余命:ゼロ年から始める高校生活
高校生活二週間目。登校日数は五日。この週は特に体調を崩す事もなく、平日は全て登校する事が出来た。
友達は相変わらずいない。作る気もなければ、作れる環境でもない。入学式の日に入院した私だ。退院して登校を再開した時には、既にクラスの中ではグループが形成されていた。それでも私に声をかけて来るクラスメイトは何人かいたけれど。
『ごめん。私、自分より成績の悪い友達はいらないから。そのうち宿題見せてーとかせびって来そうでキモいじゃん?』
そんな数少ないクラスメイトも、登校三日目には私の悪評がすっかり蔓延った事で皆無となった。また、担任の先生が入学初日から入院した私の事情を皆んなに話した事も関係しているのだろう。クラスメイトは腫れ物にでも触れるような目で私の事を見て来るようになる。病人を見る目、障害者を見る目。でも、そのくらいの距離感が私にはちょうどよかった。
高校生活三週間目。登校日数は五日。この週も体調に異常はなし。
【恥部っち】
『はしたない』
【イヴっち】
およそ一年半ぶりのやり取りに、僅かながらも笑みがこぼれた。まぁ、ザンドが私をそう呼んでしまう理由もわからないわけじゃないけれど。
【ロボット作りはもうおしまい?】
『うん。おしまーい』
私はザンドの問いかけに答えた。東京上空に浮かぶ透明なロボットは、もういない。別に消し去ったわけじゃない。これ以上の成長は見込めないと理解したから、巨大化の魔法と空中浮遊の魔法を打ち止めにしただけだ。
『結局2.5メートルにも届かなかったね。今でもちびちび大きくはなっているけど、それでも一日数ミリずつしか成長しないもん。もうやるだけ無駄じゃない?』
現在、2.2メートルまで成長した私のロボットは、透明化の魔法のみ継続した上で、立ち入り禁止のマンションの屋上に置きっぱなしにしている。あのロボットがそれ以上大きくなる事は、もはやないだろう。
『どうしよっかなー、あれ。卒業式の日に学校で暴れさせたら面白そうだけど、その日まで私の命が続くのかも怪しくなって来たし』
私は胸に手を押し込み、心臓の鼓動を手のひらで感じ取ってみた。しかし私の手のひらは心臓の鼓動を全く感知してくれない。それが狭心症によって心臓が弱まっているせいなのか、それとも糖尿病性神経障害の影響で手の感覚が鈍っているせいなのかはわからないけれど、しかし着々と近づく死の実感だけは間違いなく感じ取る事が出来た。
【前にも聞いたけど、もう一度聞いていいかな】
『何を?』
【イヴっち、本当に死ぬのが怖くないの? 一年もしない内に死ぬかも知れないんだよ?】
私は微笑みながらザンドに答えた。
『怖くない。むしろ楽しみ。やっと本当の両親に会えるんだよ?』
それは一年半前の秋にもザンドに言った事だ。
あの日、ザンドは私に訊ねた。[イヴっちの親、糖尿病だっけ? 全然それっぽくなかったけど]と。だから私は答えた。私の本当の両親は他界していると。今現在私を養っている二人は、私の本当の親ではないのだと。
『天国で二人と会ったら何しようかなー。まずは喧嘩だよね? 糖尿病のくせに子供産んでんじゃねえぞー! って。そのあと二人が謝って来たら……、んー。まぁ許してあげてもいいか。そしたら』
ここの家族は皆んな赤の他人だ。お父さんも、お母さんも、アスタも。私だけが家族じゃない家族。そんな悪魔達の住処であるこの家に、私の居場所はもとより存在しない。だから。
『やっと私も本当の家族と過ごせるんだ』
私は本当の家族に会いに行く。
高校生活四週間目。登校日数は三日。
『イヴ……』
『……お母さん?』
病院にて目が覚める。お母さん曰く、私はマンションの五階で意識を失っていたらしい。エレベーターが点検中だったので、階段で自宅まで戻ろうとした結果だった。
『どうして無茶したの……。エレベーターなんて少し待てば点検も終わっていたでしょ……?』
『……無茶って』
私はベッドから上体を起こそうと、手に力を込める。
『……』
手に力を込めて、そしてお母さんが私の手を握っていた事実に気がついた。自分の手を視認した今だからこそお母さんの体温を感じ取る事が出来るけど、自分の手を見るまでは、手を握られていた事に全く気がつかなかった。参ったな。合併症ってこんな一気に来るもんなんだね。ほんの一ヶ月前までは自由に動き回れていたのに。
