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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
[第2.5話 魔女と日常の話]
95/369

約束の券

三話までしばしの日常回 17/20

「あっひゃひゃひゃひゃーっ! なんだよこれ! ぜってえヤラセだろ!」


 次の瞬間、濁音の塊のようなノイズが隣から鳴り響く。それから時間差で俺の鼻に直撃する異臭。隣に視線をやると、空いたベッドのスペースで有生が横向きに寝そべりながら尻を掻いている。有生の視線はテレビに映るありえへん世界の世界衝撃映像に釘付けだ。これが実家なら下品な女の何気ない日常の一コマで済む話なんだろうけど、ここ俺の病室なんだよな。


「おい有生」


「あ? なんだ?」


「お前今屁ぇこいたろ」


「……」


 有生は上体を起こし、伸びをしながらポキポキと体を鳴らす。体を解してリフレッシュした所で、有生の視線は俺の方へと向けられた。


「こきましたが?」


「開き直ってんじゃねえよ! てめえ帰れよマジで!」


「つっても私ほぼ毎日ここに来てるわけだしな。もはや第二のホームと言って過言」


「過言だよ!」


 俺の怒鳴りを聞いた所で、有生はケラケラと面白おかしそうに笑うだけだった。俺は二時間前の出来事を思い出す。


『ごめんりいちゃん! 今日帰るの遅くなっちゃう!』


 全ての始まりはそれだ。見舞いに来た有生のスマホに有生のおばさんから通話が来たんだ。有生との距離は結構な至近距離だったし、スピーカーの音量も大きかったから話し声は丸聞こえだった。


『お客さんが悪酔いし過ぎちゃって今お店が大変な事になってるの……! 悪いけど晩御飯は適当に冷凍食品チンして食べて?』


 スピーカーの向こうからはそんなおばさんの声とは別に、とてもガラの悪そうな怒声も響いている。よっぽどめんどくさい事に巻き込まれているであろう事は容易に想像出来た。そしてそんなおばさんの言葉に最も焦りを見せたのが他でもない有生だった。


『え……。遅くなるってどのくらいですか? 私今日家の鍵忘れて来ちゃったんですけど……』


 なるほど。そりゃ確かに焦る。納得だ。ここまでは間違いなく納得だった。……でも。


『えー⁉︎』


『あ、ちなみに二十時までには帰れそうですか?』


『二十時? そうだね、流石にそんなにはかからないと思うけど……』


『じゃあ私それまでダイチの病院にいるんで迎えに来てください。ここ面会時間十四時から二十時までなんで』


『あ、そう? じゃあよろしくしちゃおうかな。ありがとね、りいちゃん』


『いえいえ、どういたしまして』


 そのやり取りだけはどうも納得出来そうにない。


『まぁそう言うわけだからよろしく頼むわ』


『どう言うわけだよ⁉︎ 大体何でてめえが礼を言われてんだよ! 礼を言われるべきなのはどう考えても俺だろ⁉︎』


『お、ここのテレビNHK映んじゃん。無料で見るNHKは最高だな!』


『聞けよっ!』


 そんな悲痛なやり取りがあったわけだ。


 有生のやつ、遠慮なしにテレビを見てるけどこれが有料だって知ってんのかな。多分知らねえんだろうなぁ……。


 なんてことがあったのが少し前の出来事。そんなこんなで有生は今、俺の病室を我が物顔で占領している。


「そう怒んなって。お前普段この時間は一人だろ? よかったな、今夜は人恋しい思いしなくて済むぞ」


「その代わりに人憎たらしい思いでいっぱいだよ」


 と、その時。病室の扉がノックされる。一瞬、予定より早く有生のおばさんが来たのかと期待したものの、ノックの後に続いた「失礼しまーす。夕食のお時間でーす」の声で相手が看護師である事が判明した。俺はガッカリした気持ちを胸に押し込み、少しで気分を晴らそうとテーブル棚の上にあった天然水を飲んだ。


