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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第一章 魔女になった少女
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退屈よさようなら

『……』


 昼食の時間が始まる。それは私がトイレに行く合図でもある。トイレの個室で便座に腰を下ろし、扉に鍵をかけた。服を捲り、お腹を露出させる。食事を摂る前に必ずやらなければならない日課、インスリン注射だ。


 ①物を食べる。


 ②食べた物が胃で消化され、小腸へ送られる。


 ③小腸では栄養分の吸収が、大腸では水分の吸収が行われ、それらは全て血管の中に送り込まれて全身を循環する。


 ④血管の中に栄養が送り込まれると血糖値が上がる。血糖値の上昇を体が検知すると、膵臓からはインスリンが分泌される。


 ⑤インスリンには血中の栄養分を血管の外に出して、全身の各細胞へ送り届ける働きがある。この五つの工程を経る事で、動物は栄養を獲得する。


 この内④か⑤の工程、もしくはその両方に問題が発生すると、人はそれを糖尿病と呼ぶ。


 私が発症している1型糖尿病は、④の工程に障害が発生する病気だ。


 免疫。それは外から侵入した菌などに対して作用する生体防御反応だが、幼い私は免疫系に不具合を起こし、本来は外敵のみを攻撃しなければならない免疫によって膵臓の細胞を破壊し尽くされた。それにより私の膵臓はインスリンが分泌出来なくなってしまう。その為こうしてインスリンを外部から注射しなくては、私の細胞は血液中の栄養分を受け取る事が出来ないのだ。とんだポンコツ品である。


 幼い頃にそのような不運に恵まれなくても、結局私は糖尿病の家系だ。両親共に遺伝性のある2型糖尿病を患っていた為、どうせいつかは2型糖尿病に苦しむ事になっていただろう。


 2型糖尿病。⑤の工程に障害が発生する事で引き起こされる糖尿病。インスリンは正常に分泌されるが、肝心の細胞がインスリンの効果を受け付けられず、血中の栄養分を受け取れなくなってしまう病気。それでも患者の殆どが幼い子供である1型糖尿病と違い、2型糖尿病の患者は食生活の乱れた中年が大多数を占めている。どうせ糖尿病にかかるなら、若い内に好き勝手食べられる2型糖尿病にかかった方がまだ幸せだったのかも知れない。


 私は注射セットをポーチの中にしまい、自分の教室へと足を戻した。


『……』


 そして私は教室の入り口で立ち尽くす。私の席に見知らぬ女子が勝手に腰を下ろしていて、後ろの席の生徒とお喋りに花を咲かせながら自分の昼食を摂っていたのだ。私の席に腰掛ける子も、その子とお喋りをしている後ろの席の子も、去年は別のクラスだった。だから知らなかったのかも知れない。


 昼食時に私が席にいないのは、既にお弁当を完食したからではない。インスリン注射の為に一時的に席を空けているだけだ。ていうか昼食の時間になってまだ十分も経ってない。そんな短時間で席を空けるわけないじゃん。そんくらいわかれよ。そもそも空席だからって人の席に勝手に座るその神経が理解出来ない。


 お腹に軽い圧迫感が宿った。ザンドがお腹から出てきた感触だ。私は服の上からザンドを抱き抱え、そして小声で魔法を唱えた。


『……ザンド』


 ザンドは魔法を使うと発光する。けれど昼間の教室だし、そこまで目立った光は出なかったはずだ。まぁ仮に目立った発光をしたとしても、教室の真ん中で二人の女子生徒が同時に倒れたのだ。みんなの視線はザンドの発光以上にそっちに向けられていたに違いない。


