0.00001%のサイコパス
「……自殺は、いけない事ですか?」
「それは……」
彼女の弱り切った瞳を見つめながら俺は考える。彼女の言う通り、自殺をしてはいけない理屈なんて存在しないからだ。死ぬも死なないも、そんなものは個人の自由。自分の命をどう使おうが、他人にとやかく言われる筋合いはない。
……が。同時に『どうして自殺はいけない事なのか?』と、恥ずかしげもなく問い掛ける人間は、救いようのない馬鹿だとも思っている。サイコパスを気取った中坊がよく言うんだよ。『どうして人を殺しちゃダメなのか?』って。それと同じレベルの、言い換えれば頭ん中がガキのまま成長を止めてしまったアホの主張だ。
法律的な話や宗教的な価値観を抜きにすれば、この世には人を殺してはいけない理由も、自分が死んではいけない理由も存在しない。そもそも存在する必要さえないのだ。人を殺してはいけない。自殺だってしてはいけない。この世界に生を受け、社会に教育されながら大人になるまで育ったのならば、それらは理屈ではなく、当たり前の感覚として持ち合わせていなければならない価値観と言えるだろう。質問を正反対にしてみたら簡単じゃないか。
『あなたは人を殺しても良いと思いますか?』
『あなたは自殺をしても良いと思いますか?』
そう問われ、首を縦に振るような人間が果たしてまともと言えるのか? それを馬鹿と言わずに何と言う。もしも首を縦に振る人間がいたのなら、それは中二病を拗らせ、精神が幼いまま大人になってしまった99.99999%の馬鹿か、或いは0.00001%の真のサイコパス。故に。
「君は、人は自殺をしても良いと思うの?」
「……思います。……私は……死にたいです」
俺はそう答えた彼女の事も、99.99999%に属する馬鹿であると判断した。
「なら、そんな君の考えが変わってくれるのを祈っているよ」
無様な女だ。お前のやっているそれは、かつて自分がヤンチャしていた事を得意気に語るジジイと全く変わらない。ヤンチャも、自殺も、堂々と人前で語るようなものではないのだ。それらは生涯を通して隠さなければならない恥ずべき行為であり、そんな思い出を堂々と、恥ずかしげもなく語れると言うのなら。お前は糖尿病を患った障害者である以前に、知能の発達が遅れた知的障害者であると自己紹介しているも同然だよ。
俺はそんな彼女の目の前に、袋詰めにされた白い粉を差し出した。
「使い方はわかる?」
「……あの、ネットで少し調べたので……一応は」
「そう。じゃあ手伝ってあげるから、よく覚えて。二回目からは自分で出来るようにね」
俺はテーブルの上から手鏡を取り出し、その上に粉を敷き詰めた。
「……これって、一袋いくらですか?」
「一万五千円」
「……あれ。……でも、ネットで調べたらもっと高かったような」
「……」
知り合いの医者が言っていた。近頃の患者は、体に不調があったらまずはネットで調べてから診察に来るのだと。そして医療に数十年身を捧げた医者の言葉より、自分がネットで調べた情報ソース不明の記事ばかり信用するから、たまったものではないと。あの医者の気持ちがよーくわかる瞬間だった。
「それは一昔前の話だよ。確かに日本で栽培出来る大麻や、材料さえあればどこでも合成出来る覚醒剤と違って、コカインを作るには南米でしか育たないコカの葉が必要になってくる。でも時代の進化のおかげで、今じゃ日本でも南米の気候を再現出来るビニールハウスが開発されているからね。結構お手軽な値段でコカの葉を栽培出来るんだ」
「……なるほど」
