プロローグ
今朝、HR前に友達と話をする彼女を眺めていた。一瞬目が合ったような気がするが、向こうはいつも通りこちらを気にも留めていないような素振りだった。
昨日のあれは何だったんだ?
「悠雅! 帰ろうぜ」
帰りのHRが終わった後も自分の席からぼーっと彼女のいる席を眺めながら考えていると真吾と貴之がやってきた。
天内真吾と遠藤貴之。去年から同じクラスだった二人でいつもつるんでいる友達だ。親友だと呼べる存在だと俺は思っている。
一点を見つめたまま返事をしない俺の視線の先が気になった真吾が俺と同じ方向を見た後憐れむような目線をこちらに向けた。
「お前……。まさか……」
なんだ? と真吾に聞く貴之に対し真吾は手を添えてなにやら耳打ちをしていた。
「悠雅、悪い事は言わん。やめとけ」
貴之が俺の正面に立ち、両手で俺の肩を叩きながら真剣な顔で諭すように言う。
「は? お前ら何言ってんの?」
「だってお前さっきからずっと陽向さんの事見てるだろ」
「俺達みたいなモブが釣り合うような相手じゃないんだよ! 夢から覚めろ」
俺の肩に手を置いたままの貴之が気を失った人を起こすかの如く肩を前後に激しく揺すっている。
確かに陽向さんの事を見てはいたけど……。
クラス一、いや、学校一の美少女と言われる陽向月菜。
去年度の卒業式には卒業する三年生による告白待ちの行列が出来た(行列には男子のみならず女子も混ざっていたらしい)とか繁華街を歩いた際には芸能事務所のスカウトの名刺が何十枚も貯まった等、ホントか嘘か分からないような逸話が沢山ある。
胸元まで真っすぐに伸びる真珠のように煌めく銀色の髪は地毛らしい。ロシア人の血が混ざっているという噂を聞いた事がある。キュッと吊り上がった目の中には青みがかった瞳があり、白い肌と相まって人形のようである。
美的感覚は人並みではあるので初めて彼女を見たときもこんなに綺麗な女の子がいるのか! という衝撃は受けたが、それと同時に自分のスペックとの格差を考えると好きという感情は全く湧く事はなかった。憧れの芸能人を見るような感覚だ。
顔がよい訳でもなく勉強ができる訳でもなくスポーツができる訳でもなく、全てにおいて普通なモブキャラ。それが自己評価だ。そんなモブキャラが学校一の美少女を好きになった所で釣り合う訳がない。そう考えると恋心なんてものは1ミリも湧いてこないものである。
「二人共安心してくれ、自分の事は弁えているつもりだ」
未だに俺を前後に激しく揺さぶる貴之の手を振り払って帰り支度を始める。と言っても特に鞄に仕舞う物もないので鞄を持つだけだ。
「ねぇ! 放課後暇?」
「悪いな、今日はこいつらと帰る」
バタバタと騒々しい音を立てながら駆け寄って来た梨愛の言葉に被せるように返事をする。
「えー? ゆーくん最近付き合い悪くなーい?」
鞄を持ち上げ、帰ろうとする俺の前に割り込み、口を尖らせブーブーと言っている。
「梨愛、その『ゆーくん』ってのやめろって」
「別にいいじゃなーい、ゆーくん。なんか響きも可愛いし」
「はいはい、じゃあまた明日な」
今まで何度もその呼び方で呼ぶなと言っても治らないので半ば諦めてはいる。
「お前梨愛ちゃんと一緒に帰らなくていいのか?」
「別に一緒に帰らなくていいだろ?」
後ろから追ってきた真吾が肘で突きながら聞いてくるが今日は真吾達に先に誘われたから一緒に帰るだけである。俺からするとなぜ先に誘ってきた真吾が梨愛に気を使ってるのかが理解不能だ。
「ま、まぁお前がいいなら別にいいんだけどよ、なぁ?」
「あぁ、そうだな」
真吾と貴之が顔を見合わせている。
教室を出る際、扉の近くで友達と話をしていた陽向さんと目が合ったが今朝と同じ。毎日挨拶をするような仲でもないので挨拶をする事もない。
隣を通り過ぎながら昨日の出来事を思い出していた。
◇◇◇◇◇
おぉ、うちと同じノルウェーの子がいる。うちの虎之介もこんな時期があったなぁ。
そんな事を思いながらケージの中でボールを追いかけながら飛び回っている白黒の猫を眺めている。
家で飼ってる猫、虎之介と同じ種類とは思えない程活発に動き回っている。うちの虎之介は成猫であり、種類的にも身体が大きいのでいつものっそのっそという効果音が付きそうな感じで部屋の中を歩いているイメージだ。
子猫と子犬に癒され、トカゲや蛇のいる爬虫類コーナーを一通り見た後、小動物コーナーにやってきた。うさぎやハムスター、チンチラ等のいるコーナーである。
「おーい、うさちゃーん。うりうり」
うさぎと戯れている先客がいるようなので邪魔しないようにハムスターのいるほうへ向かおうとしたが、視界の端に見覚えのある綺麗な銀色の髪の毛が飛び込んできた。
うさぎコーナーを見ると、天使のように可愛い美少女がケージの中に指を入れてうさぎを撫でている姿が見えた。
あまりにも絵になっているその光景から目を離せないでそのまま固まっていると、こっちを向いた美少女の蒼い瞳と目が合ってしまった。
ただ見ていただけなのになんだか悪い事をしていたような気になってしまい、咄嗟に目を逸らそうとしたのだが、驚いた事にその少女は少し恥ずかしそうに頬を赤らめた後こちらに向かって微笑みながらペコリと頭を下げていた。
思わずこちらも頭を下げてしまった。陽向さんってこんな感じの子だったっけ?
