宿敵
単に東京二十三区と言ってもその全てがビルだらけのコンクリートジャングルと言うわけじゃない。田舎の人が想像するTHE・都会って感じの街並みは、東京の中でもほんの一部にしか存在しない。具体的に言えば都心である中央区、港区、千代田区の三つと、後は新宿、渋谷、池袋のような副都心だ。
都心というのはその名の通り、東京都の中心となる地。東京という都を回す為に機能しているこの国の中心地で、あまりに東京の機能がこの三箇所の区に集中し過ぎたもんだから、機能を分散する為に新宿、渋谷、池袋のような副都心が出来たんだと社会の先生に教えてもらった記憶がある。
そしてサチのマンションがあるのはそんな副都心の一つである池袋だ。都心の機能を分散した地ではあるのだろうが、それでも東京の中ではかなり発達している街である事に違いはない。そんな池袋にはポケモングッズを専門的に取り扱うポケモンセンターがあるわけだけど……。
「いやー、久しぶりだなイオンに来んのも」
それでも私達は東京郊外に存在するイオンまで電車で赴いた。理由は簡単。いくらポケモングッズを専門的に取り扱う店とは言え、あんな人でごった返す場所にポケカが残っていると思うほど私は馬鹿じゃないからだ。
なるほど。休日の午後なだけあって辺りを見渡すとどこもかしこも人だらけ。このイオンの五階には映画館もあるし、それ目当てで来る人だっているのだろう。……が、それでも私の地元である池袋の休日に比べればなんて事はない。人が歩けるスペースがあるなら、それはもう人混みとは言わないんだ。あぁ、そうさ。都会住みマウントだとも。
昔はここの映画館にも随分と世話になったもんだ。具体的に言えばアイスとの一件があった後だっけ。学校を休んでいる間、サチが私を慰める為に色んな所に連れて行ったりしてくれた。地元じゃアイスや当時のクラスメイトと鉢合わせる可能性があるから、映画だってわざわざここまで連れて来てくれたんだ。それからしばらくしてサチとは距離を置く事になっちゃったけど……、本当もったいない事をした二年間だったよ。もうあの頃には戻りたくないもんだ。
「よっしゃ! 早速おもちゃ売り場に行くぞ!」
私はタロウの手首を握りおもちゃ売り場へ足を向けようとしたのだが。タロウが動かない。何やら怪訝な表情で私を見つめている。
「子供だけで学区外に出るのは校則違反。僕達は今間違った事をやっている。みほりちゃんは注意してくれる大人の前でなら間違った事をしてもいいって言ったけど、ここにはお父さんもサチさんも先生もいない」
「でも周り大人だらけじゃね? 探索してればそのうち注意されるかもじゃね?」
「納得した。行こう」
タロウが馬鹿でよかった。私は再びタロウの手を引いておもちゃ売り場まで向かおうと……
「ん?」
……向かおうとしたんだけど。気のせいだろうか。今一瞬、見覚えのある背中が私の前を通り過ぎたような気がした。それも悪い意味で見覚えがあるような。叶う事なら一生見たくもないような。そんな背中だったような。
……。
なんだろう。好奇心とか胸騒ぎとか怖いもの見たさとか、それらに近い奇妙な感覚が私の足に張り付き、おもちゃ売り場へ行こうとしていた私の気持ちを沈めて行く。良い予感か嫌な予感のどちらかと言われれば断然後者だと胸を張って答えられるのに、それでもこの嫌な予感の正体を知りたいと思ってしまう私がいた。
「行かないの?」
ぼーっと立ち尽くす私を気にして、タロウがそう問いかけてくる。
「あー……いや。なんかちょっと喉乾いちゃってさ。先に飲み物でも買って飲もうぜ?」
エスカレーターに乗ろうとしていた踵を返し、急遽目的地を一階の食品売り場へと切り替えた。ま、とは言ってもこの気持ちなんて所詮はただの嫌な予感に過ぎない。本当は気にする必要もないくらいどうでもいい、そんな些細な気分の変化だ。何もなければそれでよし。ただの杞憂ならそれに越した事はない。……で。
