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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第五章 わかっていた少年
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悪友が出来るまで

『よーい、スタート』


 部屋の有様から大体の事情を察した親父は、俺とアキに一つのゲームを持ちかけた。親父の許しが出るまで床に正座して、両腕を上げ続けるといったもの。俺とアキは二人並んで親父の指示に従う。最初に音をあげたのは、腕だった。


 幼児期で体重が軽かったというのもあるんだろう。意外にも正座による足への負担は感じられない。が、腕はそうはいかない。俺はただ腕を上げているだけなのに。ただ万歳をしているだけなのに。数分経っただけで両腕がブルブルと震え始める。何も持っていないはずなのに、鉄球でも持ち上げてるような感覚だ。俺の腕は次第に高度を落とし、あらゆる関節が曲がり、そして地面に落ちた。それと同時に俺の腹に、親父のつま先が叩きつけられた。


『はい、罰ゲームはお前な』


 この日から親父は俺達に興味を向け始める。子供としての興味ではなく、サンドバッグとしての興味だ。


 親父に殴られた。親父に蹴られた。腹を殴られた。太ももを殴られた。背中を蹴られた。肩を殴られた。服で隠れる部分は満遍なく、余す所なく暴力の雨を浴びせられた。


『ダイチ。ガキが酒飲んじゃダメだろ。何で飲んだ?』


 俺は答えた。


『おなか……すいた……』


 親父はこたえた。


『腹が減ってりゃ人のもん盗んでいいのか?』


 拳で応えた。……が。振り下ろされた親父の拳が俺の眼前で止まる。


『……そうだよな。腹減ってるなら仕方ないよな?』


 親父は笑顔でそう言った。


 その日から俺とアキは親父に連れられて頻繁に外に出るようになる。当然ながら親子仲良く近所を散歩、というわけではない。


『飯を食いたきゃ自分で採ってこい』


 親父はそう言って俺とアキをスーパーに解き放った。テレビのおかげで知識こそあったが、スーパーを生で見たのはそれが初めてだったな。右を見ても左を見ても食べ物に溢れたその空間は、まさに宝物庫だ。俺は人の視線に気を配りながら、食べ物だと判断出来る物を手当たり次第リュックの中に詰め込む。


 好物という概念はなかった。食べられればなんでもよかった。強いて言えば冷蔵庫に入っていた食材の中で、生の玉ねぎを丸かじりしたトラウマから玉ねぎだけは苦手としていたくらいだ。


 リュックの中が一通り食材で満たされ、店を出ようとした時だ。俺とは別行動をしていたアキが店員に捕まる。店員はアキのリュックから商品を取り出しながらアキを問い詰めていて、そんな二人の元に親父が駆け寄った。


 親父は普段とは違ってとても見窄らしい服装をしていた。一目で貧乏人だとわかるような、そんな服装。親父は店員の前でぺこぺこと頭を下げ、遂には土下座まで披露する。そしてアキは予め親父から教えられていた魔法の呪文を唱えた。


『おうちにご飯ないもん……お腹空いた……』


 それは子供が唱えるだけで並大抵の犯罪が許される、まさに魔法の呪文だった。


 一足先に家に戻った俺。しばらくして親父とアキも帰宅する。アキは店員に捕まったはずなのに、何故か親父の両手には大量の弁当がぶら下がっていた。


『凄いだろ? あの後同情した店長から廃棄を譲ってもらったんだ』


 親父は嬉しそうに弁当の山を並べながら『食え』と、俺達に命じる。俺達は親父と本能に従いながら、それらの弁当を手掴みで貪った。


 生きる味がした。アニメでよく見る、空腹で倒れているキャラが飯を食べるだけで一気に全快するシチュエーションって本当にあるんだと実感した。今まで食ってきた飯の中で、この時の弁当を超える味に出会った事は一度もない。きっと今後の人生でも決して出会う事はないだろう。


 物を噛めるのが嬉しかった。物を飲み込めるのが嬉しかった。味覚と嗅覚が反応するのが嬉しかった。胃に固形物がなだれ込むのが嬉しかった。あの時俺が食べた弁当がなんなのかは、大粒の涙に遮られた視界のせいで未だにわからない。


