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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第一章 魔女になった少女
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気色悪い赤ちゃん

 ザンドと出会ってから二度目の春が訪れた。当時中学二年生だった私も、今では高校一年生か。


 小学生だった頃の私には、中学生という存在がとても大人びて見えていた。制服を身に纏い、身長も高く、殆どの人が自分用のスマホを所持している。しかしいざ中学生になってみると、なんて事はない。確かに制服のような大人びた服を着る事は出来たし、身長だって大分伸びた。自分用のスマホだって買い与えてもらえた。でも、それだけだった。制服を着ただけの子供。身長が伸びただけの子供。スマホを持っているだけの子供。私は中学生になった所で、いつもと変わらない私でしかなかった。


 それなのに中学生になってみると、今度は高校生がとても大人びて見えて来る。顔付きも大人っぽいし、バイトだって出来るし、何より高校生は18歳になる事が出来るのだ。中学生になった所で制服を着ただけの子供でしかないと理解したはずなのに、中学生の私は高校生の私に同じような期待を抱いてしまう。


 でも、高校生になっても、やはり学校が変わった以外の変化なんて訪れなかった。車のサイドミラーに写る、高校の制服に腕を通した自分を見てそう思った。


【表情暗いぞー。最初の登校くらいテンション上げてけー】


 最近、ザンドからはよく表情を指摘されるようになった。事実、私はここ数ヶ月間笑った覚えがない。きっかけは言うまでもなく、お母さん003号の死産だ。


 医学に手を出した私は、少し良い気になっていた所がある。同年代がくだらない雑談でへらへら笑っている姿を見る度に、そいつらとは一生縁のないような高度な知識を身につけた自分に酔う事が出来た。それらの知識を魔法として行使する度に、まるで神様にでもなったかのような全能感が私の心を満たしてくれた。


 で、失敗した。私は003号に宿る私のクローンを救う事が出来なかった。私が措置を施すよりも先に003号が破水を起こしてしまったというのもある。でも、仮に私の到着が間に合っていたとしても、きっと私は赤ちゃんを助ける事が出来なかっただろう。自分の実力は、他でもない私自身がよく知っている。


 失敗そのものは別に良い。そんなの、魔法の訓練をやり始めたばかりの頃に腐るほど経験して来た事だ。でも、あの時の失敗に限っては時期がまずかった。魔法に対して半信半疑だった時期に経験する失敗と、魔法を信じきって神様気取りだった時期に経験する失敗とでは、その重みがあまりに違いすぎた。まるで神様になった気でいた私の隣に本物の神様が現れて、己の無力さを徹底的に教え込まれた気分だ。


『イヴ? どうかしたの?』


 車の窓ガラスが開き、お母さんが顔を出す。中々車に乗って来ない私を不思議に思ったのだろう。


『ううん。ちょっと新しい制服が気になっただけ』


『なーにー? 大丈夫よ、ちゃんと可愛いじゃない』


『そうかな? ありがとう』


 私はお母さんに微笑み返し、車のドアハンドルに手を伸ばした。その時。


『……あ』


 スマホが鳴る。それはお母さん005号の緊急事態を知らせる合図であった。


『誰?』


 しかしまさかその事を馬鹿正直にお母さんに言うわけにもいかないので、私はそれっぽい嘘を考えてからお母さんに答える。


『クラスメイト。これから時間の空いてる人達でカラオケ行かないかって』


 スマホをしまい、今度は私からお母さんに訊ねてみた。


『行ってみようかな』


 目を丸くするお母さん。お母さんは私に友人がいない事を知っている。小学生の頃、クラスメイトから度を過ぎたいじりを受けた事で小さな騒ぎとなり、先生が謝罪しにうちまで来た事があるのだ。その日、お母さんはクラスでの私の立ち位置を理解した。


 中学生活において、私は一度も友達と遊んだ事がない。友達の話題を出した事だってなかった。そしてお父さんとお母さんも、そんな私に交友関係に関する話題を振ったりはしなかった。私の前では友達の話題を出さない事。その話題は、我が家における暗黙の了解にも等しい禁忌なのだ。


