風邪 ②
◇◆◇◆
最近、こっちの世界に来たばかりの頃のりいちゃんをよく思い出す。あの時も私は、まだ幼いりいちゃんの前で風邪を引いて寝込んでしまった。
りいちゃんと暮らしてたった一ヶ月しか経ってない頃の話だ。そんな時に幼い子供を放ったらかして寝込んでしまったものだから、これから六年近くもこの子を育てていけるのか、不安で不安でたまらなかったのをよく覚えている。そんな私を励ますように、幼いりいちゃんが私の頭をぽんぽんと優しく叩いてくれた事も。
『サチ』
『りいちゃん……』
あの時は嬉しかったなー。本来私はこの子を守らなきゃいけない立場だ。そんな立場なのに、私はこの子に気を遣わせてしまった。でも、そんな罪悪感をも覆すような温かさがそこにはあった。病気で弱っている時に優しくされて、嬉しくないはずがない。
『ねぇ、サチ』
『……うん。なーに?』
『プリン食べていい?』
『……』
だからこそ、それがりいちゃんの優しさではなく、ただおやつを食べていいか聞きに来ただけの行為だって知った時は、酷く落ち込んだ。
『……いいよ』
りいちゃんはダッシュで台所へと駆けて行った。あの頃から既に食い意地が張ってたんだよね、りいちゃん……。
でもね。神様は私を見放してはいなかったんだ。確かにりいちゃんは私よりもプリンを選んだ。でも、私を捨てたわけじゃなかったんだ。その証拠にりいちゃんは冷凍庫からプリンを取り出すと、すぐさま私の隣に戻って来てくれたから。今度こそ私を慰める為に、私の頭を優しくポンポンと叩いてくれたんだから。
『サチ』
『りいちゃん……!』
『アマプラ見たい』
『……あー、うん』
私はスマホのロックを解除してりいちゃんに明け渡した。私は諦めたよ。りいちゃんの中での私の順位はプリンやアマプラ以下でも構わない。りいちゃんに嫌われてさえいなければそれでいい。甘んじてそう受け入れて、そして半泣きになりながらも静かに夢の世界へと旅立った。
いや、旅立ってはいなかったかな? 眠るかどうかの瀬戸際で、私は体を揺らされながら意識を取り戻したのだ。目を開けると、りいちゃんが私の体を揺すっていた。
『りいちゃん……。今度は何……?』
『サチ、苦るしい?』
『んー……そうだねぇ……。苦しいからゆっくり寝かせて欲しいかなぁ……』
『サチも死ぬの?』
『……』
より強く目を見開く。りいちゃんが見ていたスマホの中で、あるアニメの登場人物が息絶えていたのが目に入った。でも、それはただのきっかけに過ぎない。アニメで人が死ぬ描写を見て、その傍らには病気に苦しむ私がいて。それがきっかけになって、りいちゃんは先月の事を思い出していたんだろう。
『あれは……本当にごめんね。忘れられないよね? でも、私は大丈夫だよ。このくらいじゃ死なない』
『本当?』
『うん』
『ずっと?』
『……』
少し考えた。真実を話すべきなのか、もしくは彼女が四歳の子供である事を理由に騙すべきなのか。
『ずっとは無理。いつかは死んじゃうよ』
私が選んだのは前者だった。私は一度この子に嘘を吐いている。出来ない約束を交わしたせいで、この子を深く傷つけてしまった事がある。もう、嘘は吐けなかった。
『死んだら遺産いくら貰える?』
『……』
半泣きは全泣きになった。……ただ。
『……りいちゃん?』
その一言は、りいちゃんなりの恐怖を紛らわす為の強がりである事はすぐに察した。酷く静まり返った表情と、表情に反してスカートの丈を強く握りしめる彼女の拳が私に全てを悟らせる。
『……こっちおいで?』
私は布団を捲り上げ、りいちゃんの体を抱き寄せながら再び布団を被せた。
『布団から顔は出さないでね? 私の咳で風邪移っちゃうかもだし』
こうして彼女の体を直に抱き寄せる事で、彼女の震えがより一層実感出来た。
