歯
三話までしばしの日常回 14/20
「あ」
夕飯を食べている時だった。りいちゃんが唐突に何かを呟いたかと思うと、徐に手を口に当ててそれを取り出した。
「歯、抜けました」
「え! 本当⁉︎」
りいちゃんの小さな手のひらに乗っていたのは間違いなくりいちゃんの乳歯。そうかー、やっと抜けたんだ。
「わー、長かったなぁ……。早い子は幼稚園の頃から抜け始めるのに、りいちゃんは全然抜けないから心配してたんだよ……。あ、そうだ!」
私は咄嗟にそれを思い出し、自室から持ってくる。いつか使うだろうと思って買ってたのに、まさか今日の今日までとっとく事になるなんてね。
「じゃーん!」
「何ですかそれ?」
「乳歯ケース!」
りいちゃんに乳歯ケースを渡す。ケースを開くと、そこには上下それぞれに歯が入る窪みがぽっかりと空いていた。
「風習って言うのかな? 私が小っちゃい頃は上の乳歯が抜けたら縁の下に、下の乳歯が抜けたら屋根の上に投げてたんだよね」
「あー、確かに嫌いな奴の家に投げたら不幸な目に遭ってくれそう」
「別に呪いの儀式とかじゃないから……。歯を投げた方向に向かって永久歯が生えますようにっていうおまじないだよ。でも最近だとこういうケースにしまってとっておいたりもするの。記念になるでしょ?」
「これ全部埋まれば願いとか叶う的なやつですか?」
「叶わない的なやつだね。ドラゴンボールじゃないんだよ」
「でも……」
ふと、りいちゃんが鏡を向く。人差し指を口に引っ掛け、いーっとしながら自分の顔を眺めていた。
「なんかキモくてやだ……」
まぁ前歯が抜けちゃったわけだしね。りいちゃんくらいの歳の子が見た目に戸惑うのも仕方がないか。
「心配しなくても大丈夫だよ。歯が抜けてもちゃんとブサ可愛いもん」
「なんでブサをつけたんですか?」
でも言われて気づく。私も小さい頃は歯の抜けた口を見られるのが嫌で、しばらく喋る回数を減らしたり極力笑顔にならないようにしていたと。りいちゃん、何度も嫌そうな顔をしながら鏡を見てるな。これからどんどん歯が抜け落ちていくのが不安なのかも。
「歯が抜けるの嫌?」
「当たり前じゃないですか……。こんな口じゃ人前で笑顔にもなれませんよ」
「じゃあこうしよう! この乳歯ケースが全部埋まったら、記念に欲しい物を買ってあげる」
「マジですか⁉︎」
私の言葉を聞くや否や、りいちゃんはドタバタと慌ただしくリビングの隅に置かれた棚を漁り出した。りいちゃんが棚から取り出したのは小さなベンチ。りいちゃんは鏡を見ながらベンチを口の中に突っ込んだので。
「こらこらこら」
「あ!」
私はベンチを取り上げた。
「乱暴にしちゃダメでしょ?」
「だって私ここに来てもう五年ですよ? 五年経ってやっと一本なのに、残り一年で全部抜ける可能性とかミジンコ以下じゃないですか」
「だからって今全部抜く人がどこにいるの……」
「急がば急げ。思い立った頃には吉日は終わっている。これが私のモットーです。行動力のある賢い選択だと思いませんか?」
「考えなしの馬鹿な選択だと思うな……」
私の座右の銘と正反対を行くそのモットーに思わずため息が出てしまった。
「わかったわかった、じゃあ乳歯ケースの三割でも埋まれば買ってあげるから。自分でいじったりしないでよね?」
「それってつまり全部埋まれば欲しいもの三つ買って貰えるって事ですよね?」
「自分で抜いたら買ってあげないからね⁉︎」
変な所で頭を使おうとするから困ったものだ。
夕飯を再開する。しかし夕飯を咀嚼するりいちゃんの表情はどこか不満気だった。
「やっぱり前歯ないと食べ辛い?」
「食べ辛いというより血の味が気になります。なんか全然止まる気配が……」
「えー? ちょっと見せて」
