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6/20

Sho 募る想い

 週末の金曜日、俺は仕事を早めに切り上げ、急いでG社の終業時刻に間に合うように向った。



 水曜の朝に、うちの社のセキュリティ部門のトップと話し、G社のセキュリティシステムについて検討する余地があるか尋ねたところ、彼らも実はG社のシステムの導入を上に打診しようと考えていたと聞いて、迅速にその説明会と見積もりについて、話を進めるように頼んでおいた。


 そのシステムは、どうやら沙弥香が中心となって開発し、G社での運用も順調に行われているという。

 彼女は、同業の技術者の中では、優秀なエンジニア兼ホワイトハッカーとして有名らしく、我が社のエンジニアも、数人が沙弥香の名を知っていた。

 G社のセキュリティシステムを、うちの社の者達が推していたのは、そういう理由もあるようだ。


 同時に五道には、G社側の営業を通して「説明会には、日本語話者に来てもらえるように計らって欲しい」と打診するように指示をした。


 結果、来週金曜の説明会に来る技術者が沙弥香に決まったと聞き、俺は運の良さに感謝したのだ。



 午後6時過ぎ、G社のエントランス付近に車を付けさせて、車内で沙弥香を待つ。

 待ちながらPCを立ち上げ、集中して仕事を片付けていたら、運転手に声を掛けられた。


 エントランスに立つ彼女の姿を認めて、俺は慌てて車を降りる。


 夜の時間帯とはいえ、街灯やイルミネーションも多いこの辺りは、それなりに明るい。

 沙弥香の姿も見間違えることはない。


 紺色のトレンチコートの下からのぞくのは、キャラメル色のワイドパンツだ。

 スラリと華奢で、女性にしてはやや高めの身長、小さな顔に長めの手足とスタイルが良い。

 寒そうにコートの襟元を寄せて、空を見上げている。

 俺は彼女に近づきながら、その名を呼んだ。


「沙弥香」


 声が届かなかったのか、沙弥香は何やら頭を振ってから駅の方へと歩き出す。

 俺は慌てて彼女の前に回り込み、もう一度彼女を呼んだ。


「翔?」


 大きく瞠った榛色の瞳。

 呆けたように数秒フリーズして、その後真っ赤に頬を染めて、吃りながら慌てている。

 その様子がまるで……


「びっくりして飛び上がった猫みたいだ。可愛い」


 思わず笑いと共に、心の声がそのままこぼれた。

 そして、彼女の混乱に乗じて、沙弥香の名前と容姿を頼りに必死に探してここまで来たと、言い切って押し通す。


 素直な彼女は、どうやら疑うことなく俺の言葉を信じたようだ。


 ただ、恋人として付き合い始めるところまでは、流されてくれなかった。


 連絡先を交換し、デートに誘うことを認めてもらっただけでも、まあ、良しとしよう。

 それに、彼女の左手の薬指から結婚指輪が消えていた。彼女はきっと前を向こうとしているのだ。


 その後の夕食の席では、よく食べてよく飲む沙弥香と気持ちよく食事を楽しみながら、互いのことを知り合った。知っていることも、新たに知ったことも、どの彼女も好ましく思う。

 会話のテンポもやり取りも、息が合って心地良い。

 肩書や経歴を変に意識されることなく、自然に受け入れてもらえるのは、きっと彼女の中で特別な事ではないから。

 価値観が合っているのだと思う。


 ドライブに誘った事も快諾してもらえて、弁当まで用意してくれると言う。

 それだけで、気分が湧き立つほどの高揚感と嬉しさを感じた。

 本当に、彼女と過ごす時間は楽しい。


 初めて会ったときの憂いを帯びた表情や、情に厚く一途なところ、そして、俺だけに見せてくれた艶やかな沙弥香に落とされたが、今日はまた違った顔をたくさん見せてくれた。

 本来の彼女は、明るくて、よく笑う、食べることと飲むことが好きな、自立した女性だった。

 その一つ一つを愛おしいと感じる。

 いつまでもそばで見ていたい。


 彼女を丸ごと全部、身体も心も、彼女を構成するもの全て、手に入れたい。

 故人である水森氏が、かつて妻にしていた沙弥香。

 でも、今水森氏はいなくなり、彼女を構成する一部になってしまった。

 だからなのか、沙弥香が彼のことを話しても、羨ましく思えど、さほど不快感は湧いてこない。ちゃんと向き合って、昇華させて欲しいと思う位だ。



 それにしても、食事後に「この間ホテル代払わせちゃったから、夕食代持とうか?」と軽い調子で聞かれた時には、食事に誘った女性から、初めてそんな事を言われて驚いた。

 もちろん、気持ちだけ有り難く受け取っておいたが、気負わない感じで彼女に言われたからなのか、不思議と悪い気はしなかった。




 そして、翌日は彼女とのドライブだ。

 急な誘いに応えてくれた時から、浮かれている事を自覚しつつも、翌日を考えて0時前には就寝した。

 朝は早目に目覚めてしまう。まるで子供だ。


 軽くマシンで運動した後、愛車を磨き、シャワーを浴びた。

 俺の愛車は、黒のランドクルーザー300ZX。時間があれば走りに行くことはあるが、実はこの車に女性を乗せるのは初めてだ。

 というか、よくよく考えたら、これまで家族や親族以外の女性を乗せてドライブなんてしたことあったか?


