいろいろあったから、今メッセージに気がついたわ。
商談、無事に終了したのね。お疲れ様。こちらもなんとか解決したので、大丈夫よ。今晩はまっすぐ帰って、ゆっくり休んで。快適なフライトを」
ドバイ発のフライトは早朝だから、今ならメッセージ見られるかな?
と思っていたら、着信を知らせるバイブ。翔からだ。
「沙弥香。おはよう」
「おはよう。こっちは昼前だけど、私、今起きたところで」
「…………よかった。心配した」
低めのテノールを思わせる落ち着いた声が、明らかな安堵を持って、ため息とともにこぼされた。
予想以上に心配をかけていたみたい。
「いろいろあってね、月曜は徹夜作業になっちゃったし、そのまま昨日も残業だったから、帰宅して寝落ちしちゃったの。心配かけたみたいで、ごめんなさい」
「徹夜……お疲れ様」
詳細は言えないから、状況だけ知らせると、徹夜作業に驚いたのか、呆れたのか。
あれ? コレってまるでブラック企業みたいだった?
でも、私の職種は知っているはずだし、仕事の内容を考えたら、仕方のないこともある。
「よく、とは言わないけど、こういうこと、たまにあるのよ。だからあんまり心配しないで?」
「どんな状況でも、心配はする。当たり前だろう?」
サラリと言われた言葉に、既視感を覚える。
ああ、昔、蓮に言われた言葉だ。忙し過ぎて、連日帰宅が遅くなっていた時、怒ったように言われたっけ。
「そっか。ありがとう。同じ台詞を、昔、蓮にも言われたわ」
「ああ。彼の気持ちがよく分かるよ。
毎回返信して欲しい訳じゃない。1日の終りに一度、既読にスタンプだけでもいい。無事が分かればそれでいいんだ。それは、負担か?」
負担じゃない。
でも、そんな相手は今まで蓮以外にいなかった。
「負担ではないけど、お友達にそういう事はしないわ」
一瞬、彼が息を呑んだのがわかった。
そしてその後の言葉は、ゆっくりとハッキリと告げられる。
「沙弥香、どういう関係でも、俺は今、君に一番近しい男でありたい」
「翔……」
それになんて応えていいか逡巡しているうちに、彼は続けた。
「もうすぐ搭乗なんだ。着いたらまた連絡する」
「……うん、待ってる。気をつけて」
通話を切ってからも、しばらく動けなかった。
翔が私に一番近い人……想像して、でも首を横に振る。
彼の希望を受け入れたら、私達はこれからどうなってしまうのだろう?
……今はまだ、考えたくなかった。