ぶちゃみ
私はただの欠陥品だ。
『移動魔法。ザンド・トゥオ・ゲルハウーゼ』
私は生まれながらにして障害者だ。
『移動魔法。ザンド・トゥオ・ゲルハウーゼ!』
私は自分一人の力では生きて行く事が出来ない。
『移動魔法! ザンド・トゥオ・ゲルハウーゼ!』
誰かに救われ続けなければ生きる事を許されない。
『移動魔法! ザンド! トゥオ! ゲルハウーゼ!』
これはそんな私が持つ事を許された、唯一の取り柄になるはずの力だと思った。それなのに米粒をほんの三センチテレポートさせるのが限界なんだから、やっぱり私はただのガラクタなんだ。
『ふぅ……』
米粒をテレポートさせる魔法を四回使った。一回につきおよそ三センチだから、総移動距離はたかだか十二センチ。失敗だ。
『クソっ!』
私は思わずザンドを投げ捨ててしまった。何が魔法だ。何が奇跡だ。あれだけ期待させておきながら米粒を三センチ移動させるのが精一杯? そんな魔法が一体何の役に立つと言うんだか。
検査入院で病院に宿泊していた昨晩。私の病室に一冊の本が台風の風に乗って舞い降りた。本曰く、自分はかつて魔女に使われていた本であり、名をザンド。主人を亡くしてからは長い間海の中を漂っていたのだと言う。
ザンドは私にこうとも言った。自分を使えば魔女の扱う魔法を人間の私でも扱えるようになるのだと。
もしもこれが道端で声をかけて来た占い師なら、私はそんな話に見向きもしなかっただろう。しかしザンドは本である。意思を持ち、言葉も介す生き物のような本だ。自ずと期待が膨らむ。科学の発達した世界で十三年も生きて来た手前、二つ返事で魔法の存在を信じる事は出来なかったけれど、しかし私を唆すその本自体が既にファンタジーそのものだ。だから私はザンドと契約を果たしたのに。それで使えるようになった魔法が米粒を三センチだけテレポートさせる魔法?
私はため息を吐きながら投げ捨てたザンドを拾った。
【ちょっとー! 今の超痛かったんだけど】
ザンドを拾うと、開いたページにそんな文字が浮かんでいた。
『……痛むの?】
【心は痛むの!】
『バカじゃん?』
私はそのまま自室のベッドに横たわり、ザンドの教えを思い出す。
魔法と言うのはどんな事でも実現させる万能の力ではない。魔法というのは自分の力で出来る事象程成功しやすく、奇跡や魔法に頼らなければなし得ない事象程失敗しやすい。ザンドからその話を聞かされた時、私はどれほどの肩透かしを食らった事だろう。
なんだそれ。自分で出来る事程成功しやすいって、自分で出来るならそもそも魔法なんか使う意味がないじゃん。遠くの石ころを持って来る魔法ならほぼ成功するが、遠くの岩を持って来る魔法ならほぼ失敗する。だとしたら魔法で出来る事なんて結局は過程の省略でしかない。立つ、歩く、石ころを手に取る、元いた場所に戻って座る。その一連の流れを魔法で代替しているだけじゃないか。ロマンもへったくれもあったもんじゃない。
しかも魔法を覚えたての私では、自力で出来るような事さえ魔法で起こす事だって出来てはいない。何が米粒を三センチ移動させる魔法だ。こんなの投げれば何メートル先にだって飛ばす事が出来るのに。あーあ、つまんない拾いもんしちゃったなぁ。
【ねぇ、クリスマス】
『当日じゃない。その前日』
【ねぇ、イヴっち】
『何?』
【イヴっちさ。本心ではまだ魔法の存在を信じ切っていないでしょ?】
『……』
わざとらしく私の名前を言い間違えた(書き間違えた?)ザンドだけど、しかしその指摘に図星を突かれた私は思わず口を噤んでしまった。
【確かにイヴっちの魔法は、魔書を貰いたての魔女の子よりもよっぽど雑魚いよ。でもそれって仕方なくね? 魔女の子は魔法を認知した世界の住人だけど、イヴっちは魔法を否定している世界の住人じゃん。だからまずはそこから変えて行った方がいいと思う】
