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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第五章 子供を産めない体
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朝のその後

 最初に映し出された光景は今朝の光景。サチに失望した私の背中を追いかけるサチの視線。私が家を出たあと、サチはゆっくり立ち上がってベランダの方へと足を運ぶ。そしてマンションから出て学校へ向かう私の背中を見届けてからもう一度リビングへ戻り、静かに椅子に腰を下ろした。


 そこからしばらくの間、無が続く。テレビを見るでもなくスマホを弄るでもなく、ただただ椅子に座って宙を見るだけのサチ。長い長い虚無のあと、不意にサチの視線が食卓に取り残された私の朝食を捉えた。目玉焼きは焦げている上に味噌汁も生煮え。私が一食分も食べきれなかった食べかけで、しかも放置されてから一時間以上は経っている。


 サチは何を思ったか、そんなどう食べても美味しくなり得ない残飯に箸を伸ばした。そして何も言わずに黙々と食べ続ける。ご飯を噛み締める度に顎が動き、顔が揺れ、その揺らぎに耐えかねたサチの涙がボロボロと頬を伝ってテーブルに落ちていった。無音の食卓に、静かなサチの震えた声が響き渡った。……そして。


『……うわぁっ⁉︎』


 残飯を平らげて顔を上げた時、サチはこの一日の間で最も大きな声をあげたのだった。それもそのはずだ。サチ一人しか存在しないはずの部屋にいつの間にもう一人の人物が存在してたのだから。


『た、タロウくん……? え、な、何? びっくりしたぁ……』


 尻餅をつき、ゆっくりと後ずさるサチ。サチへの好意がとことん薄れた私でさえ、その腰が抜けるという表現があまりにも適した姿には同情してしまった。タロウはそんなサチを追い詰めるように歩み寄り、そしてサチに手を差し伸ばす。


『授業参観に来て』


『……』


『みほりちゃんに会いに行って欲しい』


 そんなタロウの主張を聞いた瞬間、サチはあっという間に落ち着きを取り戻した。得体の知れない相手に驚いたものの、その意図を知った事でタロウを得体の知る相手として認識したのだろう。


『行かないよ』


 サチは笑顔でそう返した。


『昨日、みほりちゃんが言っていた。サチさんの事が大好きだって。だけどさっき会ったみほりちゃんは、あんな奴大嫌いだって言っていた。話が合わない』


『……』


 気まずそうに視線を逸らすサチ。


『だからみほりちゃんの首を絞めた』


『うん、なんで? それちょっと場合によっては私タロウくんを許せない事になるけど』


 つっこむ気力はあったようだ。しかもなんか怖い……。


『どっちが本当なのかを確かめたかった。だから首を絞めて脈拍、発汗量、自律神経の均衡具合、脳波、その他諸々を測定した。僕の推測では九割方サチさんが大嫌いだという主張が嘘だと思う』


 ……なるほど。だから二回目の首絞めはやけに時間が長かったのか。あのポンコツアンドロイド、次会ったらスクラップにしてやろうか。


『みほりちゃんに教えてもらった。これから先、僕の身に何かが起きる度にその事象を受け入れたらどうなるか、受け入れなかったらどうなるかを考えろって。僕は考えた。みほりちゃんの嘘を受け入れた未来と受け入れなかった未来について。それで』


『……それで?』


『嘘を受け入れない方が、みほりちゃんが笑顔になる可能性が高いと判断した。だからサチさんを連れに来た』


『……そう』


 納得した、と言わんばかりにサチは微笑んだ。タロウの意図を聞き、わずかに抱いていたタロウへの殺意も消えたようだ。


『わざわざありがとう。でもごめん。行けないや』


『どうして?』


『束の間の幸せはね、なくなったら辛い思い出にしかならないから』


 そしてサチを語りだす。私には決して教えてくれなかった真意を。私ではないタロウにだからこそ教えられる真意。


『りいちゃんは本当に優しい子に育ったと思う。あんなに酷い事をされたのに、それでも私がりいちゃんの為に嫌われる演技をしてるって信じて疑わなかった。私はいいの。忘れる事が出来るから。でもりいちゃんは……あの子はそうはいかない。人生で一番辛い事って、忘れられない事なんだよ』


