強くてもまだ九歳の女の子
バス停を降りて考える。実はこいつの方が俺をハメようとしているんじゃないのかと。こいつを誘い出したのは俺だけど、本当は入念な根回しを経た上で、俺がこの場所に有生を誘い出すように誘導したんじゃないかと。実はタロウが待ち伏せしていて、俺の事をフルボッコにするつもりじゃないのかと。
そう思ってしまうのは、他でもない俺自身が捻くれているからなんだろう。でも、それ以上に真っ直ぐ過ぎるこいつにだって非はある。
こんなにもブレない人間とか逆に不自然なんだよ。不気味と言ってもいい。人を平気で殺せる人間に対して人でなしとか、人の心がないとか言うけれど。人を平気で許せる人間だって、同じくらい人間らしくないと俺は思う。そうだ、こいつは人間らしくないんだ。本当に同じ人間なのかと疑ってしまうくらい、こいつからは人間らしさを感じない。
「お前、本当にまたアキと遊ぶつもりか?」
だからこの質問は、言ってしまえば魔女裁判だ。
「昨日、アキに電話して問い詰めた。そしたらあいつ、あっさりお前のSwitchを盗んだって白状したぞ。一応持って来るようにさっきLINEで言っといたけど」
自分の大切な物を盗むような輩を心から許せる。そんな聖人に化けた魔女の正体を暴く為の罠。
「……そっか」
この世のどこにそんな盗人を許せる人間がいるかよ。この質問に首を縦に振れる人間を、俺は人間だなんて認めない。そんな奴は嘘つきか人間の皮を被った化け物かのどっちかだ。……だから。
「でもいい。許すよ。少し考えたんだけど、あれって私も悪かったと思うんだ。アキんちの事情は知ってたのに、あれじゃあまるでSwitchを見せつける為にうちに呼んだみたいじゃね? ……もう少し、気を遣ってやれればよかったんだよ」
「お前はそれでいいのか?」
「うん。いい」
だから俺は有生を人間の皮を被った化け物だと判断した。こいつが嘘つきじゃないのは分かりきった事だから、そう判断するしかなかった。
「……あれ。LINE? アキってスマホ持ってたっけ?」
「……」
馬鹿のくせに変な所には気づくんだな。まぁ。
「アキの親父と連絡してたんだよ」
誤魔化し方なんていくらでも思いつくけど。
「お、いたいた。おーい! アキー!」
気がつけば俺達は目的の広場に到着していた。こんな日中でも相変わらず人っ気が無く、静黙とした寂しい場所だ。目視で通行人の数が数え切れる程だし、そんな通行人も殆どが老人だらけ。この辺に住んでたのも相当昔だけど、その時から既に住人の殆どを老人が占めていたような気がする。ここにいる老人以外の人物なんて俺と有生と、そして広場のベンチに腰を下ろすアキの三人しか見当たらなかった。
俺の声が届いたのだろう。アキは一瞬体を震わせた後、恐る恐るこちらに顔を向けた。……と、その時。
「おっと⁉︎ なんだよあぶねえな」
俺の一歩前を歩いていた有生の足が急停止し、俺は軽く有生と衝突してしまう。
「何してんだ? 会いに来たんだろ?」
「あ……あぁ」
俺と衝突してもなお足を動かそうとしない有生だったが、俺に促されてようやくその重い足を踏み込んだ。一歩、一歩、まるで綱渡りでもするような慎重な足取りで平地を歩く有生。俺達とアキとの距離なんて歩いて数秒、走って一瞬程度の物なのに、まるで崖を挟んだ向こう岸を目指しているようにさえ思える。
そしてやっとの思いでアキの前まで辿り着いても、俺達を待ち受けるのはしばしの沈黙。長い沈黙を経てようやく有生の方から声をかけたかと思えば。
「……よぉ! 昨日ぶり」
そんな当たり障りのない言葉しか出てこなかったらしい。
「き、昨日は楽しかったな」
「……」
「いやー、お前すぐ帰っちまうからさ。あの後ダイチと飯食う事になって気まずかったんだぜ?」
「……」
「次遊ぶ時はお前も夕飯付き合ってくれよ。ちゃんと言えば親父さんだって許してくれるって」
「……」
「……でもさ。その前に……その」
「……」
「Switch、返してくんね?」
とは言え有生は当たり障りのない世間話をする為にここに来たんじゃない。ただの世間話は徐々に本題へと姿を変えていく。それでもアキには一向に返事をする様子が見受けられなかったが。
