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11/20

Sayaka 自覚

 プレゼン翌週の金曜日、メンバーはちょっと高級な居酒屋にいた。

 高級っていうのは、お酒のラインナップが結構いいらしいのと、お料理もそこそこ美味しい、らしい。でも気楽な雰囲気で楽しめるのが良い、と。

 これは林くん情報。今日は彼がお店を予約してくれていた。


「では、K社からの受注、無事に取れたことを祝って、乾杯」


 林くんの音頭で、皆が手にしたのは、白穂乃香っていうビール。グラスを合わせて、一口飲む。まろやかで飲みやすい!

 味わったところで、名取さんが小さく拍手して、祝福した。


「瀬川くん、おめでとう」


 瀬川さんも嬉しそうだ。


「いや、本当に皆さんのお陰です。名取さんも、林も、そしてもちろん開発者の沙弥香さんも、ありがとう」


「先輩、今回は本当に勉強させてもらいました。いや、ホント、すごい大きな仕事ですもんね。相手の専務まで出てきたのも納得ですよ」


「そうなの?」


 林くんの台詞に、私は首を傾げる。

 実は、どのくらいの規模の発注なのかは、あまり詳しく知らなかったのだ。

 瀬川さんは、私の疑問に答えてくれるように、口を開いた。


「K社は、支社とは言っても、部門別に社屋が分かれている感じなんだ。今回の客先である支社は、ICTと金融部門を担っているから、結局グループ全体のICT事業として、うちのセキュリティシステムを取り入れることになる」


 名取さんが、それを聞いて驚きの声を上げた。


「それで、あの金額だったのね。瀬川くん、すごいわ!」


「…………」


 K社のグループ全体? 財閥系の総合商社全体の規模?

 いや、翔ってば、もう少しちゃんと教えていてくれても……


「沙弥香さん、どうしたの?」


「いえ、まさか、そんな規模の発注だと思っていなくて。一体どれくらい前から営業かけてたの?」


 さすがに、ここ数週間で決まったわけでは無さそうだ。

 すると瀬川さんがにこやかに答えた。


「パッケージ化してすぐだね。K社にコンタクト取って、地道に宣伝してた。システム部の柏木部長からは結構好感触で、葛西専務から打診された時にこのシステムを推してくれたらしい。そうしたら彼も知っていたらしくて、そこからは早かったな。

 沙弥香さんは根っからのエンジニアだから、今回仕様の説明を補完してもらおうと思ったんだけど、例の攻撃のバタバタで、打ち合わせする間も無かったから、今回丸投げだったね、ごめん。

 でも、君が作ったシステムが評価されて、売れたんだ。嬉しいよ。

 それにプレゼンも素晴らしかった」


「そうよ。水森さんのプレゼン、素人の私でも分かりやすかったもの」


 二人がかりで褒められて、ちょっと照れてしまう。


「ありがとう」


「ホント、先輩何度も言ってましたよ。こんな素晴らしいシステムなんだから、絶対売れる。売れなきゃ俺たちが無能なんだって」


 林君まで加勢してくれて、そこまで言ってもらえるなんて、エンジニア冥利に尽きるなあなんて思っていたら、名取さんが、そういえば、と瀬川さんを見た。


「瀬川くんって、もともとSEだったって?」


「ええ。でも、才能があったわけじゃないので、こっちに転向したんですよ。結果、営業に向いていました。お陰で、製品については理解が深いので、自信を持って売れますよ」


「そうだったのね」


 それで、話が通じやすかったんだ、と今更ながらに知った事実に納得していると、瀬川さんは私を見て切り出した。


「実は…………沙弥香さんのことも、7年くらい前からずっと知っていたんだ。君が初めて特許を取ったアプリに感動して、いろいろ調べて。君の論文も読破しているし、その後開発したアプリもひと通り試したし、コアなファンだって、自信を持ってるけど」


「ええっ! 初耳!」


「名取さん、俺もです。先輩が水森さんのシステムを熱く語っていたのは、そういうことだったんですね!」


 私が何も言えずに目を丸くしていると、名取さんと林くんが驚きの声を上げた。

 それに少し気不味げな表情をして、瀬川さんが窺うような視線で尋ねる。


「まあ、そういうことなんだけど。ごめん。引いた?」


「……ううん、驚いただけ。ありがとう」


 引いた、というより、純粋に驚いた。

 なんとなく、今までの彼の言動のルーツがちょっとはっきりしたというか。


「まさか同じ職場になるなんて、最初知った時は驚いたし、信じられなかった。そもそも君が日本で働くとは思ってなかったからさ。

 それに、藤堂じゃなかっただろ? 結婚したって聞いて事情を知って、あんまり接点のない男にいきなりファンですって言われても困ると思って。でも、君が開発するシステムとか、ハッカー対応がやっぱり凄くて……」


