メリム
◇◆◇◆
その部屋には無数の風船が浮かんでいた。精霊同士っていうのは自然界だと触れ合った瞬間、デカい精霊が小さい精霊を取り込んじまうからな。それらの風船は精霊同士が共食いし合わない為の物理的な障壁というわけだ。
俺もまたそんな風船に閉じ込められながらプカプカと宙を漂うだけの精霊だった。……つっても、俺たち精霊に意識が芽生えるのは魔法使いの作った入れ物に入り、そして自分の主人と共に生きながら主人の人格に感化された時だけ。だから風船時代の俺たちは本能だけで生きていたようなもんで、当然記憶だってぼんやりとしか覚えていない。人で言うところの物心がつく前の記憶、とでも言うのかね? 俺は人だった事がないからわからんけど。……でまぁ、そんな風船時代の俺でも、あの時の事だけはやけにはっきりと覚えている。
その国の住人は、誰もが長い長い人生の中でたったの一度だけその部屋に立ち入る事になる。無力な女児が魔女になる為の第一歩として、自分の精霊を手に入れるためだ。そしてその日、この部屋に足を踏みいれた満三歳の女児がホリーだった。
いやー、なんだ。あいつマジでヤバかったな。本来この部屋に入った子供は物腰低くしながら精霊達にお願いをするもんだ。精霊さん精霊さん、どうか私の所に来てくださいと。なんせ意識が芽生える前の精霊ってのは本能の塊。少しでも敵意を向けようものなら自ずと去っていく。腰を低くし、態度も滑らかに、野生動物と接するよう警戒心を解かせながら頼み込まなきゃいけない。
なのにあのガキと来たら胡座で座り込み、フンスと鼻息を立てながら『はやくこい!』なんて偉そうにしやがってよ。目つきもギラギラしているしで親の顔が見てみたかった。それでふと部屋に唯一取り付けられた窓の外を覗いてみると、一人の魔女が窓をコンコンと叩きながら声をかけているじゃないか。
『ホリー! お母さんポケモンしてるから殿堂入りするまでに精霊さんゲットするのよー』
親クソ野郎だった。ホリーの母親は異世界から取り寄せたであろう3DSをいじりながら娘の事など我関せず。あんな親に育てられたからこんな子供に育ったんだろうなと深く納得した。
長い間この部屋で過ごしたもんだが、こんな威嚇してくるガキが来たのは初めてだったな。他のガキはみんな親から教育されてんだ。丁寧に接するようにとか、お行儀良く接するようにとか。でもあいつは親が親だからな……。
で、そんなギラギラした態度のガキに擦り寄る精霊なんかいるはずもなく。
『ホリー、お母さんもう殿堂入りしちゃったわよー! まだなのー?』
二十時間近く経ってもあいつは来るはずのない精霊を待ち続けていたな。……まぁ、その二十時間の間に起きたちょっとしたアクシデントも影響しているんだろうが。
水族館とかで魚の群れを見てると、必ず一匹は仲間はずれにされている魚がいるもんだ。群れから離れ、それでもなんとか群れに追いつこうと泳ぐも、まるで群れはそいつを置き去りにするかのように泳ぎ去っていく。
弱った魚がいれば捕食者はそいつを積極的に狙うだろう。楽に餌が取れるのだから当然の事だ。だからそんな弱った仲間を群れに入れると捕食者を呼び寄せる確率が高まってしまう。弱者というのは群れにとってはいらない存在でしかない。それは捕食者の存在しないこの部屋でも同じだ。
俺は弱者だった。この部屋の中でも最古参の精霊なんだ。精霊は精霊同士で共食いをする。だが俺達は風船によって共食いを妨げられていて、そのおかげで互いを食べる事の出来ない仲間として認識する事も出来ていた。が、そうやって仲間が増えて群れが出来るとどうしても弱者は生まれてしまう。長い間共食いを出来ずにいた俺の風船は、仲間の中で最も小さかった。仲間の群れから一人だけ外れてプカプカ浮いていた。そして。
『仲間外れにすんな! かわいそうだろ!』
幼いあいつはそんな様子に腹を立て、群れのド真ん中目掛けて部屋中に散らばったありとあらゆる物を投げつけてしまったわけだ。
ホリーは胡座をかきながら威風堂々と座っていた。胸を張って座っていた。それでいて泣いていた。そりゃそうだ、魔女の子はここで精霊を手に入れるまで部屋から出してもらえないんだから。飯も食わず、水も飲まず、糞尿は恐らくオムツに垂れ流し。そんな状態がいつまで続くかもわからない。
『ホリー、適当に頭下げてゲットしましょ? ね?』
『……やだ。あんなのいらねえ』
それでもあいつは意地でも頭を下げようとはしなかったな。ホリーは自分より強い奴に立ち向かう度胸はあるくせに、肝心のメンタルはビスケットのように脆い。本気でブチギレると怒りよりも悲しみが上回って泣き出す程だ。……でも、悪いやつじゃねえのは火を見るよりも明らかだからよ。
『……え?』
俺はゆっくりと奴の眼前まで下降して紐を握らせてやった。
俺はこの部屋で静かに死ぬつもりだった。生きるのに飽きる程長い時間を生き続けていたからだ。俺と一緒にこの部屋に連れられた同期はとっくに他の魔女と一緒に部屋を出たけど、俺は特に外の世界に興味もなかったしな。この部屋に連れてこられる前は数万年か数億年単位で外を彷徨っていたんだぜ? 時代が移り変わろうが大して興味なんかわかなかったさ。
『……いっしょにくる?』
外の世界に興味がないって気持ちは今でも変わらない。……が、このクソガキには少し興味が出ちまった。死後の世界ってのも気にはなったが、こいつが死ぬまでお預けにすんのも悪くはないなと思えるくらいには。
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