気持ちよくなれる上に助かるんだから
「面白いもんだな。お互い離れて暮らしているはずなのに、お前は俺に似てアキちゃんは母ちゃんに似て来ている。女の子の方が色々使えると思ってアキちゃんを持って来ちゃったけど、お前を連れ出した方がお互い楽しい毎日を過ごせたのかもな?」
それには同感しかねるけど。
「どうだダイチ。お前も今から来るか?」
「……」
「やろうぜ。昔みたいに」
ニタニタといやらしい笑みを浮かべる口元から紡がれたその言葉に、俺の心と体は再び強張り出す。今からこいつが何をしようとしているのか。俺の記憶通りなら、きっとこいつはまだあの時と同じ事をしているんだろう。……ていうかしていたじゃないか。いや、させていたじゃないか。一昨日、アキに。
「……まだやってたんだ。万引き」
「仕方ないだろ? 生活保護だけじゃアキちゃんに贅沢の一つも味わわせてやれないんだよ」
「贅沢って……」
俺に張り付くアキの姿をもう一度見てみる。三日連続同じ服で、母親譲りのデカい胸以外は見るも無惨に痩せこけた見窄らしい妹の姿を。そして思い出す。犬のように飯を食い漁っていた昨日のアキの姿を。
「いや、でも親父結構儲かってるんじゃねえの? 最近Switchとか、ポケカのレアカードとか売ったらしいじゃん。ってかそれって大丈夫なの? 生活保護の人って、お金稼いだらいけないってテレビで見た気がするんだけど……」
「なんで知ってる?」
「……え?」
「今自分で言ったろ。どうして知ってんだお前?」
「……」
口より先に手が出るタイプっているだろ。俺もまさにそんなタイプの人間だけど、流石はそんな俺の親なだけあるなと思った。本当に一瞬だった。予備動作も何もなかった。まるでただ歩くだけのように。まるでただ呼吸をするだけのように。それがさも当たり前であるかのように。親父の平手がアキの頬を打ち付けていた。小さな悲鳴を漏らし、鼻からじわじわと鼻血が垂れ落ちるアキの姿を見て、俺はようやくアキが叩かれたのだと理解した程だ。
「アキちゃん。いくらお兄ちゃん相手でも言っちゃダメだろ」
「……ごめん……なさい」
「そういう油断からバレていくんだって、お父さん何度も言ったよな?」
「……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
そこからアキの様子が激変していく。俺の知っているアキなら、そのまま泣き崩れて嵐が去るのを待つはずだった。しかしアキは咄嗟に正座をし始めた。砂利の混ざる汚い公園の地べたでだ。そして壊れた玩具のように、ごめんなさいの五文字をしつこいくらいに連呼しながら深々と頭を下げるのだ。
アキを殴る親父の姿に違和感がなかったように、土下座で謝るアキの姿にも僅かな違和感も感じ取れなかった。もはやその動きはアキの体に染み付いているんだと思う。一体これまでに何度の土下座をさせられて来たんだろう。鼻血を拭く素振りさえ見せないものだから、鼻から垂れた血液が地面にポツポツと点を描いていた。
「よく躾けてあるだろ? これ」
そんなアキの姿を指差して爆笑しながら、親父は俺にそう言った。
「まぁなんだ。小遣い稼ぎの件は大丈夫さ。他人の通帳を買い取って、それでやりくりしてるから足はつかねえよ。父ちゃんの事心配してくれるなんてお前もいい子に育ったじゃねえか」
「いや……別にいい子とかそんな……。ってか俺なんかよりアキの方がよっぽどいい子じゃね?」
そこまで言って、ふと気づく。俺は今、何を言おうとしているんだろうと。今俺が考えるべき事は、いかにしてこの状況から脱するかじゃないのかと。自分の身の安全を第一に考えるべきじゃないのかと。今俺が言おうとしている事は、下手したら全身に逆鱗を纏ったこの男の逆鱗を撫でかねないのに。
「親父の為に盗みとか、すげえよく働いてね? まだ小五なんだぜこいつ? 背だってお袋に似てこんなちんちくりんなのに……」
「何が言いたい?」
「あー……だから、なんていうかさ。その……ちょっと、可哀想だなって。そりゃ確かに口が軽いのはどうかと思うけど……でもちょっと罰が重すぎねえかなー……」
「……」
「なんて……」
「ダイチ。お前もしかして俺に説教してるのか?」
「……」
口が止まった。止まらざるを得なかった。親父の手が俺の肩に伸びたのだ。まるで岩に肩が埋まっているような重量感だ。ヨウイチさんが細マッチョって部類なら、この重量は肉だるまのレベルだろう。一瞬で頭が理解する。俺はどう足掻いてもこいつには勝てないと。
ギリギリと、俺の肩を掴む親父の拳に圧力が加わった。これが本当に人間の力かよ。握力だけで肩の肉が引きちぎられそうだ。やばい。やばいやばいやばい。
「なぁ。俺に説教してるのかって聞いてるんだけど」
いつしかその握力は激痛となって俺の肩にのしかかった。痛い。ただただ痛い。生存本能がこの場から逃げる術を必死で探し回る。今ならまだ勢いに任せて親父を振り切れるんじゃないか? 今親父の金玉を蹴り上げれば逃げるだけの隙は生じるんじゃないか?
