お前が言うな
【あーあ。どうすんのあれ? 陰キャニートの分際で調子に乗っちゃって。イキった陰キャとか一番キモいんですけど】
家に帰って自室に戻るや否や、私の腕から飛び出したザンドから不満をぶつけられた。ザンドが近代スラングを使う度に思うんだけど、ザンドの語彙力って一体どうなっているんだろう。自発的な行動が出来ないザンドにとって、自分から知識を仕入れる方法なんて限られているはずなのに。イーブィとかクローン動物とか知っているくせに、長いタバコを吸う女は性格が悪いみたいな一般常識は知らなかったりもする。知っている事と知らない事の振れ幅が広すぎるのだ。
『陰キャとかニートとかよく知ってるよね。前々から思ってたけど、どこでそう言うの覚えて来るの?』
【言ってなかったっけ? イヴっちが魔法を使う時って、私とイヴっちは軽ーくシンクロしている状態なんだよ。イヴっちの記憶とか経験とかも少しずつうちの中に流れ込んで来てるの。今はイヴっちの記憶の五割くらいは共有出来てるよ】
それは初耳だった。道理で変な近代スラングをどんどん覚えて行くはずだ。でもそうか。私の記憶を五割も共有されているって事はつまり……。
『へー。じゃあ私が言っていない事もある程度は知ってるんだ。私の事とか、お父さんやお母さんやアスタの事とかも』
【まぁねー】
興味なさげに呟くザンド。まぁ彼らの事に関しては私自身も特に興味はないから、これ以上この話題には触れずに先程の話題へと切り替える。
『004号はあのままでいいよ。あの子は皆んなの道標なの。私に従順になれば優遇して貰えるって理解すれば、他の皆んなも素直になってくれるでしょ?』
【001号は?】
『あれは捨て駒。他の四人のストレス発散道具としてあのまま飼い続ける。クローンなんて一体いれば十分だもん。いじめられ続けたストレスで流産したって別に構わない。逆にあの環境で出産まで漕ぎ着けたら、それはそれで強い子が産まれて来そうじゃない? だからあそこにいる限り001号は永久にビリッケツで、004号は永久に女王様だ。なんなら004号にはどんどん天狗になってもらいたいかな?』
【なんで?】
『だって面白そうじゃん。今はまだいじめられっ子気質が抜け切れてないけど、私の見立てでは一ヶ月もしない内に調子に乗り出して、他のメンバーをこき使うようになると思うな。陰キャって性格歪んでるからね。そんな奴がある日いきなり力を手に入れていじめる立場に回ったらどうなるか』
その答えは今の私を見ればわかるはずだ。言ってしまえば004号はあの小さな箱庭での私である。
『一番調子に乗り出したタイミングで004号の地位を剥奪したら絶対面白いよね。昨日まで女王様気分だった奴を皆んなでリンチにするの。そしたらあいつどんな顔するんだろ。……あぁ、想像しただけでゾクゾクするぅ……っ』
いずれ訪れるその日に期待が膨らみ、胸が高鳴る。胸の高鳴りは私の体を突き動かし、私の指を下着の中へと誘った。
【イヴっちって絶対マゾじゃねえよ……】
が、行為を始める寸前に余計な茶々を入れられたものだから、私は思わず手を止めてザンドに反論してしまった。
『もう、まーた私の事疑ってる。私と五割も気持ちを共有している割には全然わかってくれないんだね。私は正真正銘のドMです』
【どこがやねん】
それでもザンドは私の愛欲を理解してくれないようだから、私は一言一句言葉に変えて、この気持ちをザンドに伝えるしかなかった。
『私さ、あいつらを虐めているとすっごい気分が高揚するんだよね。虐めている事実にじゃないよ? 私が同じ目に遭うことを想像してムラムラするの』
目を閉じると鮮明に思い出す事が出来る。彼女達の絶叫。彼女達の絶望。彼女達の絶念。そしてそれらを一同に味わう事で得られる私自身の絶頂。私にとってはそのどれもが可愛らしくて愛おしい。
『私があいつらにしている事は、全部私がされたい事だよ。殴られるのも、屈服させられるのも、どこかに監禁されて玩具にされるのも。私が泣き叫ぼうがお構いなしに甚振って欲しい。私の全力の抵抗を、絶対的な力でねじ伏せて欲しい。散々虐め抜かれた後に優しくされて、依存させて欲しい。嬲られて、犯されて、そして孕ませられるとか、もう……っ!』
彼女達の絶望を見る度に何度妄想しただろう。いいな。羨ましいな。私の前にもこんな風にいじめてくれる人が現れてくれないかな。
年齢で言えば20〜25くらいの清潔感のある優男。身長で言えば最低でも私より頭一つ分は高い人。なんなら身長は高ければ高い程望ましい。それでいて性格は誠実で、マメで、人望もあって顔も広い。私が不機嫌そうにしていたら、私の気持ちにいち早く察して尽くしてくれる。欠点を探す方が難しい、そんな誰もが羨むような彼氏と付き合いたい。そんな彼氏に愛される姿を知り合いに見せつけて……。そして虐待されたい。
