Sho 彼女の正体
土曜の午前中に急なトラブルに見舞われ、土日がほぼ潰れての週明けとなり、今日は既に火曜だった。
月曜にはなんとか問題は無事に解決したし、顧客への影響も殆ど無かった。
その後はいつもと変らなく、業務は流れている。
だが、落ち着かない。
沙弥香からの連絡が、一切無いのだ。
プライベートの電話への着信はもちろん、メッセージアプリに彼女の連絡先は登録すらされてこない。
こちらが想像していたよりも、警戒されているか?或いは、本当にワンナイトだと思われているか?
いや、まだ3日目だと思う気持ちと、もう3日も経ったという気持ちが、せめぎ合う。
自慢じゃないがこれまでの経験上、女性からプライベートな連絡先を欲しいと言われたことは山程あって、幾人かだけに渡したそれが使われなかった事など、全くない。
つまり、連絡が無かったことなど、経験したことがないのだ。
だから、彼女の連絡先など知らなくても連絡はつくだろう、と高を括っていた。
やはりあの朝、無理矢理にでも起こして、必ず連絡しろと言って聞かせるべきだったか?
或いは、個人携帯の番号を聞き出すべきだったか?
免許証の情報だけでは、電話すら出来ない。知れたのは、氏名と住所と、生年月日だけだ。
これはやはり、保険をかけると思って命じた彼女についての調査結果を待つべきか?
しかし、無断で免許証を見た上に、人物身上調査まで行ったと知られたら、マズイ気もする。コンタクトを取るにしても、自然に見えるように慎重に振る舞わなければならないだろう。
俺は、傍らでパソコンに向かっている秘書である男に、声を掛ける。
2歳上の頼りになるベテラン秘書だ。会社の業務だけでなく、一部プライベートの部分までフォローしてくれている。
「五道」
「はい、専務」
「土曜に頼んでいた調査結果はいつ上がってくる?」
「今日中には来ると思いますが、急がせますか?」
「いや。今日中ならそのまま待つ。ああ、今週金曜は、定時退社したいのだが、業務調整を頼んでいいか?」
「かしこまりました」
「あと、週末の予定はどうなっている?」
「今週は今のところ、土曜はお休みいただける予定ですが、日曜は夜のフライトでドバイですね」
先週金曜は法要だからと午後を休んだが、週末はずっと仕事に追われ、土日月曜は遅くまで残業だった。
今週末が1日でも休みになるのは、ありがたい。
この機会に、沙弥香を捕まえに行きたいところだ。
彼女に忘れられないうちに。
前を向くことを決めた彼女に、余計な虫が付かないうちに。
五道がその彼女の調査結果を持って来たのは、午後3時を回ったところだった。
俺は早速それに目を通す。
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水森(旧姓:藤堂) 沙弥香 : SAYAKA MIZUMORI
19☓☓年5月12日生 27歳
アメリカ国籍 日本の永住権取得済み
現在、G社東京支社勤務 セキュリティ部門所属 IT技術者 ホワイトハッカー (推定年収:1,800万円)
家族構成
配偶者: 水森 蓮(故人 享年29歳) 元S建設 都市計画部門勤務
生家
父: 藤堂 大輝 56歳 (SAK.Co CEO)
母: 藤堂 マリア 由依 52歳 (ジュエルデザイナー)
弟: 藤堂 一樹 25歳 (SAK.Co 勤務)
出生地サンノゼ。成人の際、米国籍選択。21歳まで、米国在住。父親はシリコンバレーで起業し、IT業界で成功。母親は、日米ハーフで、ジュエルデザイナーとして活躍している。
20歳で飛び級にてMIT学士過程を卒業後、フリーランスで就業しながら、パートタイムで修士課程に進学。
在学中に開発したアプリの特許権保持リストは別記。
当時、同大学の博士課程に留学中の水森氏と知り合い、約1年の交際期間を経て、20☓☓年に結婚。
結婚と同時に水森氏と来日し、配偶者ビザ取得。
交通事故で故人となった水森氏と死別後は、特定技能2号ビザにて就業継続し、もともと日本国籍保持者だった為、特例措置にて本年9月に永住権取得。
特許権保持リスト
………………
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なんていうか、予想外の経歴に思わずため息がこぼれる。
純粋な日本人ではないと思っていたが、クオーターだ。しかも、生まれ育ちがアメリカの為、名前もルーツも日本人なのに、日本国籍ですら無かった。
さらに、IT関連では世界一の大学出身で、数々の特許を持ち、大手外資系IT会社の日本支社で勤務していると言う。就労所得の他に、特許による収入も加えれば、記載されていた推定年収を大きく上回るのだろう。
生家は会社経営。
どことなく、普通の女性ではないと感じていたが、妙にしっくりときた……いわゆる、ハイソサエティに属する人物だ。
確かに、彼女と出会った高級なオーセンティックバーでも浮くことなく、外資のラグジュアリーホテルに物怖じする様子もなく、常に自然で上品な振る舞いで、全く違和感というか気になるところが無かった。
俺に対しても、変に意識したり構えたりすることなく、当たり前に自然な態度だった。
多分、彼女に好感が持てたのもそういうところだと思う。
俺も、彼女と似たような環境にある。だからこそ、全く経歴を知らなかったにも関わらず、なんとなく惹かれたのかも知れない。
そして、バックグラウンドが明らかになったことで、彼女のこれまでの努力と才能に対して、より尊敬と共感を感じている。
「…………参った」
本当にいい女だ。