俺の答えに納得する彼女。もちろん嘘だ。コカインが南米でしか育たない植物を原料としているせいで値段が高いのは事実だが、南米の気候を再現出来るビニールハウスなんてものは、令和の時代となった現在でも存在しない。故にこれは、言ってしまえば純度の低い粗悪品なのだ。コカインが全く入っていないわけではないが、その大部分を覚醒剤を混ぜ合わせる事で偽装した、通称なんちゃってコカイン。誰が純度の高い高級品を、こんなメンヘラ気取りの馬鹿なガキに……。
「……」
「……ん? ど、どうかした?」
こんな馬鹿なガキに使うものか……と。そう思っていたのだが。ふと隣に視線を向けると、少女は食い入るような瞳で俺の事を覗き込んでいた。嘘を見透かしたような視線。嘘を嘘だとわかった上で、俺がどんな誤魔化し方をするのかを見て、楽しもうとしている上から目線。
……いや、まさかな。気のせいだろう。そんな筈はない。確かに純度の高いコカインと、覚醒剤などのような別の薬物を混ぜ合わせたなんちゃってコカインの見分け方は存在する。コカインの粉塵は小麦粉や片栗粉のように、キメが細かく一粒一粒がとても小さい。対して覚醒剤は結晶の形をしていて、一粒一粒が大きく、色も透明に近い白色で、言ってしまえば塩のような見た目をしているからだ。
小麦粉のように小さな粉塵だけが集まっていれば、それは間違いなく混ぜ物の存在しない純度の高いコカインだ。しかし塩のような物の中に、小さな小麦粉が粒々と混ざっているようであれば、それはほぼ確実に覚醒剤などでカサ増ししたなんちゃってコカインと言えるだろう。酷い物だと重曹や小麦粉でカサ増ししているのもあると聞く。……けれど。
「……」
いや、やっぱり気のせいだ。こんな未成年にその違いが区別出来るものか。……そう思いたいはずなのに、俺の行いを審判するかのような彼女の視線が、俺の心に動揺を誘い込む。そして。
「あ……」
心の動揺は遂に俺の体まで突き動かし、俺は思わず手に持った手鏡を落としてしまった。鏡の上に敷き詰められたなんちゃってコカインを、床の上にぶち撒けてしまったのだ。
「ご、ごめん! 新しいの用意するから」
俺はすぐにキッチンの方へと足を向け、収納の中から新しい袋を一枚取り出した。それは金持ちに売る為の純度の高いコカインだったのだが、どうして俺はこっちの方を選んでしまったのだろう。彼女の視線を思い出した瞬間、手が勝手にコカインの方へと伸びてしまった。あんな馬鹿には覚醒剤と混ぜ合わせた安物で十分な筈なのに。
とは言え、こんな未成年如きに高級品を使ってしまった事実は、何がなんでもこの女を使って元を取ってやろうという俺の決意を増幅させてくれる。別にいいさ。十代の女の体というのは、この高級品を餌にしてでも手に入れる価値のある貴重品なのだから。
「いいかい? こうやって鏡の上に敷き詰めた後は、カードか何かを使って細かく刻んであげるんだ。ホットケーキミックスとかと一緒だよ。玉になると吸い辛いからね。その後は、カードを使って川の字にして並べてあげると、より吸いやすくなる」
俺は再び彼女の隣に腰を下ろし、鏡の上に敷き詰めたコカインの粉を、スーパーのポイントカードを使って細かく刻んで川の字に並べてあげた。鏡の上に粉を広げるのは、吸い残しがあってもすぐにわかるから。高級品であるコカインは、粉の一粒でさえ吸い残すには惜しい代物である。
「粉末が均等にばら撒けたら、後は鼻から吸うだけだ」
俺は彼女に、鼻の穴よりも僅かに直径の短いストローを半分に切って差し出した。彼女はそのストローを受け取ると、俺とコカインを交互に見比べる。
「やっぱり怖い?」
「……えっと、怖いと言うより……痛そうって言うか」
「ははっ、確かに最初は痛いかもね」