 そういえば夕食まだだったか。この病院では十八時から十八時半の間に夕食が配膳される。今は十八時半を少し過ぎた辺りか。今日は遅めの配膳だったな。


「……」


 ふと、隣の有生に視線を向ける。どうせならもっと遅く配膳して欲しかった……。


「遅くなってすみませーん。……あれ? 妹さんとかかな?」


 配膳係は夜担当の看護師だった。有生はほぼ毎日ここに通い詰めているだけの事はあり、昼担当の看護師とはすっかり顔馴染みだが、この人と会うのはこれが初めてになる。


「初めまして。ダイチの母です」


 天然水吐いた。


「クラスメイトですっ‼︎」


 すぐさま気を取り直して訂正する。


「クラスメイト? あー……彼女さんとか?」


 訂正したにも関わらず深読みを始める看護師。すると有生は数秒程何かを考えた後。


「妾です」


 そう答えた方が面白いと判断したのだろう。笑顔でそう答えるもんだから空のペットボトルを投げつけてやった。


「お前いい加減にしろよ⁉︎ こちとらてめえのせいで既に一回変な噂が広まってんだよ馬鹿!」


「あぁん⁉︎ てめえ人を馬鹿呼ばわりするならなんか適当な教科言ってみろ! ぜってえ私の方が成績上だから!」


「体育!」


「看護師さん、夕食の配膳お疲れさん。私こいつの見舞いに来たんだけど家の鍵忘れちまってさ。親が迎えに来るまでここにいさせて貰ってんだ。面会時間が終わるまでには帰るよ」


「てめえから吹っかけといて話逸らすな!」


 看護師は苦笑いを浮かべながらベッドテーブルを設置し、その上に夕食を並べた。


「それじゃあ四十分後に下げに来ますね。お友達さんも患者さんのご飯食べちゃダメですよー?」


「あっはっはっはっ! 流石にそんな事しねえって! 鬼かよ私は! 夜勤頑張れよ!」


 病室を後にする看護師にエールを送る有生。看護師が病室のドアを閉めると。


「なぁダイチ。相談があんだけど、もしかしてお前今食欲なかったりしない?」


 その切り替えの速さに反吐が出そうになった。


「しない」


 俺は有生を突っぱねて夕食に手をつけた。そんな俺の耳に有生の腹の虫の音が聞こえる。


 俺は配膳された夕食とそこに添えられた献立メモに目を向ける。今日の夕食はご飯二百グラムにウインナーと野菜のソテー、味噌汁、そして海苔和えにカットオレンジか。そんな俺の耳に有生の腹の虫の音が聞こえる。


 病院食って朝が超貧相、夜が貧相、昼が豪華って感じなんだよな。昼間は大皿に大きなエビフライが二本とか出てきたりするけど、夕食と朝食は全ての皿が小皿だもん。そんな俺の耳に有生の腹の虫の音が聞こえる。


 俺はまずウインナーと野菜のソテーの野菜を一口口にした。人参にキャベツ、それにピーマンも。野菜とは言え一緒にソテーされたウインナーの油が絡まっているから味はしっかりとついている。そんな俺の耳に有生の腹の虫の音が聞こえる。


 次に俺は味噌汁を飲んで一息つく。立て続けに暖かい物を口にしたもんだから、次は冷たい物が恋しくなって海苔和えにも手をつけた。さっぱりとした爽快感が口の中を走ってとても満足の行く夕食だ。……ほんと、これだけでも十分ってくらい満足が行った。


「……食う?」


 だから俺はさっきから腹の虫を鳴かせ続ける有生に残った分を明け渡す事にした。


「ダイチぃ……!」


 別に好意でも老婆心でも同情でもなんでもない。ウインナーと野菜のソテーには玉ねぎも存分に入っていて、それが不快だっただけだ。残すと看護師に色々言われるし、こいつが処理してくれるならそれに越した事はないだろ。俺は心底幸せそうに食事にありつく有生を見ながら静かに時間が流れるのを待った。


「いやー本当悪いな? 毎度毎度ここに来る度に食いもん催促してるみたいでさー。別に私だってそんな気全然ないんだけど、なーんかここ来ると毎回美味そうなもんが置いてあるもん。不思議だよなー本当」


