2話
「待っていましたよ。どうぞこちらへ」
ニュクスがサクヤの部屋の扉を開けると、薄手の服を着たサクヤがベッドの上に座っている。先ほどまで来ていた戦闘用巫女装束とは雰囲気が大きく変わり、リラックスモードであることがひしひしと伝わってくる。
「いつもすまねえ。迷惑かけるな」
ニュクスとサクヤの距離が近づく。その距離はゼロ距離まで…。
「まだ緊張しますね。男性に首元に噛み付かれることは」
「体調に悪影響がない吸血量は分かっているつもりだ。そう緊張する必要はないと思うが…。もしかして何か違和感があるのか? だったらもっと吸血量をセーブするが」
「そういう意味で言った訳ではないですよ。貧血などではなく感覚の問題です。もっとも、初めに比べれば大分慣れましたが」
「だったらいいんだが、また懐かしい話を」
月に一度目覚める吸血鬼の本能。しかし、サクヤとの約束により、吸血行為の対象はツキシマサクヤただ一人である。サクヤとニュクスの奇妙な関係。この始まりは7年前にまでさかのぼる。
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~7年前~
「最近絶好調だねサクヤ。それならば今日は少し任務の難易度を上げてみるかい?」
ツキシマサクヤ16歳。ツキシマ家期待のホープの名に恥じない活躍を見せてきた彼女だが、今日の任務は今までとは一線を画すもののようだ。
「今日君に任せたい任務は、最近頻発している奇妙な殺人事件の解決だ。おそらく犯人は人間じゃない。だからこそ僕たちに依頼が来たんだけれどね」
殺人事件という物騒な単語に動揺することなく任務の説明を受けるサクヤ。被害者や現場の状況を聞き、ターゲット像を想像しながら…。
「分かりました。私に任せていただけるのであれば解決して見せます。良い報告をお待ちください、お父様」
「頼もしい返事だね。良い報告を期待しているよ」
カムイとの会話を終え、準備のために自室へと戻る。特注の戦闘用巫女装束に着替え、体と心の準備を整えたころには時刻は20時、任務開始の時間だ。
***
「お父様の話によるとここですね」
家から歩くこと20~30分。足場の悪い道のりに手間取りながらも、サクヤは事件の発生現場である墓地へとたどり着く。カムイの話によると、この場所で連続して不自然な遺体が発見されたとのことだ。死因は全てが失血死で、首筋に特徴的な大きな傷跡があったらしい。警察はカルト宗教の集団自死として強引に処理しているが、あまりにも連続して起きるためこの処理方法にも限界が来た。そのため、こうしてファントムハンターに依頼が来たのだろう。
「首元の傷と失血死という死因…。十中八九、吸血鬼の類の仕業でしょう。以前読んだ本には、吸血により自身の力を強化するタイプと、眷属を増やすために吸血を行うタイプがいると書いてありました。個人戦と集団戦の両方を想定しておかないとですね」
思考を巡らせながら歩みを進めていると、物陰に気配を感じる。一人、いや二人だろうか?
「老人の血液は不味くていけねぇ。やっぱり若い人間じゃねえとな。しかも、女なら最高だぜ」
そこに佇んでいたのは、黒のコートを羽織り、鋭い牙が特徴的な長身の男と、すでに事切れていた70代の男性だった。
(…!? まだ気づかれていないようですね。慎重に近づきましょう)
茂みに隠れ、状況を整理するサクヤ。あの長身の男は本で見た吸血鬼の姿そのもの。今回のターゲットに間違いない。まだ気付かれていない今が絶好のチャンスだ。不意打ちでケリを付けたい彼女は、気配を殺しながら男へと近づいていく。ターゲットはもう目の前。懐に手を忍ばせ、隠し持っていた銀製の短剣の感触を確かめる。
(今です!)
ほんの一瞬の隙をサクヤは見逃さない。吸血鬼の弱点である、銀製の短剣をターゲットの心臓へと突き刺す。
「手ごたえ抜群! 決まった!」
「ぐはっ。まさか人間が隠れていやがったとは…」
短剣はターゲットの心臓にずっぽりと刺さっている。誰が見てもクリーンヒット、致命傷を与えたと思うだろう。しかし…、
「なーんてな。気付いてないわけないだろ。その程度の能力で、生まれてから1,000年負け無しの俺を倒そうってんなら考えが甘いなぁ。それに、そんな純度の銀じゃ俺にダメージを与えるのは不可能だぜ」
ターゲットは短剣を抜き地面へ投げ捨てる。そこから、胸の傷が再生しきるまでに10秒もかからなかった。
「そ、そんな…。でも諦めるわけには!」
驚異的な治癒速度を見ても、戸惑っている暇などない。瞬時に間合いを取り、不測の事態に脳をフル回転させ、策を講じなければ…。
(周囲に眷属らしきものの気配は感じません。自己強化型の吸血鬼ですね。個人戦用の戦略で行きましょう。最適解は、拘束の言霊で動きを止めて急所への攻撃。最終兵器は…、成功率100%の状況まで温存でしょうか。このままだと恐らく使うことになりそうですが…)
数秒で思考をまとめ上げ行動に移す。イレギュラーが起きても動揺せずに最適解を導き出すその姿は、さすがツキシマ家の最高傑作といったところだろうか。
「拘束!」
「ほぅ、言霊か。おもしれぇ技を使うじゃねえか。お前普通の人間じゃねぇな」
言霊により敵の動きが一瞬止まる。その隙に、ターゲットの言葉に耳を貸すことなく、サクヤは先ほど突き刺した短剣を拾い再び心臓へと突き刺す。ただ結果は先ほどと変わらない。
