思い出した。原因は私だった
「ダイチ! 今日ミッチんち行こうぜ!」
帰りの会が終わると、すかさず前の席のショウが俺に話しかけて来た。ミッチは親父が菓子メーカーに勤めていて、家には会社から貰った菓子が山のように備蓄してある。ミッチの家で遊ぶとそれらの菓子が実質食べ放題みたいなもんだから、学校の連中と遊ぶ時の溜まり場としてはこの上ない良い環境と言えるだろう。クラスのよく連むメンバーと遊ぶ時は、大体ミッチんちで遊ぶ事が多い。ミッチの親もゲームに理解のある人だから、遊べるゲームも色々と取り揃えてあるしな。
「悪ぃ! 俺この後予定あるから」
でも、俺はそんなショウからの誘いを断った。席をぐるりと回転させ、斜め後ろの席で帰り支度をしていた有生に声をかける。
「な? 有生」
「……は?」
そんな声が二重に響いた。一つは俺と有生のやり取りを見ていたショウの声で、もう一つは有生本人の声。有生には俺の喫煙が知られている事だし、ショウには悪いけど詳しい説明をこの場でする事は出来ない。俺はショウをスルーして有生との会話を続けた。
「お前、あれからアキと連絡取ったか?」
「……電話は何度かした。一度も出てくれねえけど」
「だろうな。多分お前からの番号は一生出ねえぞあいつ」
「……」
「合わせてやろうか?」
「……え」
有生が俺の顔を見上げる。不安八割に期待二割が混じった絶妙な表情をしていた。ま、昨日あんな目に遭ったばかりだし仕方ねえか。
「心配すんなよ。昨日の奴らはいない。まぁ近くの中学に通ってるし運が悪かったら鉢合うかもだけど、今日は俺がお前を個人的に誘ってるだけだ。どうしても心配ならお前も来るか? タロウ」
俺は横から恨めしそうに俺達のやり取りを覗き見るタロウも誘ってみる。が、タロウは俺に話を振られるや否やそっぽを向いてしまう。それどころかとっととランドセルを背負って帰っちまったじゃねえか。どうしたんだあいつ? 来ないって事でいいのか? 別に今日は有生を殴る気なんてないし、全然来てもらっても構わないんだけど。
「で、どうすんの? 来るのか? 来ないのか? 来るならこのままバスに乗って昨日の場所に行こうぜ」
「……何のつもりだよお前」
「俺は来るか来ないかだけ聞いてんだけど」
「……」
すると有生はスマホを取り出し電源を入れた。起動したのはLINEのようだけど、多分親に帰りが遅れる事を伝えたんだろう。
「行く」
有生は一通りスマホを操作してからそう答える。
「そう来なくちゃ」
俺達は恐らく今後一生有り得ないであろう、最初で最後の二人きりの下校をした。
本当なら一度家に戻って通学用リュックくらいは置いて来るべきなんだろう。ランドセル程わかりやすい鞄ではないものの、こんものを背負って遠出するなんてリスクでしかない。有生の通学リュックに至ってはご丁寧に小学校の名前まで書かれているし、学区から遠く離れた場所まで勝手に出歩いた事が学校にバレる可能性も大いにあり得る。
とは言え目的地の場所まではバス停の始点から終点を結ぶくらいの距離があり、一度家に戻ってしまうのは時間がもったいない。そういうわけで俺達は駅のコインロッカーに通学鞄を預けてからバスに乗り込む事にした。
昨日のバスとは打って変わって、とても心地よい車旅だ。心が躍るとはまさにこの事だろう。これから起きる出来事を想像するだけで心臓が高鳴って行く。
ふと隣を見てみると、こんな俺とは打って変わって不安な感情を包み隠そうともしない有生が静かに座っていた。実際不安で不安で堪らないんだろう。なんせ昨日の今日だ。こいつは俺が真実を言っているのかも、嘘を吐いているのかも判断する事が出来ない。
普通ならこんな誘いに乗る事自体間違ってんだ。仮にこれが逆の立場だったとしたら、俺は絶対にこんな怪しい誘いには乗らない。……でも、こいつは必ず誘いに乗ると思っていた。こいつの性格からして乗らないはずがないんだ。そして思った通り、まんまと挑発に乗ってくれたこいつには感謝してもしきれない。まったく、不安を隠しきれない有生の表情が面白過ぎて鼻で笑っちまったよ。
「……」
……けど、なんだろう。たった今、有生の不安気な表情を鼻で笑った瞬間。ふと奇妙な感覚を覚えた。違和感って奴だろう。何かがおかしい。何かが不自然だ。今俺の目の前で異様な出来事が起きているのはわかるのに、その正体がわからない。とてもモヤモヤする。
有生の顔をマジマジと見るわけにもいかないから、俺は前のめりになって前方座席の背もたれに体重を預ける。そしてバレないように横目で有生の表情を再び覗いた。何度見ても変わらない、不安だけが宿った静かな顔だ。良くも悪くも……いや、悪くも悪くもやかましいこいつには似合わない表情だと思う。
……あれ。これって挑発に乗った人間がする表情だっけ。俺の知ってる有生なら、挑発されたらもっと敵対心をバチバチに燃やして突っかかって来るはずなのに。よっぽど昨日の出来事が堪えていて、ネガティブな想像しか出来なくなっているんだろうか。
……いや、違う。そもそも前提からしておかしいんだ。何で俺、有生の表情をこんな至近距離から見ていられるんだろう。それはもちろん有生が俺の真横に座っているからだけど、それっておかしくね? どうしてこいつ、俺の隣に座ってんだ?