陽向さんは再びうさぎと触れ合い始めたので当初の予定通りハムスターコーナーへ向かう。
「うさちゃん、色が私とお揃いだね。あなたの名前は何て言うのかな?」
ペットショップにいる動物にまだ名前はないと思うぞ? と後ろから聞こえてくる声に心の中でツッコミを入れる。
「すみません、ちょっといいですか?」
店員さんを呼んでるのかな? もしかしてうさぎを飼うのだろうか?
「すみません」
「おわっ!」
背後で声がしたので振り向くとすぐ目の前に陽向さんがいて、吸い込まれるのかと思うほど綺麗な瞳でこちらを見上げていた。
すぐ後ろにいるとは思わず変な声が出てしまった。
「お……や、やぁ。陽向さん……」
「あの……うさぎ飼った事ありますか?」
陽向さんは少し首を傾げたあとそんな質問を投げかけてきた。
それにしてもなぜ俺に話しかけてきたのだろう? 一応クラスメイトではあるので話しかける事自体はおかしなことではないが、多分まともに陽向さんと話をしたのは今この瞬間が初めてだ。
「あ、あるけど……。昔家で飼ってた事がある……」
「わぁ、そうなんですね」
両手を胸の前で合わせて目をキラキラとさせながら背伸びをするように顔を近づけてくる。
近くで見ると改めて顔のパーツが整っているなぁと思うが、正直近すぎる。この至近距離でずっとこちらを見つめられるのも恥ずかしいし、さっきから鼻腔をくすぐるいい匂いもする。
「うさちゃんって懐きますかね?」
両手を身体の前に持ってきてこれ以上陽向さんが近づいて来るのをガードしているとさらに質問が飛んできた。
なぜペットショップの店員ではなく俺に聞くのだろうか? ペットショップのエプロンをしている訳でもないので俺が店員じゃないのは分かっていると思うんだけど。
「うちにいたうさぎは懐いてたけど、懐くかどうかは個体差があるって話だったと思う。俺に聞くより店員さんに聞いたほうがいいと思うけど……」
「店員さんに聞くのもアリですけど、実際に飼ってた人に聞くほうが生の声を聞けてよくないですか? 懐くかどうかは個体差ですかぁ。なるほどなるほど……」
飼ってた人の生の声ねぇ。懐くかどうかの話は俺の体験談ではないから生の声ではないけど。
「そのうさぎ、飼うの?」
「連れて帰ってあげようかと悩んでます……。色が私と同じ色だし、なんかビビビッと来ました」
それにしても普段の学校での陽向さんとのギャップがすごい。こんな女の子だったっけ? 学校での陽向さんはもっと近寄りがたい雰囲気が出てたような気がするけど。
陽向さんはしばらく悩んでいたが、うさぎを飼う事を決心したようで、店員さんを呼び、購入したい旨を伝えていた。
ただその後うさぎを飼う際に必要な物を教えてくれと言われてケージ、給水器、食器、トイレ等を一緒に選ぶ事になった。店員さんに聞いたほうがよくない? と言ったら陽向さんは生の声がと言っていた。
買い忘れがあるといけないと思い、店員さんに聞いてみたが最低限必要なものは用意できたようだ。
うさぎ購入も一段落ついたようなので当初の俺の目的であった猫のご飯やトイレ砂を購入して帰ろうとしたのだが……。
「あの……。よかったら連絡先を交換してもらえませんか?」
「お、俺と??」
「はい。うさぎを飼っていた人の生の声を聞きたいので。困った事があったら相談させてください」
やはりここでも生の声。特に拒否する理由もないのでメッセージアプリのIDを交換する。
「えっと……。名前は夏目悠雅くん?」
自分のスマホに表示された俺の名前を確認する陽向さん。流石に同じクラスになって1週間程度のモブキャラの名前は憶えてないよなぁと思いながら帰路についた。
風呂から出てベッドに寝ころびながらスマホのチェックをすると「今日はありがとうございました」の一文と共にケージに入った綺麗な銀色のうさぎの写真が送られてきていた。