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異世界で小学生やってる魔女  作者: ちょもら
第一章 魔女になった少女
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私だけが家族じゃない家族

 春になる。ザンドと出会ってから、およそ半年の月日が流れた。先日始業式を終え、今日から中学最後の一年間を過ごす私の門出となる朝食は、いつもと変わらぬ淡白なものだった。


 糖尿病だけを発症させていた頃の私と、糖尿病の影響で腎不全を発症させた今の私では、推奨される食事の栄養バランスが異なって来る。糖尿病時代は血糖値をコントロールする為に糖質と脂質が控えめで、代わりにタンパク質を積極的に接種する事を推奨されていた。


 しかしタンパク質と言うのは消化、吸収、代謝をする過程で腎臓における処理が必須である。腎機能が完全に停止し、おしっこさえ出なくなった今の私にとって、タンパク質という栄養素はまさに毒そのもの。今ではタンパク質の摂取を控えなければならず、それによるエネルギー不足を高糖質高脂質の食事で補う日々である。


『おはよー』


 起床を果たし、リビングへ足を運ぶといつもの面々が既に朝食を摂っていた。


『おはよう。イヴ、最近ちょっとお寝坊気味じゃない? もう春休みだって終わったんだから』


『もー。別に遅刻してるわけじゃないんだからいいでしょ?』


『お勉強の方はどうなの? 今年から受験生なのよ?』


『夏くらいから頑張りまーす』


『そんな油断して……。それで取り返しのつかない事になったら』


『お母さん』


 私はお母さんの言葉を堰き止めた。お母さんの言葉を堰き止めるに値するだけの事が、お母さんの体には現れていた。


『なんか目が黄ばんでない? 肌も少し黄色っぽい気がする』


『……え?』


『黄疸かもね。胆色素代謝異常が起きてるんだよ。お母さん色々お薬飲んでるし、その副作用でビリルビンの取り込みやグルクロン酸抱合、胆汁排泄機能の低下なんかが起きてるのかも。肝細胞が壊死して胆汁が類洞に流出してる可能性もある。黄疸で一番よく見られる病気が急性肝炎だし。だとしたら血圧降下剤の副作用で溶血が起きてる可能性も視野に入れた方がいいかも。高度の溶血でビリルビンの生成速度が肝臓の処理能力を追い越しちゃったかものしれないし、だとしたら処方されてるお薬を変えないとね。あとは胆石なんかで胆道が閉塞したり狭窄している可能性も考えられるけど、でもお母さんって食事には気を使ってるしそれはあまり考えられないか。あー、でも腫瘍が胆道を閉塞する事もあるんだよね。膵臓癌とかになってたら大変だし、出来るだけ早い内に病院で検査して貰った方がいいよ?』


 私の忠告を受け、文字通り目を丸くするお母さん。中三の私の口からこんな忠告が飛び出して来るなんて思ってもいなかったのだろう。


『そ、そう……。勉強はちゃんとしているのね。何の勉強かはわからないけど』


 私も私で人の死に方について独学で学んでいるだなんて、口が裂けても言えないけれど。


『そうね。とりあえず病院で相談してみるわ。イヴも早く食べちゃいなさい』


『はーい』


 お母さんに促され、用意された朝食に口をつけた。野菜が多めで申し訳程度のハムが添えられたサンドイッチだ。マヨネーズも低タンパクかつ減塩の物が使用されている為、素材の味を存分に楽しめる朝食と言えるだろう。素材の味しか楽しめないクソみたいな食事だ。こんな生活が数年続いた今でも、かつて味わったパン屋さんの味の濃いパンの味が鮮明に思い出す事が出来る。そして思い出す度に、今となっては二度と味わえないかつての味を憎むばかりだ。


『はい、アスタ。あーん』


 向かいの座席に目を向けると、言葉もまともに話せない幼い弟にお母さんがミートスパゲティを食べさせていた。ご飯を口に入れて貰う度に『あー』だの『だー』だの言いながら笑顔を浮かべる弟の姿も、私を腹立たせる要因の一つだ。