『サチ、いつ死ぬの?』
『わからない。でもずーっと先の事』
『私も死ぬ?』
『……うん。でもそれだってずっとずーっと先の事。私よりも全然後だよ』
『でも死ぬの?』
『……』
『死んだらどうなるの?』
『……』
世のお母さんは、子供にこんな質問をされた時ってどう返しているんだろう。私も昔は同じような経験をした事がある。曖昧ながらも死の概念を理解して、死の意味に怯えて、死について母に聞いてみた。その時お母さんは私になんて答えてくれたっけ。もう、全然覚えてない。だからこれは私なりの答えを提示しなきゃダメなんだろう。そう思った。
『良い事をした人は天国に、悪い事をした人は地獄に落ちる、かな?』
『何でわかるの? 天国に行った人と地獄に行った人が教えてくれるの?』
『……あとはほら、記憶を失って別の生き物に生まれ変わるとか』
『別の生き物になった人が教えてくれたの?』
『……』
ダメだ。この子、頭がいいんだ。この世界に来た時からこっちの言語や読み書きを一通り覚えていたし、語彙力だって同い年と比べて格段に高い。それに簡単な計算だってこなせている。魔界で高度な教育を受けているからなのか、それともこの子自身元々頭が良いのかはわからない。でもきっと、この子の頭には死を曖昧に誤魔化すやり方は通じないんだと理解した。
『ううん。死ぬ事を怖がった昔の人が、少しでも怖さを誤魔化す為に勝手に考えた事だよ。私は何もないんだと思う。脳みそがないんだもん。何かを考える事も、何かを感じる事も出来ない。夢を見ないで寝ている状態が永遠に続く、そんな感じじゃないのかな?』
本当に世のお母さん方のやり方を知ってみたいと。私の腕の中で震えるこの子を感じながら、心の底からそう思った。
『私もあの世や幽霊はあったらいいのになーって思うよ? でも、本当にそんなのがあったら私は一生懸命生きられないかも』
『どうして?』
『ゲームだってそうでしょ? 1アップキノコを取っちゃったら、私はとりあえず適当にプレイするよ。でも次負けたらゲームオーバーって状況なら間違いなく丁寧にプレイする。まぁでもここは人それぞれかな? 次がないから今を一生懸命頑張ろうって人もいれば、どうせ何もかもなくなるんだから頑張っても意味がないって思う人もいる。私はたまたま前者だった』
布団の中で、より一層強くりいちゃん抱き寄せながら言葉を続けた。
『いつかはりいちゃんの事を忘れるけど、だからこそりいちゃんの事を覚えていられる今を、一生懸命大切に生きていたいって思えてる。一生懸命生きている今って、凄く幸せだよ?』
より強く彼女の体を抱き寄せたせいで、彼女の震えも倍増して感じ取れた。そして。
『死ぬのって怖いね』
『うん』
『私もりいちゃんくらいの頃は、よくそんな事考えて震えてたなー。一度考え出しちゃうと止まらなくなるよね?』
『どうしたら止まるの?』
『誤魔化す。それに限る。私はお母さんに甘えてたよ? こんな風に抱っこしてもらって、子守唄とか歌ってもらってね』
布団越しでも彼女に聞こえるように、その歌を歌った。彼女の母親から教えられた、彼女のお気に入りの歌を。彼女が恐怖を乗りこえて眠りにつくまで。私自身も歌い疲れて眠りにつくまで。何度でも何度でも歌い続けた。
それからどれだけの時間が経っただろう。再び目が覚めた私は、すっかり大量の汗と引き換えに頭痛や熱を健康の神様か何かに明け渡していたらしい。とても清々しい気分だった。そんな私の目に飛び込むのは、五個以上はあるであろうプリンの空き容器と六個目のプリンを貪るりいちゃんの姿。
『りいちゃん……、いくらなんでも食べすぎ……』
『サチ、食べていいって言った』
『一個のつもりだったんだけど……』