「あれさ、本当に大事なもんなんだよ。サチがめちゃくちゃ苦労して買ってくれた私の宝物なんだよ 」
「……」
「昨日はほら、お前に見せびらかすようになっちまって……その、本当に悪かったって思ってる。別にSwitchで遊ぶなって言ってるんじゃねえからな?」
「……」
「遊びたいならいつでもうちに来いよ。……あ、そうだ! なんなら私がSwitch持ってお前んちに遊びに行くのもよくね?」
「……」
「お前、この辺に住んでんだろ? 昨日知ったんだけど、この辺って昔めっちゃ人が死んだらしいな。あはは……、お前んちで遊んだら帰り道が怖そうだ」
「……」
「……」
「……」
「……」
あちこちに植えられた無数の木のどこかから、今年初になるであろう蝉の鳴き声がこだました。まるで二人の会話を掻き消すかのように。でも、それは違う。二人は蝉の鳴き声に阻まれて会話をしなくなったんじゃない。ていうかそもそも、アキには会話をする気なんてこれっぽっちもないんだ。二人の会話は、最初から有生の独り言に過ぎなかった。
「なんか言えよ」
有生は俺の一歩前でアキと対峙している。俺の目に映るのは有生の背中だけで、どんな表情をしているのかなんて全くわからない。けど、有生が腕で目を擦るような動作をしたおかげで有生の表情は手に取るようにわかってしまった。
「なんで……黙ってんだよ」
「……」
「なんか言えよ! なぁ⁉︎ お前Switch持って来たんだろ⁉︎」
遂に襲いかからんばかりの勢いで有生はアキの両肩に掴みかかった。そのまま勢いをつけ、力の限りアキを押し倒してしまいそうな雰囲気だったものの。
「……あれ」
しかしすぐに有生の腕からは力が抜け落ちる。ようやく気がついたらしい。さっき俺から『アキがSwitchを持って来る』と聞かされた割に、今目の前にいるアキは手ぶらだと言う事実に。そして。
「……ダイチ?」
さっきから自分の背後で笑いを堪えている俺の姿にも。
こっちに振り向いた有生の顔を見て。まだ泣きこそしていないものの、薄らと涙を浮かべている有生の顔を見て。俺は遂に耐えきれなくなり、口から両手を離して大声で笑い声をあげてしまった。ここが人っ気の少ない土地でよかったと、心の底からそう思った。
「おいアキ。言ってやれよ」
満足するまで一通りの笑いを消費し切った所で俺はアキにそう促す。恐る恐る俺からアキへと視線を向け直した有生目掛けて、アキは昨日電話で俺に教えてくれた通りの事実を口にした。
「……売った」
「……は?」
「………………売った」
聞き間違いである事を願った有生の思いは、アキの口から紡がれたたったの三文字で見るも無惨に砕け散った。
「売ったって……どこに? どこの店だよおい! ブックオフか? GEOか?」
きっと今ならまだ買い戻せるとでも思っているのだろう。そんな有生の願いも、同じようにたったの四文字で砕け散るわけだけど。
「……メルカリ」
アキから告げられたその四文字は、有生のSwitchがこの街のどこかではなく、この日本のどこかに売られてしまった事を意味する最凶の凶器となって、有生の心をズタズタに切り裂いてくれた事だろう。
「有生。お前本当に馬鹿だよな。俺が善人なわけねえだろ? バスん中で言った事は全部嘘だ。最初からこれが目当てだったってわけ。わかる? あーあ、可哀想に。もう返って来ねえんだぜ? お前のSwitch。お前がアキにやったあのカードだって売っ払っちまってるし。なぁ? アキ」
アキは俺の問いには答えなかったが、今は別に構わない。俺には今、アキの返答よりも見たいものがある。俺は今か今かと待ち侘びているんだ。ここからの有生の反応を。
有生。お前今からどうなっちまうんだ? 正義マンの理性を破り捨ててアキに殴りかかるのか? それともお前を煽り倒す俺に殴りかかるのか? 叶う事なら俺に殴りかかって来て欲しいものだ。