『美味いか?』


 親父の問いに俺は大きく頷く。


『そりゃよかった』


 親父は微笑みながら言葉を続けた。


『でも失敗は失敗だ。アキ、正座して手を上げろ。ダイチ、お前もだ。連帯責任ってやつだよ』


『……』


 また、罰ゲームが始まった。


『どうだこれ? キツイだろ。女の趣味で韓流ドラマとかよく付き合わされて見てんだけど、これって韓国じゃかなりポピュラーな子供の躾らしいぞ』


 その日二度目となる罰ゲームに、俺の体はすぐに音をあげる。数時間前に俺はこのゲームでアキに敗れ、そしてボコボコにされたばかりだ。いくら飯を食って体力が回復したとは言え、二度目のゲームもまた俺が負けるんだろうなと、そう確信した。どうせ負けるなら長く苦しむ必要もないと、俺は腕の力を抜く。けど、それよりも先に俺の隣でアキが倒れた。


『次はアキちゃんか』


 今度はアキが親父にボコボコにされた。親父から暴力を受けるアキを見て、俺じゃなくてよかったと胸を撫で下ろす自分がいた。


 この日から俺とアキの生活は一変する。頑張っても食えない生活から、頑張れば食える生活へと切り替わった。


 毎日のように親父に連れられた。毎日違うスーパーに連れて行かれては、自分達が食べる物を盗んでいった。成功すればそれで良し。けれど失敗すれば親父の罰ゲームが待ち受ける。


 ある日、罰ゲームを受けながら俺はふと気づく。どうして俺はこんな事をしているんだろう、と。俺が失敗して罰ゲームを受けるのはまだわかる。けれど失敗する頻度はアキの方が圧倒的に多い。何故俺はアキの失敗に付き合わされて罰ゲームを受けなきゃいけないんだ? 連帯責任ってなんだ?


 二度目の罰ゲーム以降、先に音を上げるのはいつだってアキだった。だからあれから俺は罰ゲームに付き合う事はあれど、親父からの制裁を受けた事はない。でも、アキの失敗に付き合って罰ゲームを受けるハメになる自分の立場に理不尽さを感じる。


『……』


 アキをウザく思い始める。


 そんな日々が数日続いたある日。


『どうだ? お前らもいい加減盗みにも慣れて来ただろ。そろそろ本番行ってみようか』


 親父はいつものような小さなスーパーではなく、大型ショッピングモールへ俺達を連れて来た。その日、俺達が盗んだのは食料品ではない。親父に指示された通り、化粧品や薬品、栄養サプリなんかを盗んだ。店の人にバレる事なく盗みを成功させた俺達を親父は褒め、盗んだ品々は親父によってネットで売り捌かれた。食い物だけを盗んでいた俺達の生活が、再び一変した瞬間だった。


 とは言っても同じ店で万引きを繰り返すほど親父は馬鹿じゃない。しかし高値で転売出来る品を取り揃えている大型ショッピングモールは数が限られている。その為一週間のうち五日はスーパーで食い物を盗みながら万引きのスキルを磨き、残りの二日は大型ショッピングモールを回りながら高い品を盗むような生活になった。


 転売用に盗む品は化粧品や薬品、サプリメント、それに妖怪メダルのような当時流行りの玩具なんかが多かったな。理由は単純で、バレた時の言い訳が効くからだ。化粧品の盗みがバレた時は『お母さんにプレゼントしたかった』、薬品やサプリメントの盗みがバレた時は『病気のお母さんを治してあげたい』、玩具の盗みがバレた時は『家が貧乏で買って貰えない』等々。本当に悪知恵の働く親父だと思う。そんな親父と一緒に盗みを働く日々が、長く続いた。


 ある日、そんな我が家に平和が訪れる。親父が帰宅する頻度がまた減り出したのだ。盗みで荒稼ぎした事だし、きっとまた新しい女を見つけてそっちに入れ込んでいるんだろう。しかも今回は前回と違い、食べ物に困る事もないんだからそれはもう平和としか言いようがないだろう。


