会いたくなかった
「かんぱーい!」
そこは勝利の祝賀会を開くにはあまりに静寂に包まれきった空き地だった。というのも、タクちゃん達から喫煙を勧められてからの俺の癖みたいなもんかな。これから悪い事をするにせよしないにせよ、無意識に人の少ない場所を探してしまう。繁華街のど真ん中ならともかく、人の少ない場所があちこちに存在する住宅街や郊外では、こういう人の少ない所が一番気持ちが落ち着くんだ。
憎き敵の心を見事へし折った俺は、勝利の祝賀会を開くべく駅前のマックで爆買いをし、人っ気の少ない公園へ訪れた。公園とは言いつつも遊具なんてものは何もなく、あるのはせいぜいベンチが四つだけ。そんな公園と呼ぶのも烏滸がましいこの空き地に、マック特有の食欲を掻き立てられる匂いが充満する。
「ほら、好きなだけ食えって! お前のおかげでめちゃくちゃ気分がいいんだ。こんなんじゃ足りないくらいだぜ?」
「……」
後は共に祝う相手も同じテンションではしゃいでくれりゃ文句なしなんだけどな。ポテトを差し向けられても口さえ開かないアキにため息をついて、仕方ねえからそのポテトは自分の口へと詰め込んだ。
「ってかお前、てっきり親父に連れられて遠くに行っちまったもんだと思ってたのに、ずっとこの辺に住んでたんだな」
そんな俺の問いに対してアキは首を横に振った。
「……マサコさんって……女の人の所に行ってた」
「……」
「次は……アカリさん。その次は……エナさん。その次はミユさん。今は……近くにある、お父さんのお友達の家に住んでる」
「……あ、そ。お前、学校は行ってんだよな?」
「……たまに。一週間に一回くらい。明日は行くと思う……」
「……そっか」
そこまで話して後悔した。話の引き出しを間違えちまったな。辛気臭い空気になっちまった。折角の祝賀会なのにこんな空気はごめんだ。少々無理矢理にではあるが、俺は話題の矛先をさっきまでのものに切り替える。
「にしてもお前すげえよ! 有生の奴をあそこまで追い詰めるんだもんな! ゲーム盗んで売り払うとか流石は俺の妹、みたいな?」
「……」
「だからまぁ気にすんな! あいつ、前までは静かだったくせに最近調子に乗って来やがってよ。調子に乗ったらどうなんのか身をもって知れた良い機会だったと思うぜ?」
「……」
「俺、あいつのせいでここ最近はストレスマックスでさ。でもお前のおかげで大分スッキリした」
「……」
「サンキュー。アキ」
「……」
切り替えたけど、ダメだった。この方面の話題だとアキは喋らなくなる。目の前にはご馳走の海が広がっているのに、ご馳走には一切手をつけずただただ俯くだけになってしまう。ならばとばかりに少しでも気を紛らわせようと、アキの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。それでもアキの顔にかかる闇は一向に晴れてはくれなかった。
それにしても困ったな。アキへの礼のつもりでマックを爆買いしたと言うのに手付かずか。俺の食は決して太くはない。このままだとこの大量の食料品は殆どがゴミ箱行きになってしまうだろう。全くもって勿体ない。
「食わねえんだったら他に何かして欲しい事とかあるか? 遠慮すんなよ。スッキリさせてくれた礼なんだから」
「……帰りたい」
「……」
「…………お父さんが来る前に……帰りたい」
予想外の答え、という程ではないか。スマホの時計を見ながらふと思いだす。昔の事を。俺がまだアキと一緒に親子四人で暮らしていた時の事を。思い出してしまったからこそ。
「何が帰りたいだよ。帰んなよ。あんな奴の所に」
自然と俺の口からはそんな単語が漏れ出ていた。
「警察とか、児相とか。そういう場所だろ? お前が行かなきゃいけねえのは」
「……」
「一昨日の万引きも、有生のSwitch盗んだのも、どうせあいつの……」
……。
あれ。何で俺今、口を止めたんだ? 何かが耳に入ってきたような感触がして、その瞬間急に口が動かなくなった。まるで生存本能が直接語りかけているようだった。喋るなと。声を出すなと。見つかるぞと。肉食動物の気配を察知した草食動物のように体が強張る。
「そんな……虐待通告だなんて……!」
そういえば俺、つい最近もどっかでこれと同じ感覚を体験したよな。えーっと……あれだ。一昨日だ。一昨日、イオンに行った時。
「あの子が学校に行きたくないと言っているんですよ? 泣きながら私に懇願して来るんです。学校が怖い、友達が怖いって……」
あの時も俺はこんな風に体が強張った。有生にイライラしていた気持ちすら忘れてしまうくらいに感情の上書きが施された。そのきっかけは他でもない、アキとの再会だ。
「不登校が罪ですか? 学校に行きたがらないあの子が悪いんですか? それでもアキはアキなりに頑張っているじゃないですか! あんなに心が弱りきっているのに、それでも週に一回は学校に通おうと頑張っているじゃないですか!」