「……」


 せめて黙って食ってくれ。そんな俺の願いが神に届く事はなく、俺はそれから数分間有生の見苦しい言い訳とクチャクチャした咀嚼音を聞かされる羽目になる。……で。


「ダイチぃ……」


「何?」


「お前が中途半端に食わせるせいで余計腹減ったぁ……」


 有生は半泣きしていた。何で飯恵んでやった俺が泣かした感じになるのか、それだけはマジで納得がいかなかった。


「売店で何か買おうかな……」


 財布を開いて所持金を確認する有生。しかし。


「あれ……?」


 財布をガッツリ開いてその中を確認し、続けて財布をひっくり返して中の物を全て俺のベッドへ撒き散らす。俺のベッドに散乱する保険証、ポイントカード、割引券、割引券、割引券、ポイントカード、ポイントカード。こいつの財布飲食店のポイントカードと割引券ばっかだな。他に落ちた物と言えば十円玉が数枚って所か。到底売店で買い物が出来る資金じゃないな。


「そういえば高めのウインナー買ったから次の小遣いまで金ねんだわ……」


 有生はそう言って俺の布団に潜り込み、ふて寝を始めた。


「散らかしたんなら片付けろよてめえよーっ⁉︎」


 とか言いつつも自由に動かせる左手で散らばった財布の中身を纏めてる辺り、マジで俺ってこいつに甘くなってんのかも知れない。各種ポイントカードと割引券を拾い上げ、期限切れの割引券はくず箱へ投げ捨て、数枚の硬貨と保険証も拾い上げる。


「……」


 保険証も拾い上げて、そしてスマホのカレンダーに目を向けた。





「りいちゃん。りーいーちゃん」


 空腹を誤魔化す為にふて寝した有生が目を覚ましたのは、それから一時間ちょっとが経過した時だった。俺が何度「狭い」だの「あっち行けよ」だの言ってもうんともすんともしなかった有生が、おばさんのその一言で簡単に目を覚ます。


「……サチ」


「ごめんね? 待たせちゃって」


 親が迎えに来たと理解するや否や、有生はすぐに上体を起こした。それでも体はまだ起床についていけてないのだろう。有生は大きな欠伸をしながら伸びをする。


「ダイチくんもお邪魔しちゃってごめん」


「本当っすよ。俺の夕飯まで催促されたし」


 おばさんの目付きが変わった。


「りいちゃん……?」


「し、知らない記憶ですねぇ……?」


 ま、これ以上の追撃はしないでやるけど。


「大体こいつ見舞いに来過ぎでしょ? ほぼ毎日見舞いとか家族かっての。おばさんからもやめさせるように言ってくれません?」


「そうねぇ……。私もダメ男に入れ込むのはよくないよって、何度も思ってるんだけどね。でもやっぱりりいちゃんの意思は尊重してあげたいから」


「今ダメ男って言いました?」


 まぁ、間違ってはないけどさ。


 有生のおばさんはお茶目な表情で冗談めかしくそう言うけれど、俺にはそれが仮面を被っているようにしか見えない。多分……いや。間違いなくこの人は俺の事が嫌いだ。今までもそれらしく感じられる出来事は多々あったけれど、以前この人の前で俺が有生にして来た仕打ちを白状してからは、より一層俺の事を憎むようになった気がする。有生との間で起きた出来事を白状した時、おばさんは顔こそ笑っていたけれど、その拳には力が込められて震えていたのをよく覚えている。


「冗談だよ。ありがとね? 今日は凄く助かった」


「……うっす」


 そう言う今の顔だって、表情は笑っているのに目は全然笑ってねえよ。


「じゃあ帰ろっか?」


 おばさんは俺との会話を済ませると、有生に向かって手を差し伸べた。


「はい!」


 有生はその手を取って、ベッドから腰を上げる。


「じゃあなダイチ! 明日もまた来るぞ!」


「来るなっつうの……」


 そして俺と別れの挨拶を済ませ、二人で病室の出入り口へと足を向けた。


「……」


 一歩。


「……」


 また一歩。二人は着実に出入り口へと近付いていく。遂に二人は扉の前まで足を踏み込み、そしておばさんが扉を開け、病室の外へ足を踏み出して。


「有生」


 この病室から完全に退室しようとしたその寸前。俺は有生の背中を、有生の名前を呼ぶ事で引き止めた。


「ん?」


 有生はすぐに足を止めた。おばさんは構わず足を進めようとしたけれど、足を止めた有生に合わせて嫌々足を止めたように見えた。俺はおばさんの意思を尊重して、とっとと伝えるべき事を、必要最低限の言葉で伝える事にした。さっさと伝えてさっさと帰ってもらう事にした。