『あーこらこら! やめなさい、ばっちい』


 お母さんのミートスパゲティの味がよっぽどお気に召したたのだろう。アスタが目の前のパスタを手掴みしたものだから、お母さんは慌ててアスタを制止した。


 そんな二人の様子を見ながらふと思う。そういえば最後に麺類を食べたのはいつだっただろう、と。腎臓を壊した私はおしっこを作る事が出来ない。健常者なら常識の範疇でどれだけ水分を摂取しようと、余分な量はおしっことして排泄する事が出来るけど、私にはそれが出来ないのだ。私が水分を摂取すれば、摂取した水分はそのまま血管の中に蓄積されて行く。二日に一回の透析で水分を外に出さなければ、私の血管は水分によってパンパンに膨らんでしまうのだ。


 これが限界を迎えると、水分は血管の外へと漏れ出てしまう。漏れ出た水分は心臓や肺を圧迫し、私の鼓動と呼吸を妨げる。また、漏れ出た水分が他の細胞に吸収されれば全身がむくみだし、ぶちゃみと呼ばれるきっかけとなったかつての醜い自分に逆戻りだ。


 私に許された水分摂取量は一日につき一リットル。水そのものの量ではなく、食事に含まれる水分も含めて一リットルだ。茹でる事で水分を多量に吸収する麺類を食べると、その日摂取していい水分量の計算がややこしくなる為、もう長い間食べていない。そしてこれからも食べる事はないのだろう。遥か昔、アスタも生まれていなかった頃の真冬の帰り道。両親と一緒に入った中華料理屋さんで、熱々のラーメンをスープまで飲み干しながら体を温めたかつての記憶が蘇る。もはやそんな思い出さえも私をイライラさせる要因の一つにしかなり得ない。……そんな時。


『あーっ!』


『アスタ⁉︎』


 アスタの叫び声と共に、私の胸に柔らかい衝撃が走った。視線を下げると、私のパジャマの胸部にはミートスパゲッティの塊が乗っかっている。視線を上げると、アスタはミートソースに塗れた指をちゅぱちゅぱとしゃぶりながら笑顔を浮かべていた。あの手に握られたパスタが私に投げられたのか。頬や手にも温かい感覚が宿っているし、投げられた衝撃でミートソースの一部が私の顔や手に飛び散ったのは明白だった。


『アスタ! 何してるの⁉︎ もーう、パジャマだったからまだ良かったけど制服だったらどうするの……?』


 お母さんに叱られてもなおアスタは笑顔を崩さない。言葉がわからないアスタには叱られている自覚さえないのかもしれない。


『アスタ』


 だから私は立ち上がり、アスタに接近し、そして彼の顔に手を伸ばした。


『食べ物を粗末しちゃダメでしょ?』


 アスタの顔に手を伸ばして、その頬を軽くつねった。


『あー?』


『あー? じゃなくて、ダメなの。めっ!』


『め?』


『そう。めっ!』


『めー!』


 大きな声を発しながら両手を上げるアスタ。


『わかればよし』


 私はアスタに微笑みかけ、そして洗面台の方へと足を向けた。


『ちょっと洗ってくるね』


『ごめんねイヴ……。新学期早々こんな目に遭わせて』


『しょうがないよ。アスタにはわかんないもん』


『ありがとう。優しいお姉ちゃんで助かるわ』


『そんな事ないよ。普通だよ普通』


 私は散らばったミートソースを片付けるお母さんに背を向けてリビングを後にした。そんな私の顔から笑顔が抜け落ちるまで、十秒もかからなかった。


『……』


 鏡に写る私の顔はどこまでも無表情だった。この一分間でアスタの行動が何往復も頭の中でループされる。アスタの笑顔が再生され、ミートソース塗れのアスタの手が再生され、その手をしゃぶるアスタの行動が再生される。その度に私の皮膚は無数の鳥肌で覆われて行った。


『……クソ』


 その声がリビングに届く事は決してない。リビングからは距離があるし、小声で呟いているし、何より勢いよく捻った蛇口から流れる水道水の音が私の声を掻き消してくれるからだ。


