四片、いつかの君とならんで。
桜の花びらひらひら舞う。
さくら色に染まりし並木通り。
「…十年ぶりくらいに来ましたが…ここの並木道の美しさは変わりないですね」
子の頃からこの桜並木通りをよく行き来しているが、ここの桜の美しさは当時とほとんど変わらない。
天を見上げれば、さくら色の空広がる。
足下を見れば、見事なさくら色の絨毯が続く。
そして、さくら色の空間に似つかわしくない、鼠色の着物に柳煤竹色の羽織を着て、カンカン帽を被った白髪だらけのおじさんがひとり佇んでる。…いや、おじいさんか。
「ふー…気づけば年寄りですか。時が経つのは早いことよ、ですかね」
羽織の袖に手を入れ、ひらりはらり舞い落ちる桜を見上げながらひとりごちていると。
─────────ブアッ…
「おっ…」
後方から突風が吹き、桜の花びらが風の方へと散りひらり。そして、突風は私の大事なカンカン帽を拐った。
「こらこら、それは私の大事なカンカン帽ですよ」
桜の花びらとともに舞うカンカン帽を追いかける。すると。
─────────ぱさり。
私のカンカン帽は手前を歩いていた女性の足下にひらりと落ちた。女性は私のカンカン帽に気づくと、しゃがんで拾ってくれた。
「すみません、その帽子私ので…す」
女性は帽子を拾うとくるりと私の方を振り向いた。
さくら色地に、桜の花びら舞う絵が描かれた着物。そして、顔にはなぜか狐の面を被っていた。
「はい、どうぞ」
狐の面を被った女性は拾ったカンカン帽を私に渡した。
「いや~どうもありがとうございます」
「ふふっ、きっと桜の精があなたに構いたくなって意地悪したのね」
狐の面の女性は口元に人差し指を当てながらくすくすと笑った。
白くて美しい手。その肌の艶やかさからすると20代いや、もしかしたらもっと若いかもしれない。けど、それにしては仕草や言葉の雰囲気が大人びているというか…その年代にはない色気を覚える。
というか、その手の仕草…
「…そのカンカン帽お似合いですが、結構くたびれてますね。古いものですか?」
「ああ…これは私がまだ20代の頃、家内と結婚する前に家内が私の誕生日にくれたもので。まあ、50年以上前のものですな」
「50年。そんなに長く大事に使っているのですね」
「ええ、家内から貰った物の中では一番の好きなものですな。──まあ、帽子より家内の方が大好きですけど」
「あらまあ、惚気ですか」
「いやははは、すみません、つい」
私は照れ笑いながら頭をかく。
「ふふ、そんなにその奥さまが大好きだったんですね」
「そうですね、大好きでした…いえ、今でも大好きですよ」
サアア…と柔らかな風が吹き、桜の花びらがひらりひらと私と狐の面の女性に降り注いだ。
◆
さくりさくり。
さくら色の絨毯の上を歩く。
狐の面を被った、不思議な少女…いや、女性と桜並木をならんで歩く。
「ここの桜は昔から変わらず綺麗ですね」
「ああ、君と出会った頃からほとんど変わらず美しいですね」
「…娘たちは元気?」
「ああ、娘も息子も元気ですよ。孫らをつれてよく遊びに来てくれます」
「…そう。あなたは?ここに来たってことは元気になったのかしら」
「元気…どうですかね~。何とも言えませんが…なんだか久しぶりに心が弾んでます」
自然に。
私は彼女の手を握る。
「…何で若い頃の姿で現れるんですか?お陰で直ぐに気づけませんでしたよ」
「あら、どうせ化けて出るなら若い方が良いじゃない」
「そういうものですかね~。私は艶やかな頃の君も、白髪交じりの上品な女性の君も大好きですけど」
「ほんと変わらないですね、あなたは」
「…変わらないですよ。今世は君ひとすじと決めて君と結婚したんですから」
「あら、来世は私じゃダメなの?」
「さあ…輪廻というものがあるかどうか分かりませんからねぇ。…けど願うなら、来世も君の隣を歩いていたいですね」
きゅっと、彼女の手を握る。
細くて暖かい手。
いつまでも愛しい君の手。
「…ごめんなさい、そろそろ戻らないといけない時間ですわ」
「…また、来年も会えるかな?」
「さあ?神様からお許しを貰えば会えるけど…約束はできないわね」
「そうですか…」
できることならこのまま握っていたい。
けど────
「じゃあまたね、あなた」
「ああ…」
─────────ブアッ…
突風が吹き、桜の花びらが狐の面の女性を包んだ。
ふわり…と、握っていた手が軽くなる…
今度こそ帽子が飛ばされないように、帽子を押さえながら私は。
「───いつまでも愛してるよ、桜子さん。また、きっと…」
くるりくるりと桜の花びらを巻き込みながら、風が空を上ってゆく。私はそのさくら色の風に向かって言った。
そして。
「私も、孝之さんのこと変わらず…愛してます……────」
彼女の声は桜の花の向こうの空へと…天へと溶けていった。
彼女の手を握っていた手のひらを見ると、桜の花びらがひとひら握られていた─────……