Sayaka 金曜日の再会
『 』内は英語でのやり取り
「 」内は日本語でのやり取りです
『サヤカ、営業からヘルプの依頼が来てる』
社内システムの監視を、セキュリティ管理部門のPCと同期させて確認していると、うちのGM(General Manager)から声を掛けられた。
受話器を片手に持っている。
『営業から? 何の話かしら』
『君のチームが開発して、うちで運用しているセキュリティのスクラッチシステム、あれパッケージ化して売りに出しただろ? 早速客から問い合わせ来たから、手伝って欲しいってさ』
『それならリアムに行ってもらえる? 彼がサブで進めてきたから大丈夫だと思う』
『いや、無理。相手は日本企業だ。日本語話者を希望している。サヤカが良い』
『う〜ん、営業は誰かしら?』
『タイチだ』
『仕方ないわね。とりあえず話を聞いてみるわ』
今まさに確認しているこのシステムのことだ。
うちで開発、運用しているこのシステムは、企業のセキュリティ対策としてなかなか優秀で、我が社はこれをパッケージ化して他社にも売り込むつもりらしい。
以前のシステムもまずまずだったけれど、ハッカーによる攻撃の技術は常に進化している。
今回は改良じゃなくて、別システムを開発して入れ替えて、導入した。今のところ、順調に運用出来てるし、評判も良い。
早速、他社から問い合わせが来ているのだろう。
GMに答えて、営業からの通話をデスクの電話に回してもらった。
私が現在勤務している会社は、シリコンバレーに本社を置く、IT大手企業の東京支社だ。
働いているのは、日本人が3割、その他の外国人が7割で、社内公用語は英語だった。日本法人化している訳ではないので、当たり前だけれど。
それでも、日本人どうし二人で話をする時は、互いに日本語を使う。
電話の相手は、我が社の営業でも優秀な営業成績を誇る 瀬川 太一だった。
「瀬川さん? 水森ですけど」
日本語だと思わずFamily nameで呼んでしまう。
アメリカで育って、国籍もアメリカを選択したけれど、私の実家も夫も、家族は皆日本人だ。日本の習慣も身に付いている。
「沙弥香さん、久し振りです。今、時間大丈夫? ちょっと相談があるんだけど」
でも、瀬川さんは日本語で会話していても、いつも私をFirst nameで呼ぶ。それが不思議と、ちょっとだけ苦手だった。
会話に敬語は使わない。彼の方がいくつか年が上だけど、部署が違うし、同じManagerなので立場は変わらないし、ここは社内だから。
「ええ、GMから聞きました。ミーティングルーム、どこか空いていたかしら?」
「Cを押さえておく」
「わかった。10分後に行きますね」
時間きっちりにミーティングルームに入ると、瀬川さんはもうすでに来ていて、机の上でPCを起動させ、紙の資料も並べてあった。
入室してきた私を見て、彼はにっこりと笑う。清潔感のある爽やかなイケメンだ。私も軽く頭を下げる。
私が隣に座り、PC画面を開くのを待って、彼はすぐに状況の説明に入った。
「…………そんな訳で、昨日K社から話を聞きたいと連絡があって」
その後いくつかのやり取りを経て、状況を把握した私は、肝心な点を尋ねる。
「プレゼンはいつなの?」
「来週の金曜。それまでに仕様書と価格、作業行程の目安を準備する必要があるから、今回相談にきた」
頭の中で彼のスケジュールを想像して、気になる点を伝えておくことにする。多分瀬川さんにとっても予想の範疇かもしれないけど、時間があまり無いので、思い込みによるすれ違いは危険だ。効率良く進めたい。
「わかりました。大枠の仕様書はこちらで月曜までに準備しておきます。
内容と価格は、相手の社内システムの脆弱性診断をツールだけかコンサル併用か。あとシステム導入後はうちの監視化に入ると思うけど、社内教育は必要だと思う。定期的なメンテナンスや維持についても、ある程度相手の要望とかも聞いて、上部と相談した方が良いわね。
作業行程は、参考資料として社のシステムを入れたときのものを送っておくので、うちのGMにチームのスケジュールと併せて、確認してもらえるかしら?