不安そうに心中を語る彼女を見ながら、少し安心してしまった自分がいた。やっぱりこの子は普通だ。体が悪いだけの、どこにでもいるメンヘラ気取りの馬鹿な女だ。俺は一体この子のどこを恐れ、こんな貴重なコカインを提供してしまったのだろう。余分にかかった経費は、必ず数百倍にして返させてやる。
「でも大丈夫。すぐに痛みが消し飛ぶくらいの快感が、ゾワゾワーって上から降って来るから」
俺は彼女の肩を抱きながら、彼女の片方の鼻の穴を指で塞いであげた。彼女も彼女でいよいよ覚悟が決まったのか、空いた方の穴にストローを差し込んで、ストローとコカインとの距離を少しずつ狭めて行く。
「大丈夫。落ち着いて、ゆっくり吸えばいいから」
そして俺の合図を皮切りに、彼女の肺が大きく膨らみ、それに合わせてその小さな肩が上下した。サラサラと気流に身を任せ、ストローの先端から吸い込まれていく粉塵の姿が確認出来る。……が、次の瞬間。彼女の体が大きく跳ねる兆候を見せた。
「かぁっ……⁉︎」
「ストップ!」
俺はすぐさま彼女の肩を抱く腕に力を入れ、彼女の体を強く押さえ込んだ。いきなり鼻の粘膜にコカインが付着したのだ。痛みで仰反るのは想定済みだ。初めての喫煙で咳き込むのと変わらない。
「大丈夫! あともう少し! あともう少しだけ我慢して? 一分もしないうちに慣れてくるから」
俺のアドバイスを聞き入れ、彼女の体も徐々に落ち着きを取り戻していった。けれど相当無理をして体の仰反りを押さえつけているのは、彼女の口呼吸の激しさが物語っている。瞳孔も開きかけているし、こりゃあ数秒もしないうちにまた痛みで体が跳ねて……。いや。
「……」
違うな。これは痛みによる反射じゃない。
「……落ち着いた?」
俺がそう訊ねると、彼女はストローが鼻の穴からズレないよう、ゆっくりと首を縦に振った。
「よし、いいよ。そろそろ痛みも抜けて来たんじゃない?」
彼女はもう一度首を縦に振る。
「オッケー。じゃあそのままゆっくり残りの粉を吸ってみようか。出来れば口呼吸もやめて欲しいな。勢いよく吸っちゃうと、折角のコカインが口から出ちゃうよ」
俺の指示に従い、彼女は口を一の字に閉じてゆっくりと鼻から息を吸っていった。サラサラと、まるで掃除機のCMでも見るように、鏡の上からコカインが吸い込まれて行く。鏡の上からコカインが減って行くに連れて、彼女の高揚感が増えて行くのが目に見えてわかった。鏡の上から粉塵が一粒残らず消失するまでに、それから三分もかからなかった。
「綺麗に吸えたね」
「……」
「どう? 気分は」
「……」
「聞いてる?」
「……」
「それとも効いてる?」
コカインを全て吸引した所で、初体験の感想を彼女に聞いてみる。しかし彼女から返事が返って来る様子はない。ソファの上に腰を下ろしたまま、ぼーっと宙だけを見つめている。そんな無の時間が一分程過ぎ去った所で。
「あらら」
俺の膝の上に、少女の頭が乗っかった。じわりとした湿気が俺の膝に宿るのは、少女の顔から溢れる汗のせいだろう。顔が赤い、目の焦点が合っていない。息も荒く、動物が威嚇でもするようにふぅーっ、ふぅーっと、深く早い呼吸を繰り返している。そして極め付けは、彼女の額に浮かぶ汗を拭ってあげようと指で軽く触れた時の事。
「……っ……、ふ……ふふっ……っ!」
彼女の吐息から、笑みが漏れ出した。
「どうしたの?」
「……んー? ……べ、……ふふっ、…………別に?」
「くすぐったい?」
「……んふふ……、だからぁ…………、別にくすぐったくないってばぁ……」
少女はゆっくりと背中を丸め、胎児のような姿勢へと移り変わった。成功を確信した俺は、彼女の髪の毛を撫で回しながら、次のステップへ移る為の世間話を始める。
「ヒジリちゃんってさ、セックスした事はある?」