『……汚ねえんだよクソが。……殺す。殺す殺す殺す殺す殺す。……あいつら、いつか絶対殺してやる』


【今殺せばいいじゃん。いつもみたいに】


 そんな私を宥めようとしているのか、それとも更に煽っているのかはわからないけれど、私の皮膚から飛び出したザンドがそう語りかけて来た。


『……そういうわけにはいかないよ。私、まだ未成年だもん。ムカつくけどあんな親でもいないと生きていけないんだ。あいつらを殺したら私の生活に支障が出る』


【別に良くね? 今のイヴっちなら並大抵の事は出来るじゃん】


『……』


 ザンドの言葉に間違いはなかった。魔法訓練開始から半年。ザンドによると、現時点での私の魔法の腕前は、異世界留学六年目に相当する魔女の子と同レベルにまで上達しているらしい。それは下級魔女から上級魔女になれる素質を持つ程、魔法の腕前が上達している事を意味していた。


 例えば空を飛ぶ魔法。半年前までは歩くスピードとほぼ同一だったのに、今では全力で漕いだ自転車と同程度の飛行が可能となっていた。


 透明化の魔法の腕前も中々の上達具合だと思う。以前は服や持ち物の一部が透明化されない非常事態に幾度となくぶつかったものの、今では私に触れた物に触れた物に触れた物に触れた物までの透明化なら確実に果たせるようになった。また、以前のような僅かに景色が歪む不完全な透明化も、時間制限の縛りを設ける事で完全な透明化を実現出来るようになる。体感的に二時間前後の透明化なら、完全な透明化を果たせるようにもなったはずだ。


 壁抜けの魔法だって使い勝手が大分向上した。薄い壁なら、窓ガラスのように部屋の向こう側が視認出来なくてもすり抜けられるようになったのだ。おかげでよっぽど壁の分厚い高級住宅でもない限り、私は自由に各種建造物への出入りが可能となった。


 もちろん使えるようになった魔法はその限りではない。魔法というのは万能でこそないものの、しかし限りなく万能に近い存在なのだと、私はこの半年間で身をもって味わっている。食べ物を生み出す魔法、家を建てる魔法、玩具を作る魔法、時間を止める魔法、身体能力を上げる魔法、頭を良くする魔法、別の何かに変身する魔法、手を使わずに物を動かす魔法、気温を操作する魔法、天気を操る魔法、怪我や病気を治す魔法、失くしたものを見つける魔法。当然そのどれもがいくつかの縛りを設けなければ実現出来ない魔法ばかりだけれど、しかし言葉で言い表せられる大抵の事柄は全て魔法で起こせる事実に変わりはなかった。


【お金がないなら盗むなり作り出すなりすればいい。住む所や着る物だって魔法で生み出せる。一つの魔法しか使えないウィザードと違って、魔女の魔法は出力こそ低いけど、言葉で言い表せる事は大抵実現出来るんだ。生活に困る事は絶対にないよ】


 ウィザードか。前にザンドが言っていたっけ。魔界に住む男の魔法使いで、一つの魔法しか扱えない代わりにその出力は絶大。例えば冷気を操る魔法を扱うウィザードなら、一瞬で絶対零度まで到達する事も可能だとかなんとか。魔法の存在しない異世界へ子供を留学させる魔女の伝統だって聞かされている。この半年間で、それはもう様々な魔界の話を聞かされたものだ。


『……ううん。それでもやっぱり保留にしておく』


【どうして? 流石に自分の家族はビビる?】


『……』


【もう百人近く殺してるくせに】


 そこで私はザンドが私を宥めているのではなく、私を煽る為に語りかけて来たのだと明確に判断した。かつてこの世界に未知の菌を持ち運び、世界人口の三分の一を消し去った魔女に仕えていた本だ。それから千年近くが経った今も、ザンドの残忍性は健在である。


『知ってるくせに。あいつらは家族でもなんでもないって』


 しかしザンドの煽りの中に、どうしても見過ごせない誤りがあったので、その間違いだけはすぐに訂正させてもらった。この家に私の家族は存在しない。私だけが仲間外れの仮初の家族なのだから。


『私、昔は好きな食べ物は最後までとっておくタイプだったんだ。それと一緒だよ。あの悪魔を殺すのは最後の最後。歴史に残るような盛大なやり方で、私もろともド派手に殺してやる』

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