「エクレア食いてぇ……!」
越した事はないから気にするのもやめた。何が嫌な予感じゃアホくさい。今の私に必要なのは根拠のない胸騒ぎよりも、今私の目の前に確実に存在しているスイーツの方だ。私を誘惑する、冷蔵棚に並ぶスイーツの数々を見ながらそう思った。
無類の甘いもの好きって近所でもっぱら評判の私だけど、私の歯は俗に言う知覚過敏という悪魔に取り憑かれていて、チョコのような極端に甘い食べ物や、硬いアイスのように長時間冷たい物と歯が接触する羽目になる食べ物が苦手だ。苦手、そう、苦手。どのくらい苦手かと言うと歯磨きした後に食べる蜜柑よりも苦手だ。でも、苦手なだけであって嫌いじゃないんだな。
私は甘いものが大好きだ。チョコだろうが硬いアイスだろうが、好きなものは好きなんだ。なのに私の歯と来たら、高すぎる糖度や冷たいスイーツと触れ合う度に悲鳴をあげ、私を泣かせに来やがる。エクレアというデザートは、そんな私が痛みを感じずに食べられるチョコレートなんだからそりゃ愛してしまうのも仕方がない。
エクレアってチョコが主体じゃなくて、あくまで縦長のシュークリームをコーティングするサブ的な役割だからだろうか。チョコが歯と接触する時間も最低限だし、本当私にチョコの喜びを教えてくれる憎たらしい奴だよこいつは。
私は足を数歩進める。
「プリン食いてぇ……!」
続いて私の前でその麗しい姿を披露してくれるたのはプリンの御令嬢さん方だ。プリンって頭おかしいよな。牛乳と砂糖に薄めた卵液を加え、熱で卵を固めて完成。要するにプリンってゆで卵じゃねえか。ゆで卵に牛乳と砂糖ぶっかけて食ってるようなもんじゃねえか。それがどうしてあそこまで美味くなるのか、私にはわからない。
仮にプリンにするとして、どれを選ぶべきなのかこれまた悩ましいったらありゃしない。作り方なんてみんな同じなのに、どうしてプリンの種類ってこんな多いんだ。どこのスーパーでも見かけるような典型的な王道プリン。王道プリンに生クリームやフルーツを添える事でパフェ寄りに派生したプリン。卵の比率を増やす事で値段も上がるが、その分食べ応えと卵感が劇的に上昇した卵プリン。おまけになんだこれ、牛乳を寒天で固めた牛乳プリンってマジでなんだこれ。お前どう考えてもプリンじゃねえだろ。なのにプリンの顔して鎮座しやがってよぉ。あんなに美味く仕上がりやがってよぉ。
ちなみに日本で最も有名と言っても過言じゃないプッチンプリンだけど、あれも牛乳プリンと同じく卵じゃなくて寒天で固めるタイプだから厳密にはプリンとは呼ばないらしいな。知らんけど。美味けりゃなんでもいいけど。
私は足を数歩進める。
「アイス食いてえ……!」
いつしか私は冷蔵棚を駆け抜けて冷凍棚エリアへと足を踏み入れてしまった。
確かに私は知覚過敏だ。甘ったる過ぎるものや冷たい物が歯に沁みて泣いた夜は数知れない。とは言っても歯に沁みるようなアイスって、実はそこまで種類がない。殆どのアイスは口に入れた瞬間溶け出し、歯に触れるよりも先に胃の中へ送られるから。
エクレアやプリンに気を取られたものの、六月に火照らされた体温を一気に冷やしてくれるって意味では、アイスもまた格別な事に違いはないだろう。クリーム系のアイスでどろりと喉を冷やしてやろうか、氷系のアイスでさらりと喉を冷やしてやろうか。想像するだけでワクワクが止まらない。
私が特に好きなのはやっぱガリガリくんかな。値段の安さ、普通に食べるだけでも代金相応の幸せが得られるのに当たりが出れば無料で幸せ倍増、そして何より知覚過敏への優しさも捨てがたい。冷凍庫から出したてのガリガリくんこそ硬くて噛めたもんじゃないけど、数分経ってから適度に溶け出したガリガリくんは一瞬噛むだけでほろりと口の中で溶けて行ってさ。あの瞬間ってマジで堪んないんだよな。