「どうされました?」
「俺が結婚したいと思ってる女。見てみろ」
俺は不思議そうにしている五道に、調査結果を手渡した。
「結婚? やっと決心したんですか?」
今まで俺が結婚する気もなく、見合いを蹴りまくっている事を良く知る五道が、受け取った用紙に目を通していく。
「……はあ、すごいですね」
「だろう? 想像以上だ」
「いったい、いつどうやって知り合ったんです?」
「将生の一周忌の会場で見かけて、その晩偶然にバーで出会った。で、俺から誘って、そのまま一泊。俺は早朝に出なきゃいけなかったから、残しては来たが」
「はあ……専務から女性を誘うなんて、天変地異の前触れかと思いますが……先方はそんな事情は知らないでしょうし、一般的には完全に遊びだと思われますよね」
確かに今まで、同時進行こそ無いが、来るもの拒まず去るもの追わずという割と浅めの付き合いを続けてきた俺が、誰かに入れ込んで結婚まで考えるのは、初めてのことだ。
「ホテルはセフォラを使ったし、大事にしたし、俺のプライベートの連絡先を書いたメモも残してきたぞ?」
「どうであろうが、状況的には、絶対に本気にはされません」
五道のもっともな意見に、肩を落とす。
「まあ、予想はしてた。外れて欲しかったがな。仕方ないから、父にも言って、本腰入れて追い込むか」
「本気ですか?」
目を瞠った五道に、俺の本気が疑われているようで若干イラッとしたが、表情には出さず指示を出す。
「もちろん。そんな訳で、会長にアポ取ってくれ。あと、金曜の彼女の勤務状況調査出来るか?」
「かしこまりました。でも、彼女に関しては、難しいですね。時間がありません。伝手を当たってみますが期待はしないで下さい」
「……仕方ないな、押しかけてみるか。
ああ、G社にセキュリティ関連のシステム商品を検討するからと営業を呼ぶのはどうだ? 詳細の説明にエンジニアつけて。ちょうど検討を始めるようなことを言ってなかったか?」
「更新時期に合わせて、入れ替えを検討するかどうかですね? ですが、彼女が来るとは限りませんよ? そもそもセキュリティ商品の開発部門にいるのか、セキュリティ管理部門にいるのかもわからないですよね? そして、そんな急には先方も準備出来ないでしょう」
「もちろんそっちは急がない。
言いたいことはわかるが、アプリ開発で特許持ってる人間に管理をやらせるか? もちろんピンポイントで彼女が来るとは思ってはいないが、話は聞けるかもしれん」
「……関係部門のトップに明朝声を掛けてみます」
まあ、セキュリティシステムに関しては、何社か声をかけての競合だ。商品が良ければ、予算次第で充分採用の余地もある。
沙弥香の仕事を垣間見るチャンスがあればいいと思う程度なので、採用までは期待していないが。
それよりも、確実に捕まえる手段を考えなければ。
会長=父は、意外とすぐにアポが取れた。
といっても、俺が本社まで行って、父と一緒に退社して、そのまま実家に寄れとのお達しだ。
俺は、大手総合商社の経営者一族の本家の生まれで、父はそこの会長を務めている。
兄弟は、35と33になる兄が二人と俺の三人で、兄二人は既に結婚して、後継の長男が両親と一緒に実家、といっても離れだが……に住んでいるため、俺は滅多に実家に帰ることはない。次兄夫婦は、アメリカ支社からイギリス支社へと最近移動したばかりだ。
そもそも皆忙しい。
今日は定時を1時間ほど過ぎた頃なら、会長の帰宅に合わせて時間が取れるからと、合流して実家で夕食を取ることになった。
俺は、本社に近い都内にある支社の専務を任されてはいるが、ロンドン支社に3年いた頃にLBSでMBAを取得し、日本帰国後にこのポジションに就き、2年目になる。まだまだ家族内ではキャリア不足の若造扱いだが、それでも実績はそこそこ出してきた。
最近は、いい加減に結婚したらどうだとも言われていたので、タイミング的にはちょうどいい。
実家の車が回されて来たので、本社に向かい、父と合流する。
乗り込んできた父は、前置きなく本題に入った。
「五道から聞いた。結婚したい女性が出来たから、相談したいと」
「ええ。彼女です」
挨拶もなくいきなりの話題に、俺は苦笑して調査結果を差し出した。
「全く、そういう相談ならアポなど取らずに家に帰ってくればいいだろう?
…………ほう。藤堂くんのところのお嬢さんか。結婚して日本に来たのは知っていたが、そうか、ご主人は亡くなっていたんだな」
驚いたことに、父は彼女を知っていたらしい。
しかも、父親だけでなく彼女自身を。
「ご存知でしたか?」
「ああ。藤堂くんとは昔からの友人だからね。彼の自慢の娘で、実際とても優秀なお嬢さんだ。
ここ4年程、藤堂くんとも会ってはいなかったから、近況は知らなかったが。
しかし、お前が彼女と知り合っているとは驚いた」
父が探るように俺を見た。
まあ、そうだろうな。こっちもかなり驚いているが、知り合った経緯を正直に話す事は憚られる。
「残念ながら、まだほんの知り合い程度でして。なんとか捕まえたいと思っているのですが」
「見合いでも設定して欲しいのか?」
面白そうに口角を上げた父に、俺は、首を横に振る。
「当面は自力で頑張りますよ。お願いしたいのは、俺宛に来ている見合いの差し止めと、邪魔をしてくる者達を近づけないようにして欲しい位ですかね」
「まあ、いいだろう。精々頑張りなさい。ああ、見込みありそうだったら、知らせてくれ。藤堂くんに挨拶しなければならないからね」
父はどことなく楽しそうにそう言うと、この話はここまでとばかりに話題を変えた。