違和感の正体はこれだった。そりゃあ俺達は昨日も隣同士で座っちゃいたけど、昨日と今日とではわけが違う。昨日のは仕方のない事だ。だって昨日は乗客こそ適度に少なかったけど、座れる席は二人がけの席が一つしか空いていなかった。なら敵同士とは言え隣同士になるのも仕方がない。
でも、今はどうだ? 夕方と呼ぶにはまだ早い小学校の放課後の時間帯。会社帰りのリーマンも部活帰りの学生もいないこの時間帯。車内には他にも多くの空席が空いている。俺は何も考えずに一番後ろの席に座ったけど、何でこいつは俺の隣に座ったんだ? 椅子なんてそこら中に空席が散乱していると言うのに。
「……なぁ、ダイチ。逆に聞くけど、何をしたらお前はタバコを辞めてくれんだ?」
違和感の正体に気づいてから十分以上は経っただろうか。突然独り言でも呟くように、隣で有生がそんな事を口にした。
「またその話かよ。関係ねえだろお前には」
「関係ねえからどうしたら辞めてくれるのか聞いてんだよ。私に関係あるならどんな手使ってでも辞めさせてるっつうの」
「知るかよ。つうかしつけえ。そんなにやめさせたきゃ教師にでもチクってみろよ」
「……チクらねえよ。お前の事はもうチクらない」
「……」
どこか引っかかるような言い方だった。有生は続けて言葉を紡ぐ。
「昨日、昔の事が夢に出てきた。二年前の秋の……私が転校したばかりの頃の夢」
「何? 急に」
「知らね。寝る前にアキの事やお前の事で頭がいっぱいだったからかな? なんか知んねえけど、夢見ちまった。私さ、ちょっと前まで友達を作る気なんか全然なかったんだ。未だにクラスメイトの半分も名前を覚えてねえもん。やたら目立つお前の顔と名前だって、四年の三学期くらいにやっと覚えたんだぜ?」
「だから何の話だよ」
「……いや、だからさ。二年前の事を思い出しちまったんだって。転校して来たは良いけど、友達作る気なんか全然なくてさ。話しかけてくる女子もみんな突っぱねちまってさ。それで孤立していた私に最後まで話しかけてくれた奴が、そういえば一人いたなって」
「……」
「私、そいつに酷え事言っちまったんだよなって」
「……あ、そ」
「うん」
気がつくと俺は前のめりの姿勢を正して顔を上げていた。無意識にこいつの話を聞き入ろうとしているのだろうか。今度ははっきりと有生の顔を視覚に捉えて、その話に耳を貸した。
「私、前の学校でいじめられて逃げて来た雑魚なんだ」
「だろうな。なんとなくそんな気はしてた。お前負け犬オーラぷんぷんだったから」
「思っても口に出してんじゃねえよそんな事。傷つくだろ?」
「言われて傷つくならそもそも自虐なんかしてんじゃねえっつうの」
「……あはは。そうだな。お前の言う通りだ」
有生は困ったように笑った。それは天地がひっくり返っても敵に見せていいような表情ではなかった。
「前の学校で私がいじめられるきっかけを作った奴と、転校して来た私に最後まで話しかけてくれた奴って少し似てるんだ。どっちも、誰とでも友達になろうとする気の良い奴だった。……だから、怖かった。こいつと仲良くしたら、また同じ事の繰り返しになるような気がした」
さっきまでの胸の高鳴りはどこへ行ってしまったんだろう。さっきまでの高揚感はどこへ行ってしまったんだろう。俺の中で、焦りと寛ぎが混在した異様な感情が渦を巻く。予感が俺に告げるんだ。有生の話に耳を貸すなと。有生の話は俺の目的を妨げる障壁になると。
頭ではそう理解しているのに、耳を塞げない自分がいるのはどうしてだろう。力で有生を黙らせられない自分がいるのはどうしてだろう。自分の気持ちなのに、他でもない俺自身が一番理解できない。
