家出 ②
三話までしばしの日常回 12/20
◇◆◇◆
「……何?」
「家出」
有生は病室の床にリュックを下ろし、俺の布団の中に潜り込んだ。
「おいふざけんな! 家出じゃねえよ! 何入って来てんだよ⁉︎」
ミノムシみたいにくるまった有生から布団を引っ剥がす。布団を引っ剥がせるくらいには体力も回復しているという事だろう。全治数ヶ月の怪我を負った俺の体も、今や右手と右足にギブスを嵌めて肋骨骨折用の胸部固定帯をつけるのみとなった。正直、こうして腕に力を入れると肋骨が痛むが、それでも我慢が出来るくらいには回復している。一ヶ月ちょっとでここまで回復した事に医者も相当驚いていたな。
まぁその反応も当然か。医学的な知識がゼロの俺だって、一ヶ月ちょいであの体がここまで治るのがあり得ない事なのはわかるよ。わかるけど……、でも、なんつうのかな。これが原因って言うのは違うと思うけど、有生が見舞いに来る日ってめちゃくちゃ調子がいいんだ。調子がいいって言うか、心地がいいって言うか……。本当ただの偶然だとは思うんだけど。
まぁそれはそれとしてだ。今はそんな体の異常よりもこの身勝手な女を退かす事の方が先決だ。俺は有生から布団を取り払って。
「てめえさっさと出て……」
取り払って……。
「……ダメ?」
「……」
結局有生の体に布団をかけてしまった。涙に塗れた有生の顔が俺から抵抗の意思をごっそりと奪っていく。
「……お前、最近私に甘いよな。それも罪悪感か?」
「別にそんなんじゃねえよ」
「中々良い傾向だ。死ぬまで尽くさせてやる」
「やっぱ出てくかてめえ……?」
布団の中から微かに有生の笑い声のような物が漏れてくる。
「……サンキューな。明日には帰るから」
「暗くなる前に帰ってくんねえかな……」
心の底から断った。
「……それともう一つ頼みがあるんだけど」
「何だよ?」
スゥッと、布団の中から有生の手が伸びる。その拳からは人差し指が一本だけ立っていて、ベッドの隣のテーブル棚の上を指差すじゃないか。
「そこのゼリー、食っていい……?」
そこには一目見ただけでお見舞い品である事がわかる、見るからに高そうな箱に詰められたフルーツゼリーセットが置いてあった。
「……勝手にしろ」
有生は上体を起こしてゼリーを食べた。
「大体家出するにしても何でここなんだよ? タロウの家泊まれよ。ここより広いだろ」
「……年頃の男女がお泊まりとか馬鹿かよお前」
「年頃の男女が同じベッドなのは馬鹿じゃねえのか⁉︎ なぁ⁉︎」
「……しょうがねえだろ? 私あいつん家で遊んだ事ねえんだ。あいつの親父が友達を家にいれるの嫌がんだよ。……それに、前に偶然犬の散歩をしてたタロウの親父と会ったんだけどさ。なんか私、嫌われてんのかなーって感じた。……あ、ゼリーもう一個いいか?」
「……。もう全部食えば?」
「いや、流石に一個は残すよ」
「半分以上は残せよっ‼︎ 礼儀として!」
真面目な話になりそうで身構えた俺がアホだったわ。まぁ実際全部食ってもらっても構わないんだけどさ。安物とは言えこっちは毎日三時になったらおやつとしてゼリーやプリンが支給されているわけだし。それにこのゼリーも実質有生の物と言っても過言じゃないわけだし。
それからしばらく、啜り泣きながらゼリーを貪る有生の姿を見せつけられる。
「……もういいや。食欲ない」
有生はゼリーを五個ほど食べた辺りで再び布団にくるまった。
「……ダイチ」
「あ?」
有生は布団から手を出すと、俺にスマホを渡してきた。
「私、今から不貞寝するから。サチから謝罪のメッセージとか来たら起こせよな?」
「……」
「痛い……痛いよぉ……昔お前に腹パンされた古傷が今になって……あれ本当痛かった……っ、ああぁぁぁ!」
「わかったよ!」
この野郎、寝息立てた瞬間ベッドから突き落としてやる。己の心にそう誓い、有生が眠るのを静かに待った。
有生が寝息を立てるまでそれから一分もかからなかった。
「早えよ……」
