彼女の子宮を奪った男
私の頭部を覆い隠すフルフェイスのヘルメットには、視覚に限らず聴覚も鋭敏にする機能が備わっていた。鋭敏と言うよりも、遠くの音声を拾いとって、ヘルメット内部のスピーカーから流していると言った方が正しいだろう。
日本の上空を駆け抜けながら、スピーカーから流れる多種多様の人間模様に耳を傾ける。
『誕生日おめでと〜う! ねぇ、早く開けてみて! 絶対このプレゼント驚くから!』
どれにしようか。
『おめえ告るくらいで一々ビビんなって! フラれるのが怖いから告らないとか、そんなんじゃ一生恋人なんか作れねえぞ?』
どいつにしようか。
『受かるかなー。正直受験勉強とかただのクソだし、このAOで合格しなきゃマジで俺の人生終わるわ……』
なんせ新しい魔女に生まれ変わった私の最初の犠牲者だ。慎重に選びたい。
『はい、餃子はサービスね。お兄さん、いつも来てくれてありがとう』
折角ならムカつく奴を殺そう。それでいて幸せそうな奴を殺そう。
『ねえマーマー! 買って! 買って買って買って! これ持ってなーいー!』
この国の平和は今日で終わらせる。この国の皆んなは平和ボケし過ぎなんだ。
『命が助かる手術をしたはずなのに、子宮を摘出してからのそいつは死人みたいだった。……まぁ、昔から子供好きな奴だったから。本当にショックだったんだと思う。それでもなんとか励まそうと思って、何度も声をかけたりはしたさ。見舞いにだって毎日行った。でも、俺が何を言っても、返ってくるのは興味のなさそうな生返事ばかり』
人は死ぬ。遅かれ早かれ、生命として生まれたからには、いずれ必ず人は死ぬ。
『今はそっとしておいた方がいいのかもと思って、三日くらい距離を置いた事もあった。そしたら四日目くらいにあいつから電話が来たんだよ。「何でお見舞いに来てくれないの?」って。そんで「捨てたいなら捨てていいから。赤ちゃんも産めない彼女なんか」って電話越しで泣かれた時は、俺も少しカチンって来た』
でも、平和な国で生まれ育った皆んなはそんな事知らないでしょ? いつか死ぬとはわかっていても、それは自分とは無関係な物だと思って日々を過ごしているんだ。明日死ぬ可能性だってあるのに、それがまさか自分になるだなんて微塵も思っていない。特に健康な体を持って生まれ育った人間程ね。
『でも……そうだな。あん時は俺の方が大人気なかったんだよ。あっちは大事な内臓を一つ失くしている。しかも卵巣って、もろに性格に作用する女性ホルモンが作られる場所なんだろ? 気持ちがぐちゃぐちゃになるのもしょうがねえよ。本当ならまともに考えられる俺がしっかりしなきゃいけなかったのに……。結局カチンと来たまま本当に距離を置くようになっちまって。そんで、あいつにもいよいよ愛想を尽かされたんだろうな』
だから、そんな平和ボケした皆んなに私が教えてあげるんだ。だって私はその気持ちをよく知っている。他の誰よりも味わっている。毎日のように思っているんだもん。私はいつ死んでもおかしくはない、明日死んでも不思議じゃない、って。
『このままじゃまずいと思って、仲直りする為に見舞いに行ったんだよ。でもあいつ、すげえ澄んだ表情で言ってくんの。別れようって』
今日から毎日、日常生活では中々お目にかかれない色んなやり方で人を殺してやる。自分達が平和だと思っているはずの日常に、化け物が潜んでいる事を教えてやる。そんな化け物に、日本中の皆んなが命を狙われているんだって教えてやる。だから神様。
『俺の両親と争ってまで結婚したくないって。それで』
どうか一人でも多くの健常者が、自分は明日死んでもおかしくはない事実に気づく事が出来ますように。
「疲れたって。そう言われた」
私は元カノから子宮を奪った挙句、自分だけのこのこ他の女と幸せになろうとする健常者のオスに狙いを定め、そう願った。
「何それ酷い。それで好きだった人を捨てて他の人と結婚するんだ?」
……まぁ。実際に狙いを定めたのは、そんなクソオスと交わった挙句に、彼の遺伝子をお腹に宿し、そしてこの世に誕生させようと目論んでいる彼の奥さんの方だったけれど。
私は彼の隣に腰を下ろす奥さんに背後から抱きつき、声が漏れないようにその口を塞いだ。背中から手を回し、彼女のお腹も撫で回してみる。懐かしい感触だ。かつての005号の姿が思い浮かぶ。可哀想な奥さん、可哀想な赤ちゃん。一度女を見捨てたような男と家族にならないといけないだなんて。私は元カノさんの子宮摘出とは無関係の立場にいるつもりのおじさんに、彼が犯した罪の重さを教えてあげた。
「そもそも子宮頚癌の原因になるHPVってセックスで感染するんだよ? もしその元カノさんがおじさんとしかセックスをしていないなら、元カノさんを癌にしたのはおじさんだ。じゃあおじさんはどこからこのウイルスを貰って来たのかな? 浮気とかしてた?」
