ニ片、名前も知らないあなたに恋をした。
「ほんと、ここの桜すごい綺麗だな~…」
それは、私が中2になってすぐのこと。学校帰りに、満開に咲き誇る桜並木通りを一人歩いていた時。
「─ん?何これ?」
ちょうど並木通りの中央くらいに咲く、桜の木のくぼみに何か紙のようなものが挟まれていた。
「…手紙?」
表には「この手紙を手にとったあなたへ」とだけで、それ以外は何も書かれていなかった。
「え~…開けていいのかな?」
おそるおそる、私はその手紙を開ける。そこには。
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この手紙を開いてくれたあなた様へ
こんにちは。
突然ですが、僕と文通をしてみませんか?
お返事、待ってます。
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名前は無く、とても簡素な文章だ。
もしかしたら、変な手紙なのかもしれない。そう思ったけど…
「字が綺麗…」
字がとにかく丁寧で達筆で。その文字だけで「この手紙は大丈夫」と、思ってしまった。
私は家に帰ると、机の引き出しを探りそして。
「あった、あった」
机の中から、うすさくら色で桜の花びらの絵が散りばめられたレターセットを見つけると、早速手紙の返事を考えた。
「うーん…この感じだと、名前とか誰か特定できそうなことは聴いちゃいけない感じだし~…」
うんうんしながら手紙の内容を考え、そして。
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こんばんは。
桜が綺麗に咲いていますね。
ところで、どうして文通を始めようと思ったのでしょうか?
どこの誰か分からない私が文通相手で大丈夫でしょうか?
面白そう、といっていいのかわかりませんが、私でよければいいですよ。
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「うーん、これでいいのかな…」
書いた手紙を封筒に入れたり出したりを繰り返し、しばらくそわそわした。
そして翌日の朝。
「個人情報とか書いてないし、悪用されたり…なんて無いよね~…たぶん。ええい!入れちゃえっ!!」
不安と期待でドキドキしながら、手紙が入っていた桜の木のくぼみに、私が書いた手紙を入れた。
◆
夕方、下校時間にその木のくぼみを覗くと。
「…私の手紙、無くなってる!」
私が書いた手紙が無くなってた。
そして、翌日の朝。
「…!手紙が入ってる」
桜の木のくぼみを見ると、最初に見つけたものと同じ、無地の真っ白い封筒が入っていた。
その手紙をくぼみから取ると、早足で学校に向かい、玄関そばのトイレに駆け込むと、その手紙を開けて見た。
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丁寧なお返事、ありがとうございます。
ここの桜は毎年本当に綺麗に咲きますね。
今年もさくら色の絨毯が美しく広がっていて、見ているだけで心癒されます。
とあるアニメでそのようなシーンを見て「面白そう」というちょっとした遊び心から、手紙を書いて試しにあの桜のくぼみに入れてみたのです。
きっと、誰も気づかないもしくは、笑われて破り捨てられるだろうと思ってましたが、あなたのような言葉が丁寧で文字が美しい方に見つけて頂けて嬉しいです。
こちらこそ、よろしくおねがいします。
毎回ではなく、都合のいい時で構いませんので、お返事下さると嬉しいです。
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…最初の時より文字いっぱい。ていうか、言葉が丁寧で文字が美しいのはあなたの方ですよ。ていうか、アニメがきっかけって…文字の雰囲気とのギャップがすごい。
我慢できず、トイレのなかで「ンフフ」と小さく笑ってしまうと、トイレの外から「なんかこのトイレから笑い声聞こえなかった?」という声がして、慌てて手で口を押さえ声が出ないようにしたけど、にやにやが止まらない。
私はしばらくトイレのなかでにやにやしながら、その手紙を何度も読み返していた。
◆
それから、そのどこの誰かわからない人との文通が始まった。
手紙は桜のくぼみに入れると、だいたいその日に回収され、返事は次の日だったり、2、3日後だったり。
内容はだいたい今日の天気や今の気候から始まり、趣味の話やその日あった些細な出来事などを書いたりしてた。
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「今日は桜の木の上でウグイスが綺麗な声で鳴いているのを聴きました。」
「私も今日ウグイスの声聴きました!同じウグイスかもですね。」
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「梅雨が開けたら夏本番ですね。熱中症にならないように水分はこまめに取ってくださいね。
そういえば、久しぶりにアイスキャンディのあたりを見たのですが、あたりの『あ』の部分がなく、『たり!』になっていました。あれは『あたり』でいいのでしょうかね。」
「私去年熱中症になったので、すごく気をつけます。
あたりの『あ』の部分がなくて『たり!』って。そんなことあるんですね。たぶん『あたり』ってことでいいと思いますが、お店で確認しないとわかりませんね」
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「最近紅葉が綺麗に色づいてきてますね。天の川公園傍の桜並木の桜も綺麗でしたが、紅葉もまた違った美しさがあって良いですね。
PS、近所の公園に咲く紅葉があまりにも美しかったので、貴女に差し上げます。」
「そうですね、桜も綺麗ですが紅葉も綺麗ですよね。
どの草花も綺麗ですが、特に季節になると生き生きと咲き乱れる草花は美しく感じますね!