「だから効かねぇって言っただろう。それに、俺だけにかまけてていいのか?」
攻撃を繰り出したサクヤは、背後に何者かの気配を感じる。
「う、うあぁ」
「ゾンビ!? 先ほどまで気配などなかったはずなのに!?」
そこには、先ほどまでは存在しなかったはずの『元』人間たちがズラリと並んでいた。数にして10程度で、容姿に統一性は感じられない。
「だって今産み出したからな。何を勘違いしてたか知らねえが、俺みたいな一流吸血鬼は、人間の血を吸うことで自分の力を高めるだけでなく、吸い殺した人間をゾンビとして使役できるんだぜ」
どうやらターゲットは、サクヤの読んだ本に書いてあるような一般的な吸血鬼とは違うようだ。想定外の場所から現れた、知性を持たない元人間の攻撃を完全によけきることは難しかった。致命傷とまではいかないものの、噛みつき跡の残る左腕が体の危険を主張している。
「良かったな。そいつらには他人をゾンビにする力なんざねえよ。まぁ、力があったとしても若い女なんて上物譲るかよ。それじゃあ美味しくいただくとするかね。もう少しは楽しませてくれるかと思ったんだがな」
遊びモードから捕食モードへと移り変わった吸血鬼は、サクヤの体をつかみ喉元へと牙を近づける。
「拘束!」
しかし、牙が喉元に届こうとした瞬間、サクヤの言霊により吸血鬼の動きが一瞬止まる。その一瞬の間に吸血鬼の拘束をほどき、ゾンビたちの隙間を縫うようにして物陰へと隠れ、一旦間を取る。
「もう小技で逃げることしかできねえか。本当に期待外れだぜ。おいお前ら、あの女を探し出せ。でも絶対に手は出すなよ。あいつは俺の獲物だからな」
獲物を捕り逃した吸血鬼は苛立ちをあらわにしながらゾンビたちに指示を出す。その会話を物陰で聞いているサクヤは、体力を回復させながら反撃のプランを練る。
「こんなこともあろうかと傷薬を持ってきておいてよかった。こうなってしまっては、最終兵器を使うほかありませんね。しかし、このシチュエーションは最終兵器を使うのに最適かもしれません」
自慢の頭脳で吸血鬼への反撃方法を考えるサクヤだが、吸血鬼を拘束できた時間は数十秒&負傷した体で逃げられる距離には限りがあったことから、見つかるまでそう時間はかからない。
「…こんな所にいたのか。だが、その様子じゃもう限界が近そうだな。これで最期だ。…っとせっかくの機会だし、冥途の土産にお前を殺す男の名前を教えてやろう。俺の名前はニュクス、数千年の時を生きる吸血鬼だ」
銀製短刀による単調な攻撃しかできない戦闘能力、ピンチになれば小技で隙を作り逃走しかできない機転の利かなさ、ゾンビの攻撃によりボロボロの状態の肉体。それらの状況からサクヤを舐め切っているニュクスは、サクヤの喉元に口を近づける際に一切の警戒を解いていた。それが命取りになるとも知らずに…。
「あなたが油断してくれる時を待っていました。この距離なら外さない。くらえ、ツキシマ家お手製のシルバーバレットです!」
隠し持っていた拳銃に装填された、純銀製の弾丸シルバーバレット。いくらニュクスといえど、この純度の銀製武器で攻撃されればひとたまりもないだろう。それに、負傷したサクヤでも、ゼロ距離かつ油断しきっているニュクスに当てることは難しいことではない。
「な…に。俺が若い時にはその純度の銀など無かったはず…」
「あなたほどの力があれば自己研鑽しなくなるのも無理はありません。しかし、人間のことをもっと勉強しておくべきだったのではないでしょうか。あなたにとっては1,000年などあっという間かもしれませんが、我々にとっては途方もない時間なのです」
1,000年。この世代を一世代で過ごす吸血鬼と何十世代もかけて過ごす人間では時間の受け取り方も変わる。ましてや圧倒的な力を持つニュクスにおいて、周囲の進化を把握し対策を練るなど行ったことはないだろう。
「なるほど…な。これが負けるっていうことか。それならば命乞いなんて惨めなことはしねえ。一息にやってくれ」
これまでとは一転、サクヤがニュクスを見下ろす形になる。サクヤが調伏させる詠唱を唱えればこの戦闘は終わるだろう。しかし、サクヤがとった行動は予想外のものだった。
「私の望む世界は人間と怪異の共存する世界です。あなたほどの能力者が人間に力を貸してくれれば、そんな世界も夢ではありません。とはいえ、吸血鬼のあなたに一切血を吸うなというのも難儀なことでしょう。人間が死に至るまで血を吸わない、このことを守ってもらえるのであればここは見逃します。どうかあなたの力を人間と怪異、双方のために使ってはもらえませんか?」
『見逃す』。誰が自分を殺そうとした相手にかける言葉だと思うだろうか。ニュクスとて例外なくそう感じることだろう。
「あんた本気か? 自分を殺そうとした相手だぞ。そんな相手を見逃すっていうのか?」
「すべての生き物は変わることができます。それにあなたの治癒速度であれば、軽く反撃する程度の力はもう戻っているはずです。そんな中、私の話を最後まで聞いてくれたあなたの心を私は信じたい」
「…それは買いかぶりすぎだぜ、反撃する力が残っていなかっただけだ。…感謝はしない。俺を調伏させなかったことを後悔するなよ」
完治とまではいかないまでも、問題なく歩行できる程度には回復していたニュクス。そんな彼は、サクヤに背を向けて闇の中へと消えていく。様々な感情を胸に抱きながら…。