九月十三日 二度とさせない
天使が死ぬ話 6/10
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みほりちゃんから電話が来る事は何度かあれど、その人から電話が来たのはこれが初めてだった。
『もしもし? タロウくん? ごめんね、こんな朝早くに』
火曜の朝。出かける準備を終えた僕のスマホにサチさんから電話が入る。珍しい事もあったものだ。
「サチさんから電話だなんて珍しいね。どうかしたの?」
『うーん……まぁ色々ね。こんな話、魔界の事情を知っている人にしか話せないからどうしても言っておきたくて』
そこで僕は少し身構えた。魔界の事情と言うからには当然みほりちゃん絡みの相談なのだろうけれど、しかしみほりちゃんがあんな事を起こしたこのタイミングで、まさかみほりちゃんのプライベートな相談を持ちかけて来るとは思えない。きっとトヨリもサチさんの相談の件に関わっていると、ぼくは直感でそう感じとったものの。
『昨日、りいちゃんが死のうとした』
サチさんの口から告げられその言葉に、思わず固唾を飲んでしまった。
『自分の心臓とトヨリちゃんの心臓を魔法で交換しようとしたの。途中で怖くなって未遂に終わったんだけど……、それでもりいちゃん、友達の為に心臓をあげられなかったって凄く自分の事を責めてる。それで昨日、ちょっと喧嘩みたいな感じになっちゃって』
話を聞いてみる限り、それは自殺と言うより自己犠牲の延長だろう。みほりちゃんらしい行動だと思った。あの子の常人離れした正義感はとても危うい。自分の危険も顧みず、自分より強い相手だろうと怯む事なく牙を向ける。それこそ自分の命さえ惜しまないような無謀な精神の持ち主だと思ってさえいたけれど、でも未遂か。みほりちゃんでも人並みの恐怖心は持ち合わせていたんだと、安心感にも近い感情が僕の中に芽生えた。
『だからね。もし今日学校でりいちゃんの様子がおかしかったら、出来るだけ気にかけて欲しいなーって思って連絡したの。タロウくん、今日は学校に行くの?』
「行くよ。だけど少し遅れると思う。今日からトヨリは一般病棟に戻るから、今から引っ越しのお手伝いに行かないと。でも話はわかった。学校についたらみほりちゃんには気をつけておくよ」
『うん。ありがとう。お願いね』
僕は通話を切り、パパが待ち構える一階の駐車場へと足を向けた。
「……」
「……」
引っ越しのお手伝いと言っても大した事はない。トヨリが集中治療室に入るに当たって撤収させた私物を、もう一度病院まで持ってくるだけの作業だ。ビデオ通話用のパソコンに爪切りや綿棒のような衛生用品。それに本や映画みたいな暇つぶしの道具と、そして学習用具。
僕は静かな病室で黙々と作業をこなす。トヨリの学習用具を淡々と棚の上に並べて行った。お父さんが呼び出しを受けてどこかへ行ってしまった今、僕とトヨリの間に交わされる会話はない。そもそもトヨリがVADを装着するまで、僕は彼女の前に顔を出すはずではなかったのだ。彼女がストレスを感じて心臓を暴れさせる前に、早く仕事を終わらせて立ち去らないと。……と、思った矢先の事。
「……それ、私に必要だと思う?」
トヨリが突然話しかけて来た。僕は並べている途中の学習道具を棚に置き、トヨリの方を振り返る。
「……勉強って大人になる為に……するんでしょ? ……私、大人になれると思う?」
「……」
まったく。今日は朝から珍しい事が続くものだ。
「僕に言っているの?」
「……他に誰がいるの?」
「僕の事、嫌いなんじゃなかった?」
「……うるさいなぁ。いいから答えてよ」
心無しかその口調もどこか穏やかな物になっている気がした。
