移動魔法で移した物は今……
◇◆◇◆
「お前馬鹿じゃねえの?」
退院して三日。たったの三日だ。たったの三日でこの馬鹿は再び病院に担ぎ込まれやがった。折角魔法で治してやったにも関わらず、全身包帯巻きのミイラ男と化したこの馬鹿を見ているとため息が止まらない。
いやまぁ治そうと思えばこの怪我だって瞬時に治せるよ。打撲とか脱臼とか骨折とか、そういう殴られた時に出来た怪我を治す魔法は嫌と言う程練習しているからな。
……つっても、それは人を助けたい思いで練習したんじゃなくて、転校先の学校でまたイジメを受けた時にサチの目を誤魔化せるようにって言う不純な動機でしかないけれど。
まぁ、治せるからと言って今それを実行するわけにもいかねえか。クソジジイの時はアキに大人を呼びに行かせて、その隙に魔法を使って治したからよかった。だけど今回はこの馬鹿野郎、私の知らない所で大怪我を負って担ぎ込まれやがったと来たもんだ。医者からは全治数ヶ月と言われたこの怪我を一瞬で治すのは、いくらなんでも不自然が過ぎる。
「ったく、治してやった奴の身にもなれよな?」
今の私に出来るのは、精一杯の嫌味を吐くくらいのもんだった。私はわざとらしいくらいの呆れ顔をダイチへ向けてやった。
「まるでお前が治したみたいな口ぶりじゃん」
「そりゃ私の祈り的なもんもお前の回復に貢献したようなもんだし?」
私の答えを聞いて、ダイチも仕返しとばかりに呆れ顔を向けてくる。この死に損ないマジで殺してやろうかと思った。
二人部屋の病室。と言っても入院患者は現状ダイチしかおらず、実質ダイチの個室となっている部屋でダイチと二人きり。
昨日家でポテチ食いながら録画していた月曜から夜ふかしを見ていた時の事だ。スマホを抱えながら大慌てでサチがやって来て、ダイチが再入院した事を知らされた。サチに連絡をよこしたのはダイチの母ちゃんで、私はダイチの母ちゃんに時間がある時でいいから来て欲しいと告げられる。どうもダイチから私に話があるとかないとか。
そんなこんなで急がば回らず突っ走れがモットーの私は、早速こうして来てやったわけだけど。
「……」
「……」
こいつ、全然話を切り出す気配がない。用があって私を呼んだんじゃなかったのか? マジで話を切り出さないもんだから、こうして会話が途切れるだけで無言の時間が続いてしまう。凄く気まずい。
やっぱこいつ、あのクソジジイにどたまカチ割られた影響でガイジにでもなっちまったんじゃねえかな。あの時からこいつ、様子がおかしすぎんだもん。
『手ぇ離せや殺すぞクソジジイーっ‼︎』
……ほんと、お前らしくもねえ事ばっかするようになりやがって。おかげで私が殺される最悪な事態は防げたけれど。
ダイチ的には私を救ったつもりなんだろうけど、その行動が実はかなりの人数を助ける結果に繋がった事をこいつは知らない。クソジジイの首を絞められて意識を失う寸前、私の中でメリムが熱くなるのを感じた。
精霊というのは魔女に強制されて魔書の中に閉じ込められているんじゃない。やろうと思えば溜め込んだ魔力を放出して自分の意思で簡単に抜け出せる。その結果、溢れた膨大な魔力が原因で大規模な災害を引き起こす。私が殺されるくらいなら、メリムは平気でそんな事をしかねないから。
……とは言え、何でこいつ私の事を助けたんだろうな。どんな心変わりだっつうの。あのクソジジイとの件にしたって。それに今回の件にしたって。
「いじめられっ子を助けたんだってな」
その言葉は勝手に、それでいて無意識に私の口から漏れ出たものだった。
「知らねえな。何の話?」
「ネットニュースに載ってたぞ。すげえなお前。一週間で二回もニュースに載りやがって。有名人じゃん。ネットじゃ勇敢な男の子とか持て囃されてんぞ」