ヒトパピローマウィルス。通称HPV。性的な行為を一度でも結んだ事があるのなら、老若男女問わず誰もが一度は感染し得るウィルスだ。それこそ風邪を引く程度の感覚で、本当に誰もが一度は感染する。しかしその殆どは体の免疫が勝つ為に、目立った症状は現れない……ものの。たまにいるんだよね。免疫力が打ち負けて、子宮頸癌を発症させちゃう人が。
元カノに癌を移して、自分だけのうのうと新しい恋愛に洒落込むおじさんか。上級の世界に足を踏み入れた私が最初に殺す人物として、中々相応しい相手だと思った。
「最低」
私は満面の笑みを浮かべながらおじさんに語りかける。まぁ、ヘルメットを被った私の表情を彼が知る事はないのだろうが。
「元カノさんが言ってた疲れたって言葉も、きっと強がりなんだろうなー。元カノを癌にして、子供も産めなくさせて。おまけに体のいい理由引っ提げて他の女に乗り換えて。奥さんも本当にこんな人を選ぶ気? いざとなったら奥さんと子供を捨てて逃げ出すと思うよ? この人」
私はおじさんを見上げながら、彼にどのような審判を下そうか考える。
「おじさん、悪い人だ」
そして私は思い付いた。一度恋人を捨てた彼が、新たな家族を守るに値する人物であるのかを試す方法を。
「……何だお前。お前、何言って」
私は恐怖と困惑の狭間でたじろぐ彼に、一つの魔法をプレゼントした。思えばこうして標的と長時間話すのって初めてかも。今までの私はムカつく奴を見かける度に、手当たり次第魔法を放つだけだった。こうして相手の人間模様を観察するのも、意外と面白いものだ。深く考えもしないで、機械的に事故ばかり起こしていた先週までの私はなんて単調だったんだろう。
「試してみる? ザンド」
今日からは人間の死に様をじっくり観察してみるのも悪くはない。私はそう思いながら、魔法で作ったスイッチを彼へと投げた。
「新しい魔法を覚えたんだ。事故死ばっかも芸がないし、今日からは色々な殺し方を試してみようと思うの。おじさんは記念すべきモルモットくん一号」
おじさんの視線は見るからにその怪しいスイッチに釘付けだったものの、しかしすぐにその視線は私の方を捉えるようになる。私が奥さんの頭とお腹に銃口を突き付けたからだ。
「なんとなく分かると思うけど、これ銃ね? それじゃあ私、三秒後に奥さんの頭とお腹を撃ちまーす。身代わりになりたくなったらそのスイッチを押して? そしたら標的がおじさんに移り変わるから。じゃあ行くよ?」
私は早速カウントダウンを始めようと口を開くものの、驚いた事におじさんの行動力には目を見張るものがあった。いきなり目の前に私のような異形の存在が現れれば、普通の人間は戸惑うなり逃げるなりするはずだ。それなのにこのおじさん、一目散に私の側まで駆けつけて、私の体に目一杯の暴力を浴びせて来たのだ。
「三」
しかし私はこんな姿をしていても、機械に包まれているのは手足と頭部のヘルメットだけ。胴体には一切の武装も纏っていない為、私が女である事は一目瞭然である。彼もその事を承知の上で、機械に包まれていない私の体を集中的に殴っていた。
女が相手ならワンチャン勝てるとか思っちゃったのかな。実際胴体への攻撃は効いているのかも知れないけれど、確かな激痛を感じたのは最初の二、三発だけだ。
「二」
エンドルフィン。アヘンから合成される麻薬成分、モルヒネと同様の作用を発揮する脳内神経伝達物質。このエンドルフィンにはα、β、γの三種類が存在し、中でもβエンドルフィンはモルヒネの5〜10倍の鎮痛作用及び気分の高揚感を人体に与える事で有名である。
これは人体が苦痛を受けた際に分泌されるホルモンで、例えば極限状態に達したマラソン選手が快楽を感じるとされる、ランナーズハイという現象の正体がまさにこれだ。他にも激辛料理が癖になっている人、心臓に多大な負荷をかけるサウナが好きな人、また私のようなマゾヒストが痛みで快感を得る理由も、やはりこのエンドルフィンに脳が支配されているから。
「一」
私の右翼は私の血液の状態を。私の左翼は私のその他バイタルサインを常時監視し、私の体に問題が起きれば即座に問題解決へと行動に移してくれる。
おじさんに殴られた私の体に痛み発生した瞬間、私の脳内に物理的な意味で電流が流れたのを感じた。すると、途端に私の体に宿る痛みの数々が、快楽へと姿を変えるのだ。エンドルフィンが大量に分泌されているのがわかる。おじさんの暴力の一つ一つに性的な興奮を覚えてしまいそうな程だ。なんなら今この瞬間、暴れ狂う彼の前で自慰に手を染めようとさえ思ったものの。
銃声が鳴った。タイムアップだ。妊婦の奥さんを狙った私の弾丸は、スイッチを押したおじさんの脳天と腹部にめり込んだ。
少しでも面白いと思っていただけたなら下の方で⭐︎の評価をお願いします!
つまらなければ⭐︎一つでも全然構いません!
ブックマーク、いいね、感想などもいただけるととても励みになります!