 食事やホテルに行くときは、タクシーか運転手付きの車を使うし、部屋に呼ぶような事も無かったから、送っていく機会も無かったし。

 デートの先が、レストランか、ホテルか、劇場か、都内の百貨店だったから、確かにドライブする必要はなかった。


 神楽坂の彼女のマンション近くから連絡を入れると、到着時に、沙弥香はマンションの入り口に立っていた。

 淡いグレーのニットに、白のパンツとスニーカー、ジーンズの七分丈のコートを羽織っている。

 斜めがけの小さめのバックの他に、大きめのレジャーバッグは弁当だろうか?

 髪はラフなアップスタイルにして、簪?を刺している。

 スタイルの良さもあって、まるで女性雑誌から抜け出してきたきたみたいだ。

 よく似合っていて、可愛い。


「おはよう。荷物は後ろに乗せよう」


「おはよう。今日もありがとう。よろしくね」


 明るく笑う沙弥香に、朝から癒される。引き寄せてキスしたくなるのを堪えて、助手席に乗せると、車を発進させた。


「天気が良くて、良かったわ。それに、素敵な車。乗り心地もいいのね」


「後でちょっと運転してみる?操作性もいいんだ」


「いいの? 運転席も格好いいなあと思って見ていたの」


 都内の道は苦手だと言っていたが、運転自体は好きなようだ。高速道路なら問題ないだろう。


「じゃあ、高速に乗ってから交替しよう」


「楽しみ!」


「沙弥香は、普段運転は?」


「週一くらいかな? そんなに遠出はしないわ。重いものを買い出しに行くときに」


「なるほど、何に乗ってるんだい?」


「私はね、ビュートって知ってる? マジカルローズ色なの」


「光岡自動車か」


「そう! 近所のショッピングセンターまでだから、可愛さ重視」


「ハハッ、沙弥香に似合ってる」


 本当に楽しそうに話すから、こちらもついつい口数が増えてしまう。

 気楽な会話を交わしながら、SAで一緒に店を冷やかしたり、彼女の運転が意外と上手くて感心したりして、目的地まであっという間だった。


 そして、紅葉はまさに見頃で素晴らしく、ハイキングコースを歩きながら、沙弥香の作ってくれた本当に美味しい弁当を楽しんで、夕方6時すぎには神楽坂に戻ってきた。

 マンションの車止めに着けると、後部座席に積んでいた荷物を降ろし、彼女に渡す。


「今日は本当にありがとう。久し振りに自然を楽しんで綺麗な景色を見て、楽しかったわ」


 レジャーバッグを受け取りながら、笑顔で感謝を伝えてくれる沙弥香に触れたい。

 でも、今はまだ駄目だ。許されていない。だから、また会いたいと言葉で伝える。


「俺も。こんなにのんびりした休日は久し振りだった。弁当も本当に旨かったし、運転も楽しかったし、また付き合ってくれると嬉しい」


「ええ、ぜひ。でも無理しないでね。明日はお休み?」


「明日はドバイに飛ぶんだ。月曜と火曜に商談があって」


 俺は明日からの仕事の予定を知らせておく。


「明日の夜? 今晩の深夜便じゃないわよね?」


 すると沙弥香が心配そうに尋ねてきた。

 羽田からドバイへの直行便は深夜0時すぎだということを知っているのだろう。

 いくらなんでもそんな無茶はさすがにしない。


「ああ、今晩じゃないよ、大丈夫」


「よかった。大変ね。よく眠れるといいけど。向こうは暑いから気をつけて」


 彼女の心配が嬉しい。


「ありがとう。また連絡する」


「おやすみなさい。家まで気をつけて帰ってね」


 車に乗って、ゆっくりと発進させる。

 角を曲がるまで沙弥香が見送ってくれていて、何度もバックミラーを見てしまった。


 本当は、もっと一緒にいたい。

 このまま俺の部屋に連れ帰ってしまいたかった。

 どうすれば彼女の恋人になれるんだろう。

 嫌われていないことはわかる。きっと好ましく思われているとも。

 でも、足りない。

 沙弥香の特別になりたい。自分だけが彼女に触れることが出来る権利が欲しい。そして、俺も彼女に独占されたい。

 俺達二人の間に、誰かが割って入ることを許せない。


 結局今の俺にできることは、彼女の愛情を得るために心を尽くすことだけだ。

 俺はいつもより寂しく感じる部屋に戻ると、沙弥香に無事な帰宅を知らせるメッセージを送ることにした。

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