顔面を涙でどろどろに汚しながら殴り掛かってくる有生か。この場にタロウがいれば、そんな有生の無様な姿を見るだけで終わった事だろう。でも、タロウがいない今なら襲いかかってくるこいつを正当防衛で返り討ちにする事だって出来る。だから来いよ有生。早く殴りかかって来い。アキに手を出したら妹を守る名目でてめえを殺してやる。俺に手を出したら正当防衛を盾にてめえを殺してやる。顔の形が変わるまで殴ってやる。
だからさぁ、有生。さっさとかかって来いよ。いつまで俯いてんだよ。いつものお前らしく、狂犬みたいに噛み付いて来ないと何も始まらないんだよ。
「お前もなんか言えよ。有生」
俺は遂に痺れを切らし、有生の髪に手を伸ばした。髪を引っ張り、俯いたその顔にどんな表情を浮かべているのか確認する。額に血管を浮かべているのだろうか。歯を食いしばりながら襲いかかる心の準備でもしているのだろうか。
「悔しかったらパンチの一発でも……」
そうして持ち上げた有生の表情は、涙一色に染まっていた。怒りも悔しさも恨めしさも、全ての負の感情が涙の仮面で覆われているようだった。その有生らしからぬ闘気の欠片も見当たらない表情に、俺は思わず言葉を途切らせてしまう。
それでも俺の声は届いていたのだろう。有生は俺に言われた通り、俺の胸目掛けてパンチの一発をかまして来た。しかしそれはパンチというにはあまりに弱々しい。有生の体格が小さいのを加味した上でも、俺はそれを暴力と思う事が出来ない。これじゃあまるで拳で俺に触れているだけじゃないか。ペチペチと、言葉通りの意味で痛くも痒くもない無駄な抵抗をしているだけじゃないか。
俺は有生の髪から手を離した。有生の拳に屈したからじゃない。あんな弱々しいパンチに屈する理由なんてないけれど、それでも俺は有生から手を離した。そして。
それは有生に残った微かなプライドなのだろうか。有生はその場で崩れ落ちるも、その小さな両手で自分の顔を覆い隠した。死んでもこの表情だけは晒すもんかという確固たる意志を感じた。そんな事をしたって指の隙間から漏れ出るその声は隠せやしないのに。
有生の口から漏れ出る「あ」と「わ」と濁点だけで紡がれる騒音は、思ったよりも静かなものだった。必死に泣き声を押し殺している様子が見て取れる。だから俺はそんな有生の隣で、有生の分も補う勢いで大声をあげた。腹の底から笑い声を捻り出し、泣き果てるだけの有生を笑ってやった。
「おい有生! 顔上げろ! こっち見ろ!」
こんなに貴重な光景をこの瞬間だけで終わらすのはもったいない。俺は有生の髪を掴んで無理矢理顔を上げさせ、涙に塗れたその顔面をスマホで動画に納めた。すると有生は獣のような雄叫びをあげながら抵抗するんだ。髪を掴む俺の手を爪で引っ掻いたり、俺の腕からスマホを叩き落とそうと試みたり。でも崩れ落ちた女を無力化するのは簡単でさ。有生の脇腹目掛けて蹴りを一発放ってやるだけで、有生は痛みで蹲るんだ。亀のよう丸くなって泣き続けるんだ。俺は無防備になった有生の背中にもう一発蹴りをかましてやる。
あぁ。とても気分がいい。こいつは俺と同じかそれ以上に手の速い人間だと思っていたけど、本当に追い詰められると何も出来ずに泣きじゃくるしか出来なくなるらしい。いいよ。いいよ有生。撤回するわ。お前めちゃくちゃ人間らしい所もあるじゃん。ゾクゾクする。おかげでどんなに笑っても笑いが枯れ果てる気配がない。
俺は笑う。ただただ笑う。心のままに笑い続け、狂ったように笑い続け、そして。
『ダイチ。ありがとな』
「……」
永遠に続くと思われたその笑いは、ある瞬間をもってぴたりと止んでしまった。泣き崩れるだけの有生を見ながらふと思う。俺、これの何を面白がっていたんだろうと。おかしいな。さっきまであんなに笑い飛ばしていたはずなのに、俺今何も面白くねえんだけど。
「アキ。行くぞ」
笑えなくなったからには、それはもうただの置物も同然だった。俺には置物を見て楽しむ趣味はない。笑えない物を見ていたって退屈なだけだ。俺はアキの手を引いてそそくさと場所の移動をする。
「ダチになる相手を間違えたんだよ。お前も潔く諦めて帰れ」
背後の泣く置物にそう声をかけたのは、多分ただの気紛れだ。
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