りいちゃんの口を覗いてみると、確かに歯の抜けた穴からはポタポタと血が滲んでは垂れていた。
「体感一リットルくらい出てる気がします」
「本当に体感過ぎて当てにならない」
「うがいとかして洗い流した方がよくないですか?」
「ダメダメ、水に血が溶け出て逆効果だから。血がもったいないよ。ちょっと待っててね?」
私は救急箱を引っ張り出してガーゼを取り出した。
「はい、これを詰めてしばらく噛んでね?」
「えー……こんなの絶対痛いですよ」
「我慢して? すぐ治まるから」
「でも私って歯に衣着せぬ性格じゃないですか」
「上手いこと言わないの」
少々無理矢理気味にだけど、りいちゃんの歯の抜け落ちた隙間にガーゼを噛ませた。とは言えなんともやりきれない表情をしているなぁ……。
「歯って何で抜けるんですかね……。この後結局永久歯が生えてくるなら二度手間じゃないですか」
「頭蓋骨の成長に合わせてるんだよ。子供の頃は小さな頭蓋骨に合った小さな乳歯、頭蓋骨が成長して大きくなったらそれに合わせて歯も大きな永久歯に入れ替わる感じだね」
「生き物って面倒臭え体してますね。最初から大人サイズで産まれて来たらいいのに」
「お母さん死んじゃう」
「あ、でもこれ凄いですね。もう血が止まりそう」
「本当? ならよかった。でも大分血を吸っちゃったね……。あー、もったいない」
「ならこのガーゼ献血ルームにでも寄付しましょうよ」
「よだれ入りの血なんか輸血したくないよ」
口の中から血を存分に吸い取ったガーゼを取り出す。歯の抜けた穴を見てみると、すっかり出血は止まっているように見えた。とりあえずはこれで一安心かな?
私達は再度夕飯を再開した。でもやはりりいちゃんの表情はあまりよろしくはない。
「やっぱり食べ辛い?」
テーブルの上の夕飯を見ながら思わず悩む。今日の夕飯はタケノコ入りのペペロンチーノだ。タケノコの歯応えが結構キツいのかもしれない。
「これなら食べられそうってものはある?」
「ステーキセット野菜の付け合わせ抜き」
「食べたいものじゃなくて……。ステーキ噛めるならタケノコも噛みなよ」
「いえ、わりかし真面目に。別に歯応えは問題じゃないんですよ。むしろ歯がうずうずしてるんで硬い物をギチギチ噛みたい気分です。なんかこう……ガッツリ噛める硬い物ってありませんか?」
「ガッツリ噛める硬いもの……」
キッチンへ行き棚や冷蔵庫を物色してみると。
「さきいかとピーナッツとフライパンならどれがいい?」
「最後の奴なんですか。とりあえずピーナッツで」
りいちゃんはピーナッツを頬張った。
「どう?」
「そうですね。これ言うと食べる前に言えよって話になりますけど」
「うん」
「私柿ピーのピー大嫌いなんですよね」
「食べる前に言ってね」
「味は好きなんですよ? ただ歯に詰まった時のむずむずはどうしても好きになれません」
「気持ちはわかるけど」
続いてりいちゃんはさきいかに手を伸ばして咀嚼を始めた。するとどうだろう。さっきまでと比べて表情がどこか穏やかだ。
「今度は満足した?」
「はい。いいですねこれ、歯茎全体にこそばゆい痛みが広がっていってむずむずを相殺してくれてます」
「ならよかった」
「ついでに火で炙ってからマヨ醤油とかつけて食べてみたいって思いました。飲んだらクゥーッてなるような辛口の飲み物なんかも欲しくなりますね」
「りいちゃん、実は背中にジッパーついてて中からおじさん出てきたりしないよね……」
と、その時。
「あ」
「え?」
さきいかを噛み締めるりいちゃんの口が止まる。
「二本目抜けました!」
「……嬉しそうだね」
「これで欲しいの二個ゲット!」
「ルール変えないでね」
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