思わず独り言が漏れる。俺親父との一件が終わってからは、あいつに泣きながら許しを求めた自分が恥ずかしくて情けなくて、しばらくはまともに寝る事も出来なかったんだけどな。それに比べてこいつの神経の図太さよ。本当に傷ついてんのか疑わしいまである。
俺は小さくため息をついて、こいつが目を覚ますまでの時間をスマホで潰した。
「……」
スマホで時間を潰したいんだけど。……なんだろう。画面に映る文字が頭に入って来ない。文字の羅列をただ読んでいるだけで、その意味が頭に入ってきてくれない。なんていうか……気になる。
布団を捲り上げて中身を確認すると、有生は俺からほんの数センチ離れた所で猫みたいに背中を丸めながら無防備に眠っていた。暇つぶしに集中出来ないのって絶対こいつのせいだよな。マジで突き落とした方がいいんじゃねぇかな。これから先、こいつの身に何かある度にここを避難先に指定されるのもたまったもんじゃないし。
……と、その時。
「失礼しまーす」
病室のドアがノックされる。
「おやつの時間ですよー」
ドアの外からそんな看護師の声が聞こえて来た時には、俺は既に行動を終えていた。掛け布団の隙間から長髪や腕がはみ出ていた有生の体を反射的に引き寄せる。布団のより奥の方へとその体を引き込んでしまった。
「こんにちはー。どう? 痛い所ある?」
「あ……いやもう全然。おかげさまでめっちゃ元気っす……」
「そう? なんかすごい汗だけど痛いの我慢してない? 顔も真っ赤だし…」
季節は本格的な夏に移り変わった事で室内の冷房管理は万全。ここ最近は汗の一滴垂らした覚えもないのに、何故か額からは汗が止まらなかった。
「してないしてないしてないしてない! マジで全くしてないんで! 本当大丈夫なんで! 心配してくれてあざっす!」
「ならいいんだけど……。本当に無理はしないでね? とりあえずテーブルセットするから……って」
看護師はベッドテーブルにカットフルーツの入った小皿を乗せると、不自然に膨らんだ掛け布団に視線を送った。
「布団の中で膝立ててる? テーブルセット出来ないんだけど」
「いや、その……」
俺は布団の中の左手で有生の体をより一層こちら側へ引き寄せる。当然その程度で布団の膨らみが萎むはずもないのだが。
「別に膝ではないんすけどね。……いやー、なんなんですかね……?」
俺は苦笑いを浮かべた。良い言い訳なんて思いつくはずもなく、苦笑いを浮かべるしかなかった。数秒先の未来が目に浮かぶ。きっと俺はこのまま看護師さんに布団を捲られ、そして布団の中身を見られるんだ。あーあ。看護師の間でどんな噂が蔓延するんだろう。そんな噂に囲まれながら俺は残りの入院生活を……。
逃げ場がない。そう悟った俺の心境はむしろ穏やかだった。これは遅刻寸前だと焦るものの、遅刻が確定すると逆に落ち着いて登校出来るあの時の感覚に似ている。覚悟の出来た者の境地だ。
……と、その時。看護師の視線が揺れた。不自然な膨らんで布団ではなく、俺自身を観察するようにじーっと俺の顔を覗き込んで来るのだ。
「顔が赤くて……」
「はい?」
「汗が出てて……」
「え、何?」
「布団の中が膨らんでて……」
「あの看護師さん?」
「左手も布団の中でなんかゴソゴソしていて……」
「ストップ。あの、看護師さんストップ! 違う! それ多分違う! いや確実に違うやつ!」
「ダイチくん?」
看護師の顔を見上げると、彼女はとても穏やかな笑みを浮かべていた。全てを察し、なおかつ全てを受け入れようとする聖母のような笑みだった。看護師はそれ以上の言葉は何も言わず、静かに病室の外へ出て行く。でも病室の扉が閉まり切る寸前。
「あ、小林さん聞いてよ! 私びっくりしちゃって! 男の子って小学生の時からもう」