アイスの素晴らしい所は夏に食べて美味いのは当然ながら、真冬に食っても美味い所にある思う。いや、むしろ真冬に食う方が美味いまであると思う。真冬の風呂上がり、寒い脱衣所と廊下を慌てて駆け抜けて、暖房とコタツに満たされたリビングに行ってさ。そこでぽっかぽかに温まった体に与えるアイスの冷たい美味さたるやもはや麻薬としか思えない。
同じく、真夏に冷房を最低温度まで下げて、キンキンに冷やした室内で食べるおでんや鍋料理もこれまた格別。環境問題なんか知ったこっちゃないね。私達は生き物を殺して美味しく飯を食べるんだ。森や山を殺す事で飯が美味くなるなら、環境破壊だって立派なスパイスだ。あっぱれダイオキシン、ビバCO2。私は地球を愛している。
で。
「いただきまーす!」
私達はフードコートに腰を下ろし、計千円相当のスイーツを目の前に並べて一心不乱に頬張った。
「ひゃようおあえほえじゃえいいあほ?」
「理解不能」
「タロウお前それだけでいいのかよ?」
咀嚼中のスイーツを飲み込み、正確な滑舌でタロウに伝える。私の手前のテーブルにはプリン、ゼリー、シュークリーム、アイス、フルーツサンド、チョコケーキなんかが乗っているのに対し、タロウはスポーツドリンク一本しか買っていない。しかも有名ブランドではなく、スーパーで格安で売られているタイプのものだ。流石に気になる。
「もしかして金ねえのか? 一口だけなら食ってもいいぞ。二口以上食ったら殺すけど」
もしも金がなくて飲み物しか買えてないなら少し罪悪感があるし、私はタロウにそんな提案を持ちかけてみたが、タロウは静かに首を横に振った。
「必要以上のカロリーはいらない」
「はぁ? つまんねえやつだな。いいか? カロリーってのはな、必要以上に摂れば幸せになれんだよ。経験者が言うんだから間違いない」
私は無駄遣いに溺れたこの二週間の出来事を思い出す。確かに無駄遣いに使った費用の多くはドンキで買った意味の分からんグッズの数々が占めている。が、もちろんそれに限らず間食代だって馬鹿にならんほど使ったもんだ。
思えばこの二週間、毎日のように買い食いしたな。それもスーパーやドンキじゃなくコンビニで。コンビニスイーツってさ、あれマジで質がいいんだよ。まぁその分、値段も二百円超えや三百円超えのオンパレードだけどな。それを毎日毎日食べ続けたわけで……ってあれ。そう考えたら私、下手すりゃ変なグッズより食費の方に金をじゃぶじゃぶ費やしたような気さえしてきた。
怖えなコンビニスイーツ。グッズと違って食べたら手元に残らないから金を使った自覚が全くないや。
「なるほど。理解した」
「ん? 理解したって何が?」
「太くなった理由」
そう言ってタロウは私の二の腕を摘んで来た。私はタロウをぶん殴ろうと腕を振り上げた。……と、その時。
「いてっ」
振り上げた拳に衝撃が走る。私はまだ拳を振り上げただけであって、タロウ目掛けて振り下ろしてはいない。そんな拳に衝撃があって、尚且つ私の後方から「いてっ」という声がしたと言う事はつまりだ。
「あ、すみま……!」
私はすぐに振り返り、無関係な通行人に拳が当たってしまった事を謝ろうとした。私は自分が礼儀正しく品性高潔な清い女であると自覚している身だ。そりゃあ自分が間違っていたら素直に謝るさ。だからこれだってしっかり謝るつもりだった。
「あ」
「……げ」
そいつが金城ダイチだと知るまでは。
向こうも私が誰なのか認識したようで、二人して睨み合う時間が数秒過ぎる。ったく、休みの日にこいつと出くわすとか私もついてねえな。地元で出会うならまだしも、地元から電車で数駅も離れてるってのに。ってかこいつスマホなんか構えて何してるんだろ? 写真なのか動画なのか分からんけど、わざわざスマホに記録するような珍しい物なんてないはずだけど。
「おい。痛えんだけど」
睨み合いによる沈黙を先に破ったのはダイチの方だった。
「謝れよ」
「……」
「聞いてんのかチビ」
「……っ」