優男なのは外面でいい。部屋で二人きりになり、周りの視線がなくなった途端に豹変して欲しい。
狭い部屋に監禁されて虐待されたい。私の人としての尊厳を全て踏み躙られながら物として扱われたい。圧倒的な身長から見下され、力では決して敵わない事を理解した上で心の底から屈服したい。身長差というのは体格差であり、体格差というのは体重差でもある。動物というのは、武器を使わない限り自分より大きな相手には決して敵わないのだ。私よりも高い身長から私の事を見下して欲しい。私はそんな彼を見上げながら、この人には決して敵わないのだと言う屈服感に満たされたい。……でも。
『……でも、ザンドのせいでそう言うのは出来なくなっちゃった。私、そんじょそこらの人よりよっぽど強いもん。ザンドを使えば大抵の人間は簡単に返り討ちだよ。だからと言ってザンドを使わなかったら、それはもう全力の抵抗じゃなくなる。私は手加減しないと誰かに支配して貰えないんだ。わざわざ手を抜いて自分より弱い人に支配されるとか……そんなの馬鹿みたいじゃん?』
その願いが一生叶う事がなくなってしまったのは、とっくに理解していた。
『だからあいつらを私に見立てて妄想しているの。妄想だけで我慢しているの。私の願望も、私の嗜好も、私の劣情も、あいつらに全部ぶつけてね』
そんな私の主張をザンドが信じてくれたのかどうかはわからないものの。
【うわー……((((;゜Д゜)))))))】
ザンドは相変わらず時代遅れの顔文字を使ってその心情を表現したので満足だった。私は中断してしまった行為を再開するべく、今後の004号の処遇及び処遇を受けた004号の絶望に心躍らせながら、再び下着の中へと指を伸ばした。
監禁生活六週間目。
『……』
しかし、それからたったの一週間で私の楽しみは潰える事となる。私は床に垂れ流された004号の血液を見ながらそう悟った。
『ごめんなさい……っ』
それらしい兆候は四日前には既に現れていた。その日、004号が日課である001号いじめに加担しなかった為、理由を聞くと腹痛のせいであまり動けないと訴えたのだ。
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!』
まさかとは思ったけど、予想は当たっていた。止まっていたはずの004号の生理が再開したのだ。その血液を人差し指で触ってみると、通常の血液と比べてドロッとしたねちっこい感触が指先に宿る。間違いない。子宮内膜の混ざった月経血だ。004号は流産していた。私はひたすら土下座と謝罪を繰り返す004号の方へと振り向き、彼女の顔をそっと上げさせた。
『用済みになっちゃったね』
怯える004号にそれだけ言い残し、私は部屋の出入り口の方へと足を伸ばしたものの。
『ま、待って!』
004号に足を掴まれた。視線を下ろすと、004号は這いつくばりながら縋るような視線で私に訊ねる。
『わ、わた、私……どうなる、ん……ですか?』
『……』
『用済みって……で、でもわ、わたた、わ、私……その、一位だって……っ、女王様だって……!』
『……』
『私……っ、殺され……』
酷い声色だ。恐怖で感情と表情が雁字搦めにされている。彼女はお母さん達の中で最も忠誠心が高いお母さんである。いずれ天狗になった所でいじめ抜くつもりだったとは言え、しかしそうならなかった以上彼女はただの模範囚だ。そんな模範的な彼女をこれ以上怖がらせるのも可哀想だし、すぐに楽にしてあげようと思った。だから私は。
『帰っていいよ?』
部屋の扉を開け、外の廊下を指差した。
『……え?』
『だから帰っていいよ。用済みだから』
『……』
『何その顔? 別に私は快楽殺人者とかじゃないよ。ムカつく人以外に手は出さないって。まぁ、ここの事を誰かに言ったりしたら話は変わるけどね』
『……』
しかしそれから更に二週間後。私は004号を殺さずに解放してしまった事を深く後悔する事になる。
監禁生活八週間目。
『その……』
『……』
『ご……、ごめんなさい』
二人目の流産者が現れる。今度は002号の月経血が、彼女の生理が再開した事を教えてくれた。
『参ったなぁ……』
床に広がったその血液を掃除しながら私は溜息を吐く。まさかこの短期間で二人も流産するだなんて思ってもいなかったからだ。
想像妊娠。自分が妊娠したと勘違いした際に稀に現れる妊娠の症状。脳が妊娠したと錯覚する事で、妊娠時と同様のホルモン分泌が行われて発生する現象だ。そしてこの想像妊娠と言うのは、動物の世界においても起きたりする。群れの中に妊娠したメスが存在すると、妊娠していないメスがあっちの体の方が正常なのかも知れないと誤解し、そして想像妊娠が発生するのだ。
