三片、桜舞い散る下で、桜の花弁に口づけを。
─────────プルルルル…
「いや~、ここの桜は毎年綺麗ですね~」
「櫻葉先生…」
─────────プルルルル…
「次回作は桜の精と人間の恋物語でも書いてみましょうかね」
「…さっきから電話が煩いんですけど、先生」
「…まったく、僕たちの邪魔をしないでほしいですね」
櫻葉先生はため息を吐きながら、しぶしぶ和服の胸元から携帯を取り出し、電話に出た。
「もしもし。今日は大事な婚約者の20才の誕生日を祝うので、用ならまた明日にして下さい」
『ちょっ、先生そろそろ締切───』
櫻葉先生は一方的に話をすると、さっさと電話を切った。
「さて、マナーモードにして…っと」
先生がマナーモードにしてしばらくすると。
─────────♪~♬~♩~♩~♫…
今度は、私のスマホが鳴った。ポケットからスマホを取り出し、画面を確認すると。
「…安西さんからの電話ですね」
安西さんは櫻葉先生の担当編集の人だ。
「何で君が彼の番号を知ってるんですか」
「先生がよく電話を取らなかったり、締切前になると逃亡したりするから、先生と連絡が取れない時のために─ってことで、いつも先生に引っ付いてる私の連絡先を教えてほしいって言って」
「こらこら~そう言うことは断りなさい。それに、僕以外の男と知らないところであまり話したりしないでほしいな~…」
「わかりました。じゃあ、先生の知らないところでもっとほかの男の人とも話したりします」
「も~ひねくれてるなぁ。どれ、君のスマホ貸してください」
先生はそう言うと、私のスマホを受け取って電話に出た。
「もしもし、締切は必ず守るからさ、今日だけは本当にそっとしといてほしいんだ。じゃあね~」
と、先生はまた一方的に話をすると、ブチッと電話を切り、私の携帯をマナーモードにした。
「…さて、今度こそ邪魔者はいなくなった」
「なに勝手に人のスマホをマナーモードにしてるんですか。どうせ、締切なんて守らないくせに…息するように嘘つきますね」
「そんなことないですよ、今回は締切守りますよ…たぶん」
「あ、そうですか」
「…なんですか~?何怒ってるんですか?僕は君に何かしましたか?誕生日プレゼントでしたらちゃんと準備してますから」
「…別に怒ってません」
「ウソ、君が怒ってる時は決まって敬語になるし、僕のことを『先生』って呼びますし。…いつもみたいに『カケルちゃん』って呼んでほしいな~」
櫻葉先生は─…カケルちゃんは、私の前にきて体を屈め私の目線に合わせながら、そう言った。
カケルちゃんのその目線で、私のいつかの黒歴史が甦った。
◆
櫻葉春風は彼のペンネームで。本名は桜場翔。私は昔からこの人のことをカケルちゃんって呼んでる。
カケルちゃんは小説家だ。
カケルちゃんは私が十歳の頃、私たちの住むマンションの隣の部屋に引っ越してきた。そして、当時十歳の私は何を思ったのか、12歳も年上のカケルちゃんにひとめぼれしそして、こう言った。
『あなたはきっと、わたしの運命の人です。好きです。私と結婚してください!』
そんな黒歴史確定のことを、私はカケルちゃんに言った。するとカケルちゃんは。
『そうか、じゃあ君が20才くらいになったら僕のお嫁さんにもらおうかな』
はははと笑い、カケルちゃんは体を屈めて私の目線に合わせると、頭を撫でながらそう私に言った。
よくある「子供の告白だからテキトー言っても、大きくなったら忘れてるだろう」っていうノリだと思うでしょ?