『……』
【信じる力は何よりも強い魔法の原動力になるよ。つうかイヴっち、魔法の存在しない世界で生きて来たのにいきなりテレポートを成功させてんだかんね? 普通だったら一ミリも動かせないと思う。イヴっち、素質は十分あるんだよ】
『……』
【だからくよくよすんな? そらファイトだファイト! オー!】
『……わかったよ』
私はもう一度ザンドを手に持ち、そして机の上の米粒に向かって呪文を唱えた。
『移動魔法。ザンド・トゥオ・ゲルハウーゼ』
その結果は。
【オー! スゲー! 記録更新じゃん!】
米粒を四.五センチ移動させた。
数ある魔法の中からテレポートの魔法を練習台に選んだ理由は、特にない。単に超常現象と言われてパッと頭に浮かんだのがテレポートだった。まずは簡単な物からやってみようと言われたから最初は消しゴムで練習してみたけど、結果は失敗。魔法が不発したり、私の意図していない雑貨がテレポートしたりと散々な結果だった。中でも一番酷いのがこの手の甲の傷。消しゴムが私の手の中にテレポートし、皮膚の中に埋もれたのだ。カッターナイフで皮膚を割いてなんとか取り出したはいいけれど、おかげで手の甲には生々しい傷が残ってしまった。
魔法が失敗した際の代償は大きく分けて三つ。魔法そのものが不発になるか、術者の意図しない形で魔法が発現するか、もしくは何らかの不幸という形で術者に魔法が返って来るか。
今回は手の甲と言う、生命維持に関してそこまで影響のない場所だったからよかった。しかし仮に脳や内臓に入り込まれては二度と魔法が使えない体になるかも知れない。私は魔法の対象を更に矮小させ、まずは米粒から練習してみる事にした。
その結果はこの通りだ。米粒を数センチ移動させる程度の魔法なら、五回連続で成功するようになった。せめて数メートル単位でのテレポートを実現出来たならまた違った気持ちになるのかも知れないが、生憎この程度で私に自信は生まれない。自信こそが魔法における最大の成功のコツだとザンドは語るけど、成功体験もなしにどうやって自信をつけろと言うんだか。
『……今日はもうおしまい』
私はザンドを体内へ収納し、明日の登校に備えて眠りについた。
翌日。
【ねえイヴっち! ここ何?】
(学校)
【学校? でもイヴっちって読み書き出来るよね?】
(読み書きって……、いつの時代の話? もう令和だよ。読み書きなんてとっくの昔に習い終わってるし)
【れいわ?】
(そ。西暦2019年から日本は令和になりました)
休み時間の教室は、まるで生徒同士(主に男子)の馬鹿騒ぎによる騒音を閉じ込めた牢獄だ。私にその自覚はないけれど、中学生というのは人生において最も多感な時期で、感情の抑制がしにくい物だと大人達は言う。つまりこの騒がしさこそが普通の中学生の象徴らしいが、彼らのように騒ぐ術を知らない私からすれば、この騒がしさは猿同士のじゃれあいにしか見えない。
【2019年? へー。だったらまだ千年も経ってなかったんだ。一万年くらいは経ってると思ってたんだけどなー。この時代の学生はこんな風に騒ぐのが普通なの?】
(多分ね。お金持ちの学校とかならまた違うのかも知れないけど)
【イヴっちは? 混ぜて貰えばいいのに。みんな楽しそうじゃん】
(……うるさいな)
私はザンドを閉じた。ザンドの体は便利な物で、本と言う形を保っているならこの世のどんな本の姿にも化ける事が出来る。手のひらサイズの手帳だろうと、六法全書のような分厚い本だろうと思いのままだ。こうして学校の教科書に化ければ目立つ事もない。
『え……』
しかしザンドを閉じた次の瞬間。ザンドが私の視界から消える。その代わり、私の前には一人の男子が立っていた。男子は私からザンドを取り上げながらこう呟く。
『ぶちゃみお前マジか? 休み時間に教科書とか読む奴いる? 頭おかしいんじゃねえの?』
男子の名は林田レンジ。同じ小学校出身の、言ってしまえば私が苦手としている男子である。具体的に言えば彼が呟いたぶちゃみと言う名前は、小学校時代に彼によって付けられた私のあだ名だった。
『いや、おかしいの腎臓だったわ』
ヘラヘラと笑いながら私から奪い取ったザンドを開く林田。しかしザンドの中身を見た瞬間、彼の眉間に皺が寄った。
『は? 何だこれ。自由帳?』
そりゃそうだ。ザンドの見た目は表紙こそ教科書だけど、中身はザンドが意思表示をしない限りただの白紙でしかないのだから。
『……返して』
私は不思議そうにザンドの表紙と中身を見比べる林田に手を伸ばしたものの、しかし男子の大きな手に払い除けられてしまった。小学校の頃は私の方が身長も高かったのに、中学に入ってあっという間に首1.5個分も大きくなった彼の腕力を前にしたら、私のような女子の腕力なんて無力もいい所である。それも病気を患った障害者の腕力なのだから、到底敵うはずがない。
『ちょっと待てって! マジでなんだよこれ? 自作? 何でこんなん作ってんの? 馬鹿じゃねえの?』
『……いいから。返してよ』
それでも負けじと何度も手を伸ばすけど、やはり圧倒的な腕力差を前には私の抵抗なんて無意味も同然だった。
『ハイお前らー! 授業始まるぞさっさと座れー!』
しかし運良く先生の入室と共に授業開始のチャイムが鳴ったおかげで、林田も諦めて渋々と私にザンドを返した。私は慌ててザンドを開いてみる。
【ムカつく!!!!!】
ザンドはページいっぱいの大きな文字でお気持ち表明をしていた。心の底から同感した。
【何あいつ? 気持ち悪っ。キモい! キモい! キモい! キモい! 本当キモい! なんか手とかベタベタしてたんだけど……。絶対お菓子食べた手でうちの事触ったでしょ?】
席に着いてもなおザンドの嫌悪は止まらないようだ。ザンドに目はついていないけど、それでも私の二つ隣の席に座る林田の事を睨みつけているような気がした。言われてみれば確かにザンドの表面には油ぎったような光が散見していて、思わず私もザンドに触れるのを躊躇ってしまった。
(あいつは……)
授業が始まり、出欠を取る先生の声しか聞こえなくなった静かな教室。私は先生の声に被せながら、周囲にバレないよう目一杯小さな声で、林田と私との関係をこっそりとザンドに教えた。
(……私の敵)
ザンドに教えて、鳥肌が立った。教室の中が冷房で冷やされているのを加味した上でも違和感のある、尋常じゃない鳥肌だ。これは寒さによる肉体的な鳥肌と言うより、ホラー映画を見た時のような精神的な鳥肌に近い。
【マジ?】
私に精神的なプレッシャーを与えている相手はすぐにわかった。今まさに私を食べようと牙を向けている大蛇に体を縛られているようだ。本当に摩訶不思議で奇妙な本だと思う。目がないくせに私の事を見て来るし、表情がないくせに笑いかけても来る。おまけに腕さえないくせに、私を逃すまいと私を強く抱きしめてくるのだ。私は今、邪悪な笑みを浮かべたザンドに優しく抱きしめられている。
【じゃあ殺す?】
私はもう一度ザンドを閉じて、これ以上余計な会話が出来ないように、ザンドを自分の皮膚の中へと押し込んだ。まったく、一体この本はいきなり何を言い出すんだか。何が【じゃあ殺す?】だ。馬鹿馬鹿しい。
『……』
米粒を数センチ動かす程度の魔法で人を殺せるかっつうの。二つ隣の席に座る林田を見ながら、そう思った。
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