「おたおめ」


 本来の文章を四文字にまで短縮して伝えたと言うのに。


「……」


「……いや、さっきたまたま見たから」


「……」


「三日後なんだろ? 当日だとお祝いとかでお前こっちに来ないかもしんないし」


「……」


「俺文無しだからなんかあげれるもんある訳じゃねえけど。でも一応ほら、忘れないうちに……」


 変な間に耐え切れず、結局俺はそんな言い訳じみた言葉をたらたらと、長々と、女々しくも吐き漏らしてしまうのだった。


「ダイチ」


 そして、そんな俺とは対称的に、有生の答えはとてもシンプルなものだった。


「サンキュー!」


 必要最低限の感謝と、そして満面の笑み。言い訳も回りくどさも存在しない、酷く純粋な答え。それはもう言い訳たらたらの自分が恥ずかしくなる程だ。俺は次にどんな言葉を返すべきなのか思い悩んだものの。


「あ、サチ! 私ちょっとトイレ行って来ます!」


「あー、りいちゃん! 面会時間そろそろ終わるから早くね!」


 有生は唐突に尿意を催したのか、おばさんの手を離してトイレのある場所まで駆けて行く。次の言葉に悩んでいた俺にとってはとても都合の良い出来事だった。……が。


「……」


 有生がいなくなったらいなくなったで困る事もある。俺は間違いなく俺の事を嫌っているであろうこのおばさんと二人きりになってしまったのだ。おばさんは廊下の外で、不思議そうな、驚いたような、そんな曖昧な表情で俺の事を見ている。


「……なんすか?」


 いても立ってもいられず、結局俺はおばさんにそう問い返してしまった。おばさんはそれからも暫く俺の事を見続けていたけれど。


「……ううん。なんでも」


 気のせいだろうか。それまでずっと射殺すように俺を捉え続けていたその視線が、なんだか柔らかい。おばさんは病室のドアを閉めると、俺の側までやって来て近くの椅子に腰を下ろした。そして頬杖をつきながら、俺の事をただただ見つめていた。


「私ね。結構人の好き嫌いが激しいんだ」


「は?」


「中でも一番嫌いなのはりいちゃんを傷つける人。りいちゃんを嫌っている人も同じくらい大嫌い」


「……」


「ま、逆なら話は変わって来るけどね」


 その瞬間、おばさんの表情が豹変する。それまで作り物のように感じられた仮面のような表情が、一気に物腰柔らかな物へと変わっていった。茶目っ気というか、イタズラな笑みというか、まるで俺をからかうように、子供みたいないやらしい笑みを俺に向けて来たんだ。


「りいちゃん、可愛いもんね?」


「……何が?」


「さあ、何かなー? でもりいちゃんいい子だもんね?」


「だから何が?」


「さーねー? 何だろうねー?」


 それから有生が戻って来るまでの数分間、俺はおばさんに存分に玩具にされた。


「それじゃあなダイチ! いい子にしてればケーキの残りくらい持って来てやっからよ!」


「いらねえよ。さっさと帰れ」


 そして午後十九時五十五分。俺の人生で最も長いお見舞いは、ようやく幕を閉じようとしたのだった。……そう、幕を閉じたんじゃない。幕を閉じようとした。この長いお見舞いにはもう少しだけ続きがある。


「うぉおビビったぁ⁉︎」


 それはふと窓を見た瞬間だった。暗い屋外と明るい室内によって鏡としての機能を持ち合わせた窓ガラスに、俺以外の人物が映り込んでいたのだから。


「た、タロウ⁉︎ はぁ⁉︎ 何だお前、何でここに……?」


 俺以外に誰かがいてはおかしいはずのこの病室にいつの間にかタロウが立っていた。こいつと最後に会ったのっていつだっけ。多分二週間ぶりじゃねえか? 週に二回、担任がクラスメイトを数人引き連れて代わる代わるお見舞いに来ていて、確かその時に……。