ネットニュースに書かれている情報通りだと、現場にはダイチを含めて四人の学生がいたらしい。四人の中の一人はいじめられっ子に暴行を働いていて、ダイチはそれを止めた腹いせにターゲットにされた。それを見かねた一人が警察を呼び、警察が到着した頃には暴行を受け続けて重症を負ったダイチが発見された。
もしそれが本当なら、胸を張っていいと思う。誇っていいと思う。だけどダイチはそうしない。
「へー。じゃあ実は俺もそのいじめっ子サイドのクソガキだったってバレるのも時間の問題かもな」
胸を張らない理由を、自分自身を嘲笑いながら淡々と話した。何故だろう。そんな風に自分を卑下するダイチの瞳が、とても懐かしい。腐った目をしていると、そう感じてしまった。
懐かしいというのも変な話だ。ダイチが腐った目をしているのなんて、いつもの事じゃないか。タロウにわざとボールをぶつけた時、裸にひん剥いたタロウの体にクソみたいな落書きをしていた時、私と対峙した時、授業参観の日に私の顔に唾を吐き捨てた時。そしてアキと知り合ってからも、こいつの瞳は常に腐っていた。
でも、そんなダイチの瞳が輝いていた時期が少しだけある。臆病なこいつが私を助ける為にトイレに乗り込んだ時。そして一度は命乞いをしたものの、アキを救う為に決死の覚悟でクソジジイに立ち向かった時。あの時のダイチは、間違いなく生きた瞳をしていた。
あの瞬間だけだ。今の学校に転校して一年半もの時間が経っているのに、ダイチの目が生き生きとしていた瞬間は本当にたったのあれだけ。それなのに腐り切ったダイチの瞳がこんなにも懐かしい。
……あぁ、そうか。私は理解する。
「俺がいじめに加担しなきゃそもそもこんな怪我をする事もなかった。自業自得とか、自己責任とか。そういうので終わる話なんだよ、これは」
これがサチの言っていた事なんだ。こいつは今、境界にいるんだ。あっち側とこっち側の境界。進むか後戻りするかの分かれ道。そしてこいつをそんな分岐点で留まらせてしまった原因の一つに、間違いなく私も噛んでしまっているんだと気づいた。
「それでも助けたんだろ?」
だから私はその言葉を選ぶ。こいつに腐った道を選んで欲しくないと、そう思ってしまったから。
「偉いな、お前」
するとそれを言われたダイチの瞳に、ほんの僅かな光が宿るのを感じた。ダイチは不思議そうに目を見開きながら私に問いかける。今の私の言葉は、数日前に私が言い放った言葉とは矛盾しているから。
「偉いのは最初から悪い事をしなかった人間じゃなかったのか?」
「そうだな。その通りだ。その意見は今だって変える気はない。……でも」
私は数日前の事を思い出す。ムキになってダイチに悪態をついてしまい、ダイチの母ちゃんに制止させられたあの日の事を。サチと一緒に逃げるように病室を後にしたあの時の事を。
『最初から悪い事をしなかった人が一番偉い、だっけ? うん、私も同意見。でも、それを理由にやり直そうとしている人に追い討ちをかけるのはやだな』
病室を後にした私たちは、待合室の椅子に腰を下ろしながら自販機で買った紙パックのジュースを飲んでいた。そんな私の肩を抱き寄せながらサチは呟く。
『折角自分の間違いに気付いたのに、自業自得とか自己責任とか言って突き放されたらどうなるんだろう。また同じ間違いを繰り返しちゃうんじゃないかな?』
それはさっきまでの私の言動を否定する言葉だった。……いや、きっとそれだけじゃない。それまでの全てがそこに込められていると思った。私は思った事ははっきりと口にするから。不必要なくらい口にし過ぎるから。
