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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第2.5話 魔女と日常の話]
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眼鏡

三話までしばしの日常回 19/20

 スーパーの帰り道だった。ほんの些細な事だった。スーパーから出て小銭を数えていたら、たまたま小銭を一枚取りこぼしただけの、そんな些細な事。小銭はコロコロと転がっているせいで種類まではわからないけれど、銀色なのは確かだった。五十円玉か、百円玉か。なんにせよお金である事に違いはないから、私はその小銭を追いかけた。小走りで追いかけた。


「りいちゃんっ‼︎」


 そんなサチの叫びが聞こえて来なかったら、きっと私は小走りを止めなかっただろう。もしもここで小走りを止めなかったら、私の目の前を猛スピードで横切った自転車と衝突したのは、間違いなく私の方だった。


 悲鳴が聞こえた。悲鳴の寸前には衝突音も聞こえた。私はそれらの音のする方へ首を向けたものの、その全てを見る事は出来なかった。


「見ちゃダメ!」


 サチの腕が私の視界を覆ったから。……でも、少しだけ遅かった。サチの腕に包まれる寸前、ほんの一瞬だけど見えてしまったんだ。ベビーカーを粉々に押し潰していた自転車の姿を。それに今だって目は塞がれているけれど、耳は塞がれていない。断片的にだけど、通行人の声がなだれ込んで来る。酷いだの、頭が潰れてるだの、赤ちゃんだの。何よりどんな話し声よりも圧倒的に多いスマホのシャッター音がとても印象深く私の鼓膜を舐め回して来た。


「りいちゃん……」


 それから少しだけ歩いて。目を塞がれたまま、少しだけサチに導かれるように歩かされて。やっと私の視界は自由を取り戻す。スーパーから僅かに離れた路地で、サチは私の視界を確保してくれた。……でも。


「自転車、見えてなかったの……?」


「……」


 それは別に隠していた事じゃなかった。両目を開けていれば、私の視界は普通に晴れ渡っていたのだから。だからわざわざ言うまでもない事だと思っていた。……でも、出来る事ならバレたくなかった、そんな事実でもあった。





 人の死って、実はそんなに重いものじゃないんじゃないだろうか。芸能人の訃報をニュースで見る度に、よく思う。この世界で生活して五年とちょっと。この五年間で私は身近な人間の死こそ経験していないものの、芸能人や有名人の死は何度もニュースで見てきた。とは言えその多くは顔や名前こそ知っていても、テレビで活躍する機会がめっきり減った高齢の大御所芸能人ばかり。そんなニュースを見たって「へー、あの人死んだんだ」以上の感想を持つ事はない。


 テレビでよく見かける芸能人の死が報道された時はショックを受けた事もあったけど、そのショックが続いたのだってほんの少しの間だけだ。そりゃ数日間は気持ちが沈んではいたけれど、それでも面白いバラエティ番組を見たりすると、私は普通に爆笑していた。爆笑出来ていた。その瞬間は間違いなく私の中では芸能人の死が頭から抜けていたんだ。そして一ヵ月もした頃にはその芸能人が死んだ事なんてすっかり忘れ、数ヶ月に一回思い出すか思い出さないかまで記憶は風化していった。


 人は死ぬ。でも、人が死んだ事で変わる事なんて何もない。どんな大物が死んだとしても明日は来るし、明後日も来る。いつもの日常が当たり前のように流れていく。身近な人が死んだのならその限りじゃないのだろうけれど、自分と関わりのない相手の死なんて、自分の人生には一グラムの影響さえも与えないんだ。


「それではお名前を呼ばれましたら診察室の方へお願いします」


 現に今、眼科で受付を済ませた私は、私がここに来るようになったきっかけの出来事を、殆ど思い出さなくなっているのだから。


「眼科っていいですね」


「何で?」


「注射もなければ苦い薬もない。世の中の病院、全部眼科になればいいのに」


「ダイチくん死んじゃうね」


「だって他の病院ってマジでクソじゃないですかー。予防接種の時も、あのヤブ医者全然痛くないとか言ってたのに普通にチクッと来ましたからね?」


「チクッだけで済んだならいいじゃん、腕のいいお医者さんだよ……」


「そうだ、予防接種って言えばフグ料理食べに行く約束はどうなってるんですか? ダイエットの時の食い倒れ旅行の約束も忘れてませんよね?」


「大丈夫大丈夫、ちゃんと覚えてるから。食い倒れ旅行は夏休みに行くとして、フグ料理は冬がいいかなって思ってるんだけど」


「冬?」


「そ。フグって秋から春にかけてが旬って言われてるんだけど、やっぱりフグって言えばフグ鍋でしょ? 冬の寒い夜道を歩きながらお店に行って、冷えたお腹をフグ鍋で温めるとか最高じゃない? それに冬だと白子も旬で美味しいんだぁ。紅葉おろしとポン酢でこう……キュってね?」