「ここ、僕の妹も入院しているんだ」


「え……あ、そうなん?」


「うん。循環器内科だから別の病棟だけど、お見舞いには毎日来てるよ」


「へー……」


 いや、へーじゃないな。


「だとして何でここに?」


「クラスメイトのお見舞いに行くのっておかしい事?」


「いや、そりゃそうだけど……」


 そうだ。その通りだ。クラスメイトのお見舞いに来る事自体に変な所はない。けど大して仲良くないお前が。俺に良いように玩具にされていたお前が。俺の事を憎んでいるはずのお前が見舞いに来るのは、やっぱりどう考えてもおかしい事だ。


「今朝、お父さんに言われたんだ。男の子の友達も作ってみたらどうかって。僕、みほりちゃんしか友達がいないから。これなら満足?」


「別に……。満足も何も見舞いに来た理由とか求めてねえし。ってかお前いつからいたんだよ?」


「……」


 どうしたんだろう。普段なら誰の質問でも、どんな質問でもすぐに答えるタロウが、その質問にだけは中々答えてくれない。でも、次にタロウは俺にこんな質問を投げてきた。


「みほりちゃんの事、好きなの?」


 それは俺の質問に対する間接的な答えでもあった。


「殴ったのに」


 こいつが正確にいつからいたのかまではわからない。


「タバコを押し付けようとしてたのに」


 けれど、少なくともさっきの俺とおばさんのやり取りだけは確実に見ていた。それだけは間違いのない事実だと確信出来た。


「楽しそうにいじめていたのに」


 タロウの言動を見ていてふと思う。こいつ、なんか急に流暢に話すようになったなと。良い意味で人間臭くなったような気がする。


「ダイチくんのせいであんな傷まで作ったのに」


 ……いや、今回に限っては悪い意味って言った方が正しいのかもしれない。だってこいつが今俺に問いただしている気持ちの根っこの部分って、きっと……。


「馬鹿じゃねえの? 誰があんなガサツデブ好きになるかっての」


「そう?」


 タロウは俺の返答を聞くと「お大事に」と一言だけ残し、興味を失くしたようにスタスタと出入り口の方へと向かって行った。この話はここで終わりだ。終わらすべきだったんだ。なのに何故だろう。


「もしそうだっつったらどうなるわけ?」


 どうして俺は、そんな余計な一言をタロウにかけてしまったんだろう。何も言わなきゃタロウはそのまま帰ったはずなのに、踵を返してまたこっちに来ちまったじゃないか。鞄の中をゴソゴソ漁って、それを俺の前に差し出して来るしよ。


 俺はタロウからその紙切れを受け取った。酷く醜い字で書き殴られた長方形の紙切れだった。そりゃそうさ。この字を書いたのは一ヶ月前の事。左手以外、ほぼ全ての関節も筋肉も動かせない状態で寝込んでいた俺が書いたものなんだから。


『それはタロウに渡してくれ』


『タロウに? 顔……叩き券?』


『そ。イライラする事があったら好きな時に俺の顔殴らせてやる。有効期限は卒業するまでだ。お前も好きな時に使っていいぞ』


 ぴとりと。或いはペチペチと。俺の頬に刺激が走る。タロウが手加減しているのは明白だった。本気のこいつが俺を殴れば、親父から受けた程度の暴力とは比較にならない程俺の顔面は崩壊するはずだから。


「……」


「……」


 それから一分程俺の頬を叩いた後、タロウは何も言わずにこの病室を去っていった。……いや、病室を去る一歩前に、最後に一言だけ呟いたっけ。俺はタロウのその一言を聞いて、こう思ったんだ。


「僕はみほりちゃんの為にプレゼントを買ったよ」


「……」


「シャネルのバッグを」


 いやそれ絶対受け取って貰えねえから。って。


「食いもんとかの方が喜ぶぞ」


「……え?」

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