『お母さん、お買い物行ってくるね?』


 お袋はいつしか人形から人間へと変わり果てていた。きっかけは俺とアキが盗みを始めてからだ。正確には、盗みに失敗して親父から暴力を受けるようになってから。それまでお袋にだけ集中していた親父の暴力が、俺達子供にも向く事で分散されていく。いや、分散どころか俺とアキにだけ集中していたっけ。盗みを働いていた間、親父の興味は俺とアキにしか向けられなかった。これは同時にお袋の自由を意味した。


 お袋は何かをして親父に殴られる事がなくなった。トイレに行っても、テレビを見ても、勝手に外出しても、親父の視界に入っても。親父はお袋に興味を示さなかった。親父の中で俺達とお袋の立場が逆転したらしい。


 世間一般的にはそれでも大分暗い方なんだろうけど、それでも俺の目にはお袋がとても生き生きしているように映った。自由を手に入れた事で再び俺達の世話をしてくれるようになったとは言え、俺にはそれが俺達の不幸を喜んでいるように見えてしまい、黒い感情がじわじわと込み上がるのを感じる。


 黒い感情と言えば、もう一人似たような気持ちを抱いてしまう相手が出来たっけ。アキだ。万引きを続ける事で俺のミスはすっかり無くなっていったにも関わらず、アキは生まれ持っての鈍臭さからか最後の最後までミスが消える事はなかった。アキが捕まる度に連帯責任で罰ゲームを受けるハメになる自分の未来像が脳裏に浮かび、舌打ちした事は数知れない。物心がついたばかりの頃に抱いたアキへの愛しさは、もはや見る影も残ってはいなかった。


 お兄ちゃんお兄ちゃん言いながら付き纏うこいつがウザい。常に手を繋ごうとして来るこいつがウザい。こいつと食事をするのがウザい。こいつとテレビを見るのがウザい。こいつと遊んでやるのがウザい。こいつと風呂に入るのがウザい。こいつと寝るのがウザい。


『……』


 アキも、お袋も、みんなウザい。


 五歳くらいの頃だ。その日、俺は珍しく一人で家の外に出ようとしていた。アキとお袋は寝ていて親父も家にいない。妙な解放感とわくわく感に囚われた俺は部屋のドアを開け。


『うおっ、びっくりした!』


『……』


 その時、部屋の前の廊下を走り去ろうとしていた一人の少年と出会う。同じ公営団地に住む一歳年上の子供だ。その子の手首には、当時どれだけ欲しがっても手に入らなかった妖怪ウォッチ零式が巻かれていて、大量の妖怪メダルが収納された半透明のケースまで持っている。そんな宝の山が羨ましく、それと同じくらい恨めしく見つめていた俺の視線に気づいたのだろう。


『一緒に遊びに来る?』


 その子供は俺に手を差し伸べる。


『俺タクマ! 四〇二号に住んでんの』


 それが俺とタクちゃんとの出会いだった。


 タクちゃんやタクちゃんの友達と遊ぶ時間は夢のようだったと言っても過言じゃない。俺には歳の近い友達がいなかった。疎ましい存在なのに、遊び相手はアキ以外にいない。暇潰しの為に仕方なくアキと遊ぶ、そんなつまらない毎日だ。


 それに兄妹とは言え、しかしそこは男と女。同じ屋根の下で暮らし、同じ物を食べ、それでいて同じ物を見て聞いて育ったにも関わらず、どうしても好き嫌いや趣味嗜好には性差が生まれてしまう。アキが好きなアイドルアニメや美少女変身アニメに俺が興味を持った事は一度もないし、アキだって俺が好きなバトルアニメや特撮物に興味を示したりはしなかった。


 同じ物を好きな友達。同じ物を語れる友達。五歳の俺は同性の友達と遊ぶ麻薬の海に溺れていく。その日、俺はタクちゃんやその友達と日が暮れる遊び尽くした。くたくたになるまで遊んで家に帰った俺を、夕日に染まった部屋に取り残されたアキが泣きながら出迎えた。