ヒジリ。聖と書いてヒジリ。本名なのか偽名なのかはわからないが、それが彼女の名乗った名である。
「えー……なんで?」
「あ、その反応は経験ある人だ。何人?」
「別に……何人だっていいじゃん」
「そんな事言わずに、教えてってば」
ヒジリちゃんの首筋に指先を当て、撫でるようにくすぐる。すると彼女は甘い吐息を漏らしながら、絞り取るような声で「一人だよぉ……、一人」と答えを漏らした。
「……それがどうかしたの?」
ヒジリちゃんは背筋を伸ばし、今度は仰向けの状態で真っ直ぐに俺の瞳を見上げて来た。仰向けになった事で、無防備に曝け出された十代の体がマジマジと俺の視界に入ってくる。目の焦点は相変わらず合っておらず、いつ溶けて溢れてしまってもおかしくはないが、しかしそんな彼女の不安定な視線さえも、彼女の女を際立たせる為の香辛料として、存分な威力を発揮していた。
「ほら。鼻から吸った時、ちょっと痛かったでしょ?」
「……んー。まぁ……ちょっとだけね」
「これさ。実は、痛みを感じないように摂取する方法もあるんだよ。コカインって、要するに粘膜からならどこからでも摂取出来るわけ。粘膜なら本当にどこでもいいんだ。わかる? 上の穴だけに限らず、下の穴とかね」
「……」
「もちろん前の穴でも、後ろの穴でも。擦り付けるように馴染ませると、それはもう極上の」
俺は彼女の意識が朦朧としているのを確認し、左手を彼女の下半身目掛けて伸ばしていった。しかし。
「……ダーメ」
左手首を彼女に掴まれる。驚いた。コカインというのは精神状態を上昇させるアッパー系のドラッグだ。判断力も上昇方向で鈍って行く為、例えば人を殺しても『まぁいいや、アハハ』。事故を起こしても『別にいっか、アハハ』。仮に強姦されたとしても、同じように笑いながら受け流せるようになってしまう、悪魔の薬だ。コカインのキマッた女は、泥酔させた女よりも簡単に抱く事が出来るのに、この子にはまだ拒もうとするだけの判断力が残っているのか。
「ありゃりゃ。結構ガード硬いんだね?」
俺は苦笑いを浮かべながら左手を引っ込めたものの。
「……」
「……ん?」
ふと、ヒジリちゃんと目が合った。数秒前までの焦点の合わない、溶けて溢れるような視線とはまた違う。明確に俺の顔を捉え観察している、不気味なまでに冷静な眼差し。俺の中で、彼女に対する疑念がふつふつと芽を生やして行く。
コカインを使用した割に、やけに冷静に見えてしまう彼女を見て、一つの仮説が生まれた。この子はもしかして、コカインの影響で精神状態が下降しているのではないか。コカインというのは精神状態を上昇させる薬物である。しかし、同じアッパー系薬物である覚醒剤とは明確に違う作用を持っているのだ。
例えば鬱の状態を0、平常心を5、高揚状態を10だとしよう。覚醒剤はこの精神状態を加速させ、15にも20にも上昇させる作用を持つ。
対してコカインの場合、0〜9までの精神状態を無理矢理10に固定する事で高揚感を味わう事が出来るのだ。しかしこれは言い換えれば、元々の精神状態が15や20の人間がコカインを使用した場合でも、無理矢理10まで精神状態が引き下げられてしまう事を意味している。元からイカれた精神状態の人間がコカインを使用すると、精神状態が下降して逆に冷静さを取り戻してしまうのである。
「……お兄さん」
「……」
「……ダメじゃん。こういう事したら」
「……」
「……えっち」
彼女が枕にする俺の膝を中心に、全身目掛けてゾワゾワと鳥肌が広がって行くのを感じた。
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