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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第二章 壊れていく少女
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腐る足

「……」


 朝起きて、真っ先にスマホに手を伸ばす。起きたらスマホ、食事中もスマホ、電車やバスの中でもスマホ、暇があったらスマホ。それは現代人の悪い癖だと言うけれど、ならスマホが開発される前の世代はどうなんだろう。平成初期の人間や昭和の人間は、現代人がスマホを見る感覚で新聞を読んでいたんじゃないのだろうか。


 うちは新聞を取っていないけれど、アニメやドラマに出てくる家族の風景を見ていると、よくお父さんは朝食の並ぶ食卓で新聞を読んでいる。アニメやドラマに限らずとも、例えば電車やバスに乗った時だって、昭和から平成初期の人間だと思われるおじさん達は、目的地までの暇つぶしに新聞を読んでいたりする。それが許されてスマホが許されないのは、現代人代表としてはなんだか納得がいかない。


「……はぁ」


 でも、その日ばかりはそんな現代人である自分を悔やんだ。目が覚めたばかりの虚な心に、私のスマホは容赦なく嫌なニュースの数々を送り届けるのだから。


 悪いニュースその一。全搭乗員の命を救った英雄。昨日の深夜、羽田空港に着陸予定だった旅客機が、突如謎の制御不能に陥り、墜落寸前へと陥ったのだ。しかし旅客機は羽田空港に着くまで体勢を大きく崩す事はなく、降着装置が作動せずとも胴体着陸という形で着陸を成功させ、乗客乗務員全員が無事に救助された。


 この失態の原因は三つある。


 一つ。私自身の力不足。


 巨大ロボの操縦と同じだ。私が扱う魔法はロボットを作る魔法。ロボットを生み出したり、私自身が機械化したりは出来るものの、私の脳は今までと変わらない、一般的な十代女子の脳である。そんな小さな脳では、全長50メートルを超える巨大な旅客機の操縦権は奪いきれなかったのだ。私は旅客機のエンジンを全て停止させたつもりでいたものの、実際には四基搭載されている内の二基しか機能を停止させる事が出来なかった。やはり巨体の操縦には、もう一つの脳が必要不可欠だ。


 二つ。飛行機に対する知識不足。


 航空用エンジンの半分を停止させられ、瞬く間に高度を下げて墜落の一途を辿る旅客機を見て、私は墜落に成功したと思い込んでしまった。その勘違いもやはり、墜落計画が失敗に終わった要因の一つである事に違いない。


 後になって調べた事だけど、どうも飛行機のエンジン数と推進力は、飛行している領域の空気の濃さによって変わって来るらしい。空気の濃い地上付近に近づけば近づく程、飛行機は少数のエンジンでも推進が可能になるのだそうだ。要するにあれは墜落していたのではなく、残存するエンジンで十分な推進が可能になる高さまで、パイロットが飛行機の高度を下げていたのだ。しかし私はその急激な高度の低下を墜落の前触れだと勘違いし、飛行機から離れてしまった。本当に勿体ない事をしてしまったと思っている。


 三つ。飛行機をジャックするタイミング。


 旅客機を機能停止に追いやるタイミングが早過ぎたのも、やはり私の犯した致命的な失態の一つであると言えるだろう。私は機体の異常をいち早く察知したパイロットに、羽田空港の管制と連絡を取り合うだけの猶予を与えてしまったのだ。その為羽田空港滑走路には、不時着の衝撃に備えて大量の難燃剤が撒かれた。機体はその上に胴体着陸をした為、摩擦による熱も衝撃による熱も発火には至らず、旅客機は原型を維持したまま、無事に胴体着陸を成功させたらしい。こうして数百人単位の犠牲者を出すはずだった飛行機墜落大作戦は、私の犯した三つの失態によって、人類側の勝利によってその幕を閉じたのだった。


 そういえば飛行機から離れて家に帰る時、韓国の航空会社のものと思われる飛行機ともすれ違ったっけ。こんな事ならあの飛行機にも何か細工を施しておけばよかったと、今更ながらに後悔した。


 悪いニュースその二。005号の生還。一週間前に北海道の山中に置き去りにした005号が、昨日の昼に、近くを通りがかった登山客に発見されて救出されたとの事だ。005号の容態は酷く衰弱しているものの、現在は病院で手厚く治療を受けているらしい。そう考えてみると、002号がツキノワグマに出会したのって、本当に奇跡のような確率だったんだね。005号も002号と同じように、下半身不随にした上で北海道の山中に一週間も取り残されていたのに、それが今日の今日まで野生動物に遭遇する事なく無事でいただなんて。


