カップ麺 ②
三話までしばしの日常回 2/20
右よし。左よし。右より。抜き足差し足忍び足で自室を出る。時刻は深夜の零時過ぎ。明日だって普通に学校はあるものの、私にはどうしてもやらなければいけない事があった。私は足音を殺してリビングへ……向かう前に。
虫の予感ってやつだろうか。念のため一度トイレに向かって便座に乗る。そしてトイレの電球を少し緩めてからリビングへ向かった。リビングに着き、サチの部屋へと繋がる襖を軽くノックする。
「サチ」「どうしたのりいちゃん⁉︎」
サチ、一瞬で出てきた。
「あの……トイレの電気がつかなくて」
「えー? どれどれ」
トイレに向かい、電球をいじくるサチ。
「あー、電球が緩んでたみたい。これで大丈夫だよ?」
「あ、ありがとうございます」
私は苦笑いを浮かべながらその場をやり過ごした。
次の日の同時刻。私は再びサチの部屋の襖をノックする。
「サチ」「どうしたのりいちゃん⁉︎」
やはりサチは一瞬で出てきた。
「あの……、寝てたら何かが私の体をカサカサって……もしかしたらG的な奴かなーって……」
「えー? どれどれ」
私の部屋に向かい、あちこち調べ回るサチ。
「もしかしてこれじゃない? この黒い紙くず。扇風機の風で飛ばされたのかも。ていうかりいちゃん、ゴキブリ一人で処理出来たよね?」
「た、たまたま今日は怖い日だったんですよ」
「ふーん。それよりりいちゃん、また少しずつ部屋が散らかって来てない?」
「え、そうですか……?」
「前みたいな事があったら困るし、ちゃんとお掃除はしておくんだよ?」
「は、はーい……」
この日も私は苦笑いでやり過ごした。
次の日の同時刻。
「これあれだな。サチが起きてるかどうか確かめない方がいいな。多分私の声で起きてんだよ絶対」
【悪い事してる自覚あるならやらなきゃいいんだよ】
「うるさい! これは悪い事じゃない。生き物が生きる為に必要な事だ!」
私はメリムを黙らせた後、今日という今日こそは失敗を恐れずにリビングへと赴いた。
今日はサチの部屋をノックせず、直接台所へ向かった。そして大きな音が出るのを警戒し、電気ケトルではなく鍋に水を注いで湯を沸かす事にする。コンロに火を灯して数秒。サチが目覚める様子はない。やっぱり私の思った通りだ。助けを求める私の声がトリガーになり、サチのキチガイじみた母性本能が呼び覚まされて飛び起きてしまうのだろう。
私は足音を殺して自室へ戻り、二日前に買ったそれを持ち出す。封を開け、中身を詰め、そして煮えたぎったお湯を注いで急いで部屋に戻った。それから三分後。
(うんめえええええええええええええええ)
私は小声で叫んでいた。
「うめえ、うめえ、うめえ……! なんだよこれ美味すぎんだろ……!」
そう、私はダイチに教えられたあの日からすっかり恋に落ちてしまったんだ。天晴れカップ麺、ビバカップ麺。今まで甘いものばかり食べていた私の舌に、初めて塩分というおやつが足を踏み入れて来た。
「カップ麺ってこんな美味かったのかよ……。飯テロってあるだろ? 気持ちはわかるけど、カップ麺を飯テロとか言ってる奴の気持ちはマジで今までわかんなかった。こんなにうめえもんなんだな? 深夜のカップ麺って。お前もそう思うだろ?」
【おめえだけが食ってる中で俺に同意を求められてもな】
「……なぁ。私、今から最低な事言うけどいいか?」
【ダメ】
「これ今まで食って来たサチのご飯より美味え……!」
【ダメっつってんのに】
「だって本当に美味いんだもん……! うっ、ううっ……」
【泣くなよきめえな……】
こうして私の飯テロ初体験は見事大成功を収める。が、人と言うのは欲深いもの。一度成功を経験したが最後、何度でも同じ快感を求めて彷徨い歩くようになるのだ。
次の日も。
「カレーヌードルうまっ! ご飯も食いてえ!」
次の日も。
「赤いきつねうまっ! 油揚げがおつゆ吸い込んでてとろける……!」
次の日も。
「チキンラーメン……? んー……普通」
次の日も。
「ペヤング……? んー……普通」
そして次の日も。
「チキンラーメン食いたい……! あんなに味普通だったのになんかめっちゃ食いたい……! ペヤングも……! なんだこれ? なんだこれ⁉︎」
私は飯テロの快楽に溺れ続けた。
「りいちゃん起きて! 最近お寝坊続いてない? 魔界の課題でもやってるの? 顔もパンパンに腫れてるし……」
「まぁ、この年になると色々あるんですよ……」
「どうしたの……? 三十代になって体力の衰えを自覚した人みたいになってるよ」
そんなある日の事だ。
「ん?」
【どうした?】
「いや、なんか……物足りないような気がして」
その日も私はカップ麺を食べていた。毎日のように食べていた。そのせいだろうか? 舌がしょっぱさを喜んでくれない。今まではラーメンが舌に付着する度に犬のように尻尾をふりふりしていたくせに、今日という日は酷く落ち着いていやがる。しょっぱさに慣れてしまったんだろうか……?
