Sayaka 心地の良い相手
夕食に連れてこられた店は、六本木にある一軒家の懐石料理店。
6席のカウンターと、個室がいくつかある落ち着いた店だった。
私達は、個室へと通される。
整えられた小さな庭を望む、掘りごたつ式の部屋だ。
コースのみのお料理でメニューはドリンクのみ。
苦手なものや、アレルギーを聞かれたけど、私は特に好き嫌いもアレルギーもない。
翔も同様だった。
「いい雰囲気のお店ね」
お部屋もお庭も素敵な、静かで居心地の良い空間だ。
翔は時々来るのだろう。
慣れた感じで私を上座に座らせると、ドリンクメニューを開いて手渡してくれた。
「カニ漁が解禁になったからね。ここは海鮮が美味いんだ。飲み物はどうする? 結構飲めるだろ?」
飲めること前提に開かれていたのは、日本酒の頁だ。
思わず笑ってしまう。
「ふふっ。じゃあ、南部美人のスパークリング、ボトルで大丈夫かしら?」
「いいね、それを頼もう。グラスは2つで」
「かしこまりました」
着物姿の店員がいったん下がり、頼んだお酒と先付け前菜を並べてくれる。
グラスはフルートではなくて、丸みを帯びたグラスだ。注がれると、きめ細やかな泡が綺麗。
お食事もお皿も、見た目も美して丁寧。素材やお出汁の味のバランスが良くて上品な味だ。
うん。この後のお料理も期待大!
思わず、美味しい〜と頬を押さえて悶えていたら、向い側からクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。
「さて、自己紹介といこうか?」
そうだった。
まだ翔の素性、殆ど知らなかった。
生まれ育ちが良さそうで、エスコートにも慣れた、いわゆる育ちの良い上流階級の男性っぽいから、下手な事はしないだろうとあんまり警戒もせずついてきてしまったけど。
確かに、First name以外のことは何も知らなかった。
今更ながらに、自分の迂闊さにヒヤリとする。
でも、彼は私の事を、多分それなりに調べたのよね?
「会社まで来たんだもの。もう、知っているんでしょう?」
「君の言葉で聞きたいんだ」
少し拗ねたように答えれば、ニコリと笑って返された。
そういう事なら、公平に行きましょう。
「じゃあ、交互に同じ内容を話していくのは、どうかしら」
「いいね。俺は、葛西 翔 30歳。総合商社の支社で専務をしている」
「水森 沙弥香、27歳。外資のIT企業でホワイトハッカーをやってる」
「すごいね。どこで学んだんだい?」
「学士も修士もMITで。あなたは?」
「君は本当に優秀だな。俺は、学士は東大。MBAは、LBSで取得した」
「イギリスの名門じゃない」
「以前、3年くらいロンドン支社に勤務していたんだ。向こうに滞在している時にパートタイムで取得した」
「そうなのね。私はアメリカ生まれなの。両親も家族も日本人だけど、実家はサンノゼだから、日本には蓮と結婚してから来たわ」
「君の瞳の色や髪の色は、日本人離れしているね?」
「母がドイツ系アメリカ人と日本人のミックスだからかな? でも両親とも日本生まれの日本育ち。父が企業して、アメリカに移住したらしいわ」
「へえ。二番目の兄夫婦が、半年前までアメリカにいたよ。NYだけどね」
「ご兄弟は何人なの?」
「男ばっかり3人だね。俺は末っ子」
「末っ子って、意外だわ。面倒見が良さそうなのに。うちは2歳下に弟が1人よ」
「長女か。しっかり者だね?」
「どうかしら? 自分じゃわからないわ。それにしても、本当にどれも美味しいわ。ありがとう」
なんとなく、現職や学歴、家族など、自分達のルーツについて話ながら、食事もお酒もすすむ。
椀物のカニ料理に次いでお刺身も絶品で、本当に海鮮が美味しいお店なんだと、連れてきてくれた翔に感謝した。
「お気に召したようで、良かった。気持ちいい食べっぷりだね」
彼も機嫌良さそうに、微笑んでいる。
「美味しいものは好きよ。お酒もね」
「最初に会った時、強い酒を飲んでも、ケロッとしてたから、驚いたよ」
「あなたもじゃない。でも、気兼ねなく飲めるのは、嬉しいわ」
私は周囲にザルとかワクとか言われるレベルでお酒を飲むし、好きだ。
だから、相手も同じように飲めると、変な遠慮とか気遣いをせずに、気持ちよく飲めるのが嬉しい。
「休日は何をしているんだい?」
変わった話題に、頭に思い浮かんだまま口にする。
「料理かな? 平日の分も作り置きして冷凍しておくの。食べるのも作るのも好きで。後はバレエを少し」
日本人である両親が、アメリカ在住だったからこそか? とにかく家では、母が日本の家庭料理ばっかり作っていた。私と弟の舌は、母の味で育ってきている。
栄養的にもバランスが良いし、料理する過程はストレス解消にもなって、一人暮らしを始めてからも、結婚後も、キッチンに立つのは好きだ。
バレエは、小さな頃からなんとなく続けていて、今も週に1、2度はスタジオに行くし、家でもストレッチは続けている。
「へえ。今度ご馳走して欲しいな。バレエか。だから姿勢がいいのか」
「ありがとう。料理は家庭の味だから、あなたみたいなグルメな舌には合わないと思うわよ。翔の休日は?」
「休日はあまり無いけど、車を運転するのは好きだから、時間があれば走らせに行くかな。あとは筋トレ。部屋にマシンを置いてる」
「すごいわ。私東京の道は苦手」
「ハハッ。君はエンジニアだから、運転は得意だと思ってた」
「え? そこ、まったく関係ないわよね? それに田舎道なら大丈夫」
「ハハハ……なら、明日、ドライブでもどう? 天気が良さそうだし、紅葉が綺麗なところに」
「いいわね。お弁当でも作ろうかしら」
自然な感じで誘われて、紅葉を見にドライブ、に釣られて、つい軽く返事してしまった。
でも、楽しそう。数日いいお天気が続くみたいだし、翔と過ごす時間は、結構心地がいい。
忙しい彼の休日を1日使ってしまうことになるけど、彼も嬉しそうだし、いいんじゃないかな?
それから、見頃の紅葉の観光地を検索したり、ルートを検索したりしながら、残りのお料理も満喫した。
最後のお茶と甘味が出された頃には、もう9時30分になっていた。
「あっという間だったな。今日はもうこのまま君の家まで送ろう。明日、9時半頃迎えに行くよ」
「ええ。待ってるわ。本当に美味しかった。
あ、この間ホテル代払わせちゃったから、ここの食事代、私持とうか?」
恋人でも婚約者でもない翔に、一方的に負担させるのも気が引けて、プライドを傷つけないといいなと思いつつも、申し出てみる。
「は? いや。気持ちだけ受け取っておく。今日は突然押しかけちゃったし。明日の弁当に期待しておくよ」
「そう? じゃあご馳走様でした。どうもありがとう。
お弁当は、期待値高くするのやめて〜。ここと比べないでよ? 普通のお弁当だからね?」
翔には、考えてもみなかったと言う感じで驚かれたので、素直にお会計はお願いした。
あと、お弁当に関しては、期待しないように釘を刺しておく。
今から買い物にも行けないし。
彩りについては二の次で。
それでも冷蔵庫の在庫を考えながら、確かに明日を楽しみにしている自分がいた。