『確かにりいちゃんは間違った事は言ってない。でも、正しい言い方をしているわけでもないと思う。どんな正論でも喧嘩腰で突っかかって行くのは違うよ。正しい事でも口に出すなら言葉を選んで。言われた方の気持ちを考えられないなら、それは正論でも注意でも発言の自由でもなくて、ただの誹謗中傷だよ』
終始笑顔で私に語りかけたサチだったけど、その表情がどこか悲しげだったのをよく覚えている。
それを言われて少しムッとなった自分がいた。サチがそう言えるのは、私がダイチから受けた屈辱の数々を何も知らないからだと、そう思った。
そこで私は思い悩む。私がダイチから何をされて来たのか、包み隠さず話してしまおうかと。これまで受けて来た事。そして心の底からダイチを憎んだあの時の事。何もかも曝け出してしまおうかと悩んだ。……でも。
『私ね。りいちゃんがいじめられていたって知った時、殺してやろうって思った』
アイスとの一件が脳裏に浮かんだ。ダイチから受けた仕打ちを知った時、サチが何をしでかすかわからなくなって怖くなった。だからダイチとの一件を話すのはやめた。……でも、それよりもだ。
温かった。あの臆病なクソのっぽがトイレに乗り込んで来た時、私はそんな感覚に支配された。あいつは私を助けに来たんだ。呆気なくボコボコにされて漏らしながら命乞いまでしていたけれど、それでも最後まで諦めずに抗った。
こいつ、最後は一方的にクソジジイになぶられながらも悪態をつき続けてたな。何が弱い奴ばっか狙うだ、何が弱い奴ばっか傷つけるだ、何が弱い奴ばっか泣かしていい気になるだ。それ、全部お前の事じゃねえか。自分の事ばっか棚に上げやがって。
でも。だからこいつは泣いていたのかな。自分のして来た事に気がついて、泣きながら抗っていたのかな。まぁ臆病なこいつの事だし、単に痛みと恐怖で泣いていた可能性も捨てきれないけれど。……それでも。
『移動魔法。メリム・グルギーロ・ラウド・ファイバイハウーゼ』
助けたいって思ってしまった。助けないとじゃなくて、助けたいって。
結局私はダイチの事をサチには話さなかった。あの事を話せば、きっとサチは説教を撤回してくれると思う。偉そうに説教垂れた事を謝って、私と一緒にやり直そうとしているダイチに追い討ちをかけてくれたと思う。それは嫌だなって、そう思った。
なんだろうな。なんか私、今のこいつをそこまで憎いって思えなくなっている。
「でも、それを理由にやり直そうとしている奴に石投げちまったら、私も同じかそれ以上のクソ野郎だ」
……。
まぁ、なんだ。自分で言っておいてなんだけど。それでも私は一度、やり直そうとしていたこいつに石を投げてしまった身。サチの言葉をコピペしながら偉そうに説教垂れている自分がなんか恥ずかしく、それでいて気まずく、私は苦笑いを浮かべながら思わず人差し指で頬を掻いてしまった。
「いってぇ……っ⁉︎」
ついつい傷を残した方の頬を掻いてしまった。鋭い痛みが顔半分を駆け抜ける。クソジジイの罪を少しでも重くしようとこの傷を残してしまった事を、今更ながら後悔した。
医者からは一生もんの傷になるかもしれないと告げられた。まぁ実際は魔法ですぐにでも消せると思うけど、これもダイチの怪我と同じで医者に言われた手前、即完治させるわけにもいかない。少なくともこの世界にいる残りの十ヶ月間は、この傷と仲良く暮らしていかないとだな。
「それ、まだ痛むのか?」
「あぁ……、いや。ちょっと大袈裟にしちまっただけだよ。糸も抜いたしもう全然だぞ?」
というのはもちろん嘘。ただの強がりだ。顔を洗う時とかかなり気を遣っているし、そうでなくても空気に触れているだけでヒリヒリとした痛みが常に走っている。顔に傷を負ったバトル漫画のキャラを見てカッケェとかよく思ったけど、実際に負ってみた感想としてはクソ過ぎる事この上なしだ。……でも、この傷のおかげで面白い物も見れた。