 これまでの距離を詰めたげというか、First nameで呼ぶ理由もわかった気がした。

 勝手にちょっと苦手意識を持ってしまっていたけど、そんな風に思ってくれていたなんて、悪かったなと思う。


「瀬川くんって、健気なイケメンだったのね。おばちゃん感動したわ」


「え? もしかして、今日俺達、ダシにされました?」


「あら、今日はお祝いなんだから、それもいいんじゃない?」


 にしても、名取さんと林くんはからかい過ぎ。


「その微妙に私が困る振り方、やめてもらえます?」


 そう言うと、瀬川さんは苦笑して話題を変えた。


「それよりも、林。お前はもっとシステムの勉強をしろ! 自分が売り込む製品を良く知るんだ」


「う……はい、精進します」


 それからは、今回の仕事を受けるまでの林くんの苦労話とか、名取さんの総務でのいろいろな話を聞いたりして、打ち上げはいい雰囲気のままお開きになった。




 帰り道、林くんと名取さんは別駅利用なので店の前で別れ、瀬川さんと私は、同じ駅の線違いなので、並んで歩く。


「沙弥香さん、せめて最寄りの駅まで送らせてもらえるかな? もう少し、君と話したくて」


 駅にはすぐに着いたけど、瀬川さんが名残惜しそうに言う。


「瀬川さん……」


「駄目かな?」


 遠回りになるから、と言いかけて、でも、どこか困ったように甘えるように私を見る目に、なんとなく翔を思い出した。

 普段肩で風を切っているような男性から、こんな風に言われたら、ちょっと断れない。

 ファンだと言ってくれた彼に、絆された感もある。


「瀬川さんって、末っ子?」


「え? 姉が一人だけど」


「なるほど。いいですよ、行きましょうか?」


 弟属性なわけね、と小さく笑って並んで歩き出す。

 まもなく来た電車は結構空いていて、人がまばらな座席に二人で並んで座った。


「しばらく前から、気になっていたんだ。その、指輪、外したよね?」


「……そうね」


 瀬川さんが私の左手をチラリと見る。


「ご主人のこと、気持ちの整理がついたの?」


「……ついたというか。

 彼の御両親に、もう前を向きなさいって、言われたの。そうしたら、強引に手を引いてくれる人に出会って、少しずつね、時間が進み始めた感じ」


「ご主人を、忘れられそう?」


 私は首を横に振る。

 それだけは、きっとない。


「忘れないわ。あの人は最愛の人だった。私の中には、きっとどういう形であれ、あの人がいる。時間はもう絶対に戻らないから、それが少しずつ変化していくだけ」


 瀬川さんは小さな声で、そっか、と呟くと、私を見て真剣な表情を浮かべた。


「今の君の手を引いてくれるのは、男性? 恋人とか?」


「男性だけど……恋人では、まだ、ないかな」


「俺が、入る隙はない?」


「え?」


 小さな驚きと共に上げた声に、彼は被せるようにして続けた。


「君が好きなんだ。俺にもチャンスが欲しい」


「あの……」


「ずっと、君を想ってた。最初は純粋なファンだったけど、職場で君のことを知るたび、好きになった。だからチャンスが欲しいんだ」


 抑えられた声だけど、逃げられない。聞かなかったことにも出来なくて、でも、私は今、瀬川さんを受け入れることは出来ない。

 恋人ではないけれど、想いを寄せてくれる翔がいる。彼と過ごす時間が心地良くて、何より彼の気持ちを大事にしたかった。

 私は、翔と一緒にいたいのだ。


「でも、私は……」


「まだ決めないで。せめて、その彼と恋人になる前まで、俺にもチャンスをちょうだい? アプローチすることを許して?」


 言いかけた言葉を止められて、そう続けられる。

 でも、そんな中途半端なことをすれば、結局は、翔も、瀬川さんも傷つける。


「ごめんなさい。

 私、多分、彼のことを傷つけたくない。彼は、今すごく忙しくしていて、世界中を飛び回ってる。だから心配かけたくないの。

 それに、ごめんなさい。あなたにもいい加減なことは、したくない」


 はあ、と大きく息をついて、彼はシートの背もたれに寄りかかった。前髪をクシャと掴むようにして額を押さえる。


「そういうところも好きなんだけど……参ったな。

 じゃあ、見守らせて? 君が幸せになれるか。

 もし、君が悲しむようなことが、あったら、今度は俺にもチャンスをちょうだい?」


 今度は横目でこちらを見て言った。


「そんなことは」


 首を横に振ると、瀬川さんはもう一度体ごとこちらに向けて、視線を合わせる。


「俺がしたいの。約束するよ。君が幸せそうなら、きっぱり諦めるから。だから、俺を避けないで?」