もしかしたら今、この場所ではその逆パターンが起きているのかも知れない。004号の流産を皮切りに、どんどん他のお母さんも流産して行ったらどうしよう。たったの二ヶ月で二人も流産してしまったのだ。残りのお母さん候補はたったの三人。彼女達が八ヶ月後の出産まで漕ぎつけられる可能性は……。
『あ、あの!』
と、その時。失意の念に囚われた私の鼓膜に、一つの真実が降り注いだ。声のした方に目を向けると、そこにはお腹以外の至る所に痣と火傷痕、そして複数のピアス穴の空いた001号が、血走った視線を私に向けている。
『ゴミ箱の中を見てください』
『ゴミ箱?』
私が訊ね返すと、001号よりも先に002号の方が反応を見せた。しまったとか、やらかしたとか、まるで悪戯がバレた子供のような動揺がわかりやすいくらい表情に出ている。私は001号に言われるがままゴミ箱を漁り、そして。
『……これって』
その中から歯で噛み切ったような痕跡のある、封の空いた乾燥剤が数個見つかった。私は思い出す。それまでは雑誌や新聞のような、外の情報を得られる情報媒体を欲していた002号が、ある日を境にお菓子や菓子パンを要求するようになっていた事を。そしてそのある日と言うのが、004号が流産したあの日であったと言う事を。
私はスマホを取り出し、とりあえず昨日の分の映像を再確認してみた。すると002号はお菓子や菓子パンを食べる際、行儀悪く寝そべりながらそれらの嗜好品にありついている。なるほど。カメラの死角になるように背中を丸めて乾燥剤を食べていたのか。
『002号』
002号の方に視線を向ける。言葉はなくとも彼女の怯え切った表情が、私の予想を確信へと変えさせた。
『流産したら解放されるって思っちゃったんだね。あー、しまったなぁ……。このパターンはちょっと考えてなかったよ。こんな事なら流産した見せしめに004号ちゃんは殺しておくべきだった』
肩から力が抜ける。自分の甘さに溜息が出てしまいそうだ。あれだけ痛い思いをして採卵した卵子が一つ無駄になってしまった。
『ザンド』
私は002号に魔法をかけた。何か弁明をしようとしたのか、002号の口が開いたのだ。けれど私は彼女の弁明を聞くつもりはない。ここから先は私が一方的に言葉をかけるだけだ。私は魔法で黙らせた002号の肩を掴み、敵意も殺意も微塵も隠さずに詰め寄った。
『002号さ、仮にも調理の専門学校に通ってるわけじゃん。ならこう言うのって一番やっちゃいけないやり方なんじゃないの?』
流産になるのは仕方がない。クローン胚を子宮に移植しても、そのまま順調に妊娠の経過を辿れるのはおよそ十人に一人だ。そして無事に出産まで成功する確率は、その更に50%。これは動物実験のデータだから一概に人間にも適用されるとは思わないけれど、しかし参考になるデータである事に変わりはない。彼女はその貴重な成功例の一つになるはずだったのに……。
『一応自分の意思で流産したとか思ってそうだから訂正しておくけど、乾燥剤に含まれている塩化コバルトには確かに毒性があるよ。皮膚や粘膜に付着すれば損傷するし、消化器や循環器に障害を残したりもする。でもそれは純度の高い物を大量に摂取した場合の話で、少なくともお菓子の乾燥剤に含まれている程度の量じゃ、よっぽど耐性が低くない限りは大きな問題は出ないの。だからこんな物を食べなくても、002号はどっちみち今日流産するはずだったんだよ。呆れた。ご両親から安くない学費を払って貰っておいてそんな事も知らなかったんだ。……もったいないね。こんな真似をしなかったら普通に解放してあげたのに』
すると002号は私の腕を振り払い、私から距離を取った。しかしそれが逃亡の意思表示でない事はすぐにわかる。002号がその場で土下座をしたからだ。声を封じられた彼女なりの弁明なのだろう。声に出さなくても彼女がごめんなさいと泣き叫んでいるであろう事は容易に想像出来た。
『ごめんなさいじゃないよ。バレて謝るくらいなら最初からしなきゃよかったのに』
私が002号の側へ接近すると、今度は私の足にしがみつきながら、涙で溢れた瞳からすがるような眼差しを向けて来た。なんとなくだけど、口の形からして「もうしません、許してください」と言っている事だけは察する事が出来た。
『もうしませんでもない。今やっちゃった事が問題なの。乾燥剤が直接的な流産の原因にならなくても、002号は流産しようとしてこれを飲んだんだもん。別に流産した事は罪じゃないよ。でも、流産の為に乾燥剤を飲んだその行動は間違いなく002号の罪だよね。わかる? 私、今怒ってるんだよ』
私はその場でしゃがみ、002号の髪を掴み上げて彼女と視線の高さを合わせた。そして私の中で渦まく怒りを言葉に乗せて、彼女の顔へ浴びせるように吐き捨ててやった。
『命を何だと思ってるんだッ!』
002号にはキツいお仕置きが必要だと、そう思った。
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