「そんな顔すんなって。マジで痛くねえんだから。ほら、触ってみろ」
ダイチが申し訳なさそうに私の事を見てくるんだ。あのダイチがだぞ? こんな貴重な映像を見れた代金だと思えば案外安いもんだろ。
私はダイチの体の中で唯一包帯を巻かれていない左腕を掴み、その指先を自分の傷跡に触れさせた。そうする事でダイチは更にバツが悪そうな顔をするんじゃないかと思った。
私の傷跡に触れたダイチの指が、優しく傷痕をなぞっていく。まるで小動物にでも触れるような、ダイチらしさの欠片も見当たらないその繊細な手つきが、どこか面白おかしい。何より私の思惑通り沈んでいくダイチの表情が愉快でならない。
……だけどなんだろう。最初こそ面白く見ていたはずなのに、ダイチの表情が沈んで行く度に胸の奥に痛みが走った。傷痕をなぞられる痛みよりもよっぽど痛い。
「……あはは。やっぱまだちょっと痛えや」
ダイチの触り方が優しいだけあって、顔の痛みはまだまだ余裕で我慢出来そうなのに。結局私は胸の痛みに耐えかけて、ダイチの腕を顔から離してしまった。
「お前、もうこういうのやめろよ」
そしたらダイチからもお叱りを受けてしまった。それはとても見覚えのある光景だった。
「正直、俺も少し驚いてる。確かにあの親父はクソ野郎だし、人を殺しててもおかしくないとも言った。でもそれって言葉の綾って言うか……、まさか本当に殺しにかかってくるなんて思わなかったっつうか」
ダイチのせいであの日の出来事が脳裏に蘇った。あのクソジジイを倒した後に駆けつけた警察に保護され、病院に運ばれて治療を受け、そして血相を変えたサチが駆けつけて来たあの日の出来事が。言葉の端々まで同じという訳ではないけれど、まるであの時の事を再現するようにダイチが言ってくるんだ。思わずお腹の奥から笑いが込み上がって来て。
「お前の気持ちの強さはよーくわかったよ。けど、世の中にはマジで殺しにかかって来る馬鹿がいるってわかったろ? 許せない奴見かける度に立ち向かってったら命がいくつあっても足りねえよ。いくら気持ちが強くても、お前は弱いんだ」
そしてダイチが言葉を言い切った所で、込み上がって来た笑いがポロポロと口から漏れ出てしまった。大爆笑って程のものじゃない。小さく囁くように笑った。それでもダイチからしたら笑みの意味がわからず不思議で仕方がないんだろう。戸惑いを隠せない視線を私に向ける。
「それ、サチにも同じ事言われた」
だから私は笑顔の理由を打ち明けた。
「めっちゃ叱られたよ。いや、あれは叱られたどころじゃねえな。泣きながらお願いされちまったわ。好きな人に泣かれるのって、辛いな」
そう。泣かした。私はサチを泣かしたんだ。顔を縫われた私の姿を見て、サチは泣きながら私を責めた。こういうことはもうやめろって。自分を犠牲にしてまで正しさを貫くなって。大泣きされた。
世界一大好きなサチと世界一大嫌いなダイチの姿が重なったんだ。そりゃあ笑っちまうさ。
「……悪い。俺のせいだな。それも、その傷も」
「謝んな。お前のせいじゃない。お前がいなくても私は自分から巻き込まれに行ってたさ。それに傷だったらお前だって結構なのが顔に出来てんじゃねえか」
「男と女とじゃ重さがちげえだろ。特にお前の顔じゃあよ」
「なんだそれ? 私の顔がいいってか? 口説いてんのかお前? おいコラおい」
「調子に乗んなボケ」
「なんだとタコ」
お互い罵り合ってるはずなのに、不思議と不快感はなかった。それどころかあんなにも気まずかった空気が、いつのまにか程よく解れている。そこからまたしばらく無言の時間が流れたのに、特にこれと言った気まずさは感じなかった。気心の知れた相手が隣にいるかのように、心地よい無言の時間が過ぎていく。