当日は、技術的な部分を説明すれば良いのよね?」
「うん、そうなる。ありがとう。よろしく頼む……あの」
彼の視線が、私の手元に向く。話し合い内容の議事入力は、ミーティングと同時に終了している。
「他に何かあるかしら?」
「いや。ただ……」
瀬川さんが言い辛そうに、言葉を切る。
「?」
続きを促すように首を傾げると、真剣な表情で顔をのぞき込まれた。
「沙弥香さん、最近、何かあった?」
「? 特には」
不意に近づいた距離に、思わず身体を引いて答えたけど、別にこれ以上瀬川さんに言うような事は、他にないと思う。
「そう。ごめん。なんか様子がいつもと違うかな?って」
彼は姿勢を戻すと、複雑な表情でそう言った。
それに私が答える必要はない。
私は形ばかりの笑みを浮かべると、退室の挨拶だけしてその場を後にした。
それから向かったのは、セキュリティ管理室だ。
実際にシステムを動かして、ネットワークやエンドポイントの監視と対応をしている部署になる。
変則勤務の部署なので、私もたまにヘルプで入る事がある。
部屋に入るなり、そこを統括しているウィルの目の前に立って、声を掛ける。
私より10歳くらい上の、派手な色のシャツで勤務するアメリカ人だ。
『ハイ、ウィル』
ヘッドホンをしてPCに向かっていたウィルが、顔を上げて、耳からヘッドホンを外す。
『やあ、サヤカ。どうした?』
『セキュリティシステムの様子を聞きに来たの。時間はある?』
『ああ、大丈夫。
君達の作ったこのシステム、めちゃくちゃいいよ。
今時、ランサムウェアやマルチウェアの感染は、いくら教育してもゼロにはならないからね。感染を前提に、いかに早く適切な対応が取れるかを重視したほうがいい。
そういう意味では、これは検知までの時間が早いのと、自動通信遮断機能も、非常に有効だと思うよ。今のところ、被害が最小限に抑えられていると思う。
あとこのウィルス対策ソフトは、ヒューリスティック機能も良い仕事してる。
あ、ログ分析とインシデントレポートは、これ。必要かい? 送ろうか?
ヒューリスティック機能の誤検出のデーターも含めたよ』
一言尋ねただけで、聞きたいことは全て教えてくれた。インシデントレポートも送ってもらうことにする。
『助かるわ、ありがとう』
『いや、こっちこそ助かってる。これのお陰で楽になったよ』
ウィルの話を聞いて私は自分のデスクに戻ると、早速頼まれた仕様書を提出用に変更していく。
『サヤカ、珍しいわね。今日は残業?』
『ちょっと急な仕事なの。アビー今日はごめん。また来週ね、お疲れ』
そういう訳で、午後からは急な仕事の依頼と準備で残業が決定して、GMの秘書であり友人のアビーと帰りに1杯飲みにパブに寄る予定が、キャンセルになってしまった。
結局、定時を1時間ほど過ぎての退社だった。
午後7時過ぎ、外は当然ながらすっかり日が暮れていた。11月も半ばに入って、今晩はかなり冷える。
冬が近いからかも知れない。
外に出た瞬間、寒さに思わず身を竦ませると、不意に先週末の夜を思い出した。
今日は金曜日。
忙しくしていて、日中は考える暇もないけれど、そういえばあれから1週間が過ぎたのね。
あの日の夜のお陰で、その翌朝、私は蓮との結婚指輪を外した。
切ない想いとセンセーショナルな記憶が混在する、複雑な朝だった。
「沙弥香」
不意に、あの晩私を呼んだ翔の声が聞こえたような気がして、私はその幻聴を振り払うように頭を振った。
上着の前合わせを握って、帰り道へと足を踏み出す。
「沙弥香、待って」
不意に目の前に大きな影が現れる。
ハッとして、思わず顔を上げた。
「翔?」
仕立てのいい三つ揃えのスーツを品良くモデルの様に着こなした、背の高い端整な顔立ちの男性が、目の前に立っている。
低めの穏やかな心地のいい声。
微かに感じるシトラスとムスクの香り。
「随分と探したよ、沙弥香」
幻聴じゃなくて、現実だった。
なんとなく思い出していた彼が突然現れて、呆けると同時に、あの夜の艶めかしい諸々の記憶が鮮明に蘇ってきて、顔が熱くなる。
「え? ど、ど、ど、どうして?」
思わず吃りながら答えた私を見て、翔が吹き出した。