『……階段を登るのが……無茶な事なの?』
心なしか、体も怠い。なんか喋るのも億劫だ。これが一歩一歩死に近づいている証明なのは理解出来るけど、それでも体を蝕まれるこの感触はあまり気持ちの良い物とは言えない。イライラする。
『……あー、そっか。……私にはもう、階段を登るのも無茶な行為に……なっちゃうんだね』
私の卑屈を聞き取ったお母さんの表情がわかりやすいくらいに崩れていった。ストレス発散としては少々物足りないが、まぁ贅沢は言わずにないよりはマシだと思う事にしよう。
高校生活五週間目。
『……』
登校日数はゼロ。もっとも世間一般的にはゴールデンウィークである為、入院していなくても登校はしていなかったが。
高校生活六週間目。
『……』
登校日数はゼロ。
高校生活七週間目。
『……』
登校日数は二日。
高校生活八週間目。
『赤海さん。今日は大切なお話があります』
お母さんに連れられ、高校の先生がやって来た。うちの高校は、出席日数の三分の一以上を休むと問答無用で留年となる。しかし私の場合は体の都合でどうしようもない事と、更に入試の成績がずば抜けて良かった点なども考慮され、留年しないで済む一つの措置について提案された。
『病院側と話し合って、入院で登校が不可能な際は、週に三回程講師を派遣してみてはどうかという案が出ました。その後、期末毎に他の生徒と同じ範囲でテストを受けていただき、基準点を満たしていれば進級という扱いになります』
長期入院が求められる児童に対して、勉強に遅れが出ないように院内学級という制度を用いる病院は数多く存在する。しかしそれらの殆どは義務教育を目的としたものであり、高校生向けの院内学級を取り入れている病院はほぼ存在しない。
長期入院が求められる高校生向けの教育支援制度としては、訪問教育という制度が一般的である。学校から教師が派遣され、病院や自宅などで個別授業を行うと言ったものだ。が、訪問教育を受ける為には、私は特別支援学校に転籍する事を余儀なくされる。それは私が自他共に障害者と認められる事を意味しており、それに対して私の両親は反対の意見を見せた。
今の高校に在籍した上で、訪問教育と似た制度を受けつつ進級する。私に持ちかけられたその案が特例中の特例である事は、よく理解出来た。それはとてもありがたい事だけど、週に三回も頭の悪い奴から勉強を教わるのはつまらないなとも思う。だから私は担任の先生に聞いてみた。
『……先生の教科って数学だっけ。……ねぇ。中間テストで一番正解率の低かった問題って……何?』
『え』
先生は少し戸惑いながらも、しかし私の問いにはしっかり答えてくれた。
『x^4+4y^4を因数分』
『(x^2+2xy+2y^2)(x^2-2xy+2y^2)』
私は先生が問題を言い切るよりも早く答えを言った。
『……なるほど。確かにこれは因数分解の難問として有名ですからね。どこかで答えだけを覚えて』
『まずは(x^2+2y^2)^2の形にする。でもこれを展開するとx^4+4x^2y^2+4y^2になって4x^2y^2が余分になるから(x^2+2y^2)^2から4x^2y^2を引いてあげる。4x^2y^2を(2xy)^2の形に直すと、(x^2+2y^2)^2-(2xy)^2になるよね。二乗引く二乗の形に変換出来たら後はもう簡単だよ。(x^2+2xy+2y^2)(x^2-2xy+2y^2)で終わり』
久しぶりに長い文章を喋ったせいで、目の前が僅かに霞んだ。私は大きな深呼吸を挟んだ上で先生に訊ねてみた。
『……週三回も講師を呼ぶ必要……あると思う?』
先生は答えた。
『体面というのがありますので……』
とても日本人らしい模範的な回答だと思った。
【今のイヴっち、なんかつまんない】
高校生活八週間目。珍しく体調が良好な日曜の朝。明日からは久しぶりに五日間フルで登校する事になるだろうから、体を慣らせる為、心臓に負担がかからない程度の軽い散歩をしていた私に、ザンドは不満そうにそうぼやいた。ザンドが不満に思う気持ちも、まぁわからなくはない。