 私は意識を失った二人を他所に鞄の中から自分のお弁当を取り出す。そして絶叫とどよめきが充満した教室に背を向け、静かにお弁当を食べられる安息の地を求めて旅に出た。


『春だねー』


 とは言っても午後にも授業がある以上、そんな遠くに行く事は出来ない。私がたどり着いた安息の地は、壁抜けの魔法で忍び込んだ屋上だった。扉は封鎖されている為、私以外に人は誰もいない。私だけが独占出来る静かな空間。逃げるように教室を後にしたものの、これは中々いい食事場所を見つけてしまった。


 ……あー、いや。静かな空間というのは訂正しよう。完全に私のせいだけど、静寂な時間はあっという間に終わりを告げだ。救急車のサイレンがうるさいや。


 高めの柵に身を預け、背伸びをしながらなんとか首だけ乗り出すと、地上では二台の救急車が校内へ立ち入っている。私が魔法で倒した二人の悪魔を助ける為に来たのは明白だ。救急隊員の人、必死な顔を浮かべてるな。こんな春先から人命救助だもん、そりゃあ大変だよ。お仕事お疲れ様ですとしか言いようがない。あんなに一生懸命働いているんだ。あの人達の頑張りが報われる為にも、担架で運ばれて行った二人が助かるといいな。


『いただきます』


 屋上に設置された梯子を登り、給水タンクの隣に腰を下ろした。空の旅は既に何度も経験しているけれど、高い所で食べるご飯はなんだかわくわくする。街を一望出来る景観の良さもさることながら、地上を行き交う人々を観察するのも中々にして面白い。特に今は季節が季節だから、学校の近くのお花見スポットでは、平日であるにも関わらず、色んな人達が馬鹿騒ぎをしながらお花見を楽しんでいた。


『あ』


 そんな中、後片付けをしている花見客の集団が目に入る。いや、あれは後片付けと言うより後散らかしだ。自分達が持ち込んだ食べ物のゴミを放置しているのだから。


『ダメだなー。日本人は民度が高いって有名なのに』


 私はポケットの中から複数のビー玉を取り出す。とても薄汚れた、誰もが一目見ただけで毒々しい印象を持つであろうビー玉達だ。まぁ実際、中に入っているのはこの半年間であちこちからかき集めた毒そのものなわけだけど。


『ザンド』


 私は学校の屋上から地上の花見客を眺めながら、散らかしたゴミを持ち帰らない花見客一人一人に魔法をかけていった。使った魔法は瞬間移動の魔法だ。ビー玉の中に閉じ込めた、日本各地から集めた多種多様な食中毒原因食。それらを彼らの胃の中目掛けて次々と転送していく。


 フグの卵巣及び肝臓を胃に入れられた彼は、テトロドトキシンの作用で30分〜3時間以内に唇や舌の痺れ、知覚異常のような症状が発生すると思われる。重症化すれば言語障害、歩行困難、血圧低下、神経症状、呼吸困難、意識混濁などが起こって死ぬはずだ。


『ザンド』


 自然界最強かつ人間が開発したどの化学兵器をも凌駕する致死率を持った毒素、ボツリヌストキシン。その産生菌であるボツリヌス菌が大量繁殖したハチミツを胃に送られた彼がボツリヌス中毒を発症するのは、今からおよそ8〜36時間後と言ったところか。アセチルコリンの遊離が抑制され、筋肉麻痺が発生し、呼吸筋の動きも止まる為、発症後は早急に人工呼吸器による処置を行わなければ死は免れない。


『ザンド』


 毒キノコの採取には相当苦労した。通称、キノコ毒素四天王と呼ばれる有名なキノコ毒にはムスカリン、アマニチン、ムスカリジン、イルージンS等が存在するが、キノコ毒の多くは嘔吐作用が伴う為、毒を吸収される前に吐き出してしまい死に至らないケースが多々存在する。なのでこの中でも特に毒性が強いアマニチンを含んだキノコであるシロタマゴテングタケとタマゴテングタケを探し回ったけど、素人目には中々キノコの判別が難しかった。そんな苦労をしてまで採取したキノコなのだ。十時間後、彼女がコレラ様の下痢に苛みながら腹痛と嘔吐を繰り返し、細胞破壊及び肝腎障害を引き起こす様は是非とも見てみたいものだ。