 今は保護された安心感から意識を失ってしまったようだけど、意識を取り戻したらどうしよう。私は彼女の前で本名を名乗ってはいないし、一年間もニートをしていた彼女は、例のレンタルボックスがどこにあるかもわかっていない。でも、目が覚めたら私の似顔絵とかが出回ったりするのかな。私とザンドのようなファンタジーを警察が信じてくれるのかな。……あー、でもニュースを見た003号と004号が結託して、三人で私の事を追い詰めに来る可能性だってあるのか。


 そしたらどうなるんだろ。私、指名手配されちゃう? 警察や機動隊に狙われたりもするの? まぁ、今更警察も機動隊も私の敵になるとは思えないけれど。どうせ呆気なく私に殺されてしまうだけだ。そうしたら次は自衛隊との戦いになったりするのかな?


 自衛隊との戦争かー。どうしよう。もしそんな事になるなら、これは全然悪いニュースなんかじゃない。一個人と国との戦いだなんて、想像するだけでワクワクする。今の私がかつてのザンドの持ち主と同じように、本当に数の暴力の前に屈服するのか気になるもん。自衛隊どころか米軍にさえ負ける気はしないのに。まぁ、流石に核兵器を出されたら勝てないだろうけど……。


 ……。


 核兵器か。私は自分の右手を見ながら考える。


「……本当に作れたりして」


 ……なんて。私はスマホから手を離し、大きく伸びをして上体を起こした。鼻で深呼吸をすると、部屋の外から漂う朝食の匂いが感じられる。そろそろ朝ご飯に行こう……と。


「……え」


 思ったのだけれど。私は天井を見ながら呆気に取られてしまった。どうして私は今、天井を見上げているのだろう。変だな。私、今ベットの上で横になってる。確かに立とうとして、床に足を付けたはずなのに。


「……」


 寝ぼけてるのかな。私はもう一度上体を起こし、床に足をつけた。そして足腰に力を入れると、普通に立つ事が出来る。なんだ、やっぱり気のせいか。私はリビングへ向かう為に足を一歩踏み出して。


「……あ」


 そして転倒した。それはもうバナナの皮でも踏んだように、綺麗に弧を描きながら後方に倒れてしまった。ベッドがなかったら危うく事故になる所だ。私程度の身長でも、後頭部から床に叩きつけられたらどうなるかわかったもんじゃない。


「……」


 さて。とりあえず私の転倒が気のせいでない事はわかった。私は転んだ。確かに転んだのだ。気のせいなんかじゃなかった。一回目も、二回目も、私は立つ事が出来なかった。


 糖尿病性神経障害による影響で、足の感覚が鈍る事はあっても立てなくなるような事はない。歯医者で抜歯をされた経験がある人ならわかるはずだ。抜歯の際は麻酔の影響で痛みはないけれど、しかし歯を触られ、グイグイと抜かれる感覚はちゃんと伝わっている。同じように、足の感覚を失う=バランス感覚も失うにはなり得ない。私は倒れたのではなく、滑ったのだ。何かこう……ぬめぬめと言うか、ぬるぬると言うか。そんな感触をした物を踏んづけて転んだのだ。


「……ザンド」


「わん!」


 私の呼びかけに応じ、部屋の襖がガラリと解放され、中からザンドを口に咥えた、幼き日の私が裸のまま飛び出して来た。005号が必要となくなった今、私のクローンは自室の襖にてザンドが教育してくれている。人間としての自我が芽生えないように、犬の行動や習性を徹底的に教え込んでいるのだ。それにしてもザンドと私はドラえもんとのび太くんのようだとは散々思って来たけれど、クローンの寝泊まりする場所を見ると尚更ドラえもんのように見えて来るね。


 クローンは横たわる私の上に馬乗りになりながら、口に咥えたザンドを両手で持ってページを開いた。


【おはようイヴっち。何かあった?】


「……あったあった。それも飛び切りヤバめのニュースが」


【うっそ! 何? この部屋の匂いと何か関係あんの?】


「……匂い?」


 クローンの体を乗っ取っているザンドには、クローンが感じている五感がダイレクトに伝わっているらしい。私にはリビングから漂う朝ごはんの匂いしか感じられないけれど、ザンドは朝ごはんとは別の匂いを感じているようだ。という事はあれだ。慣れだ。私は長時間、ザンドが感じているその異臭を嗅ぎ過ぎていて、その匂いに反応出来なくなってしまっているのだろう。そうなって来ると、いよいよこの悪い予感が現実味を帯びてくる。


