一片、はじめましてより先にあいたくて。
「ねえママ~、今日の夕飯はな~に~?」
「今日はさくらの大好きなハンバーグよ」
「やった~!ママのハンバーグだいすき!」
「ふふ、ありがと」
買い物帰りの午後3時頃。
今年で5歳になった娘と手を繋ぎながら、桜並木通りを歩いていた。
「それにしても、今年も綺麗に咲いたわね~」
「上も下もピンク色できれいだね~!」
見上げれば満開に咲く桜が、さくら色の可愛らしい花びらをはらりひらりと降らせ、その降り落ちた花びらは並木通りをさくら色に染めていた。
ここは県内で有名な桜並木通りで、毎年のように通りに並ぶ桜が揃って綺麗に満開に咲き誇る。
「ママ~桜のお花のじゅうたんみたいだね」
「ね~ほんと、凄いね」
娘は私の手を握りながら、足下に降り積もった桜の花びらの絨毯をつま先でふわっと持ち上げた。まるで、水たまりの雫が跳ねるように、桜の花びらが娘の足下でひらりひらと跳ね揺れた。
「ハンバーグ~ハンバ~グッ!今日はさくらのだいすき~なハンバーグ~♪」
娘はスキップしながらるんるんで歩いていた。
娘のちょっと茶色がかった髪で白く光る天使の輪がキラキラと揺れる。健康的な髪。
その髪に、可愛らしい桜の花びらがひとひらひらり。
そんな娘を見ていると。
───────あれ?
ふと。
なんか、前にもこの光景を見た気がしたな、と思いそして。
「…そうか、あの時だ────」
楽しそうな娘を見つめながら、私はあの日のことを、思い出した。
◆
それはまだ娘が生まれてない、今日のように並木通りがさくら色満開に咲き誇っていた4月。
「ここが有名な桜並木通りね。本当に綺麗ね~」
旦那と結婚し、この桜並木通りを歩いた先のマンションで二人暮らしを始めた頃。
───────サアアア……
後ろから強めの風が吹き、さわさわと揺らされる桜の木々が花びらの雨を降らせた。
さくら色の風が吹きすぎたのと同時に。
「───こんにちは」
そんな微かな声がして、私は後ろを振り向いた。そこには、今の娘くらいの少女が立っていた。
微笑んでいたのは分かるけど、何故か顔が思い出せない。ぼんやりとした白い光りと降る花びらで、少女の顔が隠れていた。
「こんにちは。ひとり?」
私が言うと、少女はこくり。とちいさく頷いた。
「うん、今はひとり」
「今は?誰か待ってるの?」
「うーんとねぇ、お時間を待ってるんだぁ」
時間を待ってる?お母さんかお父さん、もしくは誰かの仕事が終わる時間でも待ってるのかな?
そう思いながら、
「そっか。ひとりでえらいね」
私はそう少女に言った。
「ねえ、お手々繋いでいい?」
と、少女は言ってきた。
「うん?いいよ」
知らない少女の急な頼み。少し不思議に思いながらも、私は了解した。
────きゅっ。
小さな少女の手が、私の右手を握った。
柔らかくてあったかい、少女の手。
なんだか、懐かしいような知ってるような…そんな不思議であったかい感覚が、少女の手を繋いだ瞬間にぶわりと私の体内に広がった。
「今何歳?」
「───歳」
聴いたはず、なのに思い出せない。
「そっか────……」
それ以外の会話はうまく思い出せない。その少女と色々話ししていたと思うけど、舞散る桜の花びらの隙間からぽつりぽつりとした単語しか聞き取れない。思い、出せない。そんな感じで。
ただ、その少女がなんだか楽しげに、スキップしながらるんるんだったのは鮮明に思い出した。
きっと回想してる今、隣で娘がその少女と同じようにそうしてるからだろう。
そして。
少女と手を繋いで桜並木通りの出口の近くまで来ると。
「お手々つないでくれてありがとう。後はひとりで行くね」
そう言って、少女は握っていた私の手をするりと離した。
「え?誰か待ってるんじゃないの?お家に帰るなら私が送るよ?」
私が少女にそう言うと、少女はふるふると頭を横に振った。
「…今はまだダメなの。もうしばらく待たなきゃいけない…会えないから…」
そう淋しそうな声で少女は言った。
なんとなく。
私はなんとなく、少女に聴いた。
「…ねえ、あなたのお名前…何て言うの?」
すると少女はすうっ…と、ゆっくりと人差し指を上に向けた。
そして。
「───────………だよ!じゃあ、またね!」
少女は言って、桜並木の向こう側に、桜舞散る白く輝く世界のなかに飛び込むようにして駆けていった………
それから確か一週間後くらいに、娘がお腹のなかにいることを知った。
そして、あの少女と会ったのはあれっきりだった。
◆
「…あの子はいったい誰だったのかしら?」
舞散る桜を見上げながら、ひとり呟いていると。
「うん?どうかした、ママ?」
「ん?うんん、なんでもない」
見上げるちいさくて愛しい娘。頭にたくさんの桜の花びらを乗せながら。
「ふふっ、頭にいっぱい桜の花びらが乗ってるよ」
そう言いながら娘の頭の花びらを払おうと手を伸ばした、時。
「…ほんとは今日みたいな、桜がいっぱい咲いてる時に生まれる予定だったんだけど、私が早くママやパパに会いたくて、つい早めに生まれてきちゃったんだよね~…」
「…え?」
その娘の言葉で、花びらを払おうとしていた手がぴたっと止まった。
するり、と娘は繋いでいた手を離し、少しぱたぱたと駆けると、スカートをひらっと揺らしながら私の方に振り向いた。
そして。
「私のこと生んでくれてありがとう、ママ。ママもパパもだいすき!!」
桜舞散るなか。
満開に咲く桜の花のように微笑みながら、娘は言った。