 もちろん他にも用意した毒は沢山ある。記憶喪失性貝毒であるドウモイ酸を含んだホタテガイやアンチョビ。致命率は低いものの、回復に数週間から数ヶ月の時間を要するシガテラ食中毒の原因食であるバラフエダイやドクウツボ。また、大腸菌性食中毒の中でも屈指の致命率を誇る腸管出血性大腸菌O157を得る為に牛の糞だって採取した。


 多種多様の毒が込められたビー玉達。この半年間、解剖学から始まって様々な医学書に目を通して来た。このビー玉は私の知識の結晶と言っても過言じゃない。……しかし。


『つまんない』


 はっきり言って、このやり方は大外れだった。


『つーまーんーなーいー!』


 遂に私は正義の執行を放棄し、地面に横たわりながら駄々まで捏ねてしまう。しかし実際につまらないのだから仕方がないのだ。だってこれ、殺した実感が全く湧かない。毒と言うのは効き目が現れるまでにどうしても時間差が出るものだ。私の見ていない所で勝手に死ぬのだから、そりゃあ殺した実感も湧くはずがない。だからと言って毒を盛った相手一人一人をストーキングするのも手間だし。……いや、ていうかそもそもの話。


『……なんか最近、マンネリ』


 相手を即死させる魔法を使った所で、かつてのようなスリルを味わえなくなっている自分の存在に気づいてしまった。


 あの夜、とある会社に忍び込んで警備員の人を殺した時。私の手からは確かに震えが止まっていた。けれど止まったのは手の震えだけであって、心は確かに震えていたはずなんだ。


 慣れだ。私は慣れに屈してしまった。初めて遊ぶゲームは、そりゃあ楽しい。けれど二日、一週間、一ヶ月が経っても初心を忘れずに楽しめる人って、果たしてどれだけいるのだろう。


 クラスメイトの二人に魔法をかけた時、私の心は微塵も震えなかった。小学校低学年が解くような単純な算数ドリルを解いている気分に近かった気がする。解けて当たり前。出来て当たり前。1+1の計算式を解くような虚しさだけが私の心を満たしていた。


『ねぇ。私達もデスノートみたいに、これから殺す奴ら全員心臓麻痺で殺しちゃわない? 連日ニュースで取り上げられたら絶対楽しいよ』


【ダーメ。うちの元ゴシュがどうやって死んだのか何回も話したでしょ? うちの元ゴシュはイヴっちの何倍も強い。それなのに団結した人間の数の暴力には敵わなかった。原始的な武器しかなかった中世でこれだもん。現代の人間が団結したらイヴっちなんかイチコロだよ。大事を起こすのは許しません。ただでさえ前に新宿で殺しまくった時もニュースになってて焦ったのに】


『ぶー』


 ケチなザンドに向かって不満を漏らす。


【あ、それ可愛い】


 でも褒められたのが嬉しかったから、思わず笑みが漏れてしまった。ザンドを抱きしめて頬ずりまでしてしまう。とは言え。


『……暇だなー』


 この退屈から抜け出す方法は、早急にでも考えなければならない。


 魔法が上達するのは素直に嬉しい。けれど私の魔法で出来る事が増えて来ると、それに比例して私の退屈も増して行く。出来ないと思っていた事、或いは出来る自信はないけど挑戦してみた事。そう言った試練を乗り越えた上での成功体験こそが人生を彩るスパイスなのだろう。