「そうやって二年間もぼっちを貫いて来たのに、タロウが転校して来る少し前だったかな。家でちょっと色々あってさ。急に友達が欲しくなった。でも、転校してからずっと一人でいた私に今更入れるグループなんかねえだろ? だから転校生のタロウが前の席の奴に話しかけられた時、めちゃくちゃ焦った。唯一私が友達になれそうな奴を取られる気がした。私、そいつに嫉妬してたんだ。私と違って友達の多いそいつにさ。そいつが男子を複数連れてドンキで騒いでたのを学校にチクったのも、そいつに嫉妬したからだ」
「何言ってんだか。お前程の正義マンなら見ず知らずの男子だろうと学校にチクってたろうがよ」
「お前こそ何言ってんだよ? あんなの、正義でもなんでもねえだろ。本当の正義ならこそこそチクらずに堂々と止めるべきなんだよ。私は正義感でチクったんじゃない」
「……」
「友達の多いお前を酷い目に遭わせたくてチクったんだ。……ごめんな、ダイチ」
いつしか有生も俺の方を見ていた。俺としっかり目を合わせてから、申し訳なさそうに頭を下げていた。ここがバスの中じゃなく、校庭や教室のようなしっかりとした床がある場所なら土下座さえしかねない雰囲気だった。
「ぼっちの私を仲間に入れようとしてくれたのに突き放したりしてごめん。自分が気持ち良くなりたくてチクったりしてごめん。私、今までお前に酷い目に遭わされてばっかだってずっと思ってた。……でも、先に酷い事をしたのは私の方だったんだよな? 思えばこの二年間、お前って悪目立ちする事はあっても誰かをいじめた事はなかった。……私が変な気を起こしてチクったせいで、お前をそんな奴にさせちまったんだ。今日、夢から覚めてそう気づいた」
額に汗が浮かぶのは、窓から差し込む直射日光のせいだろうか。拳に手汗が溜まるのは、冷房の弱いバスのせいだろうか。有生の言葉の一つ一つが俺の判断力を鈍らせる。俺の心に揺さぶりをかけてくる。
馬鹿。やめろ。何を考えてんだ俺。自分の目的を思い出せ。昨日の屈辱を思い出せ。そうやって自分に言い聞かせないと、本気でどうにかしてしまいそうだ。
「なぁ。私、今からすげえ都合の良い事言うけどさ。……ここ数週間の事、全部なかった事に出来ないかな」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前、昨日の事忘れちまったわけ?」
「忘れるわけねえだろ。今まで生きて来て、あんなにビビった夜はない。……ないけどさ。お前、私にもタロウにも真っ先に声かけてくれたじゃねえか。やっぱお前、根っこの方は悪い奴じゃねえんだよ。付き合う相手を間違えたせいで、あれが普通だって勘違いしてるだけなんだ。……頼むよダイチ。もうタバコも、酒も、変な連中と絡むのもやめてくれよ。またアキと一緒に遊ぼうぜ?」
「……」
「……なぁ。頼むから」
有生はそう言って俯いた。俯いたと言うより、頭を下げてお願いしているのだろうか。こいつの考えている事が何一つわからない。
「……ダイチ?」
しばらく俯き続けていた有生だったが、数分もの間俺からの返事がないと分かると流石に頭を上げざるを得ないのだろう。今になって初めてわかった事だけど、こいつと隣り合って座ると目線の高さが一気に縮まる。俺が年齢不相応に身長と足が長いのもあるし、こいつもまた年齢不相応に身長と足が短いのも原因だろう。こいつのタッパや足の長さは、パッと見た感じ小四か小三並みだ。
普段は一方的に俺を見上げているだけに、こうして真横からこいつに見つめられるのはなんだか複雑だ。それでいて何より不便だ。スマホの画面とか丸見えじゃねえか。
「見んな」
スマホの画面を覗き見していそうな有生をそう咎めると、有生は小さく「ごめん」と謝罪して前を向いた。俺達の会話はそこで途切れ、そこから無言の時間が数分程過ぎて行く。
「今、タクちゃん達に嘘の待ち合わせ場所を教えた」