次の日。ダイチの病院にて。
「有生」
「なんだ?」
「お前最近太っ」
「ふと?」
「……いや。その……、干したての布団の匂いがするよな」
「なんだそれ? お母さんの匂い的な? まぁ母なる慈愛に溢れる私に甘えたくなる気持ちもわからんでもないけど。でもやめときな? お前にはあんなにいい母ちゃんがいんだろ」
「……お、おう。まぁ確かに母性感じるわ。…………………………中年太りし始めた母ちゃんみたいな」
ダイチは最後小声で何かを呟いたような気がしたけど多分気のせいだろう。私は今日の治癒魔法も終えて自宅へ帰る。
その帰り道だ。今夜の夜食を買うべく、私は今日も今日とて寄り道をしていた。いつもはスーパーやドンキの安売りカップ麺を買うものの、どうも最近味に飽きが来ているからな。新しいタイプの味に出会えないものかとセブンイレブンに来てみたわけだけど。
「ん?」
その時。カップ麺コーナーで一際異彩を放つそいつの姿を見かけてしまった。真っ赤なボディに炎の装飾。食べる事とは即ち生きる事。故に食事は気持ちがいい。食欲イコール快楽だと脳に理解させ、生きる為に何度でも食べさせる。なのにそのカップ麺と来たら、なんて攻撃的なデザインなんだろう。リラックスしなければならない食事なのに、こんな攻撃的なデザインにしちゃあダメじゃないか。……こんなのさ、興味が唆るじゃねえか。私はその北極ラーメンと書かれたカップ麺を手にレジへと向かった。
「に、二百円超え……⁉︎」
そして会計時に驚く。棚に書いてあった値札はよく読んでいなかった。所詮カップ麺だし当然百五十円以内で買える物だと思っていた。今までずっとそうしていたのだから。
私のお小遣いは残り千円と小銭がちょっとか。これを五つも買えば今月の私はジ・エンドだな。でも面白い。二百円超えのその実力、見せてもらおうじゃねえか。
その日の深夜。
「あっ……いっ……いーっ、いーっ……! ……っくゎあ……⁉︎」
私は泣いた。その衝撃的な辛さに全身が泣いた。体中の穴から汁が止まらない。鼻水も、涙も、唾液も、そして全身からは汗が滝のように流れ落ちる。
「なんだごれ……っ⁉︎ 毒薬か……⁉︎」
今までに感じた事のない味だった。その辛さに思わず、っくゎあ……⁉︎ とか意味のわからない悲鳴をあげてしまった。シークヮサー以外で『ゎ』の字を使う機会があるだなんて思ってもいなかった。
「ざけんなぢぐじょう……っ! 返ぜよ私の二百円……! 二度と食うかごんなもん……!」
どんなにまずい料理でも私は金を払った身だ。このまま捨てるだなんて選択肢があるはずもなく、私は意地と信念で完食と完飲を果たす。が、それはそれとして私の地獄はこれだけじゃ終わらなかった。
次の日の朝。私は泣いていた。トイレで泣き叫んでいた。
「うおおおおおおおおおおっ! うおおおおおおおおおおおっ⁉︎」
「りいちゃん! りいちゃんどうしたの⁉︎ 何があったの⁉︎ 救急車呼ぶよ⁉︎ 救急車呼ぶからね⁉︎」
トイレの外ではサチが泣きながらドアを叩いてる。泣きたいのはこっちの方だってのに。何で二百円払ってまでこんな目に遭わなきゃいけねえんだよ。許さねえ、許さねえ……、絶対に……!