 それは私が抱く恐怖とは真逆の理屈だった。


『私ね、小さい頃にゴールデンレトリバーを飼ってたの。家族の中でも特に私に懐いてたもんだから、私も嬉しくて家族の誰よりもお世話をしてたと思う。でも大型犬って寿命が短くてね、私が中学に上がった頃に死んじゃったんだ。あれから二十年以上経ってるのに、今でもふとした瞬間に思い出すの。二十年経ってこれだもん。言葉の通じないペット相手でさえこれだもん。きっとこの気持ちは死ぬまで続くんだと思う。子供の頃の別れって、それだけ大きな傷跡を人生に残すんだよ』


 それだけ言ってサチは重い腰を上げた。もうこの話は終わったと言わんばかりに、タロウに驚き床に散らばせてしまった食器の片付けに取り掛かった。

『そしてりいちゃんは何百年も生きる魔女と来たもんだ。こんな気持ちを忘れられないまま生きる何百年って……想像もしたくないや。だからこれでいいんだよ』


 けど。


『サチさんはみほりちゃんと真逆の事を言う』


 タロウは更に言葉でサチを追い詰めた。


『みほりちゃんは忘れる事が一番怖い事だって言っていた。自分が魔界に帰ると知れば、サチさんは忘れる恐怖に怯えながら残りの時間を過ごす事になる。だから何も言わずに魔界に帰るんだと言っていた』


『……そうなんだ』


『僕はどっちの言い分を信じればいいのか教えて欲しい』


 それでもサチは興味もなさそうに受け答えをするものの、強張った体と表情がそれは嘘である事を物語る。しかしすぐに無理矢理な笑顔を浮かべながらタロウを諭すのだ。


『私の言い分は実際に経験して思った事だよ。私を信じて欲しいかな』


『わかった』


 タロウはそんな大人の意見にまんまと懐柔されてしまった。サチの笑顔にはそう言った不思議な力があるのを私は知っている。その笑顔を見ているだけで、無条件でこの人は自分の味方なのだと錯覚してしまうのだ。心の底から安心しきってしまうのだ。タロウも例には漏れず、そんなサチの笑顔を受け入れてしまった。


『サチさんの言い分は理解した。それがみほりちゃんの幸せに繋がるのなら僕も友人として協力したいと思ってる。だけど』


 しまったのだけれど、全ではなかった。サチの笑顔は人の心を無条件に穏やかにするから、人ではないタロウの心を全て掴み切る事は出来なかった。そもそもタロウに掴める心があるのかも怪しいんだ。


『だけど確認がしたい。サチさんの表情もみほりちゃんの表情も、僕の知る幸福を感じている人の表情とは酷く乖離しているから。だから今から僕のする三つの確認に全てイエスと答えてくれたのなら、僕はサチさんの言い分を全面的に信じる事にする』


 常人なら簡単に丸め込めるサチの笑顔も、常人ではないタロウの眼は護摩化す事が出来なかった。私でさえ感じ取れないサチの笑顔の違いをタロウは鋭敏に感じとる。笑顔の仮面に隠された違和感をいとも容易く見抜いて、タロウはまず人差し指を立てた。