『イヴ』


 少しの沈黙を経て、お母さんに名前を呼ばれる。


『入学おめでとう。楽しんで来てね』


 そして慈愛にも等しい微笑みを浮かべながら、私に五千円札を手渡して来た。私はそのお金を受け取ろうと手を伸ばす。


『……』


『大丈夫。きっと上手く行くわよ。あなたがどれだけ優しい子なのか、アスタとの接し方を見てきたお母さんはよく知ってる。クラスの子達も、絶対にわかってくれる筈だから』


 するとお母さんは私を励ますように私の手を握って来たものだから。


『ありがとう。ていうか心配し過ぎ。私もう高校生なんだから』


 私はお母さんにお礼を言い、その場を後にし。


『あ、五千円分でお願いします』


 コンビニで五千円分のプリペイドカードを買って、四月の限定ガシャに備えた。ついでに汚れてしまった手のひらも、コンビニのトイレで綺麗に洗い流した。





 約十ヶ月程レンタルし続けたこの部屋も、そろそろ引き払う頃かな。陣痛に喘ぐ005号を見ながらそう思う。


 月経周期を28日として計算した場合、005号の出産予定日は四月二十七日である。それより三週間も早い出産となりそうだが、それでも005号は妊娠38週。早産の基準が妊娠22週〜36週である為、38週も育んだのなら十分健康な赤ちゃんを産んでくれるだろう。


 003号が死産してから四ヶ月。あの時の失態を未然に防ぐ為に、私はこの部屋の監視を徹底していた。005号の身に陣痛が起きてからそろそろ五時間と言ったところか。005号の子宮口は、未だ全開には至らない。


『大丈夫。大きく息を吸って、ゆっくり吐いて。心配いらないよ。今度という今度は絶対に死なせないから』


 私は005号に膝枕をしてあげながら、ギリギリ腕が届く距離にある彼女のお腹を優しく撫でてあげた。


 現在、お母さん005号は出産における第一段階、開口期の真っ只中だ。痛みを伴う子宮収縮が周期的に発生し、胎児の頭が母体の子宮口を少しずつ押し広げて行く。私のスマホに合図が届いた時は、一時間に五回程の陣痛が発生していた。しかしその周期も次第に早まり、現在は一時間に20回以上もの陣痛が005号を襲っている。


『ほら、口開けて? 水分補給しないと』


 私は005号の口元にペットボトルを近づけ、彼女の口に水を注いだ。凄い汗だ。陣痛の頻度や彼女の産道から滴り落ちる僅かな血液が、彼女の出産が間近である事を私に知らせてくれる。破水はまだ起きていないみたいだし、005号の分娩は順調に進んでいると言っていいだろう。


 破水。胎児は子宮の中で、羊水で満たされた羊膜というものに包まれながら、その中をぷかぷかと漂っている。この羊膜が破れて中の羊水が溢れ出る事を破水と呼び、破水が起こればいよいよ赤ちゃんが産まれてくる合図だ。


 また、破水もどのタイミングで発生するかで三つの区分がなされる。陣痛後、子宮口が全開の状態で発生するのが、出産において最も理想的な適時破水。陣痛後、子宮口がまだ全開でない状態で発生すれば早期破水。そして陣痛が始まる前に破水が発生すると、膣から子宮に侵入した細菌に胎児が感染してしまうリスクが生じる前期破水となる。……と、その時。


『005号?』


 押し殺すような呻き声ばかり上げていた005号が、明確な悲鳴を口から漏らした。それと同時に005号の下半身からは、チョロチョロとした尿漏れ音が鳴り出す。しかしそれは尿のような黄ばみがなければ、尿特有のアンモニア臭もしない。私はそっと彼女の頭から足をどけ、代わりに枕を敷いてあげた。そして尿漏れ音の正体を確認するべく、彼女の足元の方へやって来て。


『……そろそろか』


 そして胎児の頭が見え隠れするその様子から、彼女の出産の段階が娩出期に突入した事を知った。


 娩出期。子宮口が全開に広がり、胎児が出てくる時期。チョロチョロ音の正体は破水だった。通常、破水では大量の羊水が溢れ出るものだけれど、羊膜が子宮上部で破れた場合だと、このようなチョロチョロとした弱々しい勢いで流れ出る事になる。この為妊婦の中には、これが破水だと気付かず、失禁だと思い込む人もいる程なのだとか。


『落ち着いて、005号。頭が見え隠れてしてる。二時間以内には生まれて来ると思うよ』


 私は蒸しタオルで005号の汗を拭き、扇風機の風も当ててあげた。また、彼女の震える手も握ってあげながら、緊張を解すように彼女のお腹を撫で回した。


『聞いた事あるでしょ? 呼吸の仕方はひっ、ひっ、ふぅ。二回息を吸って、三回目で大きく吐く。吸う時は鼻から吸って、吐く時は口から吐くといいみたい』


 私のアドバイスを受け、呻き声を混じらせながらも005号は出産時の呼吸法、俗に言うラマーズ法を繰り返した。しかしそれらの呼吸もしばらく繰り返していると、次第に呻き声の割合が増えて来る。陣痛の波が強くなっている証拠だ。


『痛みが強まった? じゃあ少し呼吸法を変えようか。真似してみてね。ひっ、ひっ、ふぅー、ふぅー。ひっ、ひっ、ふぅー、ふぅー。ひっ、ひっでイキんで、ふぅー、ふぅーでイキみを緩めるの』