そんな言葉が俺の両耳に届いた。病室の扉が閉まると同時に外の音はシャットアウトされた為、あの看護師と小林とかいう看護師の間でどんな会話が交わされているのかを俺は知る事が出来ない。同級生の女を連れ込んで一緒に寝ているとかいう不名誉な噂を回避する為の攻防戦だったはずなのに、結果的に同級生の女と一緒の布団で寝ていた方がまだマシな噂が流れていたんじゃないだろうか。俺はこの怒りとやるせなさの矛先を有生へと向ける。
「この野郎……っ!」
こいつのせいだ。全部この女のせい。何で俺が家出の避難先に選ばれた挙句、看護師にあらぬ誤解までされなきゃいけねえんだ。俺はせめてもの仕返しにこいつの頬を力の限りつねって叩き起こそうとしたものの。
「……」
有生の頬に手を伸ばした瞬間、俺の左手に濡れた感触が宿った。有生の瞳から溢れて頬を伝っていくその雫は、俺の中から反抗の意識を根こそぎ掻っ攫っていく。本当、こいつの言う通りだ。最近、どうも俺はこいつに強く出れない。罪悪感ってのはなんて面倒な感情なんだろう。
少しして、有生の寝顔を意味もなく数十秒も眺めていた自分の異様さに気がついた。俺は僅かに体勢をずらして有生から距離を取り、引っぺがした掛け布団をもう一度有生の体にかけてやった。
「……あ」
有生が起きるまでの暇つぶしを再開しようとスマホを取り出しネットの海を漂っていると、納得のいかない出来事を見つけてしまい俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。それは一時間程前に暇つぶしで答えてやった親子喧嘩女子の知恵袋だ。結構自信のある回答をしたつもりだったけど、生憎ベストアンサーはとても下品な回答をした馬鹿みたいな奴に奪われていた。
「よ」
「……」
有生を夢の世界から連れ戻した音はスマホのアラームでも俺の掛け声でもなく、有生の腹から響いたバカみたいな虫の音だった。
「……私、何時間寝てた?」
「二時間ちょい」
有生が窓の外を覗く。夏に突入したばかりの空の色はまだまだ青い。
「ダイチ」
「何だ?」
「腹減らね?」
「……食えよ」
有生は六個目のゼリーに手を伸ばした。
「いやー、悪いな。なんか催促したみたいでさ」
「そういうのを催促したって言うんだよ……」
そういえばこいつ、ちょっと前に急激にデブ化してたよな。あれからまた急激に痩せていったけど、この食い意地を見るにリバウンドする未来もそう遠くはなさそうだ。……それになんて言うか、看護師から隠す為にこいつと密着した時さ。その……あれだ。なんか、ムチムチしてたし。くそ、あの感触がリアルに思い出しちまう……。
こいつ、ぱっと見た感じ相当痩せてるように見えるんだけど、あの感触から察するに着痩せするってやつだろう。きっと脱いだら凄いんだろうな。悪い意味で。
「それ食ったら帰れよな。何があったかは聞かねえけど、おばさんも心配して飯作って待ってんぞ」
「ハッ。お前は何も知らねえからそんな事言えんだよ。どうせサチの奴、私を差し置いて自分だけ美味いもん食ってんだぜ? これが食わずにやってられっかっての!」
飲むようにゼリーを食べながら有生は答える。飲むようにってか、実際ほぼ飲んでたけど。
「そうかよ。おばさん、飢え死にしてなきゃいいな」
「あ? どういう意味だよ」
俺が唐突に呟いたその一言が理解出来なかったんだろう。有生が突っかかってくる。
「そのゼリー、午前中にお前のおばさんが持って来てくれたやつな」
「……え?」
「午前中に来たんだよ。俺と俺のお袋に会いに。ほら、最後に会った時、俺のお袋がお前にキレて色々気まずい感じに終わっちまっただろ? このままじゃ歯切れが悪いって事で和解しに来たんだ。そんで一応和解は成立したと思う。表面上だけかも知んねえけど。近いうち、俺のお袋もお前に謝りに行くって言ってたぞ」
驚いたように口を半開きにする有生の反応からして、どうもおばさんがここに来たのも和解の話をしたのも初耳だったらしい。