その日の帰り道。
「……」
私は何をやっているんだろう。どうしてまたセブンイレブンに来ているんだろう。体が勝手に動く。おいやめろ。やめろバカやめろ。何してるんだ私の手? 違うだろ、それじゃないだろ? お前が食べたいのは普通のカップ麺だろなぁ⁉︎ 何でまた北極ラーメンを掴んで……っ!
あぁ、どうしよう。私、もうこいつなしには生きていけないかも……。こうして私の本当の地獄が幕を開ける。
私は食べた。
「辛いっ……辛ぁいぃ……っ!」
私は出した。
「ああああああああああああ⁉︎ あ、あ、うああああああああああ⁉︎」
私は食べた。
「なんで……っ! なんでこんな……っ! 辛いのに……、辛いのにぃ……っ!」
私は出した。
「ひーぃっ……! いっ、……あっあっ……うあああああああああ⁉︎」
私は食べた。
「どまんねぇ……っ! こんなにつらいのぃ……っ、こんなに辛いのにぃ……、なのに止まらねえんだよクソがよぉ……っ!」
私は出した。
「あっはははははは! あは、あは、あっははははははあははは! ……あれだなメリム? 下痢ってさ、電車とか授業中みたいなトイレのない所だから辛いんだな。自分の家で気兼ねなく漏らせるならむしろ心地いいわ。あっはははははは」
そんな日が続いた。そして。
「……りいちゃん?」
「……」
「ねぇ、りいちゃん……? 何やってるの……?」
「……」
「朝っぱらから何してるの……?」
「……朝?」
私を起こしにやって来たサチとカーテンの隙間から差し込む朝日を見て気が付いた。もう朝じゃん、と。どうやら私は夜食では満足出来ない体になってしまったらしい。北極ラーメンを食べる手が止まらない。
「りいちゃんってば! ……うっ⁉︎」
私の部屋に踏み込んだサチの勢いが止まる。サチは徐に鼻をつまむと、私の部屋をキョロキョロと見回しながらクローゼット棚を開けたのだ。そこにはいつか捨てに行こうと思いつつも機会を逃し、そして溜まりに溜まり続けたカップ麺の空き容器が収納されていた。この部屋で過ごしすぎて気が付かなかった。毎回スープまで残さず飲み干しているつもりだったけど、それでも容器が溜まると異臭を放つもんなんだな。
「……ねぇ。何があったの?」
畏怖と哀れみの視線を向けながら私に詰め寄るサチ。
「そのお腹は何⁉︎」
サチが私のパジャマに手を伸ばした。別に掴んでなんかいない。本当に手を伸ばして軽くパジャマに触れただけだ。たったそれだけの事なのに、私のパジャマのボタンは勢いよく弾け飛ぶ。それも五つもだ。
ぶっちゃけさ。わかってたよ。自分の体の異常くらい。毎日毎日着る服がキツくなっていくのを感じた。ボタンの負担が悲鳴として聞こえてくるようだった。五つものボタンが弾け飛ぶ事で私の肌が大気へ露出とする。でっぷりとパンツのゴムに乗っかったお腹のだらしない事。
「サチ……、カップ麺が美味しくて」
「……」
「美味しくて美味しくて止まらなくて……」
「……」
「気づいたら私……こんな体になっちゃった……」
「……」
「ねぇ……ザヂィ……一生のお願い……っ」
「……何?」
私は自分の思いを正直に打ち明けた。
「脂肪吸引手術受げだい……っ!」
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