 全能には遠く及ばない魔法でこれなんだ。この世に真の全知全能な神様がいたとしたら、その人は一体どれだけ退屈な思いをしているのだろうか。


 何かないものか。退屈を乗り越える楽しい事。成功の為に頑張り続けて良かったと思える、そんな大きな事。


『……』


 そんな私の視界に、とある花見客の家族が映り込んだ。言っちゃ悪いけど、こんな平日の真昼間からお花見をしているような家族だ。親と思われる男女の容姿からはやんちゃの名残りが残っているし、その子供も幼稚園児程度の年齢だろうに髪色は金色に染められていて育ちの悪さが伺える。


 子供の両親は、子供を放ったらかしにしながら友人と思われる人達と楽しそうに馬鹿騒ぎに身を投じていた。そして両親に見放された彼は、一人寂しく遊んでいる。ロボットの玩具らしきものを振り回しながら、存在しない敵と戦っていた。


『……ロボット』


 そこで私はふと思い立ち、魔法を唱えた。


『ザンド』


 そして現れたのが、全長五センチにも満たないであろう手のひらサイズのロボットだ。私の手のひらの上でウィーンガシャンと、その小さな体を懸命に動かしながらロボットダンスを披露していた。


『今の実力じゃこのくらいが限界かな?』


 あの男の子が持っているロボットと同じサイズのロボットを作ろうとしたものの、いかんせん無から有を作り出す高等魔法だ。私の実力ではこの程度が限界らしい。とは言っても無から有を作り出したわけだし、これだけでも十分な出来と言えるだろう。


『ねぇ。魔法の効力に期限ってある?』


 私はその小さなロボットを見ながらザンドに問いかけた。


【期限って?】


『例えばこのロボット。私が魔法を解かなかったらいつまで存在し続けるの? 前にかけた記憶力を上げる魔法は今も続いてる感じはするけど、でも前に比べたら暗記効率も結構落ちて来てるから気になって』


【あー、そう言うのは今まで意識した事ないや。でも元ゴシュがばら撒いた菌って、今もまだ繁殖を続けてこの世界に残ってるんでしょ? なら規模にもよると思うけど、今のイヴっちでも二、三年くらいなら維持出来るんじゃね?】


 二、三年か。ならこう言うのはどうだろう。


『ザンド』


 私はそのロボットに魔法を重ね掛けしてみた。するとロボットの体積が僅かに増える。私の手のひらにかかる負担も大きくなった事からも、ロボットの質量が増えたのは明らかだった。


【さっきから何してるの?】


 私の行動を不審に思ったザンドが訊ねる。


『魔法の掛け合わせだよ。魔法の質を下げる事、複数の魔法を掛け合わせる事、道具なんかを使って魔法のサポートをする事。大きな魔法を成功させる為の三つの秘訣でしょ? 最初から大きいサイズのロボットを作れたら良いんだけど、流石にそれは無理そうだし。だからちまちま巨大化の魔法をかけて大きくしてみようかなって』


【どれくらい?】


『100メートルくらい』


 ザンドが言葉を失う。相変わらず表情のないザンドだけど、それでも私には絶望で言葉を失ったわけでない事はよくわかった。精霊は主人の性格に強く影響を受ける。私達の場合はその逆が起こる可能性もある。どちらにせよ、私達の性格は似て来ている。ならばザンドの気持ちも私と同じはずなのだ。


『ザンドが大事を起こしたくないのって、私が機動隊や自衛隊に殺されるのが嫌だからなんだよね? でも前にも言ったけど、私はどんなに長くても高校生のうちには死ぬつもりだよ。三年以内には絶対に死ぬって決めてるの。だったら効力が持続する二、三年とちょうど噛み合うね?』


 自分で言っていて胸が高鳴って行くのを感じた。ザンドとの半年間を過ごす内に忘れかけてしまったあの日のワクワクが、再び私の心を内側から満たしていく。


『見てみたくない? 大きなロボットが、巨大なドリルで、街をズガガガガーってする所』


 退屈の抜け道なんていくらでもあった。退屈を患う度により大きな目標を掲げて努力すれば、人は死ぬまで退屈を味わう事がないのだ。

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