「話し合いの後、軽くお茶でもしないかってお袋がおばさんを誘ったんだ。そしたらおばさん、今は何も食えないって断ってきた。朝子供と喧嘩して、その当てつけに子供に嫌いな野菜だけで飯を作ったんだってさ。でも自分は子供と違って好き嫌いがないから、それは不公平だろ? だから子供と仲直りするまでは何も食べないんだとよ」
有生の方を見てみると、その手には七個目のゼリーが握られていた。しかし俺の話を聞いた瞬間、有生はゼリーから手を離す。空いた両手を膝につけながら、とても落ち込んだような表情をしていた。
「帰んの?」
俺がそう促すと、有生は小さく頷いてベッドから腰を上げた。
「帰るならベッドの下にある奴も持ってってくんね?」
俺に言われ、ベッドの下を覗き込む有生。有生が取り出した鞄の中にあったのは、いつの日だったか有生に受け取って貰えなかった電子機器だ。
「……いや、これお前のSwitchじゃん。だからこれは受け取れねえって前に」
「俺、おばさんに言ったから。俺とお前とアキの間で何があったのか、一つ残さず全部言った」
有生が動揺の表情を浮かべる。午前中に見たおばさんの反応とそっくりだ。本当にこいつ、今日の今日まで自分が俺に何をされて来たのかおばさんに黙り続けていたんだな。
有生は完全な被害者だ。俺に目をつけられた被害者。俺とアキの問題に巻き込まれてしまった被害者。被害者である有生に負い目のある過去なんて存在しない。有生にとっては都合の良い過去しか存在しない。なのに有生は俺と友達になる為にそれらの過去を全部水に流そうとしている。……でも、やっぱりそれだと俺の気が済まないから。
「お前の言い分はわかってるよ。だから十月か十一月まででいい。そん時俺に返してくれればいいから、それまではお前が預かっててくんね?」
「十月か十一月になったらどうなんだよ?」
「お前が心の底から納得してくれる」
「どうして?」
「それは秘密。言ったらお前、多分反対してくるから」
「私が反対するような悪い事をする気か?」
「そう思うか?」
「思わない」
「じゃあ信じろよ。友達なんだろ?」
「……」
有生はしばらく考えた後、何を思ったの俺の隣に密着するように腰を下ろした。次の瞬間、俺は悲鳴をあげる。肋骨目がけて有生に肘打ちをかまされたからだ。肘打ちの衝撃が胸部固定帯を突き抜けて俺の肋骨を刺激しやがる。
「わかったよ。ったく、こう言う時ばっか友達とか言いやがってこの卑怯者が」
有生は渋々と。本当は納得なんかしていないだろうに、それでも俺を信じる為に、嫌々とその鞄を受け取ってくれた。俺はそんは有生に何らかの仕返しをしてやりたい所だったものの、俺の我儘を聞いて貰えた身という事もあって今回ばかりは目を瞑る事にした。……それに、こいつにはもう一つだけ頼みたい事もあるから。
痛みが引いた所で俺は姿勢を正して有生と向き合う。そして加害者の分際で烏滸がましいのは承知の上でもう一つだけ頼み事を口にした。
「あと……なんだ。まぁこの一ヶ月色々あってな。ほんっっっっとうに色々あってな。……そんで、アキも一緒に暮らせるようになったから。近いうちに遊んでやってくんね?」
有生は一瞬驚いたように間を開けたものの。
「おう。お前も一緒にな」
でもすぐに。心から嬉しそうに、そう答えてくれた。
有生が病室を出てからしばらく時間が経った。俺はと言えば、相変わらず暇つぶしの為にスマホをいじるばかり。入院というのは怪我との戦いでも病気との戦いでもなく、暇との戦いなんだと思い知る。
今日も今日とて同年代らしき人の相談を漁ってみると。
[今日の午後一時頃に喧嘩の愚痴を書いた小学六年生です。あの時は気がたっててアホみたいな回答をベストアンサーにしてしまいました。でも、あれやっぱり取り消します。今見ているかどうかわかりませんが、あの質問で背中を押してくれた人へ。ありがとうございます。今から謝りに行こうと思います。ベストアンサーにしてあげなくてすみませんでした」
そんな質問を見つけてしまった。
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