『……ごめんね。最近、怠いんだよ。……色々と』
ザンドは千年近くも広大な大海原を一人寂しく漂っていた。そんなザンドが私という暇つぶしに出会えた時、ザンドはどれだけの喜びを噛み締めた事だろう。なのにザンドから魔法という素敵なプレゼントを貰っておきながら、最近は全くザンドを楽しませてあげられていないや。でも、本当に怠いんだ。自覚症状が現れた入学式の日から、こんなにも早く症状が進行するだなんて思ってもなかった。それにしても些か早過ぎるような気もするけれど……。
『……ザンド。なんか私の症状、凄い勢いで進んでいる気がするんだけど……。もしかしてザンドと契約した事が、影響しているのかな……』
【あー……。それあるかも】
『……そっか』
なるほど。そういう事ならしょうがないか。最初から聞いていた事だ。ザンドとの契約は、体にとてつもない負担を強いる事になる。残りの寿命をごっそり持っていかれるのなんて、ザンドと出会ったその日に教えられていた。ザンドを恨む気なんてさらさらない。なんなら被害者はむしろザンドだ。だってザンドはもう、私が魔法を使って好き勝手する光景を見る事はないのだから。
ロボット作りはやめた。ロボットを空中に浮かすのもやめた。今やマンションの屋上に放置したロボットが誰かの目に止まらないよう、透明化の魔法を施しているだけであり、私の魔法はリソースが有り余っている。でも、そのリソースの使い道はどこにもない。
中二の頃は楽しかった。透析とインスリン注射さえ済ませれば、後は普通の人と同じように動く事が出来たのだから。毎日夜な夜な街へ繰り出し、ムカつく悪魔を見つけては魔法を使って殺し回ったものだ。……でも、今の私にはそれをする為の気力がない。気力以前に体力そのものがない。お医者さんにも言われているのだ。もう一度狭心症の影響で意識を失うような事があれば、次からは車椅子に乗って貰う事になると。この様子じゃあ、いよいよザンドにも愛想を尽かされちゃっても仕方ないや。……なんて思い始めたその時。
『……』
ふと、私の視界に一組の父娘の姿が映り込んだ。彼らを父娘だと思ったのはただの勘だけど、しかし女の子の鼻筋と父親らしき男の鼻筋はどこか似通っている。
私が彼ら父娘を認識してしまったのには、当然ながら理由がある。彼らの姿はとても目立っていたのだ。目立つ要素の一つには、彼らの身体的特徴も含まれていた。
女の子は小学生と思われる程度の幼い顔付きと小さな矮躯をしていたものの、しかし胸のサイズは何と言うか……。服の上からでもわかる大きさだ。私と同じくらいはあるんじゃないだろうか。胸を隠すような猫背気味の姿勢が、胸の大きさを気にしている本人の心情をこれでもかとばかりに表現していた。
けど、それだけだ。実年齢と不釣り合いな胸の大きさをしていようと、本人が猫背になってまで隠している以上、わざわざ意識して見ない限りそう目立つものではない。
しかし、彼女の父親に限ってはそうはいかない。その190〜200センチはあるであろう巨体は、猫背なんかで隠せるものではないのだ。これで目立つなと言う方が無理である。……まぁ、仮に彼の身長が日本人男性の平均程度だったとしても、私は彼ら父娘に視線を向けていたに違いないが。
私が彼らを意識してしまった理由は、彼らの身体的特徴ではなく彼らの行動にあった。私は見てしまった。父親が娘の名前を呼び、娘の体に手を伸ばした瞬間を。父のその行動に恐怖し、小さな悲鳴をあげながら縮こまってしまった娘の言動を。
『……いやいやアキちゃん。それはないだろ? 服に虫が付いていたから取ってあげただけなのに』
『……え? …………あ』
状況を理解した女の子がゆっくりと顔を上げる。ボサボサの髪の毛、何日着続けたのかもわからない使い倒された衣服。また、よれよれの衣服の隙間からは一瞬だけど痣のようなものが見えた気がした。そんな父娘のやり取りに興味を持った私は、軽めの散歩という当初の目的を忘れて彼らを尾行する事になる。
少しでも面白いと思っていただけたなら下の方で⭐︎の評価をお願いします!
つまらなければ⭐︎一つでも全然構いません!
ブックマーク、いいね、感想などもいただけるととても励みになります!