とは言え熱のせいでお昼ご飯はかなり適当な物になってしまったし、まぁ栄養バランスはともかくカロリー補給は必要だったろうから今日ばかりは目を瞑る事にした。
『りいちゃん食べるの好きだねー。プリン美味しい?』
『美味しい』
『プリン好き?』
『好き』
『じゃあ私とプリン、どっちが好き?』
『プリン』
六個目のプリンを完食したりいちゃん。りいちゃんはそれだけ呟いて私の部屋から出て行く。あはは、面白いや。風邪が治ってるのに涙が止まらない。嬉し泣きかな? ……と、思ったものの。
『サチ』
それから一分もしない内にもう一度りいちゃんが私の部屋に戻ってくる。
『どうしたの? またプリン? もうやめとかない……?』
『違う。耳貸して』
『耳?』
小走りで私の耳元へ駆け寄るりいちゃんに耳を差し出した。りいちゃんは私の耳元で静かに、簡潔に、たった一言。
(本当はサチが一番好き)
そう呟いて、再び小走りで自分の部屋へ戻って行った。
『……』
困ったな。りいちゃんと別れるのなんてまだまだ六年近くも後の事なのに。今から既にその日が怖くて怖くてたまらないや。死ぬ事よりも怖いよ。
「……」
夢と現実って、結構繋がるものだ。寝ている間に冷やされると、北極でビーチバレーをする夢を見る。寝ている間に温められると、サウナに閉じ込められて蒸し焼きにされる夢を見る。りいちゃんの前で初めて風邪を引いたあの頃の夢を見てしまったその原因は、布団の中にあった。
「りいちゃん……!」
私の寝汗に塗れたりいちゃんがそこにいた。道理でこんなにも濡れているのに寝覚めが良いはずだった。私と同様に彼女も熟睡していたようで、彼女の体を揺さぶると彼女もまた大きな欠伸をして夢から覚める。
「あ、おはようございます」
「何してるの?」
「何もしてませんよ? サチ、人肌くらいがちょうどいいって言ってたから、一緒に寝てただけです。今度こそ良い夢見れましたか?」
良い夢、か。そうだなぁ。
「うん。凄くいい夢見れた。でもごめんね? 寝汗びちゃびちゃで気持ち悪いでしょ?」
「サチのなら気持ち悪くないですよ?」
そう言いながらりいちゃんは私の体にしがみついてきた。
「もう、上手だなぁ」
私はそんな彼女の頭を撫で回す。私が小六の頃は、もうこんな風に親に甘える事はなくなっていた。小六そういうものだと思う。親に甘える行為は恥ずかしい物だと認識する、そんな年頃。それに比べてこの子は私に甘える事に抵抗を持たない。でも、それも仕方のない事なのかな。この子の実年齢は周りより二歳幼くて、そして私達の間には二年もの停滞期が存在していたのだから。単純に引き算してしまえば、この子と私の関係は五、六歳の子供とその親の関係と同じなんだ。だとしたらまだまだ甘えたい盛りなのも頷ける。
と、その時。この幸せな時間をもうしばらく堪能したい私を突き動かす衝撃的な事実が明らかになった。
「って、嘘⁉︎ もう夜の十時? ごめん! 晩御飯作れなかった……」
「いいですよ別にそんな」
「出前取ろっか?」
「うおおおおおおおおおお! ピザ! ピザ! コーラ!」
「……」
この時間にピザか……。まぁいいかな? 今日くらい。
「仕方ないから注文するけど、時間も時間だしあまり食べ過ぎないようにね?」
「大丈夫です! ピザは腹八分目に抑えて残りの二分はコーラで埋めますから!」
「ダメだってば」
私は苦笑いを浮かべながらスマホを取り出した。そんなやり取りにふと、昔の自分を重ね合わせてしまう。
「りいちゃん、ピザ好き?」
「当たり前じゃないですか!」
「じゃあピザと私、どっちが好き?」
「サチ!」
「……」
私は小さく笑いながら出前を取った。せめて最後の年くらいこんな平和な日々が続いてくれたらなーと。そう願いながら。
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