「そこに鞄あんだろ? ちょっと取って開けてくんね?」
場が和んだおかげだろう。ようやくダイチが本題らしき話題を切り出してくれた。
「これか?」
ダイチの言う通り、ベットの下にはエナメルのバックが丁寧に置かれている。ベットテーブルの上に鞄を移して中身を覗いて見ると、そこには一つの箱と一封の封筒が入っていた。てっきりダイチの入院用の私物が入っているものだと思っていたけれど……。私はとりあえず封筒を取り出しみる。
「それはタロウに渡してくれ」
「タロウに?」
封筒は裏面だったので裏返したみた。するとそこには辛うじて読めるレベルの文字で
「顔……叩き券?」
と、書かれていた。確かに封筒を透かして見ると、中には手作り感満載のチケットのような物が入っているけど。
「そ。イライラする事があったら好きな時に俺の顔殴らせてやる。有効期限は卒業するまでだ。お前も好きな時に使っていいぞ」
「なんだよその肩たたき券みたいな。私はいらねえし」
私はその不器用さに呆れながら笑ってしまった。そうなって来ると気になるのはもう一方の箱の方だけど。
「そんでこっちの箱は……」
箱の中身は、箱を手に取った瞬間に察してしまったんだ。その箱はとても手に馴染む重さだったから。
「……」
箱を開けると、そこには私の思っていた通りの物が入っていた。私の無くした物ではないけれど、私が無くした物と同じ物である事に違いはない。
「流石に売られた奴は取り返せない。代わりになるとは思えねえけど、それでも今返せるのはそれしかないから」
そのSwitchには、持ち主が乱暴である事を伺わせる傷があちこちについていた。私の物でないのは明らかだ。
「色々考えたんだ。誰がお前にそれを返すべきなのかなって。そんで一番悪い奴が返すべきだって思った。でも一番悪い奴はシャバにいない。アキは盗んだ張本人だけど、あれは親父に脅されただけ。だったら一番悪いのって、その辺の事情全部知った上で利用してお前を泣かした俺じゃね? だから……」
だからこれを私に渡す。そう言うことなんだろう。本当に不器用な馬鹿野郎が。
「なぁ。これはお前が働いた金で買ったのか?」
「そんな訳ねえだろ」
「だよな。なら受け取れねえよ」
そうだ。受け取れるわけがなかった。これはダイチの母ちゃんがダイチに買ってやったもの。サチが私にそうしてくれたように、ダイチの母ちゃんの想いが込められた大事な物だ。例えば私が同じように、自分のSwitchを勝手に誰かに明け渡したらサチはどう思うだろう。これを受け取る行為は、ダイチの母ちゃんの気持ちを踏み躙るも同然だと思う。だからこれを受け取るわけにはいかない。
「どうせ母ちゃんから買って貰ったやつなんだろうけど」
「いいや。親の金盗んで買ったやつだ」
……だけど。ダイチから返って来た答えは、私の想像を悪い意味で軽々と乗り越えて来やがった。片手で持てるくらい軽いゲーム機が、その言葉の魔力で岩のようにズシリと私の腕にのしかかる。
「欲しいもんは親の金を盗んで買い続けてた。今は諸々売っ払う準備をして貰ってる。……でも、これだけは売れないって断られた。友達と遊ぶ為に必要だから、だってさ」
「じゃあ尚更受け取れねえじゃねえかよ。これはお前の母ちゃんのもんだ。これをあげるかどうか決めていいのはお前じゃない。お前の母ちゃんだろ」
こんな重いもん受け取ってたまるかよ。……それなのにこいつは。
「心配すんなって。ちゃんとお袋に事情は話すから。そしたらきっとお袋もいいって言うだろうし」
「そんな事したら殺すぞ」
この馬鹿は、私にこんな重いもんを押し付けようとするんだ。これが怒らずにいられるか。