『確認その一。みほりちゃんを突き放した行為に後悔はない』


『……イエス』


 サチはその返答に若干の戸惑いを見せたものの、物怖じする事なくそう答えた。タロウは続いて指を二本立てて質問を続ける。


『確認そのニ。その行為は間違いなくみほりちゃんの幸せに繋がる』


『イエス』


 二つ目の返答は僅かな戸惑いさえ見せなかった。それが真実だと心の底から信じ切る、自信に満ち溢れたサチの返答だった。そして。


『確認その三。サチさんも昔飼っていた犬に嫌われれば幸せになれていた』


『……』


 三つ目の質問に、サチはそれまでと同じように堂々と首を縦に振る事が出来なかった。


『今まで懐かれていたにも関わらず、寿命を迎えるその日に冷たく遇らわれ、サチさんの目の届かない所で静かに死んでいればサチさんも幸せになれていた』


『……』


 サチの視界がぼんやりと薄れて行く……。


 再びサチの視界に光が灯った時、そこには一匹の大型犬が佇んでいた。幼さが際立つぶかぶかな制服を身に纏ったサチがその犬に手を伸ばすと、犬は唸り声をあげてその手に牙を立てる。今まで一度も自分に見せた事のないその威嚇に、幼いサチは驚き戸惑った。気のせいかと思いもう一度手を伸ばすも、犬からの反応はまたしても威嚇。大型犬はサチに嫌気が差し、遂にのそのそと病に犯された体を引きずりながら、サチのいない部屋の奥へと姿を消していった。


 サチは学校に行きながら思い悩んだ。もしかして知らず知らずのうちに、何か犬の気に障る事をしてしまったのかもしれない。何をしたんだろう、何をしてしまったんだろう。あんなにも懐いていたのに。あんなにもお互い信頼しあっていたと思っていたのに。考えても、考えても、考えても、その答えは出ない。思い当たる事が何もないから時間が全てを解決してくれている事に望みをかけ、そして家に帰ると。


 大型犬は既に生物としての役割を果たした後だった。サチはその抜け殻を見て膝から崩れ落ちた。何故嫌われたのかがわからない不安、死んでもなお自分は威嚇されているのではないかという焦燥、何もわからないまま永遠の別れと対面してしまった恐怖。ありとあらゆる黒い感情がサチの中で渦巻き。


『それは……辛いね。忘れられないまま引きずるより辛いや……』


 そう呟くサチの表情からは笑顔が消え去っていて、後悔と悔恨に支配されたまま死んでいった亡者のように青ざめていた。


『行かなきゃ』


 そうなってからのサチは早かった。電光石火の如き勢いで外出の支度を済ませる。顔を洗い、服を着替え、必要最低限の化粧も済ました。その時点ではどう足掻いても三限には間に合いそうになかったけれど、財布の中身を確認しているあたりタクシーで向かうつもりなのだろう。あっという間に身支度を済ませたサチだが、そんなサチの前にタロウが立ちはだかった。それはサチを学校へ連れ出そうとしたさっきまでの行動と矛盾するようだが、それでもタロウにはどうしても聞いておきたかった事があったらしい。


『一つだけ質問がある』


『え? ど、どうしたの?』


『僕はみほりちゃんにこうとも教えられた。自分を注意してくれる大人の前でなら、自分のやりたい事をする為に悪い事をしてもいい。だからサチさんを注意してくれる大人と判断した上で、僕の犯した三つの悪事を白状したい。一つ、サチさんを連れて来ると正直に話すとみほりちゃんに引き止められそうだったから、僕は忘れ物をしたと彼女に嘘をついてしまった。二つ、僕は義務教育である登校を適切な理由もなしに放棄してしまった。三つ、サチさんと話す為に不法侵入も犯した』


『……』


『それでも僕のした事は正しいですか?』


 そんなタロウの懺悔を聞き入れたサチは、行動でその問いに答える。サチはついさっき私にそうしたように、タロウの頬を優しく抓りあげたのだ。


『めっ! 嘘をつくのも、学校をサボるのも、チャイムも鳴らさずに勝手に部屋に入るのも悪い事だよ』


『……』


『……でも』


 そしてすぐに指を離し、タロウの体を両手で大きく包み込む。


『ありがとう。……私、またしょうもない意地を張るところだった』


 その時、一瞬だけ情景が切り替わる。そこはどこかの病院の病室で、入院衣を身に纏ったサチが一人の見知らぬ男性に何かを言っていた。その男の人は、サチの言葉に酷く落ち込んでとぼとぼと病室を後にする。そんな光景が一瞬だけ浮かんだ。


『本当にありがとう。ナイス! グッジョブ! ワンダフルだよワンダフル!』


『……理解不能』


 そしてサチは、感情を知ろうとするアンドロイドキャラが言いそうな台詞ベスト6くらいにランクインしそうな台詞を吐いたタロウを置いて一目散に走り去ったのだ。そして。


(それで……謝りに来た)


(……)


(私が馬鹿だった。ごめんなさい)


 今に至る、と。

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