 私は彼女の手を握る腕に力を込め、彼女に寄り添いながら励ます。


『ひっ、ひっ、ふぅー、ふぅー。よし、もう一回。ひっ、ひっ、ふぅー、ふぅー。うん、大丈夫。ちゃんと出来てるよ。ひっ、ひっ、ふぅー、ふぅー。いいね。あともう少しだから頑張ろうね』


 そしてそんなやり取りを一時間程繰り返した所で。


『……っ、……あ、……うっ、…………い、いだ……いだぁ……っい……あっ……ぐぅ……っ⁉︎』


 遂に彼女の呻き声が、明確な言語へと姿を変える。


『もーう。四ヶ月ぶりに喋った言葉がそれ?』


 クリスマスの日まで、彼女は心の壊れたふりを続けていた。しかしクリスマスの日からは本当に心を壊してしまったようで、およそ四ヶ月ぶりのコミュニケーションに感慨深さを感じずにはいられなかった。


『あ、産まれそう』


 彼女の下半身に目を向ける。それまでは頭が出かかっては引っ込む見え隠れを半々の頻度で繰り返していた私のクローンが、明確に出る方へと動きを推移している。クローンの頭が耳まで露出した所で、遂に私のクローンは頭を引っ込める事を放棄した。産まれる。私のクローンが、後一時間もしない内にこの世に誕生する。


『005号、もう一踏ん張りだよ。今頭が半分出て来た。呼吸を変えよ? 犬みたいに「はっはっはっはっ」って、短い呼吸をやってみて』


 私の指示に従い、犬のような呼吸法へと切り替わる005号。そんな母体に呼応するように、私のクローンもずるずると産道を押し広げながら姿を表していく。


 私は清潔なタオルを用意し、羊水まみれのクローンの顔を拭いてあげた。また、クローンの口や鼻からもダラダラと羊水が溢れ出ている。胎児は子宮の中で全身が羊水に浸かっている為、肺の中も羊水で満たされているのだ。その羊水が口や鼻から出て来ているという事は、自発呼吸を始めようとしている前触れである。私はクローンの口や鼻から溢れ出る羊水も、清潔なタオルで綺麗に拭い取ってあげた。そして。


『よし。お尻まで出て来たよ。一番太いパーツは全部出て来た。後は細い足だけだ。頑張って005号』


 人体において最も太い胴体が出て来た後は、あっという間だった。クローンのお尻が出て来て間もなく、口から羊水を吐き出す事で潰れてしまったクローンの肺に、羊水の代替品が流れ込んで瞬時に膨らんだのだ。


 羊水の代替品。子宮から出て来た赤ちゃんの肺を満たす、羊水の代わり。即ち空気。羊水とは比較にならない大量の空気が赤ちゃんの肺に流入する。それは赤ちゃんが産声をあげる為の引き金だった。


 四ヶ月間、私と005号しか出入りしていなかった広い密室を、第三の声が駆け回る。生だ。生きている声だ。それまでは母体からへその緒を通じて酸素を受け取っていた胎児が、自分の力で酸素を得ようと足掻いている。呼吸。生まれて来た動物が生きる為に行う最初の生存本能。


『……産まれた』


 私のクローンが完全にこの世に誕生するまで、それから十分もかからなかった。あっという間に足が出てきて、それに続いてへその緒と胎盤も排泄される。私は体温調節機能が未熟な赤ちゃんをタオルで包み、また胎盤も赤ちゃんの体より低い位置へと移した。胎盤が赤ちゃんの体より高い位置にあると、胎盤内の大量の血液がへその緒を通じて赤ちゃんの中へ流入してしまう為だ。


『ちゃんと産まれても小さいんだね』


 私はタオルで包んだクローンを抱き抱えながら、その小さな雄叫びを凝視する。003号が産んだ超未熟児に比べれば十分人間らしい体をしているものの、それでも幼児よりも遥かに小さくて、エイリアンに瓜二つのその見た目には、どうしても愛おしさを感じ取れそうにない。それとも当初の予定通り私自身が産んでいたら、こんなものにも母性が芽生えて可愛らしいと思えていたのだろうか。……まぁ。


『気色わる』


 私が産んでいない以上、そんなもしも話の答えを知る術はないのだけれど。


『005号。パス』


 こんな気色の悪い生き物に興味を持てなかった私は、出産を終えてぐったりと倒れ込む005号目がけ、胎盤ごとこのクローンを投げ渡した。


 母を殺された絶望で活力を失い、出産による体力の消耗で気力さえも失ってしまった005号。そんな彼女が宙を舞う私のクローンを見た瞬間、慌てて手を伸ばしたその様の方が、私のクローンよりもよっぽど興味深くて面白いと思った。

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