「……わかったわ」


 さすが営業マン。

 なんていうか、断る隙を与えないというか、タダでは起きないというか。

 翔が居なかったら、押し切られて付き合うことになっていたかも知れない。


 電車が到着して、私達は席を立つ。

 彼はホームを変えて、反対方向の電車に乗り換えるのだ。


「じゃあ、俺はここまで。また来週」


「ええ、おやすみなさい」


「おやすみ」


 改札の手前まで送ってくれた瀬川さんが、軽く片手を上げて挨拶をくれる。

 いつもと変わらない様子に少しほっとして、私は軽く頭を下げると、背を向けて歩き出した。




 家に帰って、シャワーを浴び、軽くストレッチをしていたら電話が鳴った。

 翔だ。


「打ち上げは、楽しかった?」


 今日はメッセージで、プレゼンに行った4人で打ち上げをするのだと伝えていた。

 すると、この時間に電話するから、寄り道しないで戻ってきて、とお願い?されていたのだ。


「うん。ねえ、翔?」


「うん?」


「聞いたわ、今回は本当に大きい仕事なのね」


「あれ? 知っているかと思った」


 意外そうに言われたところをみると、当たり前のことだった? 翔の会社のことなのに、そういえばあまり調べてなかった。営業が対応しているだろうから、正式に仕事を受けてからでも、と思っていたのだ。


「う……実は、あんまり」


「そうか。いい製品だからね。まあ、でも、ある意味、君らしいというか」


「どういう意味?」


「君は、エンジニアとして、最高の仕事をしているけど、周囲の評価は気にしてない」


「……」


 確かに。評価はあまり気にならない。自分に出来ることを、最大限の目標値に近づけるようにやるだけだ。


「俺はそういうところも、好きだよ?」


「……不意打ち」


「ハハハ、だいぶ沙弥香のことが、わかってきたからね。俺は、どの君も好きだけど」


「もう! わかったから」


「可愛い。照れてる?」


 このままだと翔の可愛いが、止まらなくなる。

 私は強引に話を変えることにした。


「それより、今、どこにいるの?」


「マドリード。こっちは2時半で昼休み」


ロンドン、ブリュッセル、パリ、マドリードまで来たんだ。結構な強行軍だわ。


「Cacao Sampakaの限定品」


 お土産のリクエストだ。一都市に一個ずつ、ちょっとした物をリクエストしている。帰国したら、一緒に楽しめるものを。

 これまでは駅や空港で買えそうな紅茶とか、瓶ビールとか、ワインとかにしてたけど、マドリードは週末を挟みそうなら、ちょっと無理言っても許されるかしら?


「今回はチョコレート? 東京にもあるんじゃ?」


「だから、Cacao Sampakaスペインの限定品。現地にしかないもの」


「なるほど。まあ、明日は少し時間が取れそうだから行ってみるよ。日曜はまた移動だ」


「ちなみに次はどこ?」


「来週前半はフランクフルトとローマ、で最後がトルコ」


「本当に忙しいのね。体調に気をつけて、おみやげと一緒に無事に帰ってきてね?」


「かしこまりました、お姫様」


 クスクスと小さく笑いを漏れてくる。

 やっぱり、翔との時間は癒される。

 彼と一緒にいたい。彼の帰って来る場所は、私のところであって欲しい。


「翔、声を聞けて嬉しかったわ。ありがとう」


「……何か、あった?」


 鋭い彼は、何かを察したかも知れない。


「ううん。大丈夫」


「聞きたいんだけど?」


 優しく促されたけど、電話で話すのは違う気がした。私の気持ちと瀬川さんのことは、彼に出会ってから報告したい。

 それに、遠く離れた今、余計な心配はさせたくなかった。


「次に会った時に話したいわ。待ってる」


 だから、心配しないで。あなたは、あなたの仕事をして、無事に帰ってきて。


 電話の向こうから、五道さんの翔を呼ぶ声が聞こえた。彼とは空港に送っていった時に紹介されている。

 どうやら時間切れのようだ。


「……わかった。じゃあ、ごめん。また連絡する」


「ええ、お仕事頑張って。またね」


 彼と話して、どことなくザワザワしていた気持ちが落ち着いた。


 私は、蓮の写真を手に取る。


 ねえ、蓮。私、翔と、もう一度恋をしてみたいの。

 許してくれる?


 写真の中の蓮の笑顔は変わらない。何も言わない彼が、黙って背中を押してくれた気がした。

ストック切れました。

GW中には、更新再開出来そうです。

次回、5/3の8:00に更新予定。

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