 アキの涙は翌日になってからも止まることはなかった。俺が意図的にアキを避けるようになったからだ。アキは俺を逃すまいと、以前にも増して俺にべったり引っ付くようになる。俺はそんなアキを突き飛ばし、逃げるように部屋を飛び出す。ようやく見つけた歳の近い友達と言う聖地だ。アキなんかに土足踏みにじられるなんて冗談じゃない。


 とは言え結局俺達の遊び場なんて、同じ公営団地のどこかという狭い世界でしかなかったから。


『……お兄ちゃん』


 いくら幼いアキと言えど、俺達の聖地を見つけるのにそう時間はかからなかった。


『……お兄ちゃん友達出来たの?』


『……』


『……凄い。おめでとう』


 俺は焦っていた。今まで隠し通して来た聖地がアキにバレて。それまで散々突き放して来たアキに見つかって。それに何より。


『お前妹いたの?』


『え、お前女と遊んでんのかよ』


 アキという存在をタクちゃん達にバレてしまった事実に焦っていた。五歳の俺に、生まれて初めて恥という感情が芽生えた瞬間だ。女と遊んでいた事がバレて恥ずかしい。一人ぼっちの妹と同類に見られそうで恥ずかしい。


『来んなっ!』


 妹の存在そのものが恥ずかしい。そんな気持ちを地面の砂ごと拳に込めて、アキに投げつけた。


 妹の悲鳴が聞こえた。大量の砂が目に入ったのか、アキはその場でしゃがみ込んで目をゴシゴシと拭いている。俺はそんなアキに背を向けてタクちゃん達の手を掴んだ。


『タクちゃん行こ! あいつマジでキモいんだよ! トイレにもついて来るし!』


 俺はそのまま別の遊び場まで逃げようとしたものの、しかし足が動かない。タクちゃん達は走らず、その場で立ち止まっていたのだ。


『ヤバ! それってストーカーじゃん!』


 そしてタクちゃん達も地面の砂を握りしめ、アキ目掛けて投げつけた。


『帰れ!』


 何度も。


『死ね! ストーカー!』


 何度も。


『こっち見てんじゃねえよ!』


 怒声をあげている割にとても楽しそうに、とても幸せそうに、歪な笑顔を浮かべながら砂や土、石ころをアキに投げつけた。


 遂にアキは耐え切れなくなり、亀のように背中を丸めて小さくなる。そんなアキを見ながらタクちゃんは言うんだ。


『またあいつストーカーして来たから一緒にぶっ殺そうぜ!』


 そんな友達思いのタクちゃんに俺は笑顔で答えた。


『うん! サンキュー!』


 心の底からそう思った。俺は楽しいと思ってしまったんだ。泣き喚くアキの姿が。アキに砂を投げかけた時の感触が。とても心地良い。


 その日以来、アキは俺に付き纏わなくなった。風呂も、トイレも、寝る時も。いつどんな時だって俺にべったりだったアキがこんな簡単に俺から離れてくれた。ふと俺と目が合うと、怯えたように視線も逸らす。嫌悪の対象が俺を恐れている事実に心が満たされる。俺はどうしようもないくらいあの親父の息子なんだと、そう思い知った。


 それから一ヶ月くらい経った頃だっけ。その日もタクちゃん達と遊んで夕方頃に家に帰ったんだけど、そしたら家の中が酷く荒らされていた。家具の位置がバラバラで、床にはガラス製の灰皿や食器、瓶の破片が粉々に散乱している。そしてそんな部屋の隅っこでお袋が泣いていた。


『ごめんね……っ、ごめん……ね……?』


 壊れた人形のように同じ事だけを呟いていた。


『……』


 けれど俺は見逃さなかった。涙に隠れたお袋の表情を。お袋は泣きながら笑っていたんだ。生まれて初めてお袋が美しいと思えるくらい、とても澄んだ笑みだった。お袋がこんなのどかな表情を出来る原因は、一つしか思い浮かばない。お袋の浮かべた笑みのおかげで、俺はもう二度と親父と会う事はないのだと確信した。

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