「びっくりして飛び上がった猫みたいだ。可愛い」
「え? 待って、なんで?」
混乱した私は、まともな日本語で話すことも出来ていない。
「だから、名前と容姿を頼りに、いろいろと伝手を使って、凄く探した。なんで、連絡をくれなかった?」
「え、そんな、だって……」
頭が追いつかず、アワアワと慌ててしまう。
翔は軽く肩を竦めると、私の手を取って、スタスタと歩き出した。
「まあ、いい。ここは冷えるから、取り敢えず行こう。車を待たせてある」
「待って。行くって、どこに?」
手を引かれながら、近くに停車してある車の方へと歩いていく。
「夕食に付き合って? これからだろう?」
「それはそうだけど……」
「店に向かいながら話そう。行くよ?」
車の停車位置に着くと運転手が出てきて、後部座席のドアを開ける。翔は流れるようにエスコートして、私は断る間もなく運転手付きの高級車に乗せられてしまった。
後部座席に並んで座り、車が静かに動き出すと、私はやっと少し落ち着いて、彼の横顔を見た。
「……驚いた」
「だろうね。連絡をくれなかった、意趣返し」
翔はイタズラっぽく口角を上げて、悪びれずに答えた。
「だって、あの晩だけの関係だと」
「今度は昼間に会いたいと、メモしたはずだけど。連絡を待ってるとも」
「社交辞令かな?と思っていて」
「俺も、君がそう思ってるんじゃないかと、途中で気がついて。必死で探した」
だって、まさかあの流れで、本気で再会を望んでいるなんて思わなかったし、初対面であんな大胆な事をしてしまった私は、気まず過ぎてもう一度会おうなんて思ってもいなかったのだ。
「ごめんなさい。その、お手数かけて」
必死で探してくれたなんて。
メモを捨ててしまい、お礼の連絡もしなかったなんて、申し訳なかったと今なら思う。
「いや。無事に会えたから、いい。でも、携帯出して。連絡先、教えて?」
「あの……」
でも、行きずりの女にそれはちょっとやり過ぎじゃないだろうか?
「イヤ?」
「イヤじゃ無いけど、あなたはいいの?」
「いいも何も。君に会いたかったから、来たんだ。沙弥香、君とちゃんと付き合いたいと思って」
「付き合う?」
「言っとくけど、友人としてでは、無いからね? 言っただろう? 君が、彼を、忘れられるように手伝うって」
「それって、あの夜の為の口実じゃ……」
なんだか微妙に噛み合わない。
翔は項垂れて大きくため息をつくと、私の方を向いて、顔を上げた。
「はあ、やっぱりそうなるか……言い方を変えよう。君が亡くなったご主人を忘れられたら、今度は俺のことを好きになってもらえるように、君の側にいたい」
両手を取られ、真剣な表情で告げられる。
真っ直ぐな視線に、ドキリと大きく心臓が波打った。でも、こんな素敵な男性に、恋人がいないなんてことあるかしら? いくら未亡人の私でも、セフレとかはちょっと遠慮したいし、愛人とかそういうのは無理だ。
私は不思議に思って、首を傾げる。
「あなたには、その……パートナーはいないの?」
「いたら、君を探したり、会いに来たりしない」
即座に否定された。ああ、今は妻や恋人はいないのね。
でも……
「私達、お互いの事、何も知らないわ」
「ああ。だから、これから知っていけばいいだろう?」
う〜ん……でも、このまま流されるように付き合うとかは、ちょっと違う気がする。
それに、彼の気持ちが……彼が私のことをどう思っていて、どうなりたいのかも、よくわからない。
翔は私に、好き、とは一言も言っていないのだから。
一方的に私の気持ちが欲しいと言われても、困ってしまう。
「連絡先は、構わないわ。でも、付き合うとかは、今は無理。私はまだ、誰かと、恋を始めるような気持ちにはなれなくて」
「…………わかった。でも、時間が合う時に、食事や、デートに誘うのは構わないか?」
そう問われて、考える。
彼と過ごす時間が嫌なわけじゃない。
よくわからないまま、流されるのが嫌なだけだ。
「そうね。それくらいなら」
頷いた私に、彼は安堵したように笑った。
「わかった。君の気持ちが落ち着くまで、行儀良くすると約束する」
お互いの連絡先を交換したところで、タイミングを図ったように、車は目的地に到着した。