紅葉ありがとうございます!真っ赤ですごく綺麗ですね。栞にして大事にします!」
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「今日はやけに寒いですね。この感じですと、もしかしたら近いうち雪が降るかもしれませんね。
風邪を引かないように気を付けてくださいね。」
「いつも優しい言葉をありがとうございます。あ!手紙書いてる今、外で雪が降ってます!あなた様も風邪を引かないように気を付けてくださいね。」
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お互い、名前や年齢や性別、学生もしくは社会人などの個人情報とかはあえて避けて文通を楽しんでいた。
けどどうしても、文字からなんとなくその人が『男の人』ということだけはわかった。
「男の人なんだろうけど~…歳が分かりづらいんだよね。文字の感じからするとおじいちゃんぽいし、でも、最近流行りのアニメの話もするし~…」
相手がもしかしたらおじいちゃんかもしれない。
けど、私は────
「どうしよう、私この人に…恋しちゃってるかも…」
毎日、その人のことばかり考えて、胸をときめかせていた。
こんな気持ちは初めてで。だから、これを『恋』と呼んでいいのかわからなくて。
これが『恋』なら、私の初めての恋…初恋だ。
でも…
「名前も顔も、どんな人かも全くわからないのに、これを恋って呼んでいいのかな。ん~!わかんないよ~…」
文通のことはなんとなく友達には話してない。だから、恋の相談もできなくて。
いや、そもそもこれは『恋』ではないのかもしれないけど。
わからないけど、でも。
「…どんな人なんだろ。会ってみたいな…」
日々を重ねる度に。
言の葉を重ねていく度に、姿形のわからないその人への想いが強くなっていった。
◆
文通を始めてそろそろ一年になろうとしていた頃。
3月の始め。
私のその人への想いが溢れた。
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こんにちは。
文通を始めてそろそろ一年が経とうとしてますね。
あなたとの文字でのやりとりは楽しくて嬉しくて…読むたびに胸がどきどきします。
あなたから頂いたすべての手紙が文字が愛しくて、私の大切な宝物です。
何が言いたいのかというと、私は、あなたのことが好きです。
あなたの丁寧な言葉が文字が好きです。季節の変わり目や気候が少しでも変化したら「身体を壊さないように気を付けてくださいね」っていう優しい言葉をかけてくれるところが好きです。普段は渋い雰囲気があって格好いいのに、アニメの話になるとちょっと子供っぽくなるところが可愛らしくて好きです。
文字だけじゃない、あなたの顔が見たくて。声が聴きたくて。笑顔が見たくて。
文字だけじゃない、あなたに会いたくて。
あなたが誰かなんてわかりません。けど、好きです。
手紙じゃない、あなたに会いたいです。
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振られたらどうしようとか、本当におじいちゃんだったらどうしようとか色々考えて手紙を出すかどうか一週間くらい悩んだけど、結局私はその恋心を綴った手紙を、ラブレターを、いつもの桜のくぼみに入れた。
翌日。
1週間。
2週間。
そして…
「そろそろ3月終わっちゃう…」
気づけば、そのラブレターを出して1ヶ月近く経とうとしてた。
手紙は翌日にはなくなっていた、けど。
普段なら遅くても一週間以内には返事があった。それなのに…
「どうしよう。やっぱり気持ち悪かったかな?そうだよね、顔も知らない誰かに『好き』とか『会いたい』なんて言われたら引くよね…」
もしかしたら、その人ではない人間が手紙を持っていったのかもしれない、そんな恐怖もあった。
けど、それよりも文通相手のその人が私の想いで不快になったのかもしれない、気持ち悪くなったのかもしれない…嫌われたかもしれない。それが何よりも怖くて不安で。
春休みに入ると毎日、日に数回もその桜のくぼみを覗きに行った。けど、手紙は入ってなくて。
そんな、3月の最終日。
「あ…った、手紙!」
友達の家に遊びに行った帰りに、桜のくぼみを覗くとそこにはあの、いつもの無地の真っ白い封筒があった。
私は手を震わせながらその手紙を手に取り、すぐその場で手紙を開いた。
そこには。
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こんにちは。
お返事が遅れて申し訳ありません。
貴女のお気持ち、とても嬉しかったです。
ですが…すみません。貴女のお気持ちは受け取れません。
文字の上で僕が貴女にどう写ってるかなんて知り得ませんが、少なくとも僕は貴女に恋い焦がれられるような人物ではないですし、会ったらきっと幻滅すると思います。
それに、僕は父の仕事の都合上、4月に県外の方に引っ越さなければならなくて。
なので…申し訳ありませんが、この文通も今日で最後です。
僕の勝手な思い付きに巻きこみすみませんでした。
そして、僕と文通をして下さり、誠にありがとうございました。
それでは、お元気で。
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一文字一文字、言葉を溢さないようにゆっくりと文字を辿った。
何度も、何度も。
何度も読んで、涙が一雫零れた、時。
「消した跡に何か……」
綴られた文字の向こうに、消された別の言葉が微かに見えた。それは…
「…僕も、貴女のことが好きです」
うっすらと残る言葉。
そして、よく見ると所々、ぽつぽつと濡れた跡。
私は手紙を抱きしめるようにして胸に寄せ、声を必死に殺しながら泣いた。
こうして、私の初恋は終わった。
◇
中学を卒業し、高校生になった私はまたあの桜並木を歩いていた。
高校の入学式の日、桜舞い散る並木道でその人と運命の再開をする────
もしかしたらそんなこともあるかもしれない、なんて妄想したけど、そんな漫画や小説のようなことはなく。
それでも、毎日のように桜のくぼみを覗いていた。
それはもう、『期待』というより『習慣』という感じになっていた。
◇
桜が満開に咲き乱れる、4月。
今日から高2になる私は、いつもの通学路を歩いていた。
すると、あの桜並木のところに来ると、桜並木の入り口のところで佇み桜を見上げる男子の後ろ姿があった。
私と同じ学校の制服だった。
その人の傍を通りすぎようとした、時。
彼が私の方に振り向いた。
背が高くて、丸眼鏡をつけた男子。
その人の手には、無地の真っ白い封筒が握られていた。