「そんな事話されたら良いって言うしかねえだろ。卑怯な手使ってんじゃねえよ。これをどうやって買ったかはこの際どうでもいい。……いやよくはねえけど、ともかくお前の母ちゃんは売れないって言ったんだろ? お前に使えって言ったんだろ? それを軽々しく誰かにやろうとすんな」
「……」
「お前にこれを渡した親の気持ち考えろ」
私はSwitchの入った箱を鞄の中にしまいなおし、もう一度元あった場所へ置いた。これでいいんだ。親が高い物を子供に与える行為の重さを私はよく知っている。私にプレゼントする為に苦労して来たサチの姿を忘れたりはしない。でも、ダイチはそんな私を不服そうな目で見てくるもんだから。
「どうしても私に返したいってんなら、バイト出来るようになってから自分で稼いで返しに来い。それまでは何年でも待ってやっからよ」
私はそんな出来ない約束を取り付けてやった。
私は出来ない約束はしない主義だ。約束っていうのは守る為にある。でもまぁ、私はこいつが嫌いだし? 嫌いな相手にくらい約束を破る前提で約束を取り付けてもいいよな。
「……お前、さっきから俺を許してばっかだな」
ダイチは大きなため息を吐いた。
「俺どうすりゃいいんだよ。何かさせろよ。じゃなきゃ変なモヤモヤが頭ん中から消えてくれねえんだよ」
「そうやって苦しむお前を見れたなら復讐大成功じゃね? 安心しろ、お前を許す気なんてねえから。そのモヤモヤはめちゃくちゃ大事な気持ちだ。一生晴れずに苦しんでろ」
私は頬杖をつきながら満面の笑みを浮かべ、おちょくるように言ってやった。
「でもまぁ私を泣かせた責任くらいは取って貰うぜ? いいか? そのSwitch、私が遊ばせろって言ったら最優先で遊ばせろ。お前に拒否権はねえ。Switchをしに毎日でも通ってやっから覚悟しろよな?」
変な気分だ。私、世界一嫌いなはずのこいつに笑顔を見せている。こいつをおちょくって楽しんでいる。
「……そういうのを許してるって言うんだよ」
ダイチは呆れるようにそう呟いた。
その時、窓から一陣の夏風が注ぎ込む。夏風はカーテンを大きく押し広げ、夕方の陽射しを室内へと招きいれた。病室の天井に並んだ蛍光灯よりも人一倍強い陽射しがダイチの顔を照らす。太陽を浴びたダイチの目が、ほんの僅かに輝くのを見て私は思わずにやけてしまう。
「なんだダイチ。お前もしかして泣いてんのか? お? お? 嬉し泣きか? おいおい嬉し泣きかよだーっはっはっはぶぁっぷ⁉︎」
顔面目掛けて枕投げられた。左手は唯一無傷で済んでるとは言え、随分器用な事をしてくるじゃないか。
私は笑い続ける。枕に顔を埋め、足をバタつかせながらこれでもかとダイチの事を笑ってやる。笑って、笑って、笑い疲れて。そしてやっと一息つけるようになって。
「ダイチ。お前散々人の事弱い弱い言ってくれてるけど、お前だって十分臆病じゃねえか。それなのに無我夢中で私の事助けやがってよ」
「……」
「かっけえじゃん」
私はダイチに枕を投げ返し、笑いすぎて涙まで出てきた目頭を拭いながら、あの時感じた正直な気持ちを伝えた。
「お前さ。そういう生き方の方が似合ってるよ。お前今めちゃくちゃいい顔してる」
「なんだそれ? 口説いてんのか?」
「は? 調子に乗んなボケ」
「なんだとタコ」
今度は二人で笑った。お互い顔の筋肉を動かすだけで痛みが走るような怪我を負っているのに、痛みなんて知った事かと言わんばかりの勢いでただただ笑い続けた。
今、私とダイチは笑っている。でも同時に目には涙も浮かべている。この涙の理由はきっと顔を駆け抜ける痛みのせいなんだと、そう思う事にした。
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