俺はあの時もこうして動揺していた。当然それはアキとの再会に身を震わせていたからではない。アキの付属物の存在に気がついて動揺してしまったんだ。
「私はそれ以上の頑張りを無理強いしたくないだけです。親としてあの子を見守るのがネグレストなんですか? こんな事で虐待通告なんて……あんまりだ……っ」
俺はそいつ程嘘の上手い人間を知らない。そいつは嘘つきだから。息を吐くように嘘を吐く人間だから。嘘をつき慣れた人間っていうのは、嘘を真実のように話せる癖がついているんだ。その域はもう虚言癖なんていう生優しいものなんかじゃない。そいつの言葉が嘘かどうかを見抜ける人間なんて。
「もう少しだけ時間をください……。あの子に考える時間を。どうかお願いします……。どうか……!」
そいつの本性を知っている人間だけだ。スマホの通話を終わらせたそいつを見て、俺はそう思った。
一瞬、幻を見ているような感覚に陥る。そいつの顔付きが刹那の間に別人へと変化したからだ。通話中と通話後で顔が全然違う。娘想いの父親から一気にただのチンピラになれ果てやがって。ここまで化けの皮が剥がれやすい人間なんてそうそう居てたまるかよ。
「誰? 君」
そいつはスマホをポケットにしまうや否や、一直線に俺達の元へと歩み寄り、百九十は優に超えるであろう巨体から俺達の事を見下ろす。
「アキと何してるの?」
対して俺はと言うと、未だに精神的な拘束から抜け出せずにいた。その巨体を見上げる以外の事が出来ない。体の強張りが緩んでくれない。
「たまたま早く家に帰ったらアキがいないからさ。探し回っちゃったじゃないか」
これは生き物としての欠陥だな。肉食動物の気配を察知して体が強張るのはいい事だ。動けなくなる事でこっちの気配を極限まで薄める事が出来る。でも、肉食動物に見つかってもなお動けないままってのはな。敵に見つかったら抵抗するなり逃げるなりしないと。こんな無抵抗に動けないままとか恰好の餌食もいい所で。
「何か答えろよ」
そいつはそんな恰好の餌食と化した俺の頭目掛けて手を伸ばした。……が、しかし。次の瞬間に俺の頭部が感知した感触は、そいつのゴツゴツした手からは想像もつかない程に柔らかかった。それもそのはずだ。なんせそいつに頭を掴まれるよりも先にアキの方が行動したんだから。「お兄ちゃん!」と、アキらしくもない大声をあげながら俺に抱きついて来たんだから。そいつから俺を守るように、俺の頭に抱きついて来たんだから。
でもな、アキ。今の一言はちょっと余計だったかもな。一昨日、イオンでアキと再会した時、俺はアキをアキだと認識することが出来なかった。アキと生き別れて七年。子供の七年は体を大きく変化させるから、どことなくアキの面影こそ感じたものの、アキだと断定する事が出来なかった。そしてそれは今も同じ。
こいつは俺に気づいていなかった。七年という歳月が俺の顔や体を大きく変化させていたからだ。
「……お前、ダイチか?」
「……」
「そうか! なんか見覚えのある顔だなーとは思っていたら! いやーッハッハッハッ。久しぶりだなぁ? ダイチ」
お前がお兄ちゃんなんて言わなければ、上手い具合に誤魔化せていたかも知れないのに。
「あぁ……。その……。久しぶり。親父」
温湿布のような原理だろうか。アキに抱きつかれた事で少しばかり筋肉が解れ、俺はようやくその一言を口にする事が出来た。
「七年振りか? お前デカくなったじゃないか。まだ中学にも上がってないだろ確か。アッハッハッ、流石は俺の子だよ」
自分と似通ったこの体を存分に見回しながら上機嫌そうに笑う親父。
「で? アキと何してた?」
しかしその笑顔は一瞬で真顔になる。かつてはこいつと一緒に暮らしていたはずなのに、俺はこいつがいくつの顔を持っているのかもわからない。
「いや……折角再会したし、嬉しくなって豪遊……みたいな?」
「へー、いいお兄ちゃんだな。それにしても結構買ったんじゃないか? これ全部でいくらした? いくらお兄ちゃんぶりたくても普通の小学生が気軽に買える量じゃないだろ?」
「……」
「母ちゃんが再婚したのは聞いてはいたけど……もしかして新しい父ちゃんって金持ちか?」
「……」
「俺が聞いたらすぐ答えろよ」
「……だ」
「ん?」
「……盗んだ。お袋が風呂入ってる時に……お袋の財布から」
親父は満面の笑みを浮かべながら大爆笑した。俺達、やっぱり親子なんだな。認めたくはないけど認めざるを得ない。俺と親父は似ている。俺もさっき、こんな風に有生の事を笑っていたのかな。さぞ無様で醜い笑顔だったんだろうな。
ってか、なんだよアキ。その顔。なんでお前、そんな悲しそうな顔で俺を見んだよ。俺がお袋から金を盗んでいたのがそんなにも意外か? お前が七年間一緒に暮らしていた男の子供だぞ、俺は。
「ダイチ。やっぱお前、俺に似てるわ。見た目も、中身も」
同感だった。
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