「白子ってなんですか?」


「白子って言うのはフグの精……」


「せい?」


「いや、あの……その、精……あの。だからね? 卵の逆的な……ね? なんとなくわかるでしょ?」


「あー、金玉?」


「わざわざ遠回しに言った私の気持ちも考えて……」


 サチは半泣きだった。今からフグを食べに行くのが楽しみで楽しみで仕方がないんだな。フグを食った事のあるサチが泣く程とかよっぽど美味いんだろう。


「泣くほど楽しみなんですね。わかります」


「楽しみで泣いてるんじゃないよ……。ていうかりいちゃん、それ聞いて楽しみなの? 普通白子の意味を知ったら大体の人は気持ち悪がると思うんだけど」


「食べられるって言うならとりあえず食べてみたいじゃないですか。ドンキに売ってる昆虫食とかもめっちゃ気になってるんですよ。高くて手は出せないんですけど」


「りいちゃん、野生でも強く生き残れそうだね……」


「でもあれですね。フグの金玉が食えるならフグの卵巣も食ってみたくなりませんか?」


「絶対ダメだからね」


 そんなやり取りをしているうちに名前を呼ばれる。私達は二人で診察室へと足を運んだ。





「左右で結構な視力差がありますねぇ。不同視の可能性もあるでしょう」


 懐中電灯のような物で光を当てられたりする事数分。医者は私の瞳にそう言った診断を下した。


「動物は両方の目で見る事で物を立体的に見たり、距離感を測ったりするんですが、左右の視力差が極端に離れているとそれらが難しくなるんですね。物が二重に見えたり、何より目が疲れやすくもなりますから。娘さん、危うく交通事故になりかけたとか?」


「はい、そうなんです……」


「まぁ、具体的な視力検査をするまでは何とも言えませんが、もしも不同視だった場合は眼鏡での矯正が難しいんですよ。眼鏡ですと、目とレンズの間に距離がありますから。その場合はコンタクトで矯正する事になるのですが……」


「コンタクト⁉︎」


 私はそんな医者の言葉に思わず食いついてしまった。


「サチ! 私赤いカラコンとか付けてオッドアイになりたいです!」


「りいちゃん、ちょっと黙っててね」


 サチは気まずそうに苦笑いを浮かべた。





「はーい、じゃあこの中を覗いてみてくださいね?」


 視力検査室へ訪れた私は、看護師に促されるままに双眼鏡のような物に目を当てた。


「気球が見えますか?」


「気球かどうかはともかく、るろうに剣心最終章で雪代縁がビラまきながら爆撃する時に乗ってた乗り物なら見える」


「オッケーでーす」


 オッケーらしかった。


「じゃあ次は目に風をかけて眼圧を調べますね」


 がんあつ……? 何だろう、初めて聞く言葉だ。がんってなんだ? あれかな、ガンつけるのガンかな。遠くの字を見る時って目を窄めるし、あれは実質睨みつけてると言っても過言じゃない。なるほど、さてはガンつけながら圧力をかけろって事だな?


「フーゥ……っ‼︎」


「何でガン飛ばしてるのかなー?」


 そして続いては身体測定でもお馴染みのCを使った視力検査。看護師さんは私の耳に検査用のメガネをかけると、片方の目に黒い蓋をする。学校では自分で片目を隠すけど、病院だとこんな風にするんだな。


「よっしゃ運試しだな。先に言っとくけど私これめっちゃ強いぞ?」


「運じゃなくて見えてる通りに答えてね」


 視力検査が始まる。と言っても最初の数回は巨大なCの字だ。私は淡々と答えを当てて言ったが、五回目くらいから一気にその難易度が跳ね上がった。


「んー……わかりません」


「はーい。じゃあなんとなくでもいいからこの方向な気がするって言うのはある?」


「私人生をなんとなくで歩みたくないんで」


「そんな人は視力測定を運試しとか言わないですねー」


 こうして私の視力測定は無事終了した。


 現時点で最適とされる度数の眼鏡をかけながら待合室へ戻される。この眼鏡をかけながら軽く歩いたり周りを見たりして違和感が出ないか調べて欲しいとの事だった。とりあえず待合室まで歩いている感じ、違和感はないな。頭痛や眩暈がする様子も見当たらないし。


「あ、りいちゃん! どうだった?」


 待合室に到着すると、サチが奥の椅子から手をあげて私の事を呼んで来た。


「結構いい感じです。これで若返る前のサチを見たらメイクで隠した小じわまで見れたかもしれません」


「眼鏡作ったのが今で心底安心したよ……。ってちょっとりいちゃん? 何でジロジロ見るの? ねえちょっとやめて! 今はもうないから! ないのはわかってるけどそれでも見られたら不安になるから見ないで! ねえ⁉︎」


 首やら目尻やらを手のひらで隠すサチを視線で追いかける攻防戦をしばらく繰り返す。しかし何度凝視しても若返ったサチの皮膚にシワは見当たらなかった為、私は諦めて椅子に腰を下ろした。