「最初の質問に関しては部分的にイエスだ。トヨリにとって興味のない勉強ならしなくていいし、興味のある勉強ならすればいい。好きな事を知って知識を蓄える快感は間違いなくトヨリのストレス軽減に繋がるし、仮に病気が治った時には社会復帰の為の強い武器になってくれるはずだ」
「……じゃあ100%病気が治らない人は? ……どうせ死ぬのに、それでも勉強は必要?」
「それでもだよ。どうせ死ぬのはトヨリに限った話じゃない。人は誰もが皆いつかは死ぬ。そして死者の多くは学生時代に習った科目を社会で役立てる事がないまま死んでいく。学校で培った知識を仕事でも活かせる人なんて、それこそ一部の専門職に就いている人達だけだ。だからどうせ死ぬから勉強はいらないって言うのは、僕は極論だと思うかな。それでもトヨリが勉強したいと思える具体的なメリットをあげるなら」
「……あげるなら?」
「みほりちゃんとの共通の話題が増える」
「……」
「みほりちゃんがお見舞いに来る度に、例えばドリルのわからない問題を教えあったりとか。そう言う事が出来るようになるよ」
僕がそう言うと、トヨリは吐息を漏らす程度の小ささではあるけど、確かに僕の前で僅かな笑みを零した。それは仮面を脱いだ、彼女本来の笑顔だった。
「それに勉強なら僕だって教えられ」
「あ、お前はいらない」
「わかった」
僕はこの話題を終わらせる。しかしこの話題が終わると言う事は、必然的に次の話題へ切り替わる事を意味していた。
「……もう一つの質問にも答えてよ。……私、大人になれると思う?」
僕は考えた。人間としての解答と、僕としての解答のどちらを選ぶべきかと。具体的に言えば彼女を思いやる解答と正直な解答の二択だ。僕がどっちの解答をしようが、トヨリは僕の嘘に気付く事は出来ない。だったら当然ここは彼女を思いやる、人間としての解答を選ぶべきなのだろうけど。
「思わない」
しかし僕が選んだのは後者だった。
「一年保てばいい方だと思う」
「……」
「そんな気がする」
「……そっか」
そう答えた理由は色々ある。その中から二つ程理由をあげるなら……そうだな。一つはトヨリが嘘を見抜けない僕という存在を嫌悪するなら、僕はとことん正直であり続けようと思ったから。真実しか話さないとトヨリが理解すれば、少しでも彼女の信頼を得ることが出来るかもしれない。
でも、もう一つ。割合としてはこれが最も多くを占めると言っても過言じゃない理由を僕は持っていた。
「……言ってくれるじゃん」
「散々トヨリにはいじめられたからね。そのお返し」
憂さ晴らしだ。散々僕を良いように使って来た憂さ晴らし。散々僕を邪険にしてきた憂さ晴らし。そしてこれだけ尽くしてなお僕の事を嫌悪するくせに、みほりちゃんとはたったの一週間で仲良くなってしまった彼女に対する憂さ晴らし。
流石にこの一言まで言うつもりはないけれど、それでも心の中でくらいなら言っても構わないだろう。あー、スッキリした。と。
「……スッキリしたとか思ってそうな顔」
「……」
もしかしたら僕の心を読んでいるんじゃないかと、少しばかり焦ってしまった自分がいた。
「……本人を前に一年保てば良いとか……よく言えるね。良い性格してるじゃん」
「ありがとう」
「皮肉だよ」
知ってた。
「……まぁ、いいよ。とりあえずお兄ちゃんは嘘はつかないんだって……信じてあげる」
だから僕は驚いた。嫌味を言ったお返しにまさかこんな事を言われるだなんて、思ってもいなかった。
「……私としても不本意だけどさ。お兄ちゃんと仲良くしとかないと……みほりちゃんがまたうざい事して来そうだから」
自分の意思ではなく、みほりちゃんに絡まれるのが嫌だから僕とも仲良くする。トヨリはそう言うけれど、しかし僕にはその言葉こそ嘘臭く感じてしまうのだ。まるで何か裏があるような気がするし、逆にこれで裏がないならそれはそれで不気味だ。……が。