「……とりあえずザンド。ちょっと私の足を見てくれない?」


【足?】


 クローンが振り返った。


【別に普通だけど】


「……そっちじゃなくて、反対側。足の裏を見てよ」


【足の裏?】


 私のクローンは立ち上がり、私の足の裏の様子に視線を向けた。その瞬間、クローンの顔に驚愕の表情が宿る。そんなクローンの表情を見て、私の疑念は確信へと変わった。私の足に何が起きているのかも理解した。


【ちょっとイヴっち⁉︎ これ!】


 と、その時。


「イヴー? そろそろ起きなさーい」


 一つの足音がこの部屋に接近し、部屋の扉が二回程叩かれた。その瞬間、私のクローンは犬の教育を受けているとは思えない、猫のようなしなやかな動きで襖の中へと逃げて行く。それと同時に部屋の出入り口から開かれ、外からお母さんが入室して来た。


「あら、起きてたの? なら早く来なさい。ご飯冷めちゃうわよ?」


「……あー、うん。そうしたいのは山々なんだけどね」


 私が苦笑いを浮かべると、お母さんは何か異変を感じ取ったのだろう。眉と鼻がピクリと動く。


「……何? この匂い」


 やはりお母さんにもその匂いが感じ取れるらしい。お母さんの視線が匂いの元を突き止めようと、私の部屋を縦横無尽に撫で回した。そして、その視線は床の一点を見つけた瞬間にピタリと止まったのだ。


「イヴ」


「……うん」


「これ、何?」


「……多分、膿」


「膿って……」


 お母さんが膝をつく。それは私の身に置きた出来事に絶望しての事だろうか。それとも私の足の様子を見る為の物だろうか。まぁ、きっと両方だろう。お母さんは私の足に手を伸ばし、私からは死角となっている足裏の状況を教えてくれた。


「穴が……、イヴ。あなた、足に穴が……っ!」


「……あー。やっぱそっか」


 思えば最初に立とうとした時、プチっと何かを踏み潰したような音がしたような気がする。ぬるぬるとし感覚に足を掬われ、滑って転んでしまった理由もハッキリした。私の左足は壊疽を起こしているんだ。


 壊疽。化膿性炎症や壊死性炎症を起こした組織に腐敗菌の二次感染が加わり、組織が腐敗分解した状態の事。多分あれだ。元カノさんを捨てたおじさんを殺した時、私は裸足で砂浜を歩いた。あの時、私は足に傷を負って、そこから無数の細菌が侵入して来たんだ。


 上体を起こし、足の裏を見てみる。うわ。真っ黒だ。足の真ん中には親指サイズの穴が空いていて、そこからは血液の混ざった膿がドロドロと溢れていた。周辺の皮膚もぼろぼろと剥がれ落ちて酷い有様である。こうして自分の惨状を認知すると、なるほど。確かに悪臭を感じる事が出来た。これは死体が腐った臭いと同じだ。


 また、変色した足裏を押してみると、私の体のどの部位よりもフニフニしていて、とても柔らかい。腐敗菌の増殖によって、所謂熟成肉のような状態になっているのだろう。癖になる触り心地だ。


「触っちゃダメ!」


 まぁ、それ以上触る事はお母さんに止められてしまったけれど。


 糖尿病の合併症の一つ、足の壊死。糖尿病の進行により神経障害が発現すると、人は足の痛みを感じなくなる。故に足を負傷しても、その事に気がつかないまま傷を放置してしまうのだ。健常者ならばちょっとした切り傷くらい、放置した所で勝手に治るのが殆どだ。しかし糖尿病患者は食事制限による免疫力の低下と、血行不良による回復力の低下により、そのちょっとした傷から入り込んだ細菌に免疫が負けてしまう。免疫というガードマンを失った足は、菌からすればまさにお肉食べ放題の栄養の宝庫。足の細胞を食い散らかしながら爆発的に増殖し、足の細胞を殺して行く。糖尿病患者にとっては、サンダルに入り込んだ砂粒でさえ、足に傷を負わせる可能性のある凶器になり得るのだ。


 真っ黒に変色し、血と膿が止めどなく溢れる足を見て、私は自分が手遅れである事を理解した。この左足は、もう一生使い物にはならない。措置が早ければ、ここまで感染が悪化する事もなかったのだろう。けれど早期の措置に至れないのが、糖尿病による足の壊疽なのだ。糖尿病性神経障害の影響で、私の足は痛みを感じない。痛くもない場所の異常なんて、そう簡単に気付けるわけがない。足裏なんてただでさえ普段から見るような場所じゃないのに。


「……お母さん」


 ……ま、何にせよ。


「……私、足を切らないと死んじゃうね」


 今日から私は身体障害者になる事だけははっきりと理解した。もしかしてこれが005号の言うところの呪いなのかな。だとしたらやるじゃん、005号。死に損ないの分際で私を呪うだなんて。

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