でも───
『18の誕生日おめでとう。この婚約指輪を君に。僕の小説も売れてきてるし、これなら君が20才になった時に安心して結婚できそうだよ』
『…はい?』
私が18歳になった時。そんな、ほぼプロポーズな言葉を聴かされた時はさすがにカケルちゃんにドン引きした。まさか子供が言ったことを本気で受け取るなんてって。
いやまあ、告白したのは私だし、その時も変わらずカケルちゃんのことは大好きだったから、ドン引きしながらも喜んで婚約指輪を受け取ったんだけども。
そして今日は私の20才の誕生日─────
◆
「…もしかして、奈帆は僕と結婚するのが嫌ですか?そんなわけないよね~君が僕にベタ惚れしたんですもんね」
カケルちゃんは屈んだ姿勢を真っ直ぐに伸ばし、和服の袖に手を入れながらにこっと微笑んだ。
「…そうです。カケルちゃんと結婚するのが嫌…なの」
「………え?」
柔らかな微笑みから、ぽかんと間抜けな顔になるカケルちゃん。
「…マリッジブルーってやつかも」
「そっ、ええ!?なっ、なにが不服ですか!?仕事の締切を守らないからですか?」
「…それもありますけど、違います」
「僕が仕事の電話をよく無視したりするせいで、君にまでとばっちりが来るからですか?」
「…それもありますけど、違います」
「それとも、僕の小説では生活が安定するか不安…とかですか?確かに君と出会った頃は売れない三文文士という感じでしたが、今は…」
「…それです」
私が不安なのは、小説家のカケルちゃんを支えられるかということ。
…いや、そうじゃないか。
「カケルちゃんの書く小説がもっともっと有名になって、その有名作家の妻として私が隣に立ってていいのかな、なんて思っちゃうと…不安で」
確かに、10年くらいカケルちゃんの傍でカケルちゃんのデビューする前の小説なども沢山読んできた。けど、もともと別に小説が好きってわけじゃないし、寧ろ文字ばっかりの小説は嫌いだった。
カケルちゃんにひとめぼれして。その大好きなカケルちゃんが小説を書いていて。大好きなカケルちゃんが書いてるからその小説も好きってだけで。
小説そのものは未だに読むのが苦手…というか、カケルちゃんの小説しか読めない。
カケルちゃん以外の小説は面白くないというか。
だから…
「小説の『良さ』も分からない人間が、小説家の奥さんになっていいのかな…ってさ」
私がそう言うと。
「ふはっ、ふはははははっ」
カケルちゃんは声に出して笑った。
「なに笑ってるんですか!人が本気で不安な時に」
「いやすみません、可愛いな~と思いまして」
「喧嘩売ってます?」
「売ってないです。本当に可愛いなと、大好きだなと思いまして」
「!?」
カケルちゃんの「大好き」という言葉に反応してぽっと頬があったかくなる。
「…だって、僕は君が思い描いているような作家になれるなんて微塵も思ってませんから」
そう言って、カケルちゃんは私ににこっと優しく、けれども切なげに微笑むと、満開に咲き乱れる桜を見上げた。
ひらりはらりと、降り落ちる桜の花びらと、その中に佇む和装のカケルちゃん。画になる。
そんなカケルちゃんにぽおっと見とれていると。
「…自信なんてこれっぽっちも無いんです、自分の書くものに。今も昔も。けど、君がいいよって、面白いよっていつも言ってくれるから…夢を捨てずに、諦めずに、ここまでこれたんです」
「カケルちゃん…」
ゆっくりと、カケルちゃんは私の方に視線を向け、和服の袖に入れていた手をほどくと、真剣な面持ちをして私を真っ直ぐに見つめ、そして。
「…やっぱり、僕の妻は君しかいないです。僕と結婚して下さい」
桜舞散るなか。
カケルちゃんはそう言った。
嬉しくて嬉しくて、あたかな雫が自然と私の頬を伝っていた。
「…はい!私なんかで良ければ!大好きなカケルちゃんのお側にいさせて下さい」
私とカケルちゃんの間に、さくら色の花びらがひとひらひらりと落ちてきた。カケルちゃんはそれを手のひらで受けると。
「…婚姻届を出すまで我慢するつもりでしたが」
「…へっ─────」
カケルちゃんは落ちてきたそのひとひらの花びらを私の唇にあてそして。
─────────────………
花びらの上から、私の唇にキスした。
桜とカケルちゃんの香りが、身体中にふわっと広がる。
はじめてのキス。
はじめて恋したカケルちゃんと、キス…してる。
─────────────………
ゆっくりと。カケルちゃんが私の唇から離れると、唇の花びらがひらりと、桜の絨毯の上に落ちた。
にこっと私に優しく微笑むカケルちゃん。
まだ唇に、花びら越しのカケルちゃんの唇の感覚が残っていて、頭がふわふわする。
「…今夜8時頃が君の出生時間、でしたよね」
「は、はい」
「その時間に一緒に婚姻届を出しましょう」
婚約指輪を渡した時から言っていていた、カケルちゃんの謎のこだわり。
そして。
「…それを提出し終わりましたら、早速キス以上のことでもしませんか?なーんちゃっ…」
─────バシッ!!
耳元で囁くようにして言ったかと思えば、へらっとそう言ったカケルちゃんの頬にビンタした。
「最っっ低!やっぱ結婚はナシで!」
「冗談です、すみません。待ってくださいよ~!」
桜舞散る中。
私の左手の薬指のものが、キラリと光っていた。