こんな風に俺から話を切り出さなければ、きっと目的地に着くまで俺達の間で会話が交わされる事はなかっただろう。
有生は驚いたような顔で俺の方を向く。戸惑いの中にどこか期待のようなものが混じった、そんな間抜けな表情だった。
「ヨウイチさんの兄貴に結構ヤバい奴がいんだよ。アキを餌にお前とタロウを釣った後、待ち合わせ場所でその人にお前とタロウをボコボコにして貰うつもりだった」
「つもりだったって……」
「あぁ。やめた。嘘の待ち合わせ場所を教えちまった。……俺、殺されっかもな?」
スマホをポケットにしまって苦笑いを浮かべる。浮かべるだけでなく、実際にヘラヘラと笑い声もあげてしまった。
「殺させない!」
そんな俺に有生が詰め寄って来た。距離にして数センチだろうか? 有生が詰め寄った距離ではなく、俺と有生との距離の事だ。顔が近い。俺ともあろうものが、その勢いに圧倒されて思わず後ずさってしまう。バスの冷房で冷え切った窓ガラスの温度が背中いっぱいに広がるのを感じた。
「絶対に殺させない! お前には指一本触れさせない! 約束する! 心配すんな、私が全部なんとかしてやっから」
「……近えよ」
「あ、ご、ごめん!」
俺に言われてやっと自分達に気付いたらしい。有生は慌てて俺から距離を取る。それにしても十センチも離れちゃいないが。
「ってか何? 全部何とかするって、タロウならまだしもお前みたいな雑魚に何が出来んの?」
「それはその……今は言えない。言えないけど、でも信じて欲しい。私なら出来んだよ」
「またそれかよ。理由も聞けずに信じれると思うか?」
「いや、言いたい事はわかるけど……。でも本当に今は言えねえんだ」
「今は?」
「……うん」
「いつなら言えんの?」
「来年の春。卒業した後になるけど、中学に上がる前には全部教えられると思う」
「……」
一瞬、有生の表情に切なさが垣間見えたような気がしたのは気のせいだろうか。……まぁ。
「だから頼むダイチ! 一生のお願いだから信じてくれ! な? な? な? マジで頼む! な⁉︎」
「だから近えつってんだろ! わかったわかった! 信じる! 信じるから離れろチビ!」
気のせいだろうな。顔の前で両手を合わせて、こんな喧しく迫ってくるこいつのどこに切なさがあるって言うんだか。近すぎる顔に窓から差す日光、それと車内の影がこいつの顔にかかったせいで、たまたま切なそうに見えただけなんだろう。
俺は近すぎる……というか最早密着レベルまで擦り寄る有生の体を突き放した。突き放されたというのに、こいつは俺の返答を聞いてとても満足気な顔をしているんだ。なんて嬉しそうな顔で俺の事を見てくるんだろう。
こいつ、馬鹿なのかな。成績は学年トップレベルで良いのは知っている。テストを返される度に教師に褒められるこいつの姿を何度も見てきた。それだけ頭の良さを持っていて、何でこんな事が出来るのか俺には理解出来ない。
俺には指一本触れさせない。こいつは本気でそう言っていた。俺はこいつが嫌いだ。嫌いだからこそ、こいつの言葉に嘘はないと信じられる。当たり前だ。俺はこいつがどんな人間なのかよく知った上でこいつを嫌っているんだから。
「サンキュー。こうなったからにはもう心配はいらねえぞ? タロウの手を借りるまでもねえよ。全部私に任せろ。絶対にお前の事は守るから」
なぁ、有生。お前どこまでイカれた正義マンなんだよ。何で俺にそんな事言えんだよ。俺にされた事を逐一覚えておきながら、何で俺にそんな気持ちを抱けるんだよ。……なんで。
「ダイチ」
……どうして。
「ありがとな」
俺にそんな笑顔を向けられるんだよ。俺のそんな疑問は晴れる事のないまま、バスは目的地へとたどり着いた。
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