「あとはまぁ……あれですね。別にここに限った話じゃないんですけど、やっぱ初対面の人と会う度に顔の傷をジロジロ見られるのが少し気になるかなーって感じです」


 待合室に設置された鏡に目を向ける。普段はとっくに気にならなくなったこの傷も、眼鏡で確保された鮮明な視力で見つめると思った以上に生々しい。他の人には私の顔ってこんな風に見えていたんだと再認識してしまう。眼鏡をかけたら鏡を見る度に毎日この顔を眺める事になるのか。……ま、それも一ヶ月もしないうちに気にならなくなるんだろうけれど。


「もう慣れましたけどね」


 私はそんな強がりだけを吐き捨てた。


 そして。


「うん。そうですね、確かに左右で視力差はありますが、このくらいなら十分眼鏡で矯正出来そうです」


 再び診察室へ招かれた私は、医者からのそんな診断を下されて酷く落ち込んだ。


「あれ……。なんか落ち込んでる? どうかしたのかな?」


「カラコンでオッドアイになりたかった……」


「りいちゃん……」


 こうして私の視力問題は着実に解決へと近づいていき。


「サチ! この眼鏡めっちゃ軽いですよ! さぞかしやっすい素材使ってるんでしょうね!」


「ち、違うから! 高い素材使ってるからこんなに軽いの!」


「サチ! このフレームとかこんなに握り潰してるのに全然折れません!」


「待って! やめて! それが売りでも万が一壊れるって事もあるから!」


「へー。パソコンを長時間見れるレンズに曇りにくいレンズ。色々ありますね」


「あ、この曇りにくいレンズって凄く便利だよ? マスクをつけると、息がマスクの上から漏れ出てすぐ眼鏡が曇っちゃって大変なんだよね」


「なるほど。でもそんな四六時中マスクつけるような事ってあります?」


「あー確かに。それもそうだね。夏場でもマスクつけるのが常識化するような世界になんてなるはずないもんね」


 そしてそして。


「なんか私めっちゃ頭良さそうじゃないですか……? 我ながら惚れ惚れしそう」


 私は今日から眼鏡キャラとしてのデビューを果たす事になった。紫色を主体としたフレームで、耳掛けの部分にはマスコットキャラのイラストも描かれている、わかりやすいくらいの子供用眼鏡。正直、女優とかがよく付けてるクソデカ眼鏡の方がよかったけど、サチ的には美しさよりも可愛らしさを優先したいそうだし、サチが喜んでるなら別にいいかって感じだ。


「よかったねー。乱視がないからすぐに眼鏡作れて」


「はい。寝る前のスマホとかめっちゃ見やすくなりますよこれ」


「寝てね」


 私的には視力の落ちた方の目さえ何とかなればそれでよかったけど、想像以上の視界だ。元々視力は良い方だったけど、これ元の視力に戻るどころかより視力が上がったんじゃねえかな? 晴れ渡った視界があまりに心地よい物だから、私はついつい街中の文字を見渡してしまう。……が。


「あそこの交番の文字も読めますよ! 『昨日の交通事故(都内)。死亡24、負傷132』……」


 そんな交番の文字が目に入った瞬間、私は自分が眼鏡を作るきっかけとなった出来事を思い出してしまった。


「一日で二十四人も死んじゃうんですね」


「……どうだろう。流石に交通事故が多過ぎる気もするけど」


 サチの言う通り、本当に多過ぎるんだろうか。あんな出来事があるまで交通事故とか全然意識していなかったからわからない。でも東京って千万人くらい住んでるらしいし、そう思うと妥当な数字のような気がしないでもない。


 私は間一髪の所で事故を免れた。でも、そのせいで一つの命がこの世を去った。


 治癒魔法の勉強をしている時に知った事だけど、幼い動物の頭蓋骨はとても不安定らしい。骨が柔らかくて穴まで空いているんだそうだ。それは今後大きくなっていく脳に合わせて頭蓋骨も大きくなる為の仕組みであり、脳が最大まで成長した頃には穴も塞がって頭蓋骨も硬くなるのだとか。


 前に歯が抜けた時もサチから似たような事を教えてもらったっけ。生き物の体ってよく出来てるんだなと、そう思った。でも、そんな知識を知っているから尚更考えてしまう。もしかしてあの事故は私が直撃した方が良かったんじゃないかと。私だってまだ幼い動物ではあるけれど、それでも産まれたての赤ちゃんに比べたら骨だって出来上がっている筈だ。車やトラックならまだしも、事故を起こしたのはただの自転車。自転車くらいの直撃なら、骨折は避けられないにしても死ぬような事は……。


「りいちゃん」


 と、そこで私の思考は停止する。サチに呼び止められた事で、私の意識は思考の世界から現実の世界へと舞い戻った。


「変な事、考えないでね」


 困ったように苦笑いを浮かべるサチの表情を、とてもよく覚えている。

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