いや、わかる。もちろんわかってる。こいつが私達に何をしたのかはともかく、今現時点で非があるのは間違いなく私だ。周りを気にせず暴力を振るおうとして、それがたまたま近くにいたダイチに当たった。だから謝るべきなのは私の方。そう、わかってる。ちゃんとわかってる。
……わかっちゃいるけど、こいつに謝るのは癪に障る。
「は? 何してんの」
だから私はダイチの前で手を広げた。文字通り大の字になって腹部をダイチに曝け出した。
「お前には死んでも謝んねえ。でも一回は一回だ。殴れよ」
そんな私の提案を聞き、ダイチは私の隣に視線を向けた。どうやらタロウの事が気になるらしい。そりゃそうだろうな。あれからもダイチは私に何度かちょっかいかけて来たけど、その度にタロウに力でねじ伏せられてんだ。本当にいい友達兼忠犬兼ボディガードが手に入ったと思ってる。タロウには感謝してるよ。……でも。
「タロウ。お前は手ぇ出すな。これは私が悪い。一発くらい素直に殴られるよ」
私の隣でタロウはクビを縦に振った……その時だ。ダイチの奴、それを見た瞬間間髪言わさず私の鳩尾に全力の正拳突きを打ちつけて来やがった。
思えば私、お腹を殴られるのって生まれて初めてかもしれない。アイスと殴り合った時も、当時のクラスメイトからリンチされた時も、私は背中を丸めていたからお腹への打撃は一切受けなかった。
……エグいな、これ。なんだよこれ。息出来ねえじゃん。なんか変な声漏れるし、よだれも出てくるし……。
ダイチは身長こそ高いが、体重はそこまであるようには見えない。あいつの四肢を見れば一目瞭然だ。私より四十センチ近くもデカいくせに、手足の太さは私と大して変わらない。一発くらい楽勝だと思っていたんだけどな……。私が思っている以上に体格差ってやつは絶対的な存在らしい。
動物は自分の意思に関係なく呼吸をする。寝ていようが気絶しようが、勝手に息を吸い勝手に息を吐いてくれる。でも、今は痛みのせいでそう言った自然な呼吸が出来そうにない。自然な呼吸が出来ないから、私は不自然な呼吸をする事にした。痛む体に鞭を打ち、なんとか座席に座り直し、意図的に空気を吸って意図的に空気を吐いた。無理矢理肺に空気を出し入れする分激しい痛みを伴うものの、それでも酸素を得られた事で少しずつだけど呼吸も落ち着いた。
「カッコつけてんじゃねえよ子豚」
テーブルの上に乗った大量の菓子を見ながらダイチは私を嘲笑う。
「あ? 子豚は可愛いんだぞヒョロノッポ」
私も私で何年か前にサチに原宿のミニ豚カフェに連れて行ってもらった事を思い出しながらダイチを嘲笑った。私的にはダイチを論破したつもりなのに、ダイチは何故か呆れ顔で私を見ていた。
「……ってか、お前こそその身長に釣り合わない細い手足はなんだ? 自分が細マッチョだと思い込んでる棒っきれがよぉ。あ、私お前みたいな虫知ってるわ。あれだ、木の枝に擬態して鳥から身を隠すタイプの虫。ハッ、マジでそっくりなんだけど」
私は追い討ちをかけるようにダイチを煽ったものの、しかし私の軽口はそこで止められてしまった。私の煽りに屈したダイチが、私の首を掴もうとその長い手を伸ばして来たからだ。……ま、二週間前みたいにその手が私の首を掴む事はなかったけど。
「それ以上はダメ」
タロウがダイチの手を掴んでくれた。ダイチが普通の小六とは比較にならない人並外れた巨体を持つのは間違いないが、それを言ってしまえばタロウは正真正銘の人外だ。ダイチの細腕なんかじゃびくともしない。ダイチは舌打ちを吐き捨てながら伸ばした手を戻した。
「お前、いつも手をあげるのは私ばっかだよな。タロウが自分より強いってわかった瞬間タロウには一切ノータッチ」
「あ?」
「ダセェんだよ」
「……」
悔しそうに握り拳を作るダイチを見て気分がすうっと晴れる。それだけでもう腹殴られた分の代償としては十分過ぎる報酬だった。
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