しかし同時にそれらの行動がかなりのリスクを背負った危険な行動である事も理解は出来た。確かに今なら振り切って逃げられるかも知れない。確かに今なら金的で逃げきれるかも知れない。でも失敗したらどうなる? 逆上したこいつに俺は何をされる? 無理だ無理だ無理だ。想像しただけでも尿意が駆け回って来やがる。
……が、その時。ついさっきチラ見したスマホの画面が俺の脳裏に突如として浮かび上がった。正確にはスマホの画面のど真ん中。ロック画面にデカデカと表示された現在時刻。そして今俺がいる場所は……。
「タクちゃーんっ‼︎」
手より先に口が出るなんて、珍しい事もあるもんだな。手を出す勇気がないと言われればそれまでだけど、ともかく俺は反射的にその名前を口から吐き出した。
選択肢の中では一番の愚行を選んだもんだと自分でも思う。そりゃあ今は夕方で、部活には入っていてもサボりがちなタクちゃんならこの時間帯にこの辺を彷徨いていてもおかしくはない。おかしくはないけど、でも同じくらいどこかに寄り道をしていたっておかしくはない。寄り道なんかしていなくても学校に残っている可能性は十分あるし、そもそも昨日の怪我で学校自体サボっている可能性だって十分ある。
「おい。お前今誰を呼んだ?」
そりゃあタクちゃん達がいれば百人力だろう。いくらこの親父が筋肉だるまと言えど、人間離れしたタロウ程ではない。俺達全員でリンチすれば十分に勝てる程度の強さだ。……でも、いくらなんでもそんなギャンブルに手を出すなんてどうかしている。タクちゃん達が駆けつけてくる可能性を盲信するあまり、タクちゃん達が駆けつけなかった場合のリスクを考えていなかった。
「誰を呼んだか聞いてんだけど。なぁ」
あーあ、やっちまった。最悪だ。殺されるじゃん、俺。体が震えて力が入らねえよ。こいつを振り払うどころかまともに拳を作る事も出来ない。これからこいつにされる暴力しか頭に浮かんで……
「ダイチぃ‼︎」「ダイチー?」
……と、その時。俺の名を呼ぶ声が二重になって俺の耳に届いた。一つは目の前にいるこの化け物の声。そしてもう一つは公園の入り口から聞こえて来た友達の声。公園の入り口に視線を向けると。
「ダイチ⁉︎ なんだよそのおっさん!」
タクちゃんがいた。タクちゃんが駆けつけてくれた。いや、それだけじゃない。
「おいやべえぞ! ダイチが変なおっさんに絡まれてる!」
タクちゃんのように駆けつけてこそくれなかったものの、タクちゃんの呼びかけに応じてカイトさんとヨウイチさんも歩きながら姿を現した。
……よかった。しっかり部活サボって家に帰ってくれてたんだ……。
とは言え慢心出来る程の安心感がないのも事実だ。それはカイトさんの指に巻かれた包帯が物語っている。昨日タロウにやられた傷跡がまだ癒えていないのだと。
なんだっけ。昨日タロウが言ってたな。タクちゃんとヨウイチさんはあだっきゅう? とかいう状態で、これは病院に行かなくても勝手に治るって。その言葉通り、タクちゃんとヨウイチさんには治療を受けたような痕跡はない。でも、ダメージが残っていないとも言い切れない。……けど。
「おうゴラおっさん! てめえ俺のダチに何してんだ? あ?」
なんて心強いんだろう。ズケズケと親父のテリトリーに侵入しながら息巻くタクちゃんが本当に心強い。数という絶対的力量差が俺に手を差しのべてくれているようだ。
「あーあ。親父。お前死んだな?」
おかげで俺も心の底から息巻く事が出来る。親父の威圧に拘束された体が羽のように軽い。こうして親父の胸ぐらを掴んでガン飛ばす事だって出来るじゃないか。あれだけデカくて驚異的だったこの化け物が、今じゃデカいだけの塵屑にしか見えなかった。
親父を突き飛ばすと、掴まれていた肩はいとも容易くその拘束から抜け出せた。拳の力が抜けているじゃないか。親父の焦りが手に取るようにわかる。流石のこいつも四人に囲まれた部の悪さを理解しているらしい。
「サンキュータクちゃん。いやマジで焦ったよ! 急にこのクソジジイに絡まれてさ。危うくカツアゲされる所だった」
「カツアゲ? 上等だよクソジジイ。お前自分がしたからには自分もされる覚悟はあんだろうな? おい」
タクちゃんが親父の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。……が、その伸ばした手は呆気なく掴み取られてしまった。
手を掴まれたタクちゃんを見て俺は焦った。当たり前じゃないか。だってタクちゃんの手を掴んで止めたのは親父じゃないんだ。その手を掴んだのは他でもないヨウイチさんだったんだから。
「まぁまぁ。ちょっと待てって」
ドウドウとタクちゃんの背中を軽く叩いて落ち着かせるヨウイチさん。タクちゃんの闘志が落ち着くのを確認すると、ヨウイチさんは親父とは全く関係のない方向に歩き出す。そこにいたのは正座したまま固まるアキだった。
ヨウイチさんはアキの目の前でしゃがみ、その容姿を舐めるように上から下までじっくりと目に焼き付ける。焼き付けて、そして爆笑した。一通り爆笑した所でその笑みの理由を口にしたんだ。
「なんだよダイチ。ガキじゃねえか」
それは間違いなく、昨日LINEで彼女自慢をした俺を嘲笑うものだった。
「まぁいいや。なぁ? ダイチ」
ヨウイチさんは俺達に背を向けたまま言葉を続ける。
「助けるのはいいけどさ」
アキを見たまま言葉を続ける。そして。
「助けたらこれ、好きにしていいよな?」
アキの胸を見たまま言葉を続けた。俺の答えは一つしかなかった。
「もちろんですよ! それはもう満足するまで好きなだけ。そいつには俺から言い聞かせときますから」
少しでも面白いと思っていただけたなら下の方で⭐︎の評価をお願いします!
つまらなければ⭐︎一つでも全然構いません!
ブックマーク、いいね、感想などもいただけるととても励みになります!