「……それでね、お兄ちゃん。そんな正直者のお兄ちゃんに折り行って聞きたい事が……一つあるんだけど」
やはり僕の予想は正しかった。じゃあトヨリはどんな裏を持って僕の存在を受け入れたのかと言えば。
「……昨日、みほりちゃんがさ。知らない女の人と……騒ぎみたいな事を起こしてたの。……あれ、何なのか知ってる?」
どうって事はない、そんな一つの質問だった。だから僕は答えた。僕はその現場に居合わせたわけではないけれど、しかし彼女が抱くその疑問の答えに相応しい情報を僕は持ち合わせているのだから。
「あー。それなら多分」
どうせ放課後になれば、みほりちゃんはトヨリに会いにこの場所へ訪れる。嘘が苦手な彼女の事だ。心臓をあげられなかった後悔から、不自然な挙動を見せる事は容易に想像出来た。その時のみほりちゃんの言動を見れば、トヨリの中で渦巻く違和感もより強烈なものへと変わって行く事だろう。みほりちゃんの事情を知っておけば、トヨリも彼女を気遣い、相応の対応が出来ると思った。
「トヨリに心臓をあげようとしたんだよ。それでお母さんに怒られたんだ」
……思ったのだけれど。
「……何それ。どういう事?」
「自殺未遂……、みたいな」
「……」
もしかしたら僕は今、とんでもない過ちを犯してしまったのかも知れない。
「……へー。そうなんだ」
トヨリが笑顔を浮かべた。それはこの一週間の間にみほりちゃんが無理矢理顔から毟り取った仮面のような笑顔だった。
「……馬鹿だね、あいつ」
すっかり無くなりかけた思ったあの笑顔が、再びトヨリの顔にへばりつく。
「……二度とそんな事が出来ないようにしないと」
トヨリはみほりちゃんの行動を嘲笑うように、冷たい笑顔でそう言い放った。
余談
学校に着いたのは四限が終わる間際だった。これだとまるで給食を食べる為に学校へやって来たようだけど、当然そんな事はない。僕はみほりちゃんではないのだ。
四限が終わり、給食の時間になる。僕はサチさんに言われた事を思い出しながら、向かいの席に座るみほりちゃんの様子を伺ってみるものの、しかし彼女にこれと言った変化は見当たらなかった。いつものように黙々と目の前の給食に手を伸ばして……。
「……」
手を……、伸ばさない。眼前の給食を静かに見下ろすだけで、その手は箸どころか牛乳にさえ伸びようとしない。
「なんだ有生。ダイエット中か?」
そんなみほりちゃん茶化すように、隣の席のダイチくんが茶々をいれた。しかし。
「……いや。なんか、食欲なくて……」
みほりちゃんから紡がれたその一言に目を丸くする。ダイチくんは慌てて僕の方を振り向いた。ダイチくんの気持ちが痛い程理解出来る。僕とダイチくんの間に会話が交わされる事はなかったものの、しかし僕達が果たすべき使命は言葉を介さずとも理解出来た。
先に行動を起こしたのはダイチくんだった。
「先生! 有生死ぬかもしんねえ! 保健室に連れて行かねえと!」
「は?」
口を半開きにしながら間抜けな声を漏らすみほりちゃん。ダイチくんは馬鹿だった。
「違うよダイチくん。ここは救急車を呼ばないと」
「はぁ?」
だから僕はダイチくんの間違いを訂正したのに、みほりちゃんの表情はより一層険しくなる。正常な判断も出来ないくらい心が衰弱しているのが見て取れた。
「確かに! おいタロウ、とりあえず救急車来るまで有生を保健室に連れてくぞ! 手伝え!」
「了解」
「はぁーーーーっ⁉︎」
この日、僕